第36話 小さなフィレンツェアの気持ち
「……やっと会えた」
そんなアルバートの呟くような言葉に、“私”の口角がほんのりと上がるのがわかった。
目の前に《《ある》》のは神様に見せられていたゲーム画面のような平たくて四角い枠だったが、その中に映っているのはあの時のようなゲームの画面ではない。
────これは“フィレンツェアの視界”だ。
そこにはなにやら嬉しそうにしているアルバートの顔が映っていて、特に前髪に“フィレンツェア”の視線が集中しているようだった。
あの時、いつもは頑なに前髪で隠されていたアルバートの瞳が見えた瞬間。あの一瞬で小さなフィレンツェアが私を押し退けて前へと出てきたのだ。
────それにしても。
見えてしまったアルバートの瞳の色に動揺したとはいえ、こうも簡単に小さなフィレンツェアに入れ替わられるとは思わなかった。これまで気持ちを引っ張られる事は多々あったけれど、まさか本気で小さなフィレンツェアが引きこもりをやめるとは思っていなかったのだ。だからこそ、小さなフィレンツェアを突き動かしたアルバートの存在が不思議でならなかった。
……アルバートのあの瞳は、はっきりと赤く色付いていた。
いや、“赤い色系統の瞳”自体は存在する。でもそれはもっと明るい……ピンク色やオレンジ色、またはそれに近い赤色だけだ。あんな────“赤黒い血のような色をした瞳”は小さなフィレンツェアの記憶にも、もちろん神様からの情報にも無いものだった。
なぜならば、神様が“血の色”をあまり好んでいなかったからだ。それに私自身も“血”を見るのは苦手であった。聖女時代の嫌な思い出とも重なるし、神様もそれを知っているのだ。……だって神様は、私が本気で嫌がることはしないでいてくれたから。いつもふざけていて馬鹿みたいな事ばっかりしていたけれど、神様はずっと私を気遣っていてくれた。
だから、そんな“血の色”だとわかる色をわざわざゲームの登場人物の瞳の色に使うなんて考えにくいと思った。もしも神様が私にも何も教えずに“わざと”アルバートの瞳の色をそうしたのだとしたら、きっとそれはとても重要な役割りを持っているからだろう。だとしたらアオの事を知っているのも納得である。
しかも……その重要人物だろうアルバートに、小さなフィレンツェアがこんなにも反応したのだ。これまで小さなフィレンツェアが私に隠していた秘密と関係しているに違いないと思った。
私としては早くアオに関しての事の話をしたいのに、画面の中の視線はずっとアルバートを見つめているままだ。それにもう瞳は見えないがアルバートも小さなフィレンツェアを見つめ返しているように見える。さっきまでの雰囲気とは全く違うアルバートの態度も不思議でしかないのだが、私はなぜか妙に甘酸っぱい空気を漂わせる小さなフィレンツェアとアルバートの様子にどうしたものと頭を悩ませるしかなかった。
すると────これまで隠されていた小さなフィレンツェアの気持ちが少しづつ私の中に伝わってきたのである。
【私にはずっと隠し続けてきた秘密がある……これは、もう一人の私にも絶対に内緒の秘密なのに……。でも、アルバート様を目の前にしたらもうこの気持ちに我慢は出来ないわ】
響くように伝わってくる小さなフィレンツェアの強いの感情。するとフィレンツェアの視界の画面の横にひと回り小さい別の画面が突如現れたかと思うとそこには“フィレンツェア”の姿が映し出されたのだ。どうやらこちらはフィレンツェアの過去の記憶を映し出しているようだった。
【私は《《あの日》》、見てしまったの……】
そこに映るのは、まだ私と入れ替わる前の“フィレンツェア”だ。いつも険しい顔をして、笑う事など決してないフィレンツェアの姿だ。
【《《あの日》》も、私はジェスティード殿下から理不尽に叱責されたわ。“加護無し”のくせにルルに厳しい言葉を浴びせたからって大勢の前でルルに謝れって無理矢理に頭を下げさせられたのよ。普段のジェスティード殿下は自分の身長の事を気にするばっかりで他の事なんて深く考えない阿呆なのに、ルルの事になると人が変わったように怒り狂ってくるのよね。本人は“一途な純愛”だとか“運命の恋”だとか耳障りの良い言葉を並べてご満悦みたいだけど、今から考えるとルルの事というよりもそれを理由に私を貶めたいだけなのかもしれないと思ったわ。そうやって自分のコンプレックスを隠してプライドを守っているかのような……その為にルルに恋しているかのような……。まぁ、その辺については私も自分の居場所を作りたくてジェスティード殿下の婚約者になったのだからあまり責められないのだけれど。
