リアハの弱点~ヴェール視点
「今は近づかないほうがいいよ。少し時間を置いて、頭が冷えた頃にもう一度、話し合ったらいい」
「そう……ですね」
初めてみるシュバルツの姿に少なからず衝撃を受けたボクはフラフラと椅子に腰をおろした。
(どんな時でも落ち着いていて、ボクのどんなドジも受け止めてくれていたのに……何がいけなかったのだろう)
深いため息とともにズンと心が沈む。そのまま体も重くなり、ボクはテーブルにうつ伏せた。
シュバルツが女性に囲まれているのを見てから、何となくおかしい。心の奥底でモヤモヤするような、変な感じがする。
「……リアハさんが言うように、シュバルツがどこで何をしていても、ボクには関係ないのに」
それなのに、女性に囲まれている姿を見て何故か嫌だと思った。シュバルツのそんな姿を見たくないと思った。それなのに、目が離せなくて。
「はぁ……」
盛大なため息を落としていると、反対側の椅子に座ったリアハがしみじみとした口調で言った。
「青春だねぇ」
「……青春、ですか?」
顔をずらして目だけを向けると、灰色の瞳が柔らかく微笑んでいて。
「そうだよ。若々しくて、オジサンには眩しいぐらいだ」
そう言った目はボクを通して、他の誰かを見ているようにも見える。
「リアハさんはおじさんっぽくないですよ。渋くてカッコいいです」
「おや、そんなに褒められたら食事も奢らないといけないね。それとも、謝礼を受け取ってくれるかい?」
「それは断固、拒否します」
「キミも頑固だねぇ。まぁ、彼もキミぐらい頑固っぽかったけど」
その言葉にシュバルツの顔が浮かぶ。
見たことがないほど眉間にシワを寄せ、怒っているような表情なのに黒い瞳は今にも泣きだしそうで。
「……そんなに、ボクがリアハさんとお茶をしているのが嫌だったのかなぁ」
「まあ、好いた相手が知らないヤツと仲良くしていたらヤキモチぐらい焼くんじゃないかな」
好いた相手という言葉にボクはプッと噴き出した。
「シュバルツとは同室なだけですよ。それに、男同士ですし」
「でも、彼はαなんだろう? それなら、男同士というのは関係ないよね?」
その言葉にボクは目が丸くなった。
それから伏せていた体を慌てて起こして訴える。
「い、いや、でも、シュバルツはとっても優秀なαで、ボクなんかよりもっと優秀な相手と……」
「私から見れば、キミも十分すぎるほど優秀だよ。私の仕事に勧誘したいぐらいに」
「え?」
思わず固まるボクに灰色の瞳がジッと見つめる。
「学校を卒業したら、私のところに来ないかい?」
「そ、それは……」
無理です、とは口に出さず目を伏せる。とても魅力的な誘いだけれど、ボクは自分の将来を決めることができない。その権利も力もない。
答えを言えずテーブルを見つめていると、渋くも柔らかい声がゆったりと話を始めた。
「そういえば、私の知り合いの話なんだけどね。その若者は周りのことなんて気にせず動き回って、周囲がどれだけ困ろうが、己の欲望を達成するために我が道を進んでいるそうだよ」
その若者が羨ましい。素直にそう思った。
テーブルの下でギュッと両手を握り、感想を口にする。
「……ボクには、とてもできないことです」
「そうだね。そこは個人の性格や環境による。ただ、キミがそうしたいなら、私は力を貸すよ」
「お気持ちは嬉しいのですが……リアハさんに多大な迷惑をかけてしまいますから」
「子どもは大人に迷惑をかけるものさ」
その悠然とした口調を崩したくて、ボクは試すように訊ねた。
「この国で商売ができなくなる、と言っても?」
「たいした問題じゃないよ。別にこの国だけで仕事をしているわけじゃあないからね。他の国で仕事をすればいいだけだ」
見栄を張っているわけでも、強がっているわけでもない。平然と当たり前のように答えた。
その様子に改めてリアハを観察する。
この国では珍しい銀髪が穏やかに揺れる。灰色の瞳の目元には笑うと現れる深いシワ。端正な顔立ちで、社交界に出れば男女問わず群がるだろう。
それでも、ただの男前な中年というわけではない。纏う空気が普通ではない。様々な修羅場を経験して、生き抜いてきた。そんな雰囲気が漂う。
「ま、考えといて」
フフッと大人の余裕を含んだ笑みを浮かべながらカップに口をつける。
その優雅に紅茶を飲む姿を見ながら、ふと気になったことを訊ねた。
「……もしかして、さっきのお話に出てきた若者ってリアハさんが好いてる方ですか?」
ブハァッ!!!!!!
