A/5
手のひらに吸い付くような、全てを覆いつくさんばかりの猛低反発。
そして、脳みそが駄目になってしまうのではないかというほどの甘ったるい香りが、鼻腔を直撃した。
全身の力が頭のてっぺんからするり、するりと抜けていく感覚が、確かにあった。
「ああ、夢なら覚めないでくれ」
そんなうわ言が口を開けば出てしまう。
「暁、おい! しっかりしろ!」
「暁が! 暁がダメになっちゃった……!」
A棟の人間がB棟の廊下で突然、阿鼻叫喚の修羅場を見せるなど、誰も予想できるはずがない。その場にいた人間、はたまた一年五組の教室にいた生徒さえも、何事だと廊下に顔を出してくる事態になってしまった。
「なつき、とりあえずこいつを志村から引き剥がすぞ!」
辺りが騒然とする中、どこかすごく遠くで、弥一がそんなことを言ったのを、暁は聞いたような気がした。
志村? 志村って、志村エマだよな。何を馬鹿なことを。エマは僕が今から探しに行くって言ったばかりじゃないか……。
しかし、と暁は考える。この状況はなんだ。
集合を掛けるようにと幸に言われたのを、何故かなつきと弥一だけに知らせ、別のクラスのエマにはそれを忘れてしまうという失態。どうにかこの汚名を返上しようと走り出そうとした矢先にこれは起こった。何が?
……そうだ、僕は何かにぶつかったんだ。
暁の思考は、緩やかに外界から帰ってこようとしていた。
何か……それはとても柔らかくて、それでいて良い匂いで……ああ、できることならば、いっそのこと永遠にこれに埋まっていたい……違う。それでは堂々巡りじゃないか。
ここで暁は、後ろ髪を力士か何かに引かれるような思いで、この楽園からの決別を決心した。
――と、思ったより先に、それは強制的に実行された。
「うわっ!」
両脇に手を入れられ、そのまま思い切り引っ張られたのだ。
結果、暁は尻もちをつく形になってしまう。
「いっててて……」
これでようやく、正気に戻ることができたのだった。
情けなく尻をさすりながら、暁は前方に立つ人影をゆっくりと見上げた。
そこには。
「……満足、した?」
少しばかり頬を紅潮させ、しかしながらその声にはいまいち抑揚のないダイナマイトボディが、仁王像よろしく突っ立っていたのだった。
「エ……エマ!」
鳩が豆鉄砲を喰らった顔とはこのことを言うのだろうな、とこの場に居合わせていた誰もが思ったに違いない。
「良かった……ちょうど探しに行こうと……あだっ!」
尻の次は頭。次から次へと襲う突然の痛みに、暁の脳みそが追い付かない。
「その前に言うことがあんだろうが、言うことがよ」
わなわなと拳を震わせながら、弥一は声を絞り出す。
「言うこと……?」
「そ、そうだよ! おっぱい触ってごめんなさいってしなきゃ!」
「………………おっぱ……って、えええ!?」
「ありゃあもう触ったとかそういうレベルを通り越して、愛撫の領域だったぞ」
呆れる弥一と、本気で慌てるなつきから、即座に首を百八十度回転。暁はエマに視線を向けた。エマというよりは、彼女の首から下なのだが。
――ボーリング玉くらいはあろうか、エマの胸部に〝なって〟いる二つの果実は、彼女の呼吸に合わせて弾力のある上下運動を繰り返していた。
「僕は……それを?」
暁の問いに、エマは機械的にこくりと頷く。
「い、いやいやいや! 僕が言うのもなんだけど、なんで止めさせなかったんだよ! 下手したら警察に厄介になるところだったからね!?」
「この子たちも、喜んでると思うから」
「……へ?」
エマのこの脈絡のない言葉にはさすがの弥一も面食らったらしく、ぽかんと口を開けてしまっていた。
「それは一体どういう……」
「撫でられるのは、誰でも嬉しい。だからこの子たちも喜んでた」
「この子たちっていうのは、エマのその……」
「そう。おっぱい」
よしよし、と自分の胸を撫でながら、エマはそんなことを言う。
瞬間、ぶっ! と吹き出す男二人。
「ペットか何かかよ……」
「……?」
強烈な精神的ダメージを喰らい、膝から崩れ落ちる二人をよそに、当の彼女はきょとんと首を傾げるのだった。
志村エマ。体の発達が違うところに偏り過ぎた、イギリス人のハーフが、彼女の名前である。
何はともあれ、これで部活のメンバーは無事揃ったのだった。
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