恋のトライアングル~シュガーベイビーラブみたいな恋
1.「出会いの始まり」
ネオンの光る都会の夜の街、ここはとある夜のBAR。
ひとりの美女が上機嫌で、カラオケを唄っていた。
サラリーマン風の男がこう言う。
「うるせーぞ。ねえちゃん。静かに歌えないのかね、まったく」
「何よ! 私のどこがうるさいのよ、あんたの方がうるさいわよ」
今日も何かといろいろあった。そう思ってお酒を飲むペースが進んでいた。
女の名前は、朝比奈美鈴、(あさひな みすず)うら若き乙女である。
そこへ彼女に近付く男達がいた。
「何、お嬢さん、一人? 俺達と一緒に飲もうよ」
「結構可愛い顔してんじゃん。ねえ、あっちで一緒に飲もうって。どうせ一人なんでしょ?」
「俺結構タイプかもー」
そこへ男がバーの隅で飲んでいたのだが、困っている美鈴を見て助けようとその複数人と美鈴の間に立った。
「あ? なんだ? お前、この子の彼氏?」
「いや? ここの客だよ。だけど、あまりしつこいのは嫌われるよ。その辺りでやめておきなよ」
そう言うと、男達は男に突っかかるようになる。
「お前には関係ないだろ」
「てめえは引っ込んでろよ」
「おとなしく飲んでろ!」
だが男は美鈴の前から退かない。まるで石のように動かずに美鈴を守ろうとしていた。
しかし、あまりに多勢に無勢……。
美鈴もハラハラとしながら様子を窺っていると、もう一人の背の高い男がやって来て、男たちの前に立った。
中々いないその眼力の凄さに男達は圧倒され、舌打ちをしてバーから去って行った。
二人はその男達がしっかりと店から去って行くのを見てから元の席に戻ろうとするが、美鈴はそんな二人を引き留めてこう言う。
「た、助かりました。ありがとうございます!」
美鈴はそう言って二人に頭を下げた。
なるほど、見てみればナンパした男達が出るのもわかるような可愛らしい顔立ちをしている。
そう二人は思った。
「当然のことをしたまでです」二人がそう言うと
その二人の様子を見て、美鈴は少し安心したのか、ほっとした笑みを浮かべた。
「あの、お礼にお二方と一緒に他のところに行きたいのですが、いかがでしょうか?」
二人は特にこの後用事もないからと、美鈴の提案に乗った。
だが、そもそも女性の誘いにそう簡単に乗ってしまっていいのだろうかと二人は少しばかり不安に思った。
もし、もう一人の方がストーカーとかになったらどうしようなどと、二人して思っていたが、お互いの顔を見るとその考えが筒抜けでわかってしまい、お互い困ったように笑って頭を下げ合った。
そして三人は奇跡的な出会いを迎え、今は別の店で三人一緒に席に着いて自己紹介をするところだ。
「えっと、まずはお二方にお礼を言わなければ、ですね。私は朝比奈美鈴と言います。お二方のお名前をお伺いしてもいいですか?」
「僕は時津優馬です」
「私は国見宗近です。優馬さんが頑張っていらしたのと、朝比奈さんが大変な目に遭いそうだったので、つい、ね」
「優馬さんと宗近さんですね。……わかりました。それでは早速、今日は助けていただいてありがとうございました本当に助かりました。今日の飲み代は私が払いますので、安心して飲んでくださいね」
「いやぁ、そんな悪いなぁ」
優馬がそう言うと、宗近も頷く。
それに男が奢られるというのもなんだか申し訳がない。
二人共どちらかというと古い考え方をしていて、割り勘ならまだわかるが、全額奢らせるというのはなるべくならばしたくなかったのだ。
だが、美鈴の意思は揺るがない。
「私、きっと助けられなかったら、怖い想いをしていたと思います。それを防いでくれたのですから、やはり少しだけでもお礼させてください。お願いします」
優馬と宗近は顔を見合わせて仕方ないと言った様子で笑ってこくりと頷いた。
「じゃあ、少しだけ飲ませてもらいます」