でもその時の私は……みんなに笑われて陰口を言われて、私は悔しくて悲しくて……でも“加護無し”であることを言われたら反論出来なくて……その場から逃げるようにして立ち去ったわ……】
すると、画面が一瞬乱れて別の場面を映し出した。フィレンツェアの視界の方の画面は変わりなくアルバートと見つめ合っているのに、過去の画面の方は目まぐるしく映像を変え出したのだ。
この過去の思い出の映像が他者目線なのはゲームの仕様なのだろうか。俯き下唇を噛むフィレンツェアの姿は痛々しいほどだった。このフィレンツェアの姿がゲームとして当然の姿なのだと言われたら……悲しい。
だって“フィレンツェア”は────やっぱり私なのだ。
悪役令嬢だからと、ゲームのキャラクターだからと、どれだけ言われても……転生した時点で私とフィレンツェアの魂は同じだ。小さなフィレンツェアが、私のような魂が自分に転生してきてどう思ってるのかはわからなかったけれど……なんだかんだと上手くいっていた気がしていたから。
そして、またもや画面が変わる。
フィレンツェアが涙を堪えて走る姿。そして────。
【それから、学園はとても広くて人があまり立ち寄らない場所がいくつかあると知っていたからそのうちのひとつに行って木陰の茂みに座り込んだわ。本当なら公爵令嬢がそんなことをしてはいけないのだろうけど、その時は泣いて喚くのを我慢するのに必死だったのよ。そんな事する気もないくせにどんな報復をしてやろうかなんて考えて気を紛らわせないと心が壊れてしまいそうで、もうギリギリだったの。周りからは散々言われていたし、確かに権力とか財力を駆使はしたけれど……でも努力したのに、結局は“加護無し”だからって言われて終わりなんだもの。私にだって守護精霊がいればこんな事しなくても誰かに愛してもらえたのにって、私を守護してくれない精霊を心底恨みもしたわ。……そんな時よ】
────フィレンツェアは、アルバートを見つけたのだ。アルバートは名前くらいしか知らないクラスメイトだったが、唯一フィレンツェアを「“加護無し”のくせに」と馬鹿にしてこない人間でもあった。あの黒髪がなんとなく苦手で避けてしまっていたけれど悪い感情はない。フィレンツェアにとってアルバートはそんな人物だった。
それは偶然だったようだ。
誰もいないはずのその場所で、《《偶然》》にフィレンツェアは見てしまったのである。
フィレンツェアが見たのは、苦しそうに体を丸めて震えているアルバートだった。必死に声を抑え、眉はずっと苦しそうに顰めたまま。首筋には冷や汗が流れていて、時折うめき声が歯を食いしばった唇から漏れ出たけれど決して叫んだりはしない。
それはただひたすらに……今の苦しみを耐え忍ぶ姿だ。
フィレンツェアは木陰に身を隠しながら、それを見ていた。声をかけようかと思った瞬間もあったようだが、フィレンツェアは次の場面を見て即座にそうするのをやめた。なぜならば……。
『あらあら、まぁまぁ。これはまた酷い発作ですわねぇ!なんでほんの少し離れた隙にこんなに悪化するのでございましょうか……』
どこからともなく現れた赤いまだら模様のヘビがアルバートの腕を伝ってくねくねと登ってきたかと思うと、なんとアルバートの唇の端にかぶっ!と噛み付き……『ぶっちゅぅぅぅぅぅっ!ずももももぉぉぉっ!ぷはっ!』と、“何か”を吸い取ったのである。
「ごめん、ニョロ……。今日はかなり体調が悪くて……いつものお守りのおかげで少しはマシだったんだけど……さっき急に酷くなってしまって……」
そう言ってアルバートがよろめきながらズボンのポケットから取り出したひとつの赤い宝石がやけにフィレンツェアの目に止まっていた。
『お気を付けなさいませな。今後、《《どちら》》に色濃くなるかで運命が変わってしまいますのよ?“あなたが望む未来”にするためには……今が正念場でございましてよ』
「……わかってるよ。そうならないために頑張っているんだから」
会話の内容はさっぱりわからなかったが、フィレンツェアは目が離せなかった。ドキドキと高鳴る胸を押さえて必死に息を殺している。