「うわぁっ!?」
いきなり飛んできた紅茶の飛沫にボクは椅子から飛び退いた。
「ゴホッ、ゴホッ! ご、ごめんね。大丈夫かい?」
リアハが咳込みながらもリアハがハンカチを差し出す。
「い、いえ。ちゃんと避けましたので」
「意外と反射神経がいいね」
「それは、まぁ……」
騎士として不測の事態でも反応はできるように訓練はしてきた。まさか、噴き出した紅茶を避けるのに役立つとは思わなかったけれど。
これまでとは別の意味で警戒しながらリアハと距離をとって椅子に座る。
そんなボクにリアハがハンカチでテーブルを拭いていく。その姿は先程の余裕に溢れた大人な雰囲気など、どこにもなくて。
どこか恥ずかしそうにハンカチを片付けながらボクに訊ねた。
「もう噴き出さないから。それより、私に好いた相手がいるって、どうしてそう思ったんだい?」
「こうして話していて、たまにリアハさんの目がボクじゃない誰かを見ている感じがしたんです。その目が凄く優しくて、その、好き勝手にしている若者が好いた相手なのかなぁと」
なんとなく思ったことを言っただけなのに、お茶を噴き出されるとは予想外だったけれど。
ボクの正直な意見にリアハが苦笑しながら大きな手で顔の上半分を隠した。
「もう、そんなことを言われたらキミと会話できないな」
「図星です?」
ははは、と軽く笑いながら大きな手が顔から離れ、灰色の瞳が現れる。
その目には諦めたような、降参したような色があり……
「まぁ、キミを通して見ていたっていうのは正解かな。ただ、キミよりもう少し年上だし、どちらかと言うと、さっきの彼の方が近い」
その言い方にボクはピンときた。
「そのお相手はαですか?」
「あぁ」
「……番、ですか?」
ボクの問いに灰色の瞳に影が差す。
「厄介なことにね」
番とはαとΩの伴侶のこと。体の相性などもあるため、普通ならお互い同意の上で番となるため、厄介な相手ならまず番にならない。
「厄介? 番なのに厄介って……まさか、運命の番ってことはないですよね?」
αとΩはそれぞれ運命の番という相手がいると言われている。その運命の番なら、体の相性や環境など関係なく強制的に番となるため、厄介と言えば厄介な存在だ。
ただで、この広い世界で出会う確率は非常に低く『砂漠の中で一粒の麦を見つけるようなもの』と揶揄されるほど。
ボクは冗談交じりで軽く笑いながら言ったのだけど、銀色の髪がピクリと跳ねた。それから、逃げるようにボクから視線を逸らした。
その反応に少しだけ頬を染めた中年男の顔を覗き込む。
「本当に、ですか?」
ジッと見つめるボクに根負けしたのか、リアハが片手で目を隠しながらため息を吐いた。
「まったく、キミは鋭いね」
「本当なんですか」
唖然とするボクにリアハが肩をすくめる。
「年齢とか、立場とか、いろいろ違うのに、運命っていうだけで振り回されてね。もう大変だよ」
「ですが、番になっているのではないのですか?」
αがΩのうなじを噛むことで番となり、Ωの体調が安定する。運命の番なら発情期の症状を抑える抑制剤もいらないほどになるはず。それだけでも、どれだけ楽なことか。
でも、リアハは苦笑しながら首の後ろに手を当てた。
「いや、番にはなっていない。噛まれないように強い防御魔法をかけてあるから、簡単には噛めないしね」
「運命の番がいるのに、どうして……」
運命の番の存在を求めるαとΩは多い。そんな人たちからすれば、羨ましすぎる状況なのに。
「オジサンにも、いろいろあるんだよ」
そう言いながら残りの紅茶を飲むリアハ。その表情は穏やかで嬉しそうにさえ見える。
(たぶん、相手のためなんだろうな)
その気持ちが伝わり、ボクまで心がほんわりと温かくなる。
「それだけ、お相手のことが好きなんですね」
自然と漏れた言葉に、リアハが紅茶を噴き出した。
ブハァッッ!!!!!!!!
再び降ってきた紅茶の雨から素早く逃げる。
「キ、キミ、そういうのを恥ずかしげもなく率直に言わないでよ」
「それより、紅茶を噴き出さないでください!」
完全にリアハから離れるボク。
「キミがズバズバと私の心を言い当てるからだよ。むしろ原因はキミだよ」
「ボクのせいにしないでください!」
「いいや、今のはキミが悪い」
ぎゃあぎゃあと言い合いをしている間に太陽が傾き、大木の影が伸びてきた。
「……はぁ、そろそろ帰ります」
寮生活のため門限がある。
門限を破れば処罰され、成績にも影響が出る。あと、同室にも連帯責任が発生する。シュバルツに迷惑をかけないためにも、絶対に守らないといけない。
ただ、寮に戻るということは、自室に戻るということで。そうなると、先に戻っているであろうシュバルツと顔を合わすことになり……
「はぁ……」
再度、漏れるため息。
そんなボクにリアハが笑う。
「しっかり悩むんだよ、若者」
ニヤリと笑う灰色の瞳。思わずジドッと睨み返す。
「他人事すぎません?」
「他人事だもん」
シレッと言いきったリアハにボクは口を尖らせた。
「せめてアドバイスぐらいください。帰ったら嫌でも顔を合わさないといけないので」
「そうだねぇ……じゃあ、拗ねてみたら?」
「拗ねる?」
予想外のアドバイスに首を捻る。
「そう。たぶん彼は一方的に怒ったことを反省している頃だろうから、謝りやすい雰囲気を作ってあげるんだ」
「謝りやすい雰囲気……」
「だって、キミは何も悪いことをしていないんだから、キミが謝るのは違うでしょ?」
「たしかにそうですが……」
悩むボクにリアハが的確に指摘する。
「それにキミが謝ったら、逆に彼は怒るんじゃないかな?」
たしかにシュバルツの性格を考えたら絶対に怒る。それで、ますます拗れる。
「そう思います」
深く頷いたボクに灰色の瞳が目元にシワを寄せる。
「じゃあ、そうしてごらん。あと、今度は三人でお茶をしよう」
「リアハさんの奢りで?」
「もちろん。キミが謝礼を受け取ってくれないから、それだけの金額を奢り続けるよ」
その言葉にプッと笑いが漏れる。
「リアハさんも十分、頑固だと思いますよ。わかりました、また会うことがありましたらお茶をしましょう」
「あぁ」
こうしてボクは少しだけ軽くなった心とともに寮へと帰っていった。