第18話 新たなる関係
「……あの伯爵令息からの申し出があった時は驚いたわ」
だいぶ疲れているのか、お母様の眉毛のシワが濃くなる。どうやらアルバートは例の提案をお母様に事前にしていたらしい。さすがにお母様も私を助けてくれた恩人の話を聞かないわけにはいかないだろうとなったのだが、最初の言葉が「フィレンツェア嬢を守る立場になりたい」だったらしく頭を悩ませたのだとか。
お母様は「もちろんわたくしは断ったのよ?でもなぜか自信満々で聞く耳を持ってくれなくて……だからといって追い出すわけにもいかないでしょう?そうしたら、とにかくフィレンツェアちゃんに直接返事を聞きたいからと譲らないので条件付きで部屋に通したら、わたくし達がみんな部屋から弾き飛ばされてしまって……フィレンツェアちゃんがあの令息とふたりきりになってしまったと思ったら生きた心地がしなかったわ。まさかアオちゃんの結界が原因だったなんて……」と愚痴ともとれるような呟きをブツブツと言いながら、ものすごく疲れたと言わんばかりに大きなため息をついた。ちなみにお父様は一度は目が覚めたがまた気絶してしまっている。使用人達も慣れているからかさっさとお父様を片付け……部屋に運んで放置しているようだが。
というか、その前から気絶していたのね。私がフィレンツェアと混ざり合ってからマトモに起きているお父様とほとんど会っていないのだけど本当に大丈夫なのだろうか?小さなフィレンツェアの記憶の中にあるお父様像とのギャップが激し過ぎて未だに少し戸惑ってしまう。
まぁ、フィレンツェアが階段から落ちて意識不明になったとなれば仕方が無いかもしれない。なにせあのお父様だし。と自分を納得させた。
「それにしても、あんなふうにするなんて……何か考えがあるのでしょう?」
お母様の問いに私は「ええ、実は……」とあの時の部屋での出来事と合わせて胸の内を語った。
そして私もお母様と同じく《《さっきのこと》》を思い出してどっと疲れを感じてしまう。
「奥様、お嬢様。こちらをどうぞ」
「「美味しい~」」
侍女に勧められた疲労回復の効果があるハーブティーをお母様と同時に口に含むと、癒しを求めて膝の上で眠るアオの背中をそっと撫でたのだった。
***
あれからどうなったかと言えば……アルバートがやっとアオの口から脱出したタイミングに示し合わせたかのように、伯爵家より迎えの馬車がやって来たと使用人が急いで知らせに来た。その知らせを聞いて、アルバートは何も言わずにただにっこりと口元に弧を描いている。
「それで、ご一緒に来られたエヴァンス伯爵夫妻が《《図書館での事》》で是非フィレンツェアお嬢様にご挨拶がしたいと申しておられるのですが……」
どうやらすでに図書館でフィレンツェアが騒動を起こした事や、アルバートがそれに関わりブリュード公爵家に居ることも全てエヴァンス伯爵家には伝わっているようだった。まさかいきなり伯爵夫妻がやってくるなんて思わなかったが、さっきのアルバートの申し出の内容はひとまず置いておいて迷惑をかけたのは事実である。いくら相手が伯爵家だとはいえ、ここでの対応を間違えればブリュード公爵家の……いや、フィレンツェアの評判はさらに悪くなるだろう。悪い噂は光の速さで伝わるものだ。
「エヴァンス伯爵夫妻が……?」
たぶんお母様も私と同じ事を考えたのだろう。なにせそうなった場合、ジェスティード殿下がその事を知れば鬼の首をとったかのように断罪の材料にするのは目に見えている。もちろん単なる婚約破棄だけで済むならこちらも諸手を挙げて了承するだけだが、ジェスティード殿下ならばあの馬鹿げた側妃計画を実現しようとするに決まっている。実現は無理だとは思うのだが、この世界が悪役令嬢の断罪に関してだけはヒロインに有利に動くかもしれないとしたら……“もしも”と言うこともあるのだ。そう思うと少しの不安材料も取り除いておく方がいい。
側妃も死刑も絶対に回避したい私にとって、不利になる状況はどうしても避けておきたかった。
「────わかったわ。応接間にお通ししてちょうだい。エヴァンス伯爵令息も先程の話の続きはその時にでよろしいかしら?」
お母様がアルバートを促すと、アルバートは「もちろん」と承諾し部屋を出るために足を進めた。
「では、僕は先に行っています。フィレンツェア嬢、良いお返事をお待ちしていますよ」
「あっ……」
そう言って立ち去ってしまったアルバートに、私はなんて声をかけていいかわからずそのまま黙っているしか出来なかった。
