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A/2

 暁が幸と呼ぶこの女の子は、暁とは二つ年の離れた親しい近所のお姉ちゃん、要は幼馴染である。


 本名、三浦幸。腰辺りまで伸びる(つや)やかな黒髪は見る者すべてを惹きつける美しさを放ち、ぱっちり二重の元気な眼差しと柔らかな表情は、それだけで面倒見の良さを感じることができる。現に彼女の周りから人が絶えることはなく、常に誰かしらと楽しくおしゃべりをしているという印象が暁にはあった。


 そんな二人が知り合ったのは暁が小学校に上がる前から。


 登校はもちろんのこと、時間が合う時は下校までも二人で帰るほどの仲の良さである。


 始めこそ暁は喜んで幸お姉ちゃんについていっていたものの、中学校に上がった辺りから思春期をこじらせた暁にとってはただの恥ずかしいことになってしまい、現在では半強制的に幸にさらわれている、という状況である。


「ほら幸! もっと走れよ!」


「はひっ……ま、待ってよぉ……!」


 暁が二つ年上の幸をぞんざいに扱うのも、九年超のご近所付き合いが成した必然だった。


「幸が玄関でくだらないことやってたせいで遅刻寸前じゃんか!」


「それは暁がおはようしなかったからでしょう!」


「それはまあ……そうだけど、あんな面倒なことになるとは思わなかったんだよ!」


 暁は言いながら、先ほど玄関で見た幸の濡れた人差し指を思い出してしまった。


「あんな?」


「……とにかく! 次はちゃんと言うから! 今はとにかく走ってくれ!」




「はぁ……はぁ……やっと遅れを取り戻せた……」


 二人は十分ほど走り続け、なんとか遅刻しない時間までその遅れを取り戻すことに成功した。


「はぁ……あ~、なんで朝から汗かかなくちゃいけないのさぁ」


「それはこっちのセリフだから……」


 文句を言いながらも二人の足は止まることなく、今度はゆっくりと学校を目指す。


 七月に入り、ようやく関東地方の梅雨明け宣言が発表されると、次に待つのは夏という季節。先週までの陰鬱な空模様はどこ吹く風といった具合に、青空はもくもくと入道雲をこしらえていた。


「今日の最高気温って何度だっけ?」


「待って。見てみるね」


 そう言うと幸はカバンから携帯電話を取り出し、本日の天気をチェックした。


「げ、三十度だって。そりゃ暑いわけだよ、もう」


 ちらほらと通り過ぎる車からの風で、なんとか汗を引かせるしかなかった。


「七月に入ってもうこんなに暑いなんて、来月には人類は滅んでいるんじゃないの」


 ふう、とブラウスのボタンを二つほど外し、ばさばさと仰ぎながら幸は悩ましげに言った。


 知ってか知らずか、そんな幸の胸元は大きく開き、暁にそのふくよかな胸元をちらつかせるのだった。


「……幸、もう学校近いんだから、ボタン留めなよ」


「え……わわ、ごめんごめん」


「幸はそういうとこ気にしなさすぎるんだよ。人気者なら尚更だ」


「――ふうん、心配してくれるの?」


「そういうわけじゃない。曲がりなりにも幼馴染として、その辺の節度はわきまえるべきだと言ってるんだ」


「何よ大人ぶっっちゃって~。また昔みたいに私のことを『さっちゃん』って呼んでもいいんだぞ?」


「ぐ……そんな昔の話、覚えてないからっ!」


 幸は顔を赤くする暁を見て小さく吹き出すと、


「ま、幼馴染の駄弁りはこれくらいにしておいて――」


 少しだけ声のトーンを下げながら、こう続ける。


「昨日も〝見た〟の?」


 暁は不思議と、毎度この声音に背筋がぴんと反応してしまい、悔しさを滲ませる。


 見た。端から聞けばこの言葉はあらゆるシチュエーションを考えることができる。

 

 ――昨日のドラマ見た?


 ――近所で火事があったみたいだけど、ニュース見た?


 ――公園でカップルがキスしてるの見たんだけど、暁も見た?

 

 ……しかし、この二人の間において〝見た〟とは、少なくとも人間の視覚から得られるものではなかった。


 つまり、『夢』を見たかどうか、である。


 高校に入学してから一か月ほどが経った頃、彼の体にその異変は起きた。夢を見るようになったのだ。


「……ああ、見たよ」


 しかしながら、夢なんていうものは誰しもが見るものである。では、なぜ幸は暁に対しこのようなことを訊いてくるのか。暁がその話を幸にして以来、なぜ毎日のように夢を見たのかを訊いてくるのか。


「どうだった!? 昨日の私はどうだった!?」


 一つは単に気になるから。見に行きたい映画の感想を、ネタバレにならない程度に教えてほしい。そんな感じ。


 一分前の真剣な眼差しはどこへやら、幸の瞳は一段と輝きを増していた。


「いつも通りクールだったよ。始めにどこに敵が現れるかを無線で一言伝えて、僕が司令部に戻るまで音沙汰なし」


「おー! さすが私、かっくいい!」


 もう一つは、暁の夢には連続性があったということ。


 夢というものは一夜限りというのが一般的だ。その日に見た夢の続きが、次の日にまた再開するなんていうことはほぼあり得ない。全く脈絡の無い夢を見るものである。


 だが、暁は違った。見るのだ。それこそ毎日。


「なんで幸なんかが僕の上司なのかは常に腑に落ちないけど」


「クールな女上司、最高じゃない! きっとそれが私の本質なんだよ!」


「はいはい、それじゃ学校着いたから」


 気づけば二人は校門前にまで歩いてきていた。八時二十分、見事な滑り込みである。


「ああ~、もっと聞きたかったのにぃ」


 幸は歯痒そうに地団駄を踏んだ。


「別にいいでしょ。どうせ今日もあるんでしょ? 部活」


「当たり前よ! 梅雨も明けたことだし、今日は一通りおさらいをします!」


「ええ……めんどくさ」


「そのために作った同好会だもの、とことんやるに決まってるわ」


「ったく、わかったよ」


「んじゃ、なつきとエマ、それと弥一(やいち)にも言っといてね――お、藍ちゃん、おはよー!」


 幸はそう言うと、校門前を通りかかったクラスメイトらしき女子生徒の方に行ってしまい、暁は一人になった。


「調子良いなあ……」


 気を取り直して、暁も歩を進めることにする。


 とにかく日差しが強かった。今は学校に通うというよりも、ひんやりとした校舎内に避難をしたいという気持ちの方が強い。


 七月六日、八時二十三分。今にも予鈴が鳴ろうかという光城(こうじょう)高校の正面玄関前は、いつものように閑散としていた。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

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