第一章29 静かな日常と覚醒
全面的に自己責任でお願いします。
スマホと鑑定士 第二十九
帰る場所と、戻れなくなる理由
◆◆◆
屋敷の門が、ゆっくりと開いた。
その音を聞いた瞬間、ユーリの足が自然と前に出ていた。
(……兄様)
馬車から降りてきたその姿は、見慣れているはずなのに、どこか遠かった。
王都。 学園。 数年分の時間。
それらを全部背負って、兄は帰ってきた。
「兄様――!」
考えるより先に、身体が動いた。
駆け出して、躊躇なく胸に飛び込む。
「っ……ユーリ?」
一瞬、驚いた声。 だが次の瞬間、しっかりと受け止められる。
「おかえりなさい、兄様」
胸元に顔を埋めると、懐かしい匂いがした。 少し大人になった匂い。
「……ただいま」
兄の腕が、そっと背中に回る。
◆◆◆
「大きくなったな」
頭を撫でられて、ユーリは少しだけ胸を張る。
「来年、入学です」
「もう、そこまで来たのか」
感慨深そうに言う兄の声に、時間の流れを感じた。
その後ろで、マルコがもじもじしている。
「……兄ちゃ」
「マルコか」
目が合った瞬間、くるっと後ろを向いてしまった。
「照れてる」
「かわいいな……」
兄が笑う。
◆◆◆
「……まずは、身体を流してこい」
父にそう言われ、兄は首を傾げた。
「流す?」
「説明は後だ。行け」
◆◆◆
シャワー室。
兄は、静かに立ち尽くしていた。
「……これが、噂の?」
「はい。浴槽じゃありません」
ユーリは、はっきり言う。
「この家にはありませんし、作りません」
浴槽はある。 超絶金持ちの貴族なら、ダンジョン産か、錬金産を。
だが――
・造れる錬金術師が少ない
・魔力安定性が低い
・高価すぎて普及しない
だから、この家にはない。
代わりにあるのは――
「流れ続ける、温水です」
◆◆◆
兄が、恐る恐る魔力を流す。
次の瞬間。
「………………」
言葉が、消えた。
温かい水が、途切れずに身体を包む。
「……止まらない?」
「止めない限り」
「……流していい?」
「全部」
◆◆◆
しばらくして。
シャワー室の扉が開いた。
兄は、髪を濡らしたまま、無言で立っていた。
「……ユーリ」
「はい」
「俺」
一拍置いて。
「もう、王都に戻れない身体になった」
「でしょうね」
◆◆◆
「シャンプーは送ってもらってた」
兄は苦笑する。
「でもな、流せなかった」
桶でかける水。 足りない。 冷える。
「洗った気がしなかった」
ユーリは、何も言わなかった。
言う必要がなかった。
◆◆◆
その夜。
食堂のテーブルに並ぶ料理。
すべて、特許を取ったレシピ。
「……うまい」
一口。 二口。
気づけば、兄は無言で食べ続けていた。
最後に残ったのは――ケーキ。
「……これも?」
「はい」
フォークを入れた瞬間。
「……っ」
兄は、何も言わず、むさぼった。
◆◆◆
「なあ、ユーリ」
食後、兄が言った。
「この家……」
少し笑って。
「やばくないか?」
ユーリは、小さく笑った。
「今更です」
◆◆◆
マルコが、そっと兄の服を引っ張る。
「……にーちゃ」
今度は、逃げなかった。
「よし」
兄が抱き上げる。
「重くなったな」
「えへ」
◆◆◆
屋敷の灯りが、静かに夜を照らす。
帰る場所。 戻れなくなる理由。
その両方が、ここにあった。
ユーリは思う。
(……来年か)
学園。
でも、帰る場所があるなら。
怖くはない。
◆◆◆
――第二十九章・完
読み終わってのクレームは、お止めください。
自己責任です。