だって聞きにくかったんだもの。顔がアオの唾液まみれでべっちょべちょだったけれど、そのままで大丈夫なのかしら?と。
さすがに溶けてはいないようだけど……。なんとなくノーランド事件(ちょっぴり溶けた例のアレ)を思い出しながら簡単に着替えを済ませると疲労困憊なアオをエメリーに預けてからお母様と共に応接間へと急いだのだが……。
応接間にはエヴァンス伯爵夫妻が待っていて、なんと挨拶するやいなや深々と頭を下げられたのである。
「伯爵の身分でありながら公爵家にこのような事をお願いするなど失礼は百も承知しております!ですがどうか息子を、アルバートをフィレンツェア様の騎士にしてはいただけないでしょうか?!なんなら持参金も用意しておりますし、すぐにでも住み込みで働けるように身の回りの物も持ってきていますので!」
「いやいや、頭を上げてくださいエヴァンス伯爵!とにかく話を……え、持参金??……そんな、持参金って嫁入りするわけでもないですし……え、住み込み?すでに荷物まで?!」
「正式な手続きの書類もこちらに……もちろん給料はいりませんしアルバートが怪我を負ったとしてもエヴァンス伯爵家から口を出すような事は決してありませんわ。図書館での事は出来るだけ公にしないように裏から圧力もかけましたし、フィレンツェア様の不利な噂が広まらないように手を尽くす所存でございます!ご心配なら誓約書の準備もありますから!」
「いやいやいや、護衛はすでにいますしそちらの御子息はまだ学生で……え、この書類に国王陛下のサインまであるんですけどぉ?!なんで?!」
ちょうど目を覚ましたお父様がお母様と共にエヴァンス伯爵夫妻との話に参加したのだが、やや興奮気味のエヴァンス伯爵夫妻からグイグイと迫られて目を回しだすお父様の姿にお母様が「本当に気が弱いのだから……」とボソッとため息をついていた。
「父と母もこう言っていますし、どうでしょうか?ブリュード公爵、それに公爵夫人。僕はフィレンツェア嬢のお役に立つ自信がありますよ。さぁさぁ────あっ」
さらにはアルバートにずずぃっと強引に迫られたからか、お父様はパタッとその場に倒れてしまったのだ。……うん、どうやらまた気絶してしまったようである。
すると、その場にパッと現れた守護精霊が心配そうにお父様の周りをうろうろとしだしたのだが、お父様が起きない事がわかると相当なショックを受けたようで同じように気絶してしまったのだが、お父様は繊細過ぎるのか守護精霊の影響を誰よりも受けている気がしてならなかった。
気が弱くてものすごく臆病な……この小さなたぬきの守護精霊の影響を。
毎回見かけるたびにプルプル震えているし、常になにかに怯えている感じの守護精霊だ。なのでアオが下手に近付こうものなら確実に気絶してしまうだろうと思い、これまで迂闊に手出しが出来なかったのである。慣れ親しんでいるはずの公爵家使用人達の守護精霊達とのどんちゃん騒ぎの時もアオに怯えて端っこの方でひとりプルプル震えていたくらいなのだ。いくらアオの気配が怖いからって魔法が解けてからも怯えすぎのように思えていた。あの精霊の夢を見た後のせいか、今では逆にこんなに臆病でよく人間と関わる守護精霊をやる気になったなと思ったほどだ。……これは直感たが、あの夢は真実だろうと確信しているのだから。
「「「…………」」」
公爵家にとってはいつもの事なのだが、お父様の横に並ぶようにしてこてんと転がるその小さなたぬきの姿はその場にいるエヴァンス伯爵家の全員が黙って凝視してしまうくらいには衝撃的だったようだ。
それにしても、空中に視線を動かすがやはりそこには何もない。アオは疲れ切っているので今は結界は完全に解かれているはずだが、伯爵家側の守護精霊はこちらを警戒しているのか姿を見せていないのだ。アオの気配に怯えているようではないみたいだけれど、ひとりも姿を見せないとなるとやはりまだ何かあるのでは、とそんな気がしていた。
「────申し訳ありません、エヴァンス伯爵。ご覧の通り当家の当主は体調が優れないようでして、今日のところは一旦お引取り願えますか?」
お母様はお父様を一瞥してからにっこりと笑顔を作る。その笑顔には有無を言わせぬ圧を感じた。
「で、ですが……」
エヴァンス伯爵も必死なのかすぐに我に返り詰め寄ってくるがお母様も負けじと冷気を漂わせている。……その後ろではお母様の守護精霊である長老ペンギンが頑張っていた。
