同室との語らい
予想外の騒動を終え、ヴェールと二人で学舎の廊下を歩いていく。
とんでもない濡れ衣を着せられ、なぜか退学まで考えさせられるという事態になったが、それよりも庭師の老人が学長だったことが一番の衝撃で。
もちろん、その事実は卒業まで黙っているようにと、しっかりと口止めされた。
「はぁ……」
普段は出さないようにしているため息が落ちる。
そんなオレに隣から声がかかった。
「もしかして、背中が痛む? 箱の角が思いっきりぶつかったから」
箱を大事そうに両手で抱えてオレの隣を歩くヴェールが心配そうに見つめる。
その大きな翡翠に胸がドキリと跳ねた。
オレは逃げるように前を向き、平然とした表情を作る。
「い、いや、背中は問題ない。大丈夫だ。それより、さっきは助かった」
「さっき?」
「魔法陣の紙を消してくれただろ? それだけじゃなくて、その破片も見つけてくれたし。そのおかげで濡れ衣も晴らせた」
オレの言葉に、翡翠の瞳が思い出すように斜め上を見たあと、うんうんと頷いた。
「あの紙から嫌な気配を感じたのと、シュバルツがボクを庇うような姿勢になったから、ヤバいのかな? と思って消したんだ。ただ、完全に消すのもいけない気がして少し残るように調整したんだけど」
普通なら消滅魔法を使って少しだけ残すなんて器用なことはできない。
それだけヴェールの魔法を操る技術が凄いということなのだが、オレはそれよりも別のことに気をとられていた。
(ヴェールを守るために、咄嗟に抱きしめてしまったが……)
ふと先程の光景が脳裏に蘇る。
腕の中で揺れるふわふわの亜麻色の髪。そこから、ふわりと漂う白百合のような甘い香り。同じ男なのに柔らかく、ずっと抱きしめたくなる……
(……って、何を考えているんだ!? オレは主席で卒業して騎士にならないといけないのに!)
と、ここで我に返ったオレはブンブンと首を大きく横に振った。
「ど、どうしたの?」
突然のオレの奇行にギョッとした顔になるヴェール。
オレは急いで澄ました顔を作り、落ち着いた声で言った。
「咄嗟の状況でその判断ができたのは、さすがだよな。ちなみに、あの紙には雷炎の魔法陣が描かれていたんだ」
大きな翡翠の瞳が信じられないとばかりに丸くなる。
「なんで、そんな危険なモノがあったの?」
「模擬戦でオレに負けたから、嫌がらせをしようとしたらしい。悪かったな、巻き込んで」
「それは、シュバルツが謝ることじゃないよ。そもそも、ボクが考え事をしていて、ぶつかったのが原因だし。それにしても、あの先輩たち最悪だね。でも、どうしてそんな騎士道精神の欠片もない人が卒業できたんだろう?」
ヴェールが不思議そうにコテンと首を傾げた。遅れて亜麻色の髪が白い頬にかかり、可愛らしい容姿に拍車をかける。
その姿にオレは思わず目を奪われ……かけて、鋼の根性で正気に戻った。
「どうせ、裏から手をまわして卒業したんだろ。今回だって、隣国と停戦状態で戦えないから弱い後輩をいたぶって鬱憤を晴らすつもりだったんだろうし」
「たしかに三対一って時点でおかしかったもんね」
「あぁ。実戦では多数を相手にすることがあるって、もっともらしいことを言いやがって」
そこでヴェールが思い出したようにプッと軽く吹き出した。
「なのに、シュバルツに簡単にやられちゃってたもんね。鬱憤を晴らすどころか、鬱憤を溜めちゃったんだ」
「そういうことだ。まぁ、無駄に爵位が高いだけで実力も何もない貴族だからな。そもそも爵位の高い貴族は、その地位に胡坐をかいた無能な集団……って、ヴェールのことじゃないからな」
オレは饒舌になりかけていた口を慌てて塞ぎ、自分が言った言葉を訂正した。
騎士学校に入る貴族は男爵や子爵、たまに伯爵がいるぐらいで、貴族の中でも爵位が低い者が多い。
