第232話 あの人とあの件2
激しい動悸に見舞われているのか、月見里さんは胸を押さえ、眉間を押さえ、大きく深呼吸してから俺に言った。
「そ、それにしても26530円って……高くない?」
「そう言われるだろうと思って、内訳書いておきました。封筒の内面をご確認ください」
月見里さんは、恐る恐ると封筒のA4用紙を開く。
「ビール350ml……500円? たっか!? 3本も開けてる!? チューハイも!?」
「俺はその水出しコーヒーの方が高いと思いますけどね。このコーヒーもですけど」
当然、このコーヒーの価格が相応だという事もわかっている。
原価や店内の雰囲気、接客レベル、色んなところに見られる工夫、何より技術力に対し、この価格は当然なのだろう。
しかし、今の月見里さんにはこう言った方がいいだろう。
「何この『おもちゃ』4000円って!?」
「言いたくありません」
何故なら……、
「えと……み、水出しコーヒーって……1700円!? たっか!」
メニューを見直しているからだ。
「ふ、振込みでもよかったんじゃ……」
「ToKWの中に証拠を残したくなかったもので」
「ぐ……た、確かにそうね……!?」
「今日」
「はひ!?」
「給料日ですよね?」
俺は確認するように聞くと、月見里さんは俺から目を逸らした。
「お釣りなら用意してきてます」
「ちょ、ちょっと額が大きすぎて……手持ちがないなーって……うん」
「わかります。万単位のお金なんて持ち歩きたくないですよね」
「うん……うん、そうね」
「それじゃあコーヒー飲み終わったら一緒に行きましょうか」
「へっ? ど、どこに……?」
「ATMに決まってるじゃないですか」
「ひぁ!?」
この反応……とても怪しい。
「まさか、給料日なのにお金がないなんて言わないでしょうね?」
「い、言わないけど……今あるお金がなくなると……その……生活が出来なくなるっていうか……?」
やはりか。月見里さんの性格を考えれば当然と言えば当然である。
「じゃあ……もう1ヶ月待っても構いません」
「ホントッ!?」
嬉しそうに肉薄する月見里さん。
「ですが、条件が二つ」
「な、何よ……?」
そう言って身体を守るように後退する月見里さん。
一体どういう目で俺を見てるんだろう、この人は。
「まず、ここの支払いは、勿論月見里さんですよね?」
「へっ!? こ、ここ!?」
「コーヒー1300円と水出しコーヒー1700円……しめて3000円。お支払いお願いします」
「ど、どうして……」
「俺はお金を受け取りに交通費出して来てますから。その分の請求がないのは月見里さんにとって良い事なのでは?」
「くぅ……し、仕方ないわね! じゃあもう一つは何よ?」
「これを書いてください」
そう言って、俺は一枚の紙を月見里さんの前に差し出した。
「しゃ……しゃ……借用書ぉ……!?」
ぷるぷる震える手で借用書を見る月見里さん。
「な、なななななんでこんなものを……!?」
「その領収書」
「へ?」
「早く破って燃やしたいんですよ。理由は……勿論わかりますよね?」
「くっ……同意しか出来ない……!」
あの領収書の代わりに借用書を持つ。
それだけで俺の心の安寧を手に入れられるのだ。
当然、それは月見里さんも同じだろう。
領収書が命に見つかれば、色々追及されるが、借用書なら用途はどうとでも言える。
心苦しいが、そうならないためには命に見つかる訳にはいかない。
「何してるの、お兄ちゃん?」
「ひょ?」
一瞬、世界が止まった気がした。
しかし、世界は動いている。俺の心臓も一気に動き出し、鼓動を早めた。
「み……命……?」
たった今、見つかる訳にはいかないって決意したばかりなのに?
もう見つかった? 何故? 馬鹿な?
何だ、その不審者みたいな恰好は……?
「……あ、あっれー、命ちゃんじゃん?」
「お久しぶりです、月見里さん。北海道以来ですね」
そう言って、命は月見里さんの隣に座った。
月見里さんは咄嗟に領収書を隠したものの、借用書にまでは手が回らなかった。
「これ、何だ?」
そう言って借用書を手に取ったのは……我がクランの事務員さん。
「し、四条さんまで……?」
首から上が、命と同じ恰好なのは何故だ?
いや、俺も同じだけど。
「伊達さん、ちょっと詰めてください」
川奈さんまでいる!?
俺は四条さん、川奈さんに席を詰められ、窓側に肩を寄せる。というか、寄せるはめになってしまった。
「借用書……26530円? 何だよ月見里。きゅーめーにお金借りたのか?」
「えっ? う、うん……実はそうなのよ……はは」
「伊達さんが人にお金を貸すとは思えないんですけど?」
流石、川奈さん……俺の性格をよく知っている。
「借りる側にはもうならないだろうけど、お兄ちゃんがそこまでしたって事は……何かあるわね?」
流石、伊達家の守護神である。
俺の思考さえ読んでいるような錯覚を覚える程だ。
「ちょ、ちょっと今月使い過ぎちゃって……今お金持ってそうな知り合いっていったら伊達しかいないでしょ? だからお願いしたのよ、うん」
月見里さんの口が回る回る。
がしかし、月見里さんの口が回れば回る程、命、川奈さん、四条さんの視線が俺に向く。じっとりと。
「お金ない人はこの店には入らないでしょ。勿論、お兄ちゃんがこの店を指定するなんて事もないだろうし」
「きゅーめーは、そもそもこの店自体知らなかっただろ」
「伊達さんが1300円のコーヒー飲んでくれて、私嬉しいですぅ……」
一人感極まってる人がいるのは気のせいだろうか。
……がしかし、この3人相手に俺と月見里さんだけでは……分が悪すぎる。
「お兄ちゃん?」
「きゅーめー?」
「伊達さん?」
帰りたい。今すぐに。




