第2話 友達の名前
「それにしても、私ったらなんでお昼休みなんかにこんな場所にいたのかしら?」
どうにも一気に前世の記憶を思い出したせいなのか、直前までの記憶が曖昧になってしまっているようだった。フィレンツェアには友達がいないし学園内は居心地が悪いはず。1人になりたくて来た可能性もあるけれど、それにしてもわざわざ危険な桟橋の上に無防備に立っていたのには違和感がある。しかし、その辺の記憶がすっぽりと抜けてしまっていたのだ。
私に今わかっているのは、この湖が学園の敷地内にあるもので今がその学園の昼休みであるということ。そして私……フィレンツェアがその学園に通う1年生だと言う事か。もちろんこれまでの人生の記憶はあるので記憶喪失というわけでもなさそうなのだが。
桟橋の上からぐるりと辺りを見回す。林に囲まれていて人気の無い場所だが、向こう側には校舎が見えた。つまり学生なら自由にここへ来れると言うことだ。やはり私を突き落とした犯人は学園の生徒なのだろうか。この湖は見た目よりもかなり深い事は学園の人間なら知っているはず……そして、もし犯人がフィレンツェアが泳げないという事を知っていてこんな事をしたのなら、守護精霊がついていない人間が落ちたらどうなるかなんてわかっているはずである。ならば、あれは悪意どころか殺意だったのだ。
まぁ、学園内にこんな大きな湖があることが凄いのか。確か神様が「精霊達が好む場所をそこら辺に作ってるんだ~」と言っていたから似たような場所がそこいらにあるのだろう。さすがにゲーム内の地形までは覚えていないが、だいたいの話の流れならわかっているつもりだ。
ちなみにその学園とはこの国の子供達が十五歳になると通う事が義務付けられている国王陛下公認の由緒正しき学び舎、グレイス学園だ。守護精霊と絆を深め、将来は国を支えられる優秀な人材を育成方法するために規律に厳しく誠実な人間を育てるのが目標とされている。しかし、皆平等と謳われている割には貴族と平民とでは校舎が分かれていて顔を合わすことはないし学ぶ内容も全然違っている。貴族と平民の線引きはしっかりとされているのだ。
さらには爵位や権力による横暴は堂々と振るわれているし守護精霊の強さによって暗黙の了解によって決められた階級の差によるイジメも横行している。だからこそフィレンツェアは権力を振るい、加護無しのくせにと嫌われ……結果湖に突き落とされたのだから。
実際は怪我どころかどこも濡れてすらいないし、もはや突き落とされたくらいでショックを受けて寝込むような性格でもなくなってしまった。聖女時代には理不尽に妬まれてあんなことやそんなことも散々されたてきたし、過激な仕返しも数え切れない程したものだ。あの時は私も若気の至りというか、ちょっと荒ぶっていたというか……うん、なつかしい思い出である。
『そうだ!フィレンツェアは、何かを探していたみたいだったよ!』
さっきから私の頭上をぐるぐると飛び回っていたブルードラゴンは私の肩に留まると、ハッとした顔をして言った。よく見ると前世時代には無かった小さな羽が生えている。だから空を飛んでいたのね……可愛い。もしかして精霊に生まれ変わったからだろうか?それとも転生特典?可愛いからどっちでもいいけど。
探し物をしていた……こんな湖で?
