第9話 休日の行方
『フィレンツェア、今日はお休みの日だって言ってたのに朝からどこに行くの?』
私の肩にぴょんと飛び乗ると、アオは不思議そうに首を傾げた。昨夜はみんなの守護精霊達のおもてなしを受けた後、どんちゃん騒ぎをしていたはずだが心なしか鱗のツヤが良くなっている気がする。楽しかったのならなによりだ。
「あら、お休みだからよ。これから街の図書館に行って勉強するの!」
今日は学園は休日なので、私も昨夜はお母様と今後の対策を遅くまで話し合っていた。途中からやっと目を覚ましたお父様も話し合いに加わり、事情を説明すると私を抱き締めて泣いたり怒ったりアオに驚いたり……かなりのデジャヴであった。似た者夫婦とはよく言ったものだ。
とにかく、お父様もアオの事を受け容れてくれたし婚約破棄にも賛成してくれたのでひと安心である。それにしても、お父様があんなに感情豊かだったなんて完全に予想外だった。普段はなんと言うか、淡々と仕事をこなしていて不平不満もひと睨みで黙らせるような強面紳士なのに……実はいつもは気絶しないように頑張って耐えていたらしいのだ。しかも、まさかお父様の守護精霊があんなか……いや、ある意味とてもしっくりきたけれど。
まぁ、そんな訳で誤解も呪いも解けたブリュード公爵家のみんなはジェスティード殿下の話を聞いて怒り心頭だと、私に協力してくれることになったである。
お母様のアドバイスは、まずは知識を高めることだった。アオの事を隠すのなら尚更必要だと熱弁されたのだ。いついかなる時に理不尽な冤罪をふっかけられるかわからない状況で最大の武器と成り得る守護精霊の存在を隠すのだから別の武器を手に入れなければならない。と。
これまでのフィレンツェアのイメージは、勉強はしないし守護精霊いない加護無し。そのくせ気に入らないことがあるとすぐ癇癪を起こして金と権力で相手を無理矢理押さえつけるワガママな悪役令嬢だ。「公爵令嬢だから、ジェスティード殿下の婚約者だからと、なんでも許されると勘違いしているのでは……加護無しのくせに」と、かなり周りから疎まれ嫌われている。
しかし、もうこれまでと同様に金と権力でどうこうするつもりはないのだ。それにまずは下から数えた方が早い成績をどうにかしなければならない。基礎的な事は感覚でわかるようになったが、お母様曰くやっぱりちゃんと習わないと精霊魔法は調整が難しいらしい。
ちなみにアオが『僕が教えてあげるのに~』と言ってきたが、それはお母様に止められた。精霊とは感情的になると歯止めが利かなくなる。いざという時にそれを制御するにはやはり人間側の知識が必要なのだとか。
お母様が「この世界には精霊と人間の関係を謳った伝説や歴史があるのよ。なぜ精霊が人間を守ってくれるのか……まずはそれは自分で学んできなさい。これまでと違って興味を持っているみたいだから直にわたくしが教えてあげたいけれど、やっぱり自分で調べた方が早く身につくわ。王都にある“全ての知識が集う”と言われているこの図書館なら必要な本が揃っているの。人の出入りには厳しい事で有名な図書館だけれど、ブリュード公爵家の名前を出せばすぐに入れるわ。今のフィレンツェアちゃんならこの名前で無茶な事はしないだろうし、やはり使えるものは使っておきなさい」と、ブリュード公爵家の名前を乱用しないと決めたばかりで気が引けている私にウインクしてそう言ったのを思い出しながらその図書館がある都市部へ繰り出す事にしたのだった。
しかも、なんとその図書館は“神の知識の欠片”が秘められた本があると都市伝説的なうわさもあるのだとか。……もしかしなくても神様が何か仕掛けているのではなかろうかとちょっと心配ではあったが。
「フィレンツェアお嬢様、本日はどこへお出かけになられますか?」
