シュバルツの苦悩
「使用人の中にΩがいるのか? 体調は、その、大丈夫なのか?」
「はい。発情期は抑制剤で制御できているので、みんな表立っては言っておりません。もし言えば、国によって強制的に連れて行かれますから」
そう言いながら茶色の目を伏せる。
その様子にヴェールがポツリと呟いた。
「……だから、この国から出たかったんだ」
その言葉に同意するように使用人が大きく頷く。
「他の国では蔑まれることなく生活できるという話を聞いて。もし、そんな生活ができるなら、私はΩの妹をその国へ連れて行きたいのです」
その話にオレは銀色の髪の男を思い出した。
この国では知られていない内容。それを知っているなら、他国の者から聞くしかない。それを誰から聞いたのか。もし、この話が広まれば、隠れているΩや、Ωをかくまっている者たちが一斉にベガイスター王国から離れようとする。
国内にどれだけのΩがいるか不明だが、小さな騒乱ぐらいにはなるだろう。
(そうなると、国が内側から乱れて、そこを他国から狙われる可能性も出てくる。近隣諸国との関係を考えると、あまり良くないな)
オレは使用人に訊ねた。
「その話を誰から聞いた?」
黒褐色の髪がゆっくりと横に揺れる。
「それは言わない約束ですので」
ますます銀色の髪の男、リアハが怪しくなる。かなりの財力と統率力を持つ、謎の男。あいつが裏で何かをしているのか。
オレが追及をしようとしたところで、ヴェールが声を挟んだ。
「それなら仕方ないね」
その言葉にオレは出しかけた言葉を引っ込めた。
騎士として主の意向に従うのは当然のこと。それを破るのは主に危険がある時のみ。今の状況では主である、ヴェールに危険はない。
そして、何よりもヴェールが追及することを望んでいない。
オレはグッと両手を握って言葉を締めた。
「……そうか」
そう言いつつ改めて己に言い聞かせる。
(オレはヴェールの護衛騎士。同室という対等な関係ではなくなった。今は仕える主として対応をするべきだ)
追及が終わったことに安心したのか、使用人がヴェールに声をかけた。
「あとのことは私たちがいたしますので、ヴェール様はお休みください」
「あ、うん。そうだね」
ヴェールがぐるぐる巻きになっていたマントを外していく。それに伴って、抑えられていた匂いも広がる。
(……ヤバい)
香で匂いを中和しているとはいえ、これ以上の匂いは理性を保つことがしんどくなる。
オレは漂う甘い香りから逃げるように体を動かした。
――――――ツン。
軽く引っ張られてバランスを崩しそうになる。
振り返るとオレのマントの端を持ったまま見上げるヴェール。何かを言うわけでもなく、大きな翡翠の瞳がただ見つめるだけ。
(あぁ、もう!!! ただでさえ匂いでヤバいのに、そんな顔をされたら……あー!!!!! 耐えろ!!!!! とにかく、耐えるんだ、オレ!!!!!!!!)
鉄壁の理性を総動員して、何でもないような顔を必死で作る。
「どうした?」
そんなオレに対して、ふわふわの亜麻色の髪が軽く揺れ、コテンと首を傾げた。
「なにが?」
その表情がオレの下半身を直撃する。
(だーかーらぁー!!!! その顔ぉぉぉぉぉ!!!!!!!! 可愛いすぎるだろ!!!!!!!!)
声も出せないほど追い詰められたオレはヴェールが掴んでいるマントを指さした。
「あ、ご、ごめん!」
慌てて謝りながら手を離したヴェールが俯いて体を小さくする。その姿に庇護欲が刺激され……
(落ち着け、オレ!!!! とにかく、落ち着け!!!!! 今はヴェールだ!!!!!! こんな状況で一番大変なのはヴェールなんだぞ!!!!!! 不安に決まっているだろ!!!!!!!!!!!)
抱きしめて思いっきり甘やかしたい衝動を抑えながら声をかける。
「……心細いのか?」
「そ、そういうわけじゃあ……」
オレから逃げるように俯いたまま横を向く。
(な、なんで!? オレ、何かしたか!? えぇっ!?!?!?)
表情には出さず悩んでいると、使用人が固い声で言った。
「あなたはαですよね? これ以上はヴェール様の近くに居ない方がいいです。この奥の部屋には、使用人以外の者は近づかないように警備兵の方々にも言いました。護衛をするなら、途中の廊下かこの部屋の入り口が良いかと」
この短時間でそこまで指示していたとは。
(さっきの動きといい、有能だな)
改めて使用人を頭から足先にまで確認する。
この国では多い黒褐色の髪に茶色の瞳。平凡な容姿で不快感を与えないが、印象には残りにくい。少し年上のどこにでもいるような青年。
そのまま黙っていると、ヴェールが不思議そうに言った。
「どうしたの? 何かあった?」
まさかの言葉にオレの目が丸くなる。
「……気づいてないのか?」
「何が?」
不思議そうに首を傾げるヴェール。
(これは本当に気づいてないヤツだ……だが、教えないわけにもいかないし……)
オレは迷いながらも言った。
「発情しているぞ。匂いが、その、この前より酷い」
言葉にすると余計に匂いを意識してしまう。
顔を背けたオレに対して、ヴェールが驚いたように声をあげる。
「えっ!? さっき、抑制剤を飲んだのに!?」
その発言に使用人が素早く反応した。
「もしかして、抑制剤を大量に飲みました?」
「そ、それは、その……」
何故か声を詰まらせたヴェールに使用人がズイッと詰め寄る。
「抑制剤の飲み過ぎで逆に匂いが暴走しているんですよ。薬も多過ぎれば毒となる。ご存知でしょう?」
「……はい」
ふわふわな亜麻色の髪がしょぼんと項垂れる。
その姿だけでオレの胸が千本の剣で串刺しにされ、尚且つグリグリと搔きまわされ、抉られたような感覚になった。
(ヴェールになんて顔をさせるんだ!?)