そう言えば、ブルードラゴンは封印はされていたけれど僅かに意識はあったのよね。
「そうなのね……。それって何かわかる?」
『うーん、わかんない~』
首を傾げすぎてコテンと転がりそうになるブルードラゴンを手で支え、私は肩を竦めた。わからないことは悩んだって仕方がない。
「まぁいいわ、きっと落とし物かなにかしたのね。もしかしたら私を突き落とした犯人が捨てたのかもしれない。……それだけフィレンツェアが嫌われてるってことよ。とりあえず学園に戻りましょうか。あなたも一緒に来るでしょう?でも、そのドラゴンの姿のままではいくら小さくても目立つわよね。出来ればあまり目立たない生き物に姿を変えて欲しいんだけど……ん?どうしたの、ブルードラゴン」
するとブルードラゴンは私の手にひらに頰を擦り寄せ、うるうるとした瞳をこちらに向けていた。
『……ねぇ、フィレンツェア。聖女はフィレンツェアなのに、僕はブルードラゴンのまま?』
「えっあぁ……そういえば前の世界では一匹しかいなかったからそのまま呼んでいたけど、確かブルードラゴンって種族名だものね。それに、もしも他の強い精霊がドラゴンの姿をしていたらややこしくなっちゃうか。そうねぇ、それじゃあ……」
私が顎に手を当てて「うーん」と悩み出すと、ブルードラゴンが金土は目と鱗をキラキラとさせてながら私を見つめてくる。この鱗も、前は邪気のせいで綺麗というよりは恐怖の対象だったけれど浄化されたからなのか今は宝石のように綺麗だと思った。
「……じゃあ、鱗が青いから“アオ”って呼ぶわ」
『アオ?』
「そうよ。だってあなたの鱗ってサファイアって言う青い宝石みたいにキラキラしていてとても綺麗だもの。……だから“アオ”よ」
するとブルードラゴンは黙り込み、体をプルプルと震わせたのだ。
もしかして気に入らなかったのかしら?
「あの、気に入らないのなら他のを……」
『アオ!僕の名前はアオだぁ!!やったぁ!』
そう叫んで、肩から飛び上がると再び私の頭上をぐるぐると飛び回り始めた。どうやら喜んでいるようである。そしていきなりピカッと発光したかと思えば、小さなドラゴンの姿から青い鱗をしたトカゲの姿に変わっていたのだ。
『うわぁ!?なんか、変身出来たよ!』
「あら、すごい。ついでに力も抑えられる?今の状況で守護精霊だってバレるとトラブルになりそうだから普通のトカゲみたいに振る舞って欲しいのよ」
『それだと、またフィレンツェアがいじめられない?』
ブルードラゴン……もうアオか。アオが心配そうに見てくるがその姿が妙に可愛くて笑みが溢れてしまった。
「ふふ、大丈夫よ。それに、これまで加護無しだと思われていたのに突然守護精霊を連れていたら大騒ぎになるわ。しばらく様子を見たいのよ」
やはりタイミングが大事だと思うわけである。フィレンツェアの過去を思い出しても、やる事なす事どうにもタイミングの悪い子だった。悪役令嬢というのがそうゆう存在なだけなのかもしれないが。
そんなわけで、状況を整理して神様がよく「ここ重要だよ!」と言っていた乙女ゲームの進行具合や好感度を確認したいと思った。このままでは私は悪役令嬢人生まっしぐらだ。出来るだけ素早くそしてスムーズに退場したいのだが、やはりそれもタイミングが大事である。もうこの世界は私の生きていく世界なのだから、下手に拗れたらスローライフどころではなくなってしまう。確か悪役令嬢には婚約者もいたはずだ。天界でやったお試しプレイはヒロイン目線だったから多少誤差があるかもしれないが、婚約者関連で悪役令嬢が破滅していたのは覚えている。
出来れば今世は、せっかくだからのんびりと余生を過ごしたい。そして、神様に散々教えられた娯楽をまた楽しみたい。その為にもヒロインや攻略対象者達の恋愛トラブルに巻き込まれるのは御免被りたいのだ。なにせあの神様ときたら「恋愛ゲームなんだから多少はドロドロしないとね!こうゆうのを恋のエッセンスとかスパイスとかって言うんだよぉ!」なんて鼻息荒くしてドヤ顔で言っていた。聖女時代は恋愛なんて御法度だったし、元よりあまりそうゆうものには興味がなかった。それに天界にいた頃もあくまでもゲーム……疑似世界だから楽しめていたのだ。あのドロドロを実際に体験したいかと問われれば答えはノーである。
「それに……これからはアオがいるもの、もう寂しくないわ。どうせなら一緒にスローライフを楽しみましょう。そうだ、神様直伝のゲームも教えてあげるわ。もう私達は闘い合わなくていいんだし、素敵な友達が出来てすごく嬉しいのよ!」
『……僕が、フィレンツェアの素敵な友達?』
「そうよ、とっても素敵な友達だわ。これからよろしくね、アオ」
『うん!』
まぁ、学園に行けばなにかわかるでしょ!