「娘を助けていただいたことは本当に感謝しております。ですが、あなた方の御子息をフィレンツェアの騎士にするとなるとそれはまた別の話ですわ。御存知の通りフィレンツェアはジェスティード第二王子殿下の婚約者です。結婚前に突然他家の、しかも同年齢の令息を騎士として側に置くとなれば邪推してくる者もいるでしょう。それでなくてもフィレンツェアは悪意のある噂にさらされて肩みの狭い思いをしておりますのに、母親としてこれ以上状況を悪化させる訳にはまいりませんわ」
お母様は「それに」と一呼吸置いてからスッ……と目を細める。その姿は少しばかり怒っているようにも見えた。
「それに……話を聞くと言っただけですのに、先に書類を揃えてくるのはいささか卑怯では?確かに下位貴族の次男や三男を高位貴族の令嬢の護衛騎士や行儀見習いの為の執事にして家同士の縁結びの駒にするのはよくあることですわ。ですが、本来であれば家同士の話し合いが先ではないでしょうか?家同士のメリットやデメリットを纏めてその話し合いで決まってから王家に書類を提出し許可を貰うのが正しい手順だとわたくしは思っておりますわ。実際に我が家に仕えてくれている下位貴族の令息令嬢達は皆そうしています。
それなのに先に国王陛下にまで話を通すなんて、ブリュード公爵家の意見は聞くつもりが無いとでもおっしゃりたいの?
まさか助けた恩を返せと、この道理を無理矢理捻じ曲げるおつもりでしょうか。そこまでしてフィレンツェアに近付きたい理由がおありなのかしら?」
そこまで言われるとすぐに反論出来ないのかエヴァンス伯爵は言葉に詰まっていた。なぜこんな強硬手段に出ているのかはわからないが、もしアルバートが私の騎士になったとしても色恋沙汰の悪い噂が立てばその相手は確実にアルバート本人になってしまうだろう。面白可笑しく噂話を流されて私と一緒に断罪される可能性だってあるのだ。それを考えればさすがに考えを改めるだろうと、きっとお母様はそう思ったのだ。
「それと、フィレンツェアの噂話云々もこちらが不審に思えば脅しともとれる言葉です。逆に言えば伯爵家の要求を通さなければ悪い噂を広める事も出来るし、あの事件も公にしてやる……とね。何を企んでいるのかは知りませんが、大切な娘をそんな企みに利用されるわけにはいきません」
「そんなつもりは……!ですが、それは……確かにその通りですね…………。申し訳ありません、少し気が急いてしまっていました……。ブリュード公爵夫人、フィレンツェア様────心よりお詫び致します、どうかお許しを……」
エヴァンス伯爵夫妻は上げた頭を再び低くする。伯爵夫人も冷静になったのかさっきまでの自分を思い出したらしく恥ずかしそうに目を伏せていた。
「……申し訳ありません、少し聞いていた話と違ったようでして……。その、ブリュード公爵夫妻はフィレンツェア様をとても大切に思っていらしてるのですね?」
「可愛いひとり娘ですもの。当然ですわ」
お母様の言葉にエヴァンス伯爵夫妻はなぜかホッとしたように表情を緩めたのだ。それはまるで、“私”が公爵家で冷遇されているのではと疑っていたかのように……。
「本当に、大変ご無礼な事をしてしまいました。ブリュード公爵夫人のおっしゃる通りです、この書類は破棄いたします。ただ、我々は決してそんな企みなど持っていないと信じていただきたいのです」
伯爵夫人が私へと視線を動かすと、その目元にはうっすらと涙が浮かんでいた。なぜか優し気な視線で見られている気がして少しだけソワソワとしてしまう。
「アルバートにもよく言って聞かせますので、どうかご容赦を……。フィレンツェア様にもご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした。いくらクラスメイトとは言え、それほど親しくもないのにこんな事を言われてどれだけ戸惑われた事か……」
「い、いえ……!エヴァンス伯爵令息に助けて頂いたのは本当の事ですので、感謝しております。ですが、私はエヴァンス伯爵令息とお会いしたのは今日が始めてですし……って、え?クラスメイトぉ?!」
その驚きのワードに思わず声を荒げると、私の反応にアルバートが「ははは」と肩を竦めた。
「おや、この数ヶ月ほど同じ教室で一緒に勉学を学んでいましたのにまさか名前どころか存在すら気が付かれていなかったとは……。まぁ、先程自己紹介された時点でなんとなくわかっていましたけどね。僕の名前を聞いても思い当たる節など欠片もないご様子でしたから……。フィレンツェア嬢はいつもジェスティード殿下を追いかけ回していて休み時間はほとんど教室にはいませんでしたし、伯爵令息の僕から公爵令嬢……しかも王子の婚約者の方においそれと声をかけるのも難しかったのですから仕方がありませんね。でも、通りすがりに挨拶をしたことはあるんですよ?ただあなたはこの黒髪を嫌っていたのか目も合わせてくれませんでしたが────そう、《《あの日》》以外は」