「私も少し飲もうかな。そんな大したことしていないのに申し訳ないね」
「いえいえ! では、生ビールからでいいですか? あと串焼きを十本セットを頼みますね」
そして美鈴は店員に注文をすると二人に向かって「本当にありがとうございました」と深々とお辞儀をした。
「いやいや、本当に俺達は何もしてないんで! ただ立ってただけですから」
「そうですよ。あまり気にしないでください」
「そんなことないです! 気にします! 私の今後の、未来を守ってくれて本当にありがとうございました」
そこへ生ビールが届き、美鈴は真剣な顔から一転して、明るい笑顔になる。
「まあ、とにかく今日は飲みましょう! お金は気にしなくていいですから。飲んで、食べてください。ではジョッキを持ってくださいね」
そして「乾杯!」の言葉と共に三人はジョッキを鳴らした。
カチーンと音がするともうそこは酒場のノリになる。
優馬も宗鑑も、少し笑みを浮かべながら、楽しそうに酒を飲み交わした。
メールアドレスも、メッセージアプリのアカウントも三人で共有した。
そして三人はこの不思議な出会いが、長く続くことをまだ予想も出来なかった。
「実は私、女優になるためにモデルのアルバイトしたりしてるんですよ。だからこういうスキャンダルになりそうなことは凄く怖いんです。だから、助けて貰って本当に嬉しかったです! ありがとうございます! 私、こんなに優しくされたの久しぶりです。お二人には、いくらお礼を言っても足りないくらいです」
「ああ、そういう理由もあったんだね」と優馬は納得したように頷いた。
宗近は「そうか」とだけ言って、ビールを一気に飲み干した。
「あ! ビールの一気飲みは危ないんですよ!」
美鈴がそう言うと、宗近は視線をちらりと美鈴に移す。
「ん? ああ、すまないすまない。つい癖でね。何せ私の世代は飲みニケーションだとかいろいろあった世代だからねぇ。つい昔の癖で一気飲みしてしまうんですよ」
宗近はそう言ってクツクツと笑った。
「ああ、わかります。僕も上司相手だと飲みニケーションがどうとかでよく付き合わせてもらってますので」
「ああ、私達の世代だね。……無理矢理付き合わされていないかい? 大丈夫か?」
「いえ、僕は大丈夫です。元々酒に強いし。そんなに苦じゃないですよ」
「まあまあ、えっと、自己紹介も済みましたし、いろいろとお話しながら飲み食いしましょうー!」
美鈴のそのひと言に、優馬も宗近も頷いてビールを飲みながらツマミを食べていた。
その中で、優馬の若さと正義感溢れる性格がわかり、宗近の落ち着いた頼りがいがある部分も見えてきた。
一方で美鈴の方はと言うと、楽天的で明るい美人であるという認識を優馬と宗鑑はしていた。
愚痴を話し合うのではない。普段の何気ない話をして、三人はそれぞれ楽しんでいた。
思えばいつからか、こうして語り合える友人もいなくなってしまった。
三人は何故かそのことが共通していて、それが余計空気を和ませる。
「俺はフリーターで、世界を旅するんだけれど、まだ夢とかやりたいことが見つからないんだ。久々に帰国して、偶然あなた達に会えてよかった。何かが見つかる前兆かもしれないな」
優馬はそう言って、嬉しそうに笑いながらこの飲み会が始まってから何度目かのレモンサワーを飲んだ。
「ふうん。そうなんだ。世界を旅してるんですね。それって結構大変じゃありませんか? でもかっこいいなぁ」
「私も出来ることならそういう旅をしてみたかったよ。旅の話を聞かせてくれ」
「俺の話でよければいくらでもお聞かせしますよー!」
優馬はそれから雄弁に語った。
今まで行った国々、そこでどう働いてきたのか、どう旅をしてきたのか。
危なかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、驚いたこと……。
そんなものを優馬は語った。