これまでの態度が嘘のように優しくなった御者が馬車に乗り込む私ににこやかに声をかけてきた。やはりこの御者も例の呪いの影響を受けていたようで、今までは私を乗せるたびに体の動きが鈍くなってしまい事故を起こさないようにするのが精一杯だったのだそうだ。それでも私の送迎をずっと続けてくれていたのかと思うと、誤解していたとはいえ私の態度は酷かったなとかなり反省した。
「王都にある1番大きな図書館に行きたいの。お願い出来る?」
「もちろんです!」
こうして私はとても晴れやかな気持ちで馬車に乗り込んだ。そこにはいつもひとりでポツンとしていたフィレンツェアはもういない。馬車の中で私と反対側に座った侍女のエメリーは「こうしてフィレンツェアお嬢様のお出掛けに付き添うのが夢だったんです!」と笑顔を向けてくれた。
エメリーは男爵家の出身でとても優秀な侍女だ。栗色の髪と瞳が落ち着いた雰囲気を出していて同い年のはずなのにエメリーはとても大人びて見えた。もちろん学園にも通っているがクラスが違うのとあの呪いのせいで屋敷でも学園でも私に近付けなかったのだとか。屋敷にいる侍女達のほとんどが私のお付きに立候補してくれたらしいが、同い年のエメリーの方が話しやすいのではとお母様が配慮してくれたのだ。どのみち特別な理由でもない限り学園内に侍女は付き添えない事になっているので、私の侍女が同じ学生でも問題はない。
それに私の悪評のせいもあり、ブリュード公爵家で働いているだけで色々と周りから八つ当たりをされるというのにエメリーは学園での私の立場をとても心配してくれていた。
「学園ではわたしのクラスにもフィレンツェアお嬢様の噂がよく届いておりました。下位貴族ばかりが集められたクラスでしたし、フィレンツェアお嬢様の事をあまり良く思っていなくてもわたしに陰口を言ってくるくらいで直接何かをするような阿呆はいませんでしたが……いえ、実はひとり問題児がおりました……」
エメリーが何かを思い出したように小さくため息をつく。どうやらエメリーのクラスにはあのヒロイン……ルルがいるらしいのだ。クラス内でルルを巡って派閥争いが起こっていて時々授業にも支障が出るのだとか。
「お嬢様の事に関しては、ハンダーソンさんだけが騒いでおりますね。睨まれたとか、挨拶をしてもらえなかった。それに嫌味を言われたと毎日のように似たような事を訴えていて、うるさいのなんの……。まぁ、便乗して陰口に華を咲かせる者もおりましたが。でも公爵令嬢と男爵令嬢では立場が違います。いくらお嬢様の事を加護無しだと思っていたからってハンダーソンさん自身の爵位が上がるわけではありませんのに、なぜ睨まれた事実だけでお嬢様を追い詰める理由になると思っているのか意味がわかりませんでした。
それに、ハンダーソンさんがお嬢様の婚約者である第二王子とこっそり逢瀬を重ねているのはみんなが知っているんですよ?お相手の第二王子がわかりやすくハンダーソンさんにご執心な様子だから表立って言えないだけで、人様の婚約者とふたりきりになったり過度に密着するなんて言語道断です。そんなこと平民だって知っております。お嬢様がハンダーソンさんを本当に睨んだり嫌味を言うのは当然ですよ。むしろもっと怒ってハンダーソンさんのご実家を訴えてもいいくらいです!」
昨日の話を聞いてエメリーはものすごく怒ってくれていた。それに同じ学園に通っていたのに私が湖に落ちた時に助けに行けなかった事を泣いて悔やんでくれたのだ。
「フィレンツェアお嬢様は本当はお優しい方だってわたしは知っています。だって、あんなに屋敷の使用人達の態度に傷付き、嫌われているのだとショックを受けておられたのに……それでもわたし達に罰を与えようなどなんて考えもなされなかったではないですか」
「それは……」