「……あの日?」
「……いえ、なんでも。僕は第二王子に比べて地味で目立ちませんから、あなたのような麗しいご令嬢が興味を持ってくれるはずもありませんしね。元々注目されるのは苦手な性分ですので、自業自得です」
一瞬、アルバートの声が鋭くなった気がしたが私が首を傾げるとすぐにちょっとふざけた雰囲気に戻ってしまった。本当に一瞬だったので気のせいだったと思うしかない。
しかしまさか、クラスメイトだったとは……。小さなフィレンツェアの記憶にアルバートが全くいなかったのは、本当に彼に興味がなかったからなのかもしれない。やっぱりモブの扱いだったようだが、それにしたって失礼にもほどがある。相手は私がクラスメイトだと認識して助けてくれたというのに、申し訳ないやら恥ずかしいやらで頬に熱が集中してしまった。
「わ、私は加護無しでみんなに嫌われていますので、あまり周りと関わり合いにならないように……その、していたんです。ですが、同じクラスだと言うのに初めてお会いしただなんて言ってしまって、本当に失礼いたしました」
「とんでもない。でも、よければこれからは僕の名前を覚えていて下さればとても嬉しく思います。
あなたの騎士になるのが無理ならば、どうかお友達になっていただけますか?色々とふざけた事を言って困らせてしまいましたが、僕は……本当はフィレンツェア嬢と仲良くしたいだけなんです」
下を俯く私の目の前に手が差し出される。視線を上げれば目は隠れたままだがにこりと優しい笑みを浮かべているアルバートがいて……私はその手をそっと握った。
「……学園でお友達が出来るのは初めてです。これからよろしくお願いしますね。あの、お友達としてお願いなのですが……私のペットのアオの事はふたりの秘密にしていただきたいのです」
「フィレンツェア嬢のお願いならば、喜んで」
強く握り合う事はなかったが、軽い握手をして私とアルバートは友人関係になることが決まったのだった。
申し訳ないとか、恥ずかしいと思ったのも本当だ。もちろん助けてもらった事にも感謝している。そしてモブ扱いの人物ならばそこまでヒロインと深く関わることはないだろうという安心感も。
だが、要注意人物であることは変わりない。それにアオの事を知っても驚きも戸惑いもせず対等に渡り合うどころか平然としていたあの態度もずっと引っかかっていた。
これは直感だが、ヒロインや攻略対象者とは違う危機感がこの人物にはあった。だが、小さなフィレンツェアが感じる憎みきれないと言う想いも本当のことだ。もしかしたら小さなフィレンツェアの隠している何かと関係あるのかもしれない。
それに……ひとつ気になる事もあった。
この結末に、お母様は私が決めた事だからと納得してくれた。疲労感はすでにピークのようだったが、エヴァンス伯爵夫妻は涙を流して喜んでくれたしとにかく騎士云々が有耶無耶になって良かったと私とお母様は安堵したのだった。そういえば結局、アルバートは顔中べっちょべちょのままで帰って行った。長い前髪がべったりと張り付いていたので顔を洗っていったらどうかと提案したのだが「このまま帰らないと、怒られるので」と苦笑いをされてしまった。なんで?
まぁいいか……あぁ、お茶が美味しい。
どのみち騎士になるのは断れて良かった。だって私を守ってくれるナイトはもうアオがいるんだから!
「実は……彼はアオの正体を最初から知っていたようなんです。少し確認したい事がありますのでしばらく様子を見ようかと思います」
「そうね。……エヴァンス伯爵家はこれまで社交界では良くも悪くも普通の家紋だったのよ。家族全員が目立つのを避けている風な感じだったのに、次男とは言え息子をフィレンツェアちゃんの騎士にしたいだなんて……なぜ急にそんな目立つ事をしようとしてきたのかがわからないわ。確かに様子を見た方がいいわね……明日からはまた学園なのだから、決して気を抜かないようにね?」
「わかっています」
しかし承諾はしたものの、私にはこれまで“お友達”なんて神様くらいしかいた事がない。さすがにアルバートとゲーム談義をするわけにはいかないが、それなりに接しなければ敵かどうかの判別もつけられないだろう。
……普通の友達ってどうすればいいのかしら?と、新たな悩みを抱えることになるのだった。