優馬は出来る限り楽しく、面白いように語って、話している自分も楽しんでいた。
それを美鈴と宗近が楽しそうに聞いている。
見てわかるように表情を明るくして美鈴は話を聞く。
そして宗近が少しばかり笑みを浮かべ、酒の肴を食べながらじっと聞く。
どうやら優馬という青年は語り出すと止まらないらしいということが、二人にはわかった。
だが、聞いていて苦ではない。
人に話を聞かせるのが上手なのだろう。不快感などはなかった。
「……と、まあ、こんな感じですね。お二人のお話をお伺いしても?」
優馬はやっと語るのを終えて、二人の話を聞こうと言う姿勢になった。
「あ、私は一番若年っぽいので、ぜひ宗近さんからお願いします!」
そう言って手をさっと宗近の方に向ける美鈴。
そうすると宗鑑は「ん? ああ、そうだなぁ。私に何か話せることがあったかな」と言って、仕事をしていることを明かした。
その仕事は一流ホテルのフロントだった。
だが、宗近は今の職場に辿り着くまでにしてきた仕事の数々や、今の仕事の新人時代の頃の失敗などを話した。
仕事の話をするのはあまり得意ではないが、宗近は思い出しながら話す。
そして話は最終的には戻って、今勤めているホテルの話になった。
「今勤めているのはホテルの……ということころでね、まあ、いろいろ経験させてもらったよ。それに居心地もいいからね。とは言っても、有休がどんどん溜まっていく一方だから、そろそろ有休消化しなくちゃなぁ……」
「ああ、あそこのホテルのフロントさんですか! 中々なれないって聞いたことがあります。凄いですね。宗近さん。それも有休が溜まりまくってるってどれだけ働いてるんですか! しっかり休んでくださいよー!」
「いや、そんなことないよ。私の時は今よりもう少し緩かったからね。なんとか潜り込ませてもらったよ。有休もしっかり消化しなければ今はうるさいからね。本当はしないくらいが丁度いいのだけれど」
「そんなご謙遜を! ねえ、優馬さんだって宗近さんのこと凄いと思いますよね!」
「うん。まあね。俺みたいなフリーターでも凄いと思うよ。いろいろとあるみたいだけれど、宗近さんは凄い頑張っていらっしゃるんだなって思いました。俺には真似出来ないなー」
「君達は、なんだか盛り上げ上手だね。私よりも人というものを知っていそうだ」
「いやいやいや」美鈴と優馬は首を横に振った。
「そんな謙遜しなくても良いじゃないですか。私達の世代にまであの頃雇った人達は格が違うって噂になってるくらいですよ」
美鈴がそう言って、宗近に目を配らせる。
宗近はくつくつと笑って、目を細めた。
「私はそんなに凄い人間でもないんだけどなぁ」
「いやいや、あの一流ホテルに勤めてるってだけでとんでもないことですよ」と優馬が言った。
「俺、実はあのホテル一回だけ就職活動で受けたことがあるんですよね」
「うん? そうだったのか。それは……その……」
宗近は珍しく動揺の色を見せた。
「ああ、気にしないでください。もう何年も昔の話ですし、それだけハイレベルって言いたかっただけですから」
「そうか。なんだか悪いなぁ。そういえば美鈴ちゃんは就職活動とかしたことあるのかい?」
「私ですか? 私は夢のためにモデルとして事務所の面接に行ったくらいですね……。皆さんのような就職活動とはちょっと違うかもしれません」
「それって、どんな感じなんですか?」
優馬がそう言うと、美鈴は「えっと、私の場合はスカウトじゃなくて自分から面接オーディションに行って、合格貰って、事務所所属ってなったので、スカウトさんよりずっと格下です」
「そんなことないよ、美鈴ちゃん。美鈴ちゃんはよくやってるよ」
「そうとも。そう自分を卑下することはない」
「そうでしょうか。でも私レベルの人なんていくらでもいますよ。自分で言っていて、少し悲しいですが……」
