第239話 ◆森編集長
◇◆◇ 9月28日 16:45 ◆◇◆
「あ? 何だよ? 佐々木の奴、どこに行ったんだ?」
ご機嫌な様子で自席に戻った【週刊仰天】編集長【森雅也】。
すぐさまいなくなったカメラマン【佐々木達男】に連絡をとろうと、自身のスマホを探す森。
「ん? あれ?」
しかし、森の懐にスマホがなかった。
「あれ? 落としたか? ……いや、トイレに行く時は持ってたはず。なら……トイレ?」
再び席を立ち、トイレまでの順路で自分のスマホを探す森。
すると、店の奥、襖越しの座敷から話し声が聞こえた。
「カカカカッ!」
「ほっほっほっほ」
「えー、ちょーうけるんですけどー」
若い男の笑い声、年配の男の笑い声、そして若い女の甲高い声。
最初は気にも留めなかった森だったが、若い男の言葉を聞き、足を止める。
「ホントだぜ! 近々KWNが動くって噂があんだよ!」
「ホントじゃホント、なっつんにだけ特別じゃ!」
「えー、やばー。だとしたら週刊仰天やばくなーい?」
【KWN】、そして【週刊仰天】という名が聞こえ、森の足が止まらないはずがなかった。
「そのとーり、KWN社長の愛娘をすっぱ抜いちゃ、【東隠社】もタダじゃすまねーだろーぜ?」
「でもー、KWNがそんな危ない事するかなー?」
「ほっほっほ! そりゃ無理じゃのう」
それを聞き、森はホッと息を漏らす。
「でしょー?」
「川奈宗頼が【東隠社】の取引企業に圧力でもかけたら、それこそ一大事。KWNの信頼は地に落ちる」
「だろーな」
「じゃー、だいじょーぶじゃないのー?」
「じゃがの? 川奈宗頼が圧力を掛けるまでもないのじゃ」
「えー? それってどういう事ー?」
森は自分のスマホを探す事をやめ、ただただ聞き耳を立てる。
「カカカッ! この噂に決まってんだろーが」
「この噂?」
「俺様たちみたいな一般人にまで、こんな話が届いてんだぜ? 【東隠社】との取引企業の社員、役員にも、KWNの社長がブチギレてるって噂は広まってんに決まってんだろ?」
「あー、確かにー!」
「ほっほっほ、日本人は察する能力に長けた民族。この噂を耳にすれば、川奈宗頼が圧力を掛けるまでもない。勝手に取引企業が【東隠社】から手を引く。ま、忖度というやつじゃ」
「すごーい! 噂だけでそんな事になるんだねー!」
「【週刊仰天】が取引してる印刷所……いや、【東隠社】が取引してる印刷所、校正会社は手を引くだろーな。当然、その後は別の依頼先なんて見つかるはずもねー」
「あ、海外企業ならどうかなー?」
「ほっほっほ、そりゃ無理じゃのう」
「えー、どうしてー?」
「海外企業なら、確かに何とかなるかもしれん。しかし、【東隠社】はすぐにトカゲのしっぽ切りに走るだろうからのう」
その言葉を聞き、森は目を見開き、動悸が激しくなる。
「トカゲのしっぽ切りー?」
「【東隠社】は、やがて海外企業への依頼も進められるやもしれん。しかし、その時にはもう【週刊仰天】の編集者たちは全員首が挿げ替えられてるじゃろう。【週刊仰天】を再出発させようにも、新しい編集者は皆ピカピカの一年生という訳じゃ」
「あはははは、【週刊仰天】の編集長とかサイアクじゃーん!」
「お、知り合いに聞いたけどよ、あそこの編集長、最近新築の家建てたばっかだってよ」
「えー、ローンとか大変そー」
「これから無職になるのにのう……哀れじゃのう」
「カカカカッ!」
「あはははっ!」
「ほっほっほっほ!」
そんな3人の笑い声を背に、呼吸を荒くする森編集長。
「ひゅー……ひゅー……」
最早、スマホを探す事など、完全に忘れている様子。
(だ、だだだ大丈夫……【東隠社】はそんなにヤワじゃない。これまでも多くの修羅場を超えて来た。KWNだって相手にしてきたじゃないか! 大丈夫、大丈夫……!)
「何せ、あの川奈ららを無断で写しちまったんだからな!」
「それってアレでしょー? えーっと――」
「龍の逆鱗に触れた……というやつじゃな?」
「そうそうそれー! 流石山じー!」
(大丈夫……大丈夫……? だ、だって上もOK出したんだし……大丈夫……だよな……?)
「そういや……話は変わっけどよ?」
「なーにー?」
「最近、二子玉川あたりで地盤沈下がすげーんだってよ」
「あははは! 本当に関係ない話じゃーん!」
「地盤沈下怖いのう……突然だって聞くしのう」
「いや、本当にやべーんだって! 知り合いの家が沈んだって聞いてよ、流石にブルっちまったぜ!」
森編集長はそんなどうでもいい話を背に、そそくさと自席へと戻る。
戻ると、そこには何故か自分のスマホが置かれていた。
「……店員が持って来たのか? それとも見落としただけか?」
そう呟くも、森もまた佐々木と同じように自身のバッグを抱えた。
「今日はもう帰って休もう……」
スマホをバッグにしまい、会計を済ませ、帰路につく。
道中、心休まる事はなく、緊張しながらも……最寄り駅【二子玉川】に着く。
やっとの思いで買った新築一戸建て。
不安に陥りながらも、震えながらも、やっとの思いで帰った我が家。
森は、仕事道具の詰まったバッグを落とし、我が家を見下ろす。
「………………へ?」
周囲の家は、何故か取り壊され、我が家が傾き埋まる穴の四隅には、とんでもない衝撃が加えられたであろう衝撃の痕跡――人の足跡のようなものが見受けられる。
足跡は公道にあり、私有地に足を踏み入れた様子はない。
森の背後を通る、一人の美少女。
美少女は、大盾を背にスマホを耳に当てる。
「あ、お父さん? うん、皆、あのアタッシュケースを渡したら、喜んで立ち退いてくれたよー。そう、残ったのは新築の家だけだったよ。うん、それじゃあ後でねー」
大地と共に沈下している我が家を前に、森は膝を落とし、肩を落とし、ただただ新築一戸建てを見下ろす。
「へ……へへへ……へぁ?」
直後、鳴り響くスマホの着信音。
膝を落とした時に、森のスマホは地面に落ちた。
森の視界にはスマホの表示。
そこには【東隠社】社長の文字。
何度も、何度も鳴り響くスマホを、森はとる事が出来ず、ただただ自身のしでかした行いを悔いていたのだった。




