不審者との出会い~ヴェール視点
「あぁ、もう。心臓に悪いよ」
逃げるように学舎の治療室へ飛び込んだボクはふぅと大きく息を吐いた。
全力疾走をしたわけでもないのに、気分が高揚して胸がドキドキと駆けている。
ボクは気持ちを落ち着けるために、ずっと持っていた箱を机に置いて蓋を開けた。中には薬や消毒薬、包帯に当て布などの治療に必要な物が一通り揃っている。
「えっと、消毒薬が少なくなっていたから……」
薬箱の補充を終えて椅子に腰をおろすと、力を抜いてぼんやりと天井を眺めた。
白い天井に浮かぶのは同室の顔。
くせっ毛な自分の髪とは違い、絹のようにサラサラで艶やかな黒髪。黒曜石のように鋭く輝く瞳に筋の通った鼻。形のよい唇に男らしくも整った顔立ち。
体も筋肉質でしっかりと鍛えられており、将来有望な騎士として教師たちからも一目置かれている。
「あぁいうのを美丈夫っていうんだろうな」
自分にはないものを持つ同室で、憧れで自慢の存在……だったはずなのに。
「なんだろうなぁ」
もやもやとしたハッキリとしない気持ちが顔を覗かすようになったのは、いつの頃からか。
「ダメだ、ダメだ」
勢いよく立ち上がり、頭を切り替える。
「こういう時は薬作りだ!」
乾燥させた薬草をすり潰したり、薬になる鉱物を粉砕したりする。単純だけど、何も考えずにその作業に没頭できる。
「よし!」
この治療室の責任者である騎士学校の専門医師である学医から薬の調合をする許可は得ているし、薬が不足した時は調合も任されている。
それも、この六年間で学医から直接いろいろと教わった結果の特例だけど。
ボクは雑念を取り払うため薬草棚を開けた。
「えっと、痛み止めが少なくなっていたから……あれ? 炎症止めの薬草がない。あ、そういえばあの薬草も少なくなっていたっけ」
不足している薬草を思い出したボクは窓の外を見た。太陽は少し傾いたぐらいで、門限までには余裕がある。
「夕方までに帰ってくればいいしね」
鞄をさげたボクは外出届を出して市場へと出かけた。
様々な人で賑わう市場。
戦争をしている隣国に近い街でもあり、兵の姿も多い。ただ、ここ数年は隣国との衝突もなく落ち着いており、そのためか商品も充実していて活気にあふれている。
それでも、ふと過ぎる不安。
「……この平和もいつまで続くかな」
好戦的な現在の王は話し合いが上手くいかないとすぐに戦争を起こす。そのため、他の国からは距離を置かれ、領地を接している隣国とは紛争が起きやすい。
そのため、常に戦力が必要な状態で、その中でも重要な戦力となる騎士学校は隣国の近くにある街へと移された。
ボクは記憶を頼りに市場の少し外れにある裏道を歩いて行く。
「えっと、この道を奥に進んで……」
騎士学校御用達の薬草店は隠れ家のような場所にあり、普通の人ならまず気づかないが、学長とも懇意らしく、なにかと優遇してくれる。
ガタッ!