その時に偶々見てしまったアルバートの瞳の色。その瞳の色が“存在しないはずの瞳の色”だと言うことはフィレンツェアでも知っていた。そして、なぜかアルバートが“精霊の力”のせいで苦しんでいると感じ取ってしまったのだ。その時は“加護無し”の自分になぜ精霊の力が感じ取れたのかはわからなかったが、どうしてかアルバートの体内で“精霊の力”が暴走しているのだと本能でわかってしまったようだった。
……これはたぶん、封印されていたとはいえアオの魔力が反応したのかもしれない。フィレンツェアは気付いていないが生まれた時からずっとアオの強力な魔力に守られてきているのだ。きっとアオの魔力が無意識のうちにアルバートに宿る精霊の力を感じ取ってしまったのがフィレンツェアに伝わってしまったのだろう。
しかもそれは、アルバートの守護精霊の力ではなく……《《アルバート自身の精霊の力》》だ。
これまで気付かなかったが、小さなフィレンツェアの目で見ればそれがよくわかる。ヘビの方から感じる力とは全然違う……もっともっと強力な力。これは人間が持つには大き過ぎる力だ。
意識していなかったから今までわからなかったが、フィレンツェアの瞳は“そのモノが持つ魔力”を見分ける事が出来るようだ。しかも無意識にオン・オフをしているようで、小さなフィレンツェア自身がその事に違和感を感じていないから私にもわからなかったようだった。
つまり、私があの時に見たアルバートの纏う赤いモヤ……あれはアルバートの持つ精霊の力の塊だったのだ。
【その姿を見て……なぜか自分の境遇と重なって見えたの。守護精霊がいなくて苦しんでいる私と、精霊の力で苦しんでいるアルバート様がなんだか似ているような気がして……真逆なのにおかしいわよね。でも、本当にそう思ったのよ。あぁ、この人は私と一緒なんだって】
そして体調の戻ったアルバートが立ち去った後、その場にあの赤い宝石が落ちている事に気付いたようだ。フィレンツェアはその宝石を慌てて拾ったものの、アルバートをすぐに追いかける事が出来ないでいた。さっきの場面を見てしまった事を伝えても大丈夫なのだろうかと躊躇したのだ。
それに、少しだけ……この宝石を見ていたくなってしまった。「ちょっとだけ……ちょっと借りるだけだから」と自分に言い訳をして宝石を手の中に隠してしまった。
フィレンツェアは誰もいないのを確認してあの湖に行き、桟橋の上で宝石をただ眺めていた。
キラキラと輝く宝石の美しさに心のささくれがほんの少しマシになった気がして、不思議と癒される。でもきっとこれはアルバートの大切な物のはずだからいつまでも自分が持っているわけにはいかない。と息を吐く。
アルバートはすぐに宝石を落とした事に気付いてあの場所に探しに来るかもしれない。アルバートを困らせたいわけではないので、落ちていた場所に早くこの宝石を戻さなくては……。そう思った時だ。
【……手が滑って、宝石が湖に落ちてしまったの。その時は動揺してその場からつい逃げてしまって……】
でも後日。湖の近くでまたもや発作を起こしているアルバートを見つけてしまったのだ。今度はフィレンツェアがアルバートが苦しむ姿を見てしまったと気付かれてしまったようだったが、フィレンツェアは何も言わずにアルバートの前から立ち去った。────湖に落としてしまった宝石を探すために。
……あぁ、だからフィレンツェアはあの日ひとりで湖の桟橋の上にいたのだ。必死に水面を覗いてどうにか赤い宝石が見えないかと気が焦っていたから、自分に近付く殺気立った気配にも気付かなかった。湖に突き落され、このまま死ぬのかもしれないと思った時も自分がアルバートの宝石を持ってきてしまった天罰なのかもしれないとすんなり受け入れて……。
そして命は助かったものの、私とひとつに混ざり合った時も“小さなフィレンツェア”として心と記憶の一部をを隔離したのは記憶を完全に共有してはアルバートの秘密が私にわかってしまうから。
フィレンツェアはアルバートの秘密を守る為に“小さなフィレンツェア”となった。だからアルバートに関わった時にあんなに激しく動揺していたのだ。
そして、ついでに私も現在進行系で激しく動揺している。
いや、ほら────も、もしかして……だけど。小さなフィレンツェアがアルバートに特別な感情を持っているとか……あったりする?それも、好意的なあれやこれを……なーんて思ったり?