こうして私とアオは、新たな人生を生きるために神様が作り出したこの世界の舞台へ足を踏み入れたのだった。
***
なーんて、お気楽に考えてやって来たものの……やたらと感じる刺さるような視線と聞こえよがしな噂話のせいで学園内での居心地の悪さといったら半端のないものだったのだ。
悪役令嬢とは、思ってた以上に嫌われ者のようである。
「……ほら見て、ブリュード公爵令嬢ですわよ。“加護無し”のくせによく学園にいられますわね」
「本当に厚かましいですわよね。もしもわたくしが同じ立場だったら恥ずかしくてとてもあんな風に平然とはしていられませんわ。普通、自主退学いたしますわよねぇ?厚顔無恥って言葉は彼女のためにあるのではないかしら。わたくしあの方が近くにいるとなんだか気分が悪くなりますのよ」
「実はわたくしも近づくとたまに吐き気がする時があって……やっぱり“ちゃんとした”守護精霊を持つなわたくし達とは相容れない存在なのではないかしら?それにしてもさすがは“悪役令嬢”、人を害するのがお得意なようですわ。そういえばこの間のテストの結果も下から数えた方が早かったようですわよ。もちろん精霊魔法学は言うまでも無く散々な点数だったとか」
「あんな平民にも劣る“加護無し”がこの国の公爵家の人間だなんて、世も末ですわ。第二王子殿下の婚約者の座も金と権力で無理矢理に手に入れたって噂ですわよ。なんて下品なのかしら。あの方のせいで学園内の空気が淀むようですわね」
「あら……、肩に変なトカゲを乗せていますわ。もしかして守護精霊がいないからってトカゲで代用でもしているつもりなのかしら?これだから“加護無し”は……せっかく公爵家に生まれてもこれでは生きてる意味もないのではなくて?うふふっ」
数人で寄り添ってここぞとばかりに口撃を仕掛けてきているのは、たぶん下位貴族の令嬢達だろうか。私は公爵令嬢だが、ここでは爵位よりも守護精霊の強さの方が勝る。それでも堂々と喧嘩を売ってこないのは私の婚約者が関係しているのかもしれない。
今までの私なら彼女達の言葉を聞いた途端にキレて大暴れしていたはずだ。そしてその言動は瞬く間に広がり、私の悪評に繋がる。“フィレンツェア”の立場が悪くなればなるほど彼女達は嬉しいのだろう。
まぁ、よくあるストレス発散というやつだろう。理由なんてなんでもいいから誰かを下に見て優越感に浸りたいのだ。その相手が自分よりも上の立場の人間ならその優越感はさらに心地良いものになるらしい。前世でもそんな奴らはたくさん存在していた。たぶん、私はその発散方法の相手にちょうど良かったのだ。それにそうやって貶めたら自分の価値が上がるとでも思っているのかもしれない。そんな事などあるわけがないのに。
それにしても、と記憶が戻る前のフィレンツェアの事を思うと胸が痛い。私はいつもこんな悪意ある視線と噂話に晒されていたのか。しかも今の私とは違い本当にひとりぼっちでだ。いくら虚勢を張っていても疲れてしまうのはしかたないのかもしれないと思った。神様もどうせなら悪役令嬢という登場人物をもう少し図太い性格にしてくれたら良かったのに。なんて事を思ってしまう。
とにかくあんなのは無視をするに限ると思う。ああゆうのはこっちが反応するから味を占めて余計にちょっかいをかけてくるのだ。元々のフィレンツェアの精神も私と混ざったからか落ち着いているし、私の中の小さなフィレンツェアが騒ぎ出す事はない。それに、あの子達の優越感を満たしてあげる義理なんて全く無いのだし。無視だ無視!