そう考えると同時に、オレは使用人の肩を掴んでいた。
「近い。離れろ」
そんなオレに対して茶色の瞳が鋭く睨み返す。
「私はβなのでΩの匂いの影響は受けません。それより、αであるあなたの方が離れたほうがいいと思いますが? それとも、ヴェール様の番なんですか? そもそも、護衛騎士なのにその言葉使いもどうかと思いますが」
その正論に思わず足がさがる。
「たしかに、そうだが……」
オレは無意識に翡翠の瞳に視線を向けていた。
普通なら主従関係になった時点で言葉使いも相応にするべきだということは分かっている。だが、そうなるとこれまでの同室だったこともなかったことになりそうで、どうしてもできなかった。
どうするか悩んでいると、先にヴェールが結論を出した。
「話し方はこのままでいいよ。その方がボクも慣れているし、安心できるから」
主の決定に使用人が渋々さがる。
「ヴェール様がそう言われるなら」
オレは表情に出さずに良かったと思いながら、話を戻した。
「さっきの話の続きだが、ヴェールの世話は任せる。だが……」
釘を刺すために茶色の目を睨む。
「絶対に変な気を起こすなよ」
オレの本気の忠告に対して、使用人が鼻で笑った。
「その言葉をそっくりそのままお返ししますよ。ほら、さっさと出て行ってください」
軽く言われたが、オレにとっては致命傷に近い。
(何も言い返せねぇ!)
ずっと変な気を起こさないようにしていたオレはドアへと足を向けて踏み出す。
そこに慌てたような声が背中にかかった。
「よ、夜! 夜に、ここに来るまでの話を聞かせてくれるって約束! ちゃんと守ってね!」
馬車と並走しながら話していたことをまさかここで言われるとは。
(だが、ここで拒否をしたらヴェールが悲しむ)
覚悟を決めたオレは振り返らずに言葉だけを返した。
「……わかった」
複雑な気持ちを抱えたまま部屋から出る。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
盛大なため息とともにドアを背にしてオレは廊下に崩れ落ちた。
「何とか襲わずに済んだ……」
床に両手足をつけて安堵する。
騎士学校で厳しいと言われてきた剣の実技の百倍はしんどい。むしろ、騎士学校の実技の授業がお遊戯に感じる程。
(今でこれから、夜になったら、どうなるか……香があるとはいえ、オレは正気を保っていられるのか……?)
体に残っているヴェールの残り香がふわりと鼻をかすめる。
それだけで、体の芯が疼き、喉が渇く。本能がΩを求め、魔力がぶわりと波打つ。
簡素な木のドア。本気になれば一瞬で壊せる。その扉の向こうには、この飢えを満たす、極上の……
バンッ!
オレは両手で自分の頬を叩いた。
「何を考えているだん。他にもやることがあるだろ、オレ」
明日はナーシュ国に入る。そこは未知の土地で、地理を知っている者もいなければ、地図さえもない。
「準備万端にしておかないとな」
無理矢理意識を戻したオレは、荷物の整理と明日の準備のために立ち上がった。
~~
「はぁ、やっと終わった」
ナーシュ国については国境から半日ほど道なりに歩けば宿泊できる町があるとは聞いているが、その情報もどこまで信用できるか不明。そのため、入念な準備が必要になるのだが。
今ある荷物の確認をしようとするが、使用人たちの態度が厳しい。ΩやΩを家族に持つ者からすれば、αはΩの匂いで自我を失い襲ってくる悪者。態度が冷たくなるのも分かる。
それでも何とか荷物の確認をして、数日は野宿が可能な食料と物品を揃えた。
それからの馬と荷台の点検をして、この辺りの治安とナーシュ国への道の確認を警備隊長から聞き取りして、とにかくやることが多かった。
そして、気がつけば夜になっており……
「あとは……ヴェールか」
オレがヴェールの近衛騎士となった経緯を話すを約束した以上、それは守らないといけない。
それに、久しぶりの再会だ。お互いに積もる話もあるだろう。
だが、あの匂いの中でオレが理性を保っていられるか。
「二人だけの部屋でオレは……」
国境近くにある小さな町。王族が宿泊するような高級宿などない。
警備面も考えて、警備兵の宿舎の離れにある一番奥の部屋をヴェールが泊まる部屋に選んだ。
「……サクッと話して終わらせよう」
慣れない長旅で疲れもあるだろうし、とにかくヴェールは早く休んだほうがいい。そのためにも、さっさと話を終わらせて退室する。
「とにかく、耐えるんだ。オレ」
己に言い聞かせながら、重い足を動かして宿舎の奥へと向かう。
ヴェールがいる部屋が近づくと同時に薬草のような香りと、白い煙が足元を漂ってきた。
「なんだ?」
発生場所を探して視線を彷徨わせれば、ヴェールがいる部屋のドアの隙間から白い煙が漏れ出ており……
「ヴェール!?」
慌ててドアを開ける。
すると、白い煙が出口を求めるように一斉に襲ってきた。