はっきり言って私は《《そうゆう方面》》はあまり得意ではない。聖女時代は生きる事に精一杯でそれどころではなかったし、神様がゲームについての恋愛観は教えてくれたがそれを現実としてどうなのかと問われると首を傾げてしまう自分がいる。
だって、つまりはアルバートの秘密を守る為に私と完全に混ざり合うのを拒否したって事よね?それにさっきから小さなフィレンツェアから流れてくる感情は“嬉しそう”な感じなのだ。
考えても自分自身ではよくわからない感情だが、天界にいる間に神様から色々と聞かされていたせいで私は俗に言う耳年増だった。普段は気にしていないから意識もしていないが、一度気にするとやっぱり気になってしまうのである。特に小さなフィレンツェアのそうゆう事情は私にだって直接的に関係してくるではないか。
【最初はね?湖に落ちて、もう死んだって思って覚悟したから……だから、もう一人の私の事もすんなり受け入れられたの。でも、それからなぜか……人生観が変わってきたと言うか……もう一人の私を見ていたらこれまでの悩みが馬鹿馬鹿しくなってきてしまったのよ。
だから、ジェスティード殿下と婚約破棄をしようと思ってくれたのも嬉しかったしもう一人の私が思い浮かべるスローライフも興味津々だったわ。アオさんの事は正直かなり驚いたしそのせいであんな目にあったんだともちょっとだけ恨んだけど……でもずっと守ってくれていたのは嬉しかった。もう一人の私の記憶を覗いて神様の事も、なんだか私とも友達になってくれそうって思ったり……。でも私の運命を変えるためにもう一人の私が頑張ってくれてるのを見ていたら、私もやり残した事があるって思ったの】
その時、フィレンツェアの視界の方の画面がふわりと揺れたかと思うといつの間にか画面いっぱいにアルバートの顔が近付いていた。
【ずっと、アルバート様に謝りたかったの……。宝石を勝手に持ち出して湖に落としてしまったことも、ずっと避けてしまっていたことも……。それに、どうしても伝えたいことが────】
「フィレンツェア嬢、やっぱりあなたはわかっていたんですね。……僕の秘密を」
「……それがどういう事なのかちゃんとわかったのは、もう一人の私と入れ替わってからなんです。もう一人の私が行動している間はひとりでゆっくり考える事が出来たので……。そして、図書館でアルバート様に助けていただいた時に確信しました。
……きっと《《そうなのだろう》》と」
すると小さなフィレンツェアは「ふふっ」と声に出して笑った。
「人間は死にかけると人生観が変わるらしいとはよく聞きますけれど、本当でしたわ。なぜかこの状況になってから気が楽になったというか視野が広がったというか……もう一人の私の言葉を借りるならこれこそ“バグ”というやつだと思うのです。私は“悪役令嬢”として断罪される運命らしいですから。でも、私はもう一人の私と出会って本当に運命が変わったんです。ずっと悩んでいた家族との関係も改善されましたし、守護精霊もいるとわかった。それにジェスティード殿下のこともあんなに執着していたのが嘘のようにどうでもよく思えてしまって……だから、私……アルバート様を避けたりせずにちゃんとお話をしなければいけないと思ったのです。きっと私の態度はあなたを深く傷つけてしまっただろうと────」
小さなフィレンツェアは息を吸い込み「アルバート様」とアルバートの顔をまっすぐに見つめる。そこには先ほどまでの甘酸っぱい空気は無く、真剣だ。そして小さなフィレンツェアが次の言葉を紡ごうと唇を動かした瞬間。
「────体が戻った……?」
小さなフィレンツェアはパタリと動かなくなり……体の主導権は一瞬で私に戻っていたのだ。私は立ったままだったが頭がぐったりと下を向いていたのでパチッと目を開けると自分のつま先と地面が視界に広がっていた。
「どうやら時間切れのようですね。たぶん無理に入れ替わったからその反動が一気に来たのでしょう……もしや眠ってしまったのではないですか?」
「……そう、みたいですね。寝てるみたいです。“小さなフィレンツェア”ったら、なんて自由な……」
心の中では小さなフィレンツェアの寝息が聞こえてくる。まさか、はしゃぎすぎて力尽きるなんてまるで子供だ。でも、幸せそうではなある。
「……“小さなフィレンツェア”……、ふふっ、素敵な呼び方だ。きっとそれが“フィレンツェア嬢”の本来の姿なのでしょうね。あなたもお転婆のようですし……ね?もう一人のフィレンツェア嬢」
「それは────」
どういう意味なのか、と。アルバートを問い質そうと思わず顔を上げると、前髪の隙間から覗く赤い瞳と視線が重なった。あまりの距離の近さとアルバートから感じる妙な圧に思わずたじろいだその時だ。
「……きさまぁ!フィレンツェアに何をするつもりだ?!今すぐ離れろ!」
なんと突然の強風と共に半裸かと思うほどのやたらと衣服の乱れたジュドーが現れたかと思うと、私をがっしりと抱き締めてきたのだった。
胸元がはだけ過ぎていて頬にジュドーの素肌が押しつけられてしまったのだ。なぜかところどころが薄黒く汚れていてしっとりと汗をかいている。乱れに乱れた服からは女性の物であろう甘ったるい香水の残り香まで……。
ちょっ、ちょっと待ってよ……これはなにごとなのぉ?!
私は混乱し、戸惑うしか無かったのだ。




