朝からの情景
(またか…)
うんざりしたようにチラリと下を見る。マンションの入り口には、三人の女子高生が楽しそうに話していた。
(まったく、毎朝、毎朝、ごくろうな事だ)
そう思いながらエレベーターホールに向かい、ボタンを押す。
エレベーターに乗り、下に降りると
「あ、佑斗君だわ」
エレベーターのドアが開くのと同時に甲高い声がした。
「おはよう佑斗君」
三人が、同時に言う。
「おはよう」
呟くように言うと、三人の内の一人、ポニーテールをした少女が
「さっき、お姉さんが出て行くのを見たから、どうしたのかと思ったわ。喧嘩したの?」
嬉しそうに聞いてくる。この少女は、道下真希と言う。この真希を含めて三人、ショートボブの少女・森本綾女、それとセミロングの少女・鳥居沙耶加は、佑斗の熱烈なファンクラブの三人なのだ。
「別に」
ぶっきらぼうに答えると
「ええ~!でも、毎朝一緒に登校してるでしょ?」
そう聞いてきたのは、沙耶加だ。
「喧嘩してないよ」
佑斗が答えてから歩き出す。三人は引っ付くように付いてきている。真希が、佑斗の持っているカワイイ巾着に気づいて
「それ何?」
と、聞いてくる。佑斗は、うんざりしながらも
「梨花の弁当」
そう答える。
「え?何で佑斗君が、お姉さんのお弁当持っているの?」
綾女が聞いた。
「別にいいだろ?」
ぶっきらぼうに答えると
「でもぉ、気になるじゃない」
真希が言った後
「「「ねえー」」」
三人で息を合わせたかのように言う。
「…忘れて行っただけだよ。」
佑斗が諦めて答えると
「じゃあ、佑斗君が届けるの?」
沙耶加が聞いてきたので
「そうだよ」
佑斗が答えると
「「「なんでー?」」」
これまた、三人で息が合ったかのように言う。
「お前らに関係ないだろ?」
佑斗は、そう言うが
「関係あるよ!佑斗君の事だもん」
頬をぷくっと膨らませて、真希が言う。
佑斗は、ふうっとため息をつくが、前方に友人の姿を発見して
「康太ぁ」
と、叫びながら彼に近づく。
「おう、佑斗か。おはよ」
振り向き様に、親友・塚田康太が言うと
「おはよ」
真希達三人とは、打って変わり愛想がいい。
「いつもの三人も一緒か」
彼らの後方、十メートルぐらいには三人が不機嫌そうに康太を睨んでいる。
「ああ、ご苦労な事だ」
「お前、人事みたいだな。少しは、自分を好きになってくれている彼女達に感謝したらどうだよ」
「はあ?」
「モテない俺等から見れば、羨ましいぞ」
佑斗は、呆れた表情になるが
「欲しかったらやるぞ。」
うんざりしたように言う。
「お前はぁ」
と、言いながら佑斗の肩に手を置いて
「お前さ、好きな女いるの?」
真面目な顔で聞いてくる。
「いない」
佑斗が、あっさりと答える。
「おいおい、それが健全な少年の言うことかぁ」
康太が言うが
「別にいいだろ。そんな事」
少しムッとしたように佑斗が言う。その時、康太は佑斗の持っている巾着に気づき
「おい、それ…」
そう言うと、佑斗は巾着を見ながら
「ああ、梨花の弁当」
「梨花さんの?」
食いつくように康太は、巾着を取り
「お、俺、持って行こうか」
「いいよ」
佑斗は、パッと取り返す。
「でも、後ろの連中黙ってねえぞ」
チラリと後ろを見る。
「別に関係ないし」
康太は、ため息をついて
「女は怖いぞ。学校中の女子生徒の半分が、お前のファンなんだからよ。そのジェラシーの向く先に、いつもいる梨花さんの身になれよ。嫌がらせされた事もあっただろ?」
康太が言うと、佑斗は少し神妙な顔になる。
「でもさぁ」
康太は、上を向いて
「あの時、お前言ったよな『梨花に何かあったら許さない』って。あの時、俺さ、ちょっと思ったんだ」
「何て?」
「佑斗は、梨花さんが好きなんじゃないかってさ」
声を小さくして康太が言うと、佑斗はドキッとした。しかし、
「…梨花とは姉弟だよ」
ボソリと呟く。佑斗にとって、これは現実なのだ。
いくら、想っても…
「そうだよな。いくら、血が繋がっていないからって、そんな事ないよな。」
そう言ってから
「さ、学校着いたぞ。後ろの連中、うるさいから早く、撒いていこうぜ」