大きな物が倒れたような音に肩が跳ねた。
「なんだろう?」
恐る恐る裏路地のさらに裏へと続く道を覗く。
そこは昼間なのに薄暗く、湿った空気が溜まっており、不気味な雰囲気。
「……気のせい?」
ポツリと言葉を落としたところで黒い壁の一部が動いた。次に聞こえたのは微かな呻き声と血の臭い。
「大丈夫ですか!?」
ボクは考えるより先に動いていた。
狭い路地に体を入れて駆け寄る。
すると、黒い影だと思ったのは、黒い布を頭から被った人だった。
「……何者だい?」
穏やかな渋い声とは反対に、黒い布の隙間から物騒な灰色の瞳がジロリと覗く。
ボクはなるべく警戒させないように笑顔で声をかけた。
「えっと、学生で治療の勉強もしていて……その、よければ傷をみせてもらえませんか?」
嘘は言っていない。ただ、騎士学校の生徒と言えば警戒されそうだし、最悪の場合は逃げられるか攻撃される可能性もある。
ボクは武器を持っていないことを証明するようにさげている鞄の蓋をあけた。
「ほら、ここに薬もありますし」
そう言いながら鞄の中身を見せる。
入っているのは止血薬や消毒に、当て布と包帯など、いつも持ち歩いている治療セット。
このことに男の警戒心が緩んだのか、被っていた黒い布をずらして、血の臭いの元である左肩をみせた。ナイフで切られたような傷口と、その周囲が赤くただれている。
「ちょっ、これ、毒……んぐ!?」
思わず大きな声が出たボクの口を大きな手が塞ぐ。
「騒ぐな」
「す、すみません」
男が動いた表紙に被っていた黒い布が落ちる。
そこには特徴的な短い銀髪が輝いていた。
この辺りでは見かけない髪色に目を奪われる。
「もしかして、異国の方ですか?」
「……」
返事はない。
しかし、ボクは気にせずに話を続けながら水が入った瓶を取り出した。
「傷口を洗い流しますね。解毒薬を塗りますが、あとで熱が出るかもしれません。念のために飲む用の解毒薬と解熱剤も渡しておきますので、熱が出たら二つとも飲んでください」
そう説明しながら傷口に水をかける。水がしみて痛いはずなのに男は声一つ漏らさず、身じろぎもしない。
その我慢強さに驚きながらも解毒薬を塗った当て布を傷口に置いて包帯を巻く。
「あと、もし医者にいけるなら、ちゃんと診てもらってください」
応急処置を終えたところでボクは立ち上がった。
「動けそうですか? 肩を貸しましょうか?」
「いや、平気だ」
そう言って男がゆったりと立ち上がった。
その背は高く見上げるほど。均整がとれた体躯で、服で隠れているが鍛えられていることもわかる。
灰色の瞳がボクを見下ろして細くなった。
「仕事でこの国に来たんだが、いきなり難癖をつけられてナイフで切られてな。血が止まるまでここで休んでいたんだが、助かった」
ボクを敵ではないと判断したらしく、男の纏う空気が柔らかくなる。
「お役に立てたなら良かったです」
そこで、軽く微笑んだボクに巨体が覆いかぶさるように迫ってきた。
逃げ道を塞がれるようにトンッと背中に壁が当たる。
「恩人にあまり酷いことは言いたくないんだが、お人好しは身を亡ぼすよ?」
そう言いながら眼前に迫る顔。
いままで薄暗くてよく見えなかったが、渋みを含んだかなりの男前だ。年齢は三十代半ばぐらいだろうが、酸いも甘いも知り尽くした大人の色香が漂う。
腰が疼くような低い声が誘うようにボクの耳を撫でる。
「それとも、何か目的があって助けたのかな?」
男の右手がボクの顎を掴み、グイッと上を向かせた。
危険な空気をまとうイケオジ。女性なら頬を染めて見惚れるか、黄色い声をあげていたかもしれない。
でも、残念ながらボクは男で。
ボクは肩をすくめながら言った。
「さっき、いきなり難癖をつけられたって話したでしょう? ボクの友人もそんな感じなんです。本人は悪くないのに、周りが勝手に難癖をつけて傷つける」
いつもはボクのドジに巻き込まれ、今日は卒業生から難癖をつけられた不憫な同室の顔が浮び、思わず笑みがこぼれる。
「あなたも、その友人と似たところがあったので、それで助けた。それではダメですか?」