「これからは今までの分も誠心誠意お仕えさせていただきますからね!テスト勉強だって一緒に出来ますよ!……ほら、泣かないで下さい。わたしはやっとお嬢様の笑顔を見ることが出来て嬉しいのですから」
そう言ってエメリーはいつの間にか涙ぐんでいた私の目尻にハンカチを当ててくれる。
私は「……うん、よろしくね」と、今の幸せを噛み締めた。小さなフィレンツェアも喜んでいるみたいでくすぐったいような気持ちが広がった気がしていた。
あんなに乗るのが嫌だったこの馬車にいるのは、もう私だけじゃない。優しい侍女と、改めて付けてもらった護衛も御者の隣に座っている。
もうこの馬車は私やフィレンツェアにとって最高の乗り物になったのだと思ったら嬉しくて仕方なかった。
しばらくは心地の良い揺れを堪能しながらエメリーとおしゃべりをし、エメリーの守護精霊もすっかりアオと仲良しになっていた。雀の姿をした守護精霊がそよ風を起こしてくれるので馬車の中はさらに快適になっていた。
そして、窓から見える風景が華やかなものに変化していった頃に御者がにこやかに声をかけてきた。
「お嬢様、もうすぐ都市部に入りますよ!」
「うわぁ……っ」
学園やブリュード公爵家の周りはどちらかと言うと静かな森林が多かったし、フィレンツェアは商人を屋敷に呼び出して買い物をしていたのでこうやって都市部にやって来てどこかへ出かけるなんて事はなかった。まぁ、今までは護衛どころかお付きの侍女すらまともにつけられない状態だったからお父様とお母様が心配してあまり外出しないように仕向けていたという事実も昨日知ったのだが。しかしこれからは違う。こうやって侍女もいるし護衛もいる。なんだか世界が広がった。そんな気分だった。
露店がたくさん並ぶ通りにくると人が一気に多くなった。子供が飛びだしてきたら危ないからと馬車の速度がゆっくりになる。馬車の中から見るだけでも楽しくてついキョロキョロしていると……「「あ」」と、私とエメリーの声が重なった。
エメリーと同じ方向に向けられた視線の先には、なんとジェスティード殿下がいたのだ。そして、その隣には見覚えのあるふわふわしたピンク色の髪……やっぱりとは思ったけれど案の定ヒロインだ。まさか碌に変装もせず、明らかに婚約者ではない女を連れてこんな人前で堂々とデートしているとは思わなかったので驚いてしまったではないか。確かにゲームでもお忍びデートのイベントはあったにはあったが……。ゲームではちゃんと平民の姿に変装をしていたはずだ。そして護衛を振り切り逃げるとヒロインと露店を周り、初めての買い食いなどを経験する。王族ともなれば食事は毒見が終わってからのものばかりですっかり冷めてしまっているのが通常だ。ここでジェスティード殿下は出来立ての温かい、それも串に刺して焼いただけの肉や野菜になぜか感動してしまう。束の間の自由を謳歌するジェスティード殿下にヒロインがかける言葉の選択肢によって好感度が変化する大事なイベントだ。そう、大事なイベントなのだ。神様風に言うならば「ここ重要!」な事なので2度言ってしまったが。
「……あれって、お忍びのつもりなのかしら?」
どうみても浮かれているジェスティード殿下の姿に私は首を傾げてしまった。エメリーも同意見らしく肩を竦める。
「本人はそのつもりのようですけれど、逆に目立っていますね。ご覧ください、露店の人達が真っ青になっていますよ」
「そうよね、あれじゃ全然忍んでないわ。なんでわざわざあんなにヒラヒラがいっぱいついた服なんて着ているのかしら?歩くたびにすれ違う人にヒラヒラが当たってすごく迷惑そう……。まぁ、ほとんどの人がジェスティード殿下の正体に気づいたのか野次馬もすごいけれど」
「あ、あそこで頭を抱えている騎士は王子の護衛ではないですか?」
「あれって、お忍びだって言われたのに全然想像と違ってたって顔かしら……」
なんだかその騎士達が少し哀れにも思ったが、私が助ける義理もない。ここは見なかった事にしよう。
「下手に見つかるとまたいちゃもんをつけられそうよね。少し遠回りして図書館にいきましょう」
「それが良さそうですね。人が集まりすぎると馬車が動けなくなりますし」
そんな感じで目的の図書館に着くまで大幅に時間をロスしてしまった。休日まで迷惑な王子である。
やっと図書館に到着した頃にはもうお昼近くになってしまっていた。入り口でブリュード公爵家の名前を伝えると「あぁ、あの加護無しの……」と受付の人間が呟いたせいでエメリーと護衛が殺気立ってしまったが。ついでにアオも受付を威嚇しようとするので止めるのも大変である。
「私は平気だから、みんな本を集めるのを手伝ってくれる?人の出入りに厳しいんだから怪しい人も入ってこないだろうし少しくらい離れても大丈夫よ。ほら、アオもいるしね」
本当はペット禁止らしいのだけど、そこはまぁ、権力を使わせてもらうことにした。改めてブリュード公爵家の名前の威力は凄まじいと感じてしまう。これまでフィレンツェアはその力を見境無く使っていたんだから警戒されても仕方が無いのだろう。でも、申し訳ないけれどアオと離れるのは嫌なのだ。
「アオが人間の姿になれたらその辺も気にしなくて良くなるのにねぇ」
それでも規則を破るのだからと手続きに多少手間取ってしまった。ペットが本や施設を汚したり破壊した時の弁償など云々かんぬんと話も長くたくさんサインもする羽目になってしまったのだ。毎回これを繰り返すのかと思うとちょっと辟易として思わずそんな事を呟いてしまった。
「お嬢様、空想生物はいても人間の姿をした守護精霊なんて聞いたことがありません。それに普通は守護精霊の姿はひとつだけと言われているんです。アオ様はトカゲの姿になれるだけでもとてもすごいことなんですよ」
「ごめんなさい、冗談よ。でもやっぱりアオはすごいのよね!さぁ、手続きも終わったし今日は勉強するわよー!」
静かにする事を条件に付けられたからか、アオは黙ったまま私を見ていた。それが少し気になりつつも時間に限りがあるので急いでお母様から教えもらった本を何冊も抱えて運んでいたのだが……。
ドンッ!!
本を積み上げすぎて前がよく見えず誰かにぶつかってしまい、よろけた拍子に抱えていた本がその場に散らばってしまう。しかも相手がその衝撃で尻もちをついてしまったようだった。
「ご、ごめんなさ……えっ!?」
慌てて謝りながら助け起こそうとすると、視界に入ってきたのはふわふわのピンクで。私は驚いて思わず声を上げてしまったのだ。
「いたぁ~い!酷いわぁ!!」
驚くのも仕方が無いと思う。だって、少し前に確かにジェスティード殿下と街で露店を見ていたはずのヒロインがそこにいたのだから。
私が驚いた反動でなにも出来ずにいると、ヒロインはここぞとばかりにわっ!と両手で顔を覆って声を張り上げた。
「いつもあたしに意地悪ばかり……!今だってあたしに命令して本を集めさせていたのに急に突き飛ばすなんて酷いですぅっ!!」
「えっ、ちょっ……!」
ヒロインが騒ぎ出した事により館内にいた人間の視線が私に集まる。そして、その騒ぎを聞きつけた人物が姿を現したのだが……。
「何の騒ぎだ、ここは静かに本を読む場所だぞ」
そう言って私とヒロインの前に現れたその細身の人物は長い金髪を後ろに束ねて結び、薄い銀縁の眼鏡を人差し指でクイッと押し上げる。そしてレンズの奥からライトブラウンの瞳を細めて私を見てきたのだ。
その人物こそ、グレイス学園の教師でフィレンツェアの担任でもあるグラヴィス・シュヴァリエ。
攻略対象者のひとりである────。