二人は顔を見合わせてから、ダッシュで校内に走り抜けて行った。
「あ、待ってよ」
そう言う三人組を残して
その一方、先に学校に着いていた梨花は、日直の仕事である。黒板を綺麗にするという作業に没頭していた。
しかし、その手がピタリと止まる。
パッと後ろを振り向くと、男子生徒が立っていた。
「おはよう、梨花。」
「おはよう…田中」
梨花が、引きつりながら笑う。
田中と呼ばれた少年…田中竜一は
「やだなぁ、恋人の僕に苗字だなんて」
と、笑いながら言う
「いつ、私が、あなたとお付き合いしたの?」
うんざりとしながら聞くと
「生まれる前から」
「はあ?」
梨花の体に悪寒が走る。
「何を寝ぼけた事、言ってんだか。そんな事言う暇あったら、受験勉強したら?」
「梨花と一緒にするよ。」
そう言って梨花に迫ってくるが、
「私は嫌」
そう言ってから、黒板消しを持って教室を出て行こうとするが、
「待ってくれよ」
と、ずうずうしくも梨花の肩に手を置く。その時
「先輩、朝から何やってんですか?」
教室の入り口の方から声がする。二人が声の方を向くと佑斗が巾着を持って立っている。
「佑斗…」
佑斗の登場に驚いている梨花だが、竜一の方は
「おいおい、弟よ。ここは三年の校舎だぞ。二年生は、帰りたまえ」
敵意剥き出しで佑斗に言うが、梨花は無視して
「佑斗、どうしてここにいるの?」
不思議そうに言うと、佑斗はため息をついて
「弁当、忘れて行っただろ?」
と言って巾着をヒラヒラさせる。
「あ…」
そう言って手を口にやる。
「まったく、ドジなんだからさ」
憎まれ口を叩く佑斗に
「うるさいわね」
そう言って巾着を、ひったくる。
「『あ・り・が・と・う』は?」
佑斗が言うと、梨花はムスっとしながら
「ありがとうございます!」
≪す≫を思いっきり強調する。佑斗は、またため息をついて
「ほれ」
と、手を差し出す。
「え?」
目を丸くしている梨花に
「黒板消しだよ。制服、汚れるだろ?持ってやるよ」
「え?でも…」
「どうせ、帰り道だし」
そう言って梨花の手から黒板消しをひったくる。
「早く、巾着置いて来いよ」
「うん、分かった」
そう言ってから、梨花は自分の机に巾着をかけてから、佑斗に駆け寄る。
二人が教室から去ると
「おいおい、俺、ムシかい」
竜一が呟いた。
佑斗と並んで歩くと、必ずと言っていい程注目される。
(恥ずかしいな)
内心、梨花は思うのだが、悪い気分ではない。
「あれから、嫌がらせあるの?」
佑斗が唐突に聞いてくる。
「え?」
梨花が驚いていると
「嫌がらせだよ」
梨花は、首を横に振り
「佑斗のお陰で無くなったよ。でも、佑斗のせいであんな事になったんだけどね」
そう言いながら梨花は、一年ぐらい前の事を思い出す。
高等部に入学したての頃、イケメンの佑斗は女子生徒から注目されていた。そして、血の繋がらない姉である梨花には、嫉妬と羨望の眼差しが注がれていた。
しかし、佑斗の熱烈な女子生徒の一部が、嫉妬の矢を梨花に向けるようになった。靴に画鋲や机に落書きするなど。
ある日、梨花が校庭に出ようとしていると、
「危ない!」
男子生徒の声と同時に梨花が上を見ると、梨花に向かって植木蜂が落下しているのが見えたが、梨花が固まって動けないでいると
「梨花!」
声と同時に佑斗が梨花を庇って倒れる。
「きゃああ、佑斗君」
上の方から女子生徒の声もしたが、梨花の耳には何が起こったのか分かってない。
梨花の心臓は、どくんっ!、どくんっ!音が聞こえる程、高鳴っていたのだ。
植木鉢が落ちてきた恐怖と、初めて感じる佑斗の重みと温もりに
「ゆ、ゆう…と」
梨花が掠れた声で言うと、佑斗がハッとして起きあがり
「梨花、大丈夫か?」
と、手を差し伸べる。震える手で佑斗の手を取るが、うまく立ちあがる事が出来ない。
梨花の頭の中は、今起こった事で混乱していた。
佑斗は、辛そうに梨花を見てから、ぎゅっと抱きしめて
「もう、大丈夫だから」
と、梨花に囁く。そして、険しい表情で上を見て
「誰がやったかは知らないが」
キッと上を睨み
「梨花に何かあったら、許さないからな!」
その日から、梨花の周りで嫌がらせは無くなった。