『…………あの人間共め』
「?」
その時、肩の上のアオから一瞬だけれど不穏な感じがした気がした。人前で堂々と声を掛けるわけにはいかないのでチラリと視線を送ると、アオはきゅるんとした顔で『ぴぃ?』と目を輝かせている。
うん、気配も姿もちゃんと普通のトカゲに擬態してくれているわよね。……気のせいだったのかしら?それにしても鳴き声が可愛い。
「……まぁ、いいか」
とにかく、ゲームの進行状況と好感度を探るにはまずヒロインを見つけないといけない。ヒロインが悪役令嬢の婚約者と仲良くしているのは知っているけど、そのルートを攻略していると思っていいのだろうか?それともその他の攻略対象者との関係もどこまでか進んでいるか……。同時攻略のハーレムルートだと少々厄介だったはずだ。
確か、どの攻略対象者を選ぶかによってストーリーや結末が変わるのだと神様は言っていた。私がやったお試しプレイがどこまでのものかは不明だがそれによって悪役令嬢の結末も多少は変わる。まぁ、どの結末でも悲惨な最後を迎えるのには違いないらしいけれど。
ゲームでは悪役令嬢の悪行三昧は散々描かれていたけど、悪役令嬢が受けた嫌がらせの詳細はほとんどわからなかった。つまり今回のような死ぬかもしれない嫌がらせをされていたのに誰にもわかってもらえていなかったということになる。この辺は神様の手抜きにしか感じられない。
しかしヒロインには会いたくないのが本音だ。だって顔を合わせれば強制的にイベントが発動してしまう。出来ればその場所に先回りして離れた所で観察したいと思っていた。
それにしてもやはり悪役令嬢側の詳細がわからない。ゲーム自体はヒロイン目線で進められていたし、まだ完成していない世界だからと神様が(その場の思い付きや気分次第で)あれやこれやと付け加えたり削除したりしていたのでさすがに全部は覚えていないのだ。……というか、ヒロインのイベントって最初はどの場所で起こるのだっただろうか?
神様に見せてもらった世界は玉を覗き込むとなぜか平面の四角い場面となって見えていた。ゲームプレイ時も同じだ。四角い場面が次々に入れ替わって物語が進んでいた。神様曰く「ゲーム画面仕様」とのことだったのだが、その背景は学園内のイベントだとどれも同じように見えてしまっていてあまり区別がつかなかったのだ。さらにうろうろしていたら迷ってしまったようで現時点でどこを歩いているのかわからなくなってきた。
「どうしようかしら?」
『ぴぃ?』
進行状況を確認したいだけなのにまさか迷子になるとは……まずは地図というか、学園マップなるものを入手しないといけないようだ。しかしアイテムを持てるのはヒロインだけだったはずだ。まさか悪役令嬢もアイテムショップを利用なんて出来るのだろうか?
私が首を傾げるとアオも同じように首を傾げた。足を進めながら「う~ん」と悩んでいるその時。
「……ジェスティード様ぁ、本当にぃ?」
曲がり角の向こうからやたら甘ったるい声が聞こえ、私は足を止めた。
アオに静かにするように合図をしてそっと向こう側をみると、視界にうつったのはふわふわのピンク色の髪。あんな髪色はこの世界にたった1人しかいない。やはり私のあの時の勘は正しかったのだ。
ルル・ハンダーソン男爵令嬢。悪役令嬢とは全く逆の、愛されるために生まれてきたこの世界の唯一無二のヒロインだ。
「あぁ、本当だとも。ルルの事は俺が必ず守る」
そんなヒロインがピンク色の大きな瞳の目尻に涙を浮かべて「嬉し~い!」と抱きついた人物は、ヒロインの体を優しく抱き締め返して言った。
「フィレンツェアを断罪して、必ずルルを新しい婚約者にするよ」と。
そう言ったのはフィレンツェアの婚約者だった。金髪碧眼で顔だけなら誰にも負けないこの国の第二王子。そして、メイン攻略対象者である……ジェスティード・ガイストだ。
フィレンツェアの記憶でも確かにこの2人は距離が近かった。だがそれを指摘すると「ただの友達なのにぃ、ひどぉい」だとか「困っていたから相談に乗っただけなのに下衆な想像をするな!なんて下品な女なんだ」などとこちらが理不尽に責められていたのだ。しかし今の2人はどこからどう見ても恋人のようにしか見えない。さらにジェスティードはこれからどうやってフィレンツェアを陥れるかを鼻高々に語り出した。
あらまぁ、これは……。
とりあえずは予想通りのジェスティードルートのようだが思っていたより好感度は高そうだ。これは攻略がだいぶ進んでいそうだなぁ。と、しばらく話を聞いていた私はこれからどうしようかと頭を巡らせるのだった。
そんな私とアオの姿を、誰かが見ていただなんて気付きもせずに。