ボクの話に灰色の瞳が探るように見つめてくる。何を考えているのか分からない。感情の見えない色。ただ、その奥深くには星屑のような輝きがあって……
少しの間のあと、大きな手がボクの顎から離れた。
「……なら、私はその友人に感謝するとしよう」
そう言いながら男が再び黒い布を被る。
「ところで、薬の代金を払いたいんだが、今は持ち合わせがなくてね。どこに持っていったらいい?」
その申し出にボクは慌てて両手を横に振った。
「いえ。ボクが勝手にしたことですから、気にしないでください」
「そういうわけにもいかない」
頑として譲りそうにない男にボクは困った。
中途半端に身分を隠した以上、騎士学校の生徒とは言えない。かと言って、再び会う約束もしたくない。
どうするか悩んでいると、男が路地の奥に視線を移した。
「ふむ。じゃあ、次に会うことがあったら払う、でいいかな?」
「あ、はい。それなら」
国境近くにある地方の街とはいえ、ベガイスター国の防衛の拠点としてかなりの広さがある。この中で再び会うというのは、なかなか難しい。それに加えて、ボクはあまり学校と寮から出ない。
(もう、会うことはないよね)
頷いたボクに男が灰色の瞳を少しだけ細めた。
「じゃあ、またね。次は君の友人とも会えると嬉しいな」
大人の余裕を含んだ声音とともに黒い布がふわりと舞う。
目の前が黒一色に染まったと思った瞬間、男の姿が消えていた。
「え? えぇ!?」
慌てて周囲を見回すが、どこにもいない。
毒がまわって痺れもあるはずなのに――――――
~~
「って、いうことがあったんだよ」
騎士学校の寮に戻ったボクは同室のシュバルツに今日あったことを話した。
そこまで広くない部屋に大きな窓が一つ。左右の壁にはそれぞれのベッドが並び、その足元に勉強机があるだけのシンプルな部屋。
そこで向かい合うようにベッドに座って、その日にあったことを寝る前に話す。それが、いつからか日課になっていた。
普段なら、うんうん、と穏やかに相槌を打ちながら黒い瞳を和ませるシュバルツだが、何故かだんだんと表情が険しくなっていて。
ボクの話を聞き終わったところでシュバルツがバッと立ち上がってボクの両肩を掴んだ。
「思いっきり不審者じゃないか! そもそも、誰も彼も治療をするなって言ってるだろ!」
「でも、怪我人だったし」
「そもそも、一般人がいきなり難癖をつけられて毒が塗られたナイフで切られるか! 明らかに命を狙われているだろ!」
「まぁ、それは薄々思ったけど」
只者ではない雰囲気ではあった。けど、怪我人であることに変わりはない。
そんなボクにシュバルツが根負けしたようにベッドへ戻り、ため息とともに腰をおろした。
「……おまえが無事ならよかった」
「もう、シュバルツは心配性だなぁ。ボクだって騎士学校の生徒なんだよ? 何かあっても逃げるぐらいの技量はあるよ」
軽く笑うボクを黒い瞳がジロリと睨む。
「そう言って逃げきれなかったら、どうするんだ?」
「痺れ薬とか、毒薬とか、人体操作系の魔法とか、いろいろ持ってるから何とかなるって」
右手を振りながら軽く言っていると強い力で手首を掴まれた。
「オレは真剣に言っているんだぞ」
すぐ目の前にシュバルツの顔が迫る。
社交界に出れば淑女たちに騒がれる眉目秀麗な顔立ち。艶やかな黒髪が眼前で揺れ、黒い瞳が覗き込み、お互いの吐息がかかりそうなほど近い。
「……っ」
心臓を鷲掴みされたように胸がギュッと絞まる。それなのに、ドキドキと暴れるように鼓動が早くなり、顔に熱が集まっていく。
あまりの近さに息ができず、呼吸が止まる。
(ど、どうして? シュバルツが、カッコいいから?)
昼間の男もシュバルツと同じように男前だった。でも、こんなに動揺することはなかった。
無言のまま固まっていると、掴まれていた手が緩み、そのまま離れた。
「……いや、悪かった。おまえだって、それぐらいの実力はあるもんな」
そう言って軽い笑みを浮かべながらベッドに座るシュバルツ。
「そ、そうだよ。シュバルツほどじゃないけど、ボクだって強いんだから」
動揺した心を悟られないように笑いながら答える。
握られたところがジンと痛み、赤くなっていたが、見なかったことにした。