その中でヴェールは侯爵という公爵に次ぐ高位貴族。そのため、学校の中ではオレと違う意味で浮いた存在でもあった。
「うん、わかってるよ」
柔らかな笑みとともに翡翠の瞳が細くなる。周囲の空気がキラキラと輝き、どこからともなく春風が吹き、祝福のラッパの音とともき花弁が舞う。
そんな幻影がオレを襲った。
「ぐっ!」
会心の一撃に胸を押さえていると、ヴェールが覗き込んできた。
「どうしたの? どこか痛む? 治療魔法をかけようか?」
「い、いや。大丈夫だ」
高位貴族のヴェールが騎士学校に入った理由。
得意の治癒魔法で治癒騎士になり、少しでも戦死する人を少なくしたいという。最初は偽善かと冷めた目で見ていたが、同室として共に行動をするうちに、その気持ちが本物であることを知り心打たれた。
そして、いつからか眩しいほどに強い意志を尊敬するようになり……
入学した頃を思い出していると、柔らかな声がオレの耳を撫でた。
「本当に大丈夫? 我慢しないでね?」
「あぁ」
心配そうに見つめる翡翠の瞳に笑みを向ける。
すると、ヴェールが申し訳なさそうに体を離した。
遠くなる甘い香りを名残惜しく感じていると、ヴェールが両手で抱えている箱をギュッと抱きしめた。
「いつもボクのドジに巻き込んで、ごめんね」
ヴェールは剣術は平均的だが、治癒魔法の腕は超一流。防御系の魔法なら騎士学校内では右に出る者がいないほどの腕前。αではないβでこれだけの実力を持つ者は珍しい。
そのため、守りの騎士として将来を期待されている……のだが、問題はかなりのドジで。
「この前は調剤途中だった薬品をかけてしまって、シュバルツの声がしばらく出なくしてしまったし、その前は薬草が生えている植木鉢を頭上に落としてしまって、危うくシュバルツの頭を割るところだったし。それより前は、剣を運んでいたら石につまずいて……」
「あぁ……」
こけた拍子に鞘から抜けた剣が一斉に降りかかってきた。
どうにかすべて避けきったが、あれはさすがに命の危機を感じた。
思い出しながら苦い笑みを浮かべていると、隣でふわふわな亜麻色の髪がシュンと萎んだ。
「やっぱり、ボクは近くにいないほうが……」
それ以上の言葉を言わさないため、オレは素早くヴェールの肩に手を置いて軽く声をかけた。
「気にするな。声が出なくなったおかげで、声を出さずに自分の意思を伝える練習になったし、植木鉢は頭上からのふいの攻撃を受ける練習になった。剣は多数からの攻撃を避ける練習になったし、何も問題ない」
「……シュバルツ」
大きな瞳をウルウルと潤ませて見上げる端正な顔。その表情にオレは弱い。
こみあげてくる感情にグッと蓋をして余裕の笑みを作る。
「同室じゃないか」
その一言にヴェールが安堵して、その可愛らしい顔に満面の笑みを咲かせる。
「そうだね」
これがいつもの会話。ヴェールがどんなドジをしても、オレがそれでどんな目に合っても、この一言ですべてが丸く収まる。
初めは本当に言葉通りだった。
最初の頃は、ヴェールのドジで怪我をする度に腹を立てていた。しかし、それ以上に、オレ以上に、ヴェールが傷ついた顔をして、必死にオレの怪我を治癒魔法で治した。
その姿は抜けない楔となり、心の柔らかなところに刺さったまま。
こうしてオレは「同室じゃないか」という言葉ですべてを終わらすことにした。
それなのに、その気持ちはいつからか変化して。
(オレは騎士になる。そのためには、こんなことで悩んでいる場合じゃないんだ)
そう何度も自分に言い聞かせ、気づいてはいけない気持ちに蓋をする。
隣を気にしないように前だけを向いて歩く。いつも歩いている学舎の廊下なのに長く感じていると、ヴェールがふと訊ねてきた。
「……ねぇ、シュバルツはベガイスター国王をどう思ってる?」
ベガイスター国王とは、オレたちが住んでいるベガイスター王国の王のこと。かなりの好色家で正室だけでなく複数の側室がおり、子どもの数も多い。