「そんなことはないよ。いくらだって美鈴ちゃんの活躍できる場があるじゃないか」
そう言って優馬が美鈴を励ます。
「そうでもないですよ……。一応、事務所が期待のホープなんて言って売り出してくれているんですが、そんなこと、私には全然なくて……。才能もないし、もう、辞めちゃおっかなーって、想うこともあります。でも夢が女優だから、今辞めるわけにもいかないんです。それだけは、絶対にしないと、想いたいです……」
美鈴はしっかりとした目で二人を捉えた。
「良い眼をしている。君なら大丈夫だ」
宗近はそう言って、日本酒を一杯飲み切った。
「優馬さん、宗近さん……。ありがとうございます」
「いえいえ、こんなのどうってことないですよ」
「そうだとも。優馬君の言う通りだ。あまり気にしなくていいからね」
「はい! あ、あの、お二人にお聞きしたいことが……」
「ん?」
「なんですか?」
「私が何か困ったことがあったら、電話しても、いいですか? もしくはメールでもいいんですが」
「ああ、そのくらいいいよ」
「私もそのくらいは大丈夫だ。美鈴ちゃんを応援したいからね」
「ありがとうございます!」
美鈴は嬉しそうにぺこりと頭を下げた。
二人はそれを見て穏やかな気持ちになったのだった。
2.{三人の再開}
それから少しして、美鈴が売れてきたのか、雑誌で美鈴が表紙を飾っているのを何度となく見かけるようになった。
その度に優馬と宗近の二人は読みもしない雑誌を買って、美鈴の写真が使われているところに付箋を貼ったり、ページの端を折ったりするのだった。
応援したい一心でのことだった。
モデルとして成功してきている。
これなら、女優にもすぐなれるだろう。
二人は安直にそう考えていた。
だが、美鈴はそんなことは考えられず、今ある仕事を熟すのに必死だった。
モデルというのも中々忙しい。
それに美鈴の場合は、モデルだけではなく、他にもアルバイトをしているのだ。
そうしなければ、撮影場所までの交通費などが出ないからだ。
だが、売れ始めると少しずつ、交通費を出してくれるところも増えてきたのだった。
美鈴はモデルの仕事をしていると、たまに虚無のようなものを感じることがある。
それは一体何でなのかはわからなかった。
ただ、自分もただの消耗品になってしまうのだろうかと思うと、そう感じやすかったのだ。
「美鈴ちゃん笑って笑って! そう! もっと歯を見せて! あー、いいね!」
カメラマンのその声に、美鈴は必死になって応える。
ポーズを変えて、表情を変えて、クールに、キュートに、綺麗に……・。
様々なポーズで、表情で作り出していく姿は、もうモデルと言うよりかは、女優だった。
それはそうだろう。
美鈴は女優の卵だ。
まだ生まれてもいないが、もうすぐ産まれようとしている。
そんな状態なのだから。
「美鈴ちゃん、もっとスマイル!」
その声に、美鈴は応えた。
あとどれだけの撮影を熟せば、女優になれるだろう。
早く、早く女優にならなくてはと焦りながら、楽しそうな「演技」をするのだった。
「お疲れ様でした! ありがとうございました!」
美鈴は仕事が終わるとそう言って現場を去った。
そして電車に揺られて自宅に帰る。
なんとなくだが、美鈴を見る人が多くなってきたような、美鈴自身はそんな気がした。
モデルの仕事はもう慣れた。
でも、女優としての仕事はまだない。
それが美鈴を焦らせる。
事務所には女優として働きたいという旨を既に伝えてある。
だから、もうそろそろ仕事が来ても良いんじゃないか……、そう思っていたのだ。
しかし、現実はそう甘くはないのだ。
一方で優馬はその日も日本中を飛び回っていた。
北海道から始まり、東京、そして静岡、名古屋と転々と回っていた。
今日はどこに行こうか。
そう考えると、優馬はわくわくした気持ちになる。
楽しい思い出をまた一つ、増やせるからだ。
旅は何も楽しいばかりじゃない。
