シュバルツの悩み
「同室だからな」
最初は言葉の通りの意味だった。
それが誤魔化しの意味を持つようになったのは、いつからだったろう。
~~
騎士学校内でのくだらない模擬戦を終え、訓練場から学舎へ続く道を歩いていると軽い足音が近づいてきた。
「シュバルツ・アノー先輩!」
興奮混じり声に名前を呼ばれて振り返る。
そこには、十歳ぐらいのあどけなさが残る新入生が頬を染めて全力疾走していた。少しだけサイズの大きい制服が初々しさを強調している。
息を切らしながら走ってきた後輩にオレは視線を落とした。
「どうした? 何かあったか?」
「あ、あの、先輩、すごかったです! 卒業生で現役の騎士に圧勝するなんて、本当に凄いです! それで、あの、稽古をつけてもらいた……」
キラキラと輝く目。あどけなさが残る顔立ちだが、希望と期待に満ちている。
そこに大声が割って入った。
「ビリー!」
片手をあげて名を呼んだのは、他の新入生。こちらは、どこか警戒心混りで現実を見据えた目をしている。
その声の主を見た後輩がオレに頭をさげた。
「すみません、呼ばれたんで」
「……同室か?」
騎士学校は基本、全寮制で二人一部屋。連帯責任制のため、自然と同室とは一緒に行動することが多くなる。
「はい!」
「そうか。早く行ってやれ」
「はい!」
これから大きくなるであろう細い体を翻し、跳ねるように駆けていく。
その先には新入生と同じぐらいの体格の少年。二人が並んで立つ姿に自分が入学した頃を思い出す。
(あいつと初めて会ったのも、あれぐらいの時だったか)
六年前のことなのに、遠い記憶のように感じる。
懐かしい感覚に浸っていると、新入生たちのヒソヒソ声が耳に届いた。
「あの先輩には、あまり近づいたらダメだって言っただろ」
「けど、おまえも見ただろ? ぼくもあんな風に強くなりたいんだ」
「それは、シュバルツ・アノー先輩がαだから強いんだ。それに、あの噂は知っているだろ? あまり近づかないほうがいい」
「でも……」
本人たちは小声で話しているつもりらしいが、その内容はバッチリ聞こえていて。
「ほっほっほっ、青春じゃのう」
独特な笑い声がオレを現実に戻す。
顔を横へ向けると、庭師の老人がにっこりとオレを見ていた。
糸のように細い目が弧を描き、特徴的な顎髭を揺らしながら、笑っているような表情で生徒たちに声をかけている。オレも声をかけられる一人で、老人の名前は知らないが、たまに顔を見かけると会話をする仲だ。
「青春をしているのはオレではなく、あいつらだと思いますが?」
「お主も十分、青春しておるよ。卒業まであと少しじゃ。しっかり邁進せいよ」
ほっほっほっと顎髭を揺らしながら笑いながら庭作業へ戻っていく庭師の老人。
その後ろ姿にオレは軽く頭をさげて学舎へと歩きだした。
この世界には男女以外にα・β・Ωという性がある。
ほとんどはβだが、稀にαとΩが生まれる。
αは身体能力が高く、優秀な者が多い。そのため社会的に重要な地位についている。
Ωは優秀な子を産むことが多いが、定期的に発情期が起こり、それはαの本能を狂わす。そのため、Ωは社会を乱す者として地位が低く、国に管理されている。
『おまえがαでよかった。家のことは任せる』
そう言い残して帰らぬ人となった父。
国家反逆罪という冤罪で投獄され、王の命で処刑された。
『私たちはこれまで通り、王家に仕えるのです。そうすれば、きっといつか爵位は戻るでしょう。だから、その時まで王家へ……王へ忠誠心とともに、心身ともにお仕えしましょう』
そうオレに言い聞かせる母の声に生気はなかった。
その後、貴族であるアノー家は伯爵から一代限りの男爵へ降格。
現在は長男であるオレが未成年のため、母が代理として当主を務めている。
だが、オレが正式に家を継いだあと、功績をあげることがなければ、オレが死ぬと同時に爵位は消滅。歴史あるアノー家の家名は消え、平民となる。
「……そうならないためにも」
ギリッと両手を強く握る。
隣国との戦争で戦果をあげ、一代限りではない子爵か伯爵となり、家の再興をすることがオレの使命。
「弟たちと、残ってくれた使用人たちのためにも」
騎士学校を主席で卒業して、騎士として前線に出て武功をあげる。そのためには、悩んだり迷ったりしている時間はないし、青春を謳歌するなんて以ての外。
努力に努力を重ね、座学も剣術も一位を維持し続けている。
ただ、そんなオレを疎ましく思う者も当然いるわけで。
学舎に入り、廊下を歩いていると嫌味を含んだ声が後ろからした。
「おや、おや。先輩をたてるということを知らないシュバルツ君じゃないですか」
先程、木剣で模擬戦の相手をした卒業生の三人組がニヤニヤと質の悪い笑みを浮かべながらやってきた。
真ん中にリーダー格らしき卒業生が一人。その後ろに取り巻きのような二人組が付き従う。
騎士学校を卒業して現在は立派な騎士であり、敬うべき先輩なはずなのだが、纏う空気がそれを拒絶する。将来、こんな騎士にはなりたくないという反面教師にするには丁度いいかもしれない。
事前連絡もなく来校して、後輩を鍛えるためと、模擬戦を挑んできた。自己勝手な私闘に近い。
当然、教師たちは拒否したが、それを力づくで突破しようとする始末。
その様子を見ていたオレは、ここで教師陣に貸しを作るのも悪くないと考え、模擬戦の相手になると名乗り出た。
授業の一環ということで、成績に影響が出るため手加減なしで対戦。ただ、三対一だったにも関わらす先輩たちが弱すぎてオレの相手にならず、適当なところで峰打ちをして模擬戦を終わらせた。
(……軽い峰打ちじゃなくて動けない程度に怪我をさせておけばよかったな。だが、訓練で怪我をさせると同室のあいつが何を言ってくるか。とにかく、今は無視だな)
ここで相手をしても面倒しかないと判断したオレは、聞こえていないフリをして歩調を早めた。
しかし、そんなことで諦める卒業生たちではない。
「おっと、手が滑った」
リーダー格のワザとらしい声とともに一枚の紙がヒラヒラと優雅に頭上を漂う。
「なんだ?」
軽く見上げたが、そこに描かれたモノにオレは唖然とした。
「雷炎の魔法陣!?」
紙に描いた魔法陣で、魔力をこめれば地面に落ちると同時に魔法が発動する。
敵陣に投げ込んで攻撃するために開発された魔法陣であり、こんなところで使用するものではない。しかも、威力は最大級で床に落ちれば、廊下が吹っ飛ぶ代物。
無効化する魔法もあるが、オレは解除系や防御、治療系の魔法が苦手だ。ここが、屋外だったなら問答無用で攻撃魔法を使って魔法陣の紙ごと消滅させたが、屋内であるためできない。
(どうする!?)
下手に衝撃を与えれば魔法が発動する。かといって、何もしなくても発動する。
横目で先輩たちを見れば、しっかりと防御魔法を展開して守りを固めていた。
さっきの模擬戦で負けた腹いせか、この爆発もオレのせいにするつもりなのだろう。
「そっちがその気なら」
どうせオレのせいにされるなら、その原因にもそれ相応の傷を負ってもらわなければ気が済まない。
オレはバッと右手を先輩たちの方へ向けて詠唱を始めた。
『紅焔よ。暗澹より顕現し……』
先輩たちの顔が引きつる。
「おまっ!? それは最高位の!?」
「こんなところで、そんな魔法を!?」
「落ち着け! こんな低位貴族に使える魔法じゃない!」
その言葉にフッと口角があがる。
(貴族の爵位を実力と勘違いしている連中か)
模擬戦の時に冷めていた心がますます冷えていく。
たいした実力もないのに、爵位を己の力と勘違いした愚か者。騎士学校では、そういう連中から自尊心を折られ、退学していくのだが……
(裏から手をまわして、ろくに出席せず卒業だけしたか? そういえば、今も顔は出さないが名前だけ在籍しているヤツがいるな)
妙なところで納得しながら詠唱を続けていく。
『紅蓮の熱を我が腕に……』
ドンッ!
突如、背中に衝撃を受けて振り返る。
「なっ」
そこには、箱を持った青年が尻もちをついていた。
「ご、ごめん! 考え事をしていて……」
ふわふわとした亜麻色の髪が目に入り、柔らかく暖かな声が耳に触れる。
朝の挨拶から寝る前の挨拶まで、毎日聞いているのに聞き飽きない声。むしろ、ずっと聞いていたいほどの……と、ここで意識が現実に戻る。
「しまった!」
ヒラヒラと舞っていた雷炎の魔法陣が描かれた紙が地面スレスレの位置にまで落ちている。
予定なら詠唱を終え、魔法陣の紙ごと先輩たちを魔法で焼き尽くしていたのに。
(魔法陣が発動する!)
オレは背中にぶつかった青年を爆発から庇うように抱きしめた。
そこに落ち着いた声が詠唱を奏でる。
『過ぎし力よ、深淵に零落せよ』
魔法陣が描かれた紙が床につく直前で透明な球体に包まれ、パンッと弾けた。
「え?」
あれだけの強力な魔法陣が他に影響を出すことなく一瞬で消えたことに驚愕する。
視線をずらせば、唖然とした顔で目を瞬いている卒業生たち。
そして、魔法を詠唱して爆発を未然に防いだ当の本人は……
「背中は大丈夫? 思いっきりぶつかちゃったけど、怪我はない?」
腕の中から見上げる大きな翡翠の瞳。
整った可愛らしい顔にオレより少しだけ低い背。鍛えられた体は華奢ではないが、猫のようにしなやかな筋肉がついている。
ヴェール・ダクテュリオス。
オレが騎士学校に入学してからの同室で、現在の悩みの種でもあった。