民やオレのような低位貴族の前に姿を現すことはないが、戦争や派手なことが好きで、戦果をあげた者には爵位や土地などの褒美を与えることで有名だ。
オレはその唐突な質問の真意がわからず首を捻った。
「どうって、どういうことだ?」
「いや、その……」
ヴェールがもごもごと口の中で言葉を濁すように話す。
「……えっと、シュバルツは、その……処刑とか家の降格がなければ……君の家は伯爵のままで、君がここまで頑張る必要はなかったわけだし……その、わざわざ騎士になる必要もなかったんでしょ? さっきみたいな嫌な思いをすることもなかったし……だから、その……」
つまり、こうなった原因の王を恨んでいないか? と聞きたいらしい。
王を恨むなんて口にすれば即反逆罪となって牢獄行きとなり、最悪は処刑だ。騎士学校とはいえ、どこの誰が、どこで聞き耳を立てているかわからず、下手なことは言えない。
中にはこういう質問をして相手の失言を引き出し、陥れようとする者もいるが。
横目で隣を確認すれば、ヴェールが憂いを帯びた翡翠の目を伏せていた。
その哀愁漂う儚い姿に胸がキュンとなる。
(だから! そう言う場合じゃないんだ、オレ! ちゃんと、対応するんだ!)
心の中で盛大に頭を横に振ると、オレはあらかじめ用意をしていた回答を口にした。
「王の判決に不満はない。それより大事なのは、これからだ。アノー家にかけられた嫌疑を晴らすためにも、オレはこの国のためにすべてを捧げる」
父を処刑されたが、それでも王家に忠誠を誓えるのか? そういう質問をされるのは予想範囲内。だからこそ、いつでも対応できるように答えをいくつか準備している。
だが、オレの答えはヴェールの期待にそぐわなかったらしい。
「……そっか」
どこか沈んだ声音と、哀しげな瞳。
その表情に、オレは思わず言葉を付け足した。
「それに、騎士学校に入学していなければヴェールに出会うことも、同室になることもなかったからな。むしろ、この状況に感謝しているぐらいだ」
その言葉に俯いていた顔があがる。
大きな翡翠の瞳がどこか嬉しそうにオレを見て、それから何かに気づいたようにコテンと首を傾げた。
「でも、会うだけなら、貴族の社交界で出会っていたかもしれないよ?」
(だから、その顔! 顔を斜めにして見上げる、その仕草! 可愛い過ぎるだろ! オレを悶え殺すつもりか!?)
なんて心の叫びと葛藤は一切表に出さず、表情筋を総動員して澄ました顔のまま頷く。
「たしかにそうだな」
「でも、社交界で会ってたら、ボクのドジでシュバルツを怒らせて終わっていたかもしれないね」
そう言いながら、しょぼんと俯くヴェール。
(あぁ、クソッ! 今すぐ抱きしめたい! 頭を撫でて慰めたい! だが……)
オレはグッと堪え、なるべく平然とした声音で言った。
「それなら、なおのこと入学してよかった」
「え?」
「ドジぐらいでおまえのことを知らずに終わるなんてもったいなさすぎるからな」
「えぇ?」
大きな目が丸くなる。その可愛らしい表情につられるようにオレの口元が緩む。
「ヴェールが同室でよかった」
そこで目的地についたオレは視線をずらした。
無垢の一枚板で作られた頑丈な両開きのドアに守られた書庫。古今東西の様々な書物があり、勉強をするには欠かせない場所。
「書庫で借りたい本があるんだが……どうした? 調子が悪いのか?」
視線を戻すとふわふわの亜麻色の髪が表情を隠し、可愛い顔を隠すように箱がこちらを向いていた。
「い、いや、なんでもない。ボクは治療室で薬の補充をしてくるから、このまま行くね」
そう言ってヴェールが早足で廊下を進んでいく。その足取りはしっかりしていて、元気そうだった。
「……あれだけ動けるなら大丈夫か」
小さくなっていく背中を見送ったオレは書庫へと入った。