第1話 蘇った記憶
ここは精霊が人間と共存する世界。
人がこの世に産声を上げると、その生命の誕生を祝って精霊達が集まってくる。その時に波長の合う精霊が契約を結び、守護精霊となるのだ。
そして人間達は、自分を守護してくれている精霊の力を借りて魔法を使う事が出来た。それを人間は精霊に敬意を払って“精霊魔法”と呼んでいた。
その力の大きさは精霊によって異なるのだが、どの人間を守護するかは精霊達の気まぐれによって決められていた。古い文献によるとその人間の魂の清らかさや強大さによって惹かれるのだとも言われていたが、確かな事は誰にもわからないままだ。だが、ひとつだけわかっていることがある。
それは、“今の世”がその精霊の力の大きさによって差別される世界になってしまっているということだった。
そして、もしもその精霊達から守護を受けられない人間が存在していたとしたら────どんな扱いを受けるかなど想像も容易いだろう。
***
その日を境目に、私ことフィレンツェア・ブリュードの運命は大きく変わることになる。しかし、その時の私にはそんな事などわかるはずもなかったのだった。
「この“加護無しの悪役令嬢”め!」
「……?!」
1人で湖の桟橋を歩いていると、そんな叫び声と共に背中に強い衝撃を感じた。私は振り向く間もなく突き飛ばされてしまったようだ。親や使用人からも諦められている私に護衛などついているはずがなく、私の体はあっけなく深く冷たい湖へと落ちていったのだった。
感じたのは明確な悪意。それに「加護無し」や「悪役令嬢」と言った言葉は私を蔑む言葉だと知っている。だって、それはいつも言われている言葉だったから。
泳ぐ事が不得意な私の体は、落ちた勢いのまま沈んでいった。白を基調とした学園の制服は水を含み重くなり蜂蜜色の髪が揺らめく。ゴポゴポと音を立てて私の口から溢れ出た空気が地上へと舞い昇るのを見つめながら「このまま死ぬのかしら……」とぼんやりと考え、それもいいか。と────その湖の底と同じ深いアクアブルーの瞳をそっと閉じたのだった。
私は精霊に見放された存在だった。
精霊が人間と共存し守護してくれる世界で、私が産まれた時に姿を現した精霊はひとつもいなかったそうだ。つまりそれは精霊から祝福されていない命……それが私だった。
精霊にとって人間の爵位や財産などなんの価値もない。産まれたその人間の魂の清らかさや強大さによって惹かれるのだと言い伝えられている事から、ブリュード公爵家の嫡女は精霊にとって価値の無い魂の持ち主なのだとレッテルを貼られてしまったのだ。
私には価値が無い。幼い頃からそんな扱いを受けて来た私は自分の存在がコンプレックスになり、それを隠すために傍若無人に振る舞うしかなかった。だって私には公爵令嬢であることと自由に使える財力がある事しかなかったから。
だから、後ろ盾を欲しがっていた第二王子の婚約者の座を半ば強引にもぎ取ったのだ。王族の婚約者になれば、もし第二王子が少しでも私を必要としてくれたならば……そうすればこのコンプレックスが少しはどうにかなるのではないかと期待して。
だが状況は悪化するばかりだった。第二王子がとある男爵令嬢と惹かれ合ってるのを知って牽制すれば「加護無しのくせに」「権力を遣って弱者を虐げるなんて、まるで悪役令嬢のようだ」と揶揄され何を言っても何をしても私が悪者になってしまう。確かに嫉妬をしたのは認めるしかない。だって、それでも婚約者は私なのにと悔しくなってしまったのだから。
そんな事が積み重なり、私はもう疲れてしまっていた。どうせ両親も加護無しである私の事など諦めている。それでもなんとか第二王子の婚約者の座にしがみついていたのは、もしかしたら少しでも振り向いてくれるかもしれないと信じたかったからだ。だから、まさか本当に護衛のひとりも付けていてくれなかったという事実が私をさらなる絶望へと落とした。
もうこのまま終わせてしまおう。どんなに足搔いても変わらないのならもう足掻くのをやめるしか無い。そんな風に思うしか無かったのだ。
全てを諦めてそう思った。その時────。
『────お願いだよ、思い出して!』
聞き覚えがあるような声が聞こえた気がした。
それと同時に分厚いガラスに徐々にがひびが入り、それが砕けて飛び散るような音も。
私の中で分厚いガラスの壁に亀裂が入っていくイメージが広がり……それは粉々に砕け散った。そして私の脳内には信じられないような記憶が流れ込んできたのである。
「────思い、出した……」
それは、私の前世の記憶。
“ここ”とは違う別の世界での記憶だったのだ。
私の前世、それは“竜殺し”の異名を持つ聖女と呼ばれる存在だった。
その世界では世界を滅亡させると言われるドラゴンが人間と敵対していた。ドラゴンは闇落ちしていてそのオーラは魔物やアンデッドを惹きつけるまさに悪の権化だったのだ。
そんな恐ろしいドラゴンを倒せるのが、聖なる力を持つ選ばれた聖女だ。孤児だった私は神のお告げにより突如聖女に選ばれ、邪悪なドラゴンと闘う事になった。聖なる力とは言わば生命力そのもの。字の如く命を削ってドラゴンの首を討ち取り世界に平和を取り戻したものの、私の生命力はその場で力尽き死んでしまったのだった。
まだ生きたかったのに、と最後に思いながら。
次に私は魂の状態になって天界と言われる場所で目を覚ました。そこには神様がいて、天界に住んでいる世界の監理者だと言う。世界とは私がドラゴンと闘った世界以外にもパラレルワールドとしてたくさんあるのだと教えてくれた。
それから私と神様はお茶飲み友達になった。私の魂はひとつの世界を救った特別枠として優遇されるらしい。……というのは建前で、退屈だったから話相手が欲しかっただけのようだが。それならば他にもいると言う神様達と話せばいいのでは?と聞いたら「趣味が合わないんだよね」と肩を竦めた。
そして私は神様から色々な話を聞く。これまで命をかけて闘う事しか知らなかった私にとって神様の語る言葉は全てが新鮮だった。元の世界では触れ合う事のなかった“娯楽”は私にまさに新しい世界を見せてくれたのだ。
神様はオタクというものらしく、漫画や小説と言う名の作られた物語が大好きなのだとか。特に今は乙女ゲームなるものにハマっていると目を輝かせてその楽しさを教えてくれた。時にはトランプと言うカードゲームやダンスも。さすがに光る棒を振り回して独特な動きをするオタ芸とやらは真似出来なかったがそれを眺めているのは楽しかった。
よく考えれば生きている頃は友達なんていなかったから神様が初めての友達だ。天界では空腹にはならないし基本自由だったので、一緒に漫画を読み耽り思い切り遊んで疲れたら眠るを繰り返す生活は私のこれまでの概念を覆すには充分だったのだ。
神様は全体的に白く輝いているので時々眩しかったし細かい表情は良くわからなかったが、楽しそうに笑っているのだけはわかった。それを見分けるのがまた楽しかったのをよく覚えている。
「これはボクの力作だよ!」
そう言って見せてくれたのはひとつの世界だった。手のひらサイズの輝く玉に見えたが、その中に新しい世界が作られているのだとか。それは神様が趣味で作っている乙女ゲームを模した世界でまだ未完成だと言う。
「結末をまだ決めていないから完成はしていないんだけど、ボクの趣味満載な理想の乙女ゲーム的な世界を作りたいんだ!まだ途中だけど、お試しプレイしてみる?!君だけ特別ね!きっと楽しいよ~っ!」
「へぇ、面白そうね。設定ってどうなってるの?」
すっかり神様の趣味思考に毒されていた私はその乙女ゲームの話に華を咲かせたて毎日を楽しく過ごしていたのだが、とうとう転生する日がやってきてしまったのだ。しかも私の魂はとても強いらしく、天界の掟……転生マニュアルとやらの決まりで闘いのある世界へ転生しなければならないのだそうだ。
本当は少しだけ……ほんの少しだけだけど違う生き方をしてみたかったかもって考えてしまったが、申し訳無さそうに眉を下げる神様を見ていたらそんなこと言えなかった。
「ごめんね。実は魔王が世界を滅ぼそうとしている世界があるんだ。管理者は世界を見守るだけで手出しが出来ない……世界を救うにはこうやって強い魂を順番に転生させて救ってもらうしかないんだよ」
しょんぼりとする神様に私は笑顔を作る。
「闘いなら慣れているし……その分、天界でいっぱい楽しんだから。私なら大丈夫!」
「あ、あの……お願い、ひとつだけ約束して!生きるのを諦めないって!自分で自分の事を諦めて死んでしまったらその魂がどんなに強い魂でも、もう天界に来れなくなっちゃうから……。また、君に会いたいから絶対に約束して!それまでにあの乙女ゲームを完成させておくから……っ」
そうして差し出された小指に自分の小指を絡める。これは指切りというのだと神様が教えてくれた約束を守るための儀式だ。
「うん、絶対に諦めない。私もまた神様に会いたいし、ゲームも楽しみにしてるから約束する。だから……」
世界を救ったら、また会いましょう。
そう約束して、私の魂は転生の輪廻へと運ばれたはずだったのだが────。
「……魔王はいなさそうねぇ」
前世での事、そして天界での事を思い出した私は頬に手を当て首を傾げる。確か神様からの事前情報ではその世界は闇に覆われていて魔王が魔物を操り人間と戦争をしているはずだった。アンデッドがいない分、前よりは少しはマシになるかもって言っていたっけ。そして生命力を削る聖なる力を使わなくていいように今度は聖女ではなく勇者として生まれ変わるのだと聞いていたのに……。
どうやら勇者のはずが嫌われ者の悪役令嬢とやらに転生しているようだった。だって、ついさっき悪役令嬢だからって殺されそうになってたもの。
この“設定”はよく知っていた。そして記憶にあるこの姿も。なんの手違いがあったのかは知らないが、もしかしなくても“ここ”ってあの神様が作っていた乙女ゲームの世界なのでは?そう思ったら妙にしっくりきたのだ。こうゆう時の私の勘はよく当たる。まだ未完成なはずなのにまさかあのゲームの悪役令嬢に転生するとはどうしたものか。
そして、冷静になってよく見れば大きなシャボン玉のような球体が私を包んでいる。あんなに重くなっていた制服も濡れてすらいないし、呼吸が苦しくなることもない。そして、その大きなシャボン玉からはよく知っている気配がしていたのだ。
『やっと起きたね。聖女は強いのにお寝坊さんだなぁ』
「……ブルードラゴンなの?」
姿は見えないが、確かにその気配は聖女の私が倒したはずのブルードラゴンだった。するとブルードラゴンはうきうきした口調でこれまでの事を語り出した。
なんとこのブルードラゴンは私が転生する時に魂のまま一緒に付いてきてしまったのだそうだ。それも、私の守護精霊として……。しかし私の前世の記憶と共にブルードラゴンの魂も封印されていたとか。私とは違って僅かに意識はあったようだが。
『僕ね、聖女のおかげで魂が浄化されて精霊になったんだ!それで聖女の記憶が戻るまで魂を守ろうと思って僕の匂いをいっぱい付けておいたんだよ!それで、とにかく周りにいるのぜーんぶに威嚇しといたんだ!そこら辺の精霊よりドラゴンの方が強いからみぃーんな逃げて行ったはずだよ!』
あんなに凶悪だったブルードラゴンが、姿は見えないのにまるで「褒めて!」と尻尾を振る犬のような雰囲気である。あの世界では邪気に当てられていただけで本来はこんな人格……いや、竜格?だったようだ。
「あぁ、なるほどわかったわ。つまりあなたが私にくっついていたから、この世界で私が産まれた時に精霊達が祝福に来なかったってことなのね」
『僕にびびってるような精霊なんかに聖女の守護精霊の座は渡せないよね!』
今世の記憶が確かならば、この世界の精霊の中ではドラゴンは最上級に分類されるはずである。精霊はその力によって色々な姿をすると言われているが、大体が実際にいる昆虫や動物だ。しかし力の強い精霊ならば空想生物の姿を模るのも可能なのだ。その辺の精霊達からしたら自分達よりはるかに強いドラゴンの気配がしたら近寄るのは難しいだろう。
「あなたはこの世界の精霊として転生したってことなの?よくあの神様が許してくれたわねぇ」
『前の世界では僕の居場所なかったし、僕を浄化してくれた聖女の事が大好きになったからこっそり付いてきたの!時間の流れがズレてたみたいで僕が精霊になったらすぐ聖女が転生しようとしてたし、その後は神様はオタ芸?を踊るのに夢中だったから気づかれなかったんだ!』
「え?居場所ってそんなの……ほら、確かレッドド『と、とにかく転生しちゃったからぁ!もう戻れないからぁ!!今更僕を捨てたりしないよね?!』え、あぁ、うん……まぁいっか」
あの神様、大好きなオタ芸をやり始めると夢中になり過ぎて周りが見えていなかったから仕方ないか。と、無理矢理納得することにした。どのみちもうこの世界にいるのだから今更どうしようもない。
そしてふと、私ってこんな風に考えられる性格だったっけ?と思った。自分で言うのもなんだが、もっと神経質で真面目な頑固って感じだったのにこんなにすんなり受け入れられるなんて不思議でならないが、たぶんこれも神様の影響だろう。記憶を思い出したことにより前世と今世の人格が混ざり合ってしまったようだし、あの天界で過ごした日々によってだいぶ感覚が変わってしまった自覚もある。しかも前世と天界での記憶の方が強かったみたいで元のフィレンツェアのネガティブな思考はほとんど感じなかった。なんていうか……私の中に小さなフィレンツェアがいるって感じ?しかしもう同じ人生を歩むと決まった以上は反論は認めない。まぁ、そのうち慣れるだろう。
だって“今の私”は、“私”を諦めていないもの。
神様との約束もあるし、人生に疲れている場合ではないのだ。それに、ある意味これは幸運だったのかもしれない。とも思ってしまった。
もちろん魔王の世界の方も気にならない訳では無いが私以外にも強い魂はいるだろうし、神様ならなんとか上手く調整してくれるだろう。
それにこのブルードラゴンが私の守護精霊だというのならば加護無し問題も解決するはずだ。
うん、これなら普通の人生いけるんじゃない?私が悪役令嬢だとしたらその先は破滅だ。神様には悪いが未完成なゲームの悪役令嬢は早々と退場させてもらうことにしよう。
それから私はブルードラゴンに頼み湖の外へと脱出した。落ちた元の場所である桟橋に戻り、周りに誰もいないことを確認してブルードラゴンに姿を現すようにお願いしてみる。すると目の前に、キラキラと輝くブルーサファイアのような美しい鱗を纏った小さなドラゴンが姿を現したのだ。懐かしい姿でもあるが、以前よりも鱗が輝いている気がする。
「あら?前よりずいぶん小さいのね。私の肩に乗れそうだわ」
『精霊になると、大きさは自由に変えられるんだよ。前の大きさじゃまた聖女を丸飲みしそうになるかもしれないもん!』
「ふふっ、確かにあの時のあなたはとても大きかったわ。あの時は痛かったわよね?ごめんなさい」
『いいんだよ。聖女のおかげで浄化されたって言ったでしょ?ねぇ、聖女。僕を聖女の守護精霊にしてくれる?』
可愛らしく、こてりと首を傾げるブルードラゴンに私は聖女だった頃には出来なかった笑顔を見せた。
「……私はもう聖女じゃないわ。“今の”私は────フィレンツェアよ。聖女でも勇者でもない。ただのひとりの女の子で、フィレンツェアって名前なの」
『……フィレンツェア!とっても素敵な名前だね!』
こうして私は倒したはずのブルードラゴンになぜか懐かれてしまい、前世の記憶と共に最強の守護精霊を手に入れたのだった。
***
~その頃の天界~
「えぇっ?!そろそろ覚醒する頃だと思って覗いて見たらあの子いないんだけど?!なんか、知らない勇者が魔王と闘ってる……誰これ、突然変異?!っていうか、あの子の魂どこいったのぉ?!」
魔王の世界を覗き込みながら、オタク(好きを極めた)神様……オタ神様が叫んでいた。
「え、あの子って何?どしたん?」
たまたま通りすがった別の神がそう言うと、オタ神様は「ドラセカ(※ドラゴンに侵略された世界の略)を救ってくれた聖女の魂だよ!この魔王の世界に勇者として転生してもらったはずなのにどこにもいないんだけど?!あの後すぐに他の世界でトラブルが起きてちゃんと確認出来てなかったんだよぉ!!」と明らかに焦った様子を見せる。転生させたはずの魂が行方不明などパラレルワールドを管理する神としては大失態だからだ。
すると、たまたまそれを聞いていた輪廻担当の神の顔色がサッと顔色を悪くした。
「えっ……、まさかその魂ってあの一緒に遊んでた魂じゃ……。あ、やべ。間違えた……」
なんと輪廻担当の神は、オタ神様が自作の乙女ゲームの世界をその魂にやたら自慢していたのでてっきりその世界へ転生させるのだと思い込み……確認もせずに実行していたのだ。
「いやいやいや、強い魂の特別転生マニュアルちゃんと読んでるよね?!この前のミューティングで全員に配ったでしょぉ!?」
「じ、自分新人でして……っ!まだ全部読んでないッス……!」
「読めよぉ!仕事だろぉ!?それにこれは趣味で作った世界でまだ未完成なんだ!そんな所にあんな強い魂が転生したらどんなバグが起こるかわからないじゃないか!
ん?なんかすでに違って来てるような…………んあぁっ!なんでかドラゴンの魂まで転生してるんですけどぉ?!いつの間に?!」
「それは知らないっスよぉぉぉ!?」
天界では大騒ぎになっていたとか。