時には外で寝泊まりすることもある。
だが、それでも優馬は旅をやめない。
転々として行く中で経験する、短期での仕事だって中々楽しいものだ。
それに自分の足で歩くことは、より旅の実感が持てる。
優馬は旅をしながら各地を転々とした。
それはとても楽しいものだった。
それに、今は雑誌でよく表紙を飾るようになった美鈴の姿をコンビニなどで見かけて、雑誌を買ってあの日は楽しかったと思い出すのだ。
こうして思い出に浸るのも、旅の醍醐味だろう。
それにしても、あの三人での飲み会は楽しかったなと思いながら、今日も仕事に精を出す。
テレビでも少しずつ、イメージモデルみたいに美鈴は出るようになっていった。
だから、日本の各地を歩いていても、一人でいるという気にはならない。
三人で集まった飲み会のあの時の気分を味わえるからだ。
何故だかわからないがあの時の飲み会のことが忘れられずにいる。
それはきっと久々に人と人とのコミュニケーションを取れたことからだろうと優馬は思った。
コミュニケーションと言えば短期で働くにしても必要だが、必要以上には関われないものだ。
だからあの時のような温かな空気で飲みに行く、ということもあまりないのだ。
友人らしい友人も、皆都会の方に行ってしまって、旅の途中に寄ることも出来ない。
ただ、近況などはSNSを通してわかっているから、完全な一人ぼっちということでもないのだ。
だから、寂しくない。
そう自分に言い聞かせ、優馬は次の場所へと歩いていく。
あれから何日か経ったが、未だに自分は何をすればいいのか全く見当がつかなかった。
あの時激励をしてくれた二人に申し訳がないと思いつつも、なんだか仕方がないようなそんな気さえした。
たった数時間、一緒に居ただけの絆なのに、ずっと一緒に居た昔からの友人のように感じている。
こんなこと、今までなかったのに……と、優馬は不思議に思っていた。
だが、この優馬の不思議な感覚は、その後にも続くことになる。
そして宗近は一流ホテルのフロントをしていた。
あの時のことを思い出すのは不思議と力の抜けたリラックスした時が多い。
「国見さん、お疲れ様です。もう休憩入っていいそうですよ」
「ああ、わかった。ありがとう」
宗近はスタッフルームに入り、椅子に座った。
そこには同じく何人かが休憩に入っていて、言葉だけの「お疲れ」という言葉を口にする。
「お疲れ様」
宗近も癖になっているその言葉を零した。
椅子に座ったまま、窓の外を眺める。
ああ、今日は青空が広がっているな。
その程度だが、小さな幸せを宗近は感じていた。
そして美鈴が表紙の雑誌を読んで、目を擦る。
小さな文字を読むのは目が疲れる。だが、あの美鈴が頑張って写真を撮ってもらって、インタビューに答えたのだ。応援すると決めたのだから、このくらい読まなくてはならないと宗鑑は思った。
内容は特に興味はない。だが、美鈴へのインタビューや、美鈴からのメッセージなどはしっかりと読むようにしている。その中の記事で、一つ宗近が気になったものがあった。
「私も少し危険な目に遭ったことがあるのですが、その時二人の男性が助けてくれて……。今でもあの時の二人に会いたいです」
そのコメントに、「ああ、きっとこれは私と優馬君のことだろうな」と思ったのだった。
美鈴は雑誌の向こうで微笑んでいる。
ちょっと男性ウケも女性ウケをも狙ったかのような可愛らしい格好で。
「あれ、宗近さん、そんなに熱心に読んでるなんて珍しいですね。誰か好きな人でもいるんですか?」
宗近の後輩がそう言って、宗近の見ている雑誌をそっと覗いた。
「いや、違うよ。ちょっと知り合いが載っていたから見ているだけだ」
「知り合い? ライターさんですか? まさか朝比奈美鈴なんてことないでしょう」
「どうだろうな」
どちらでもないとも、どちらでもあるとも取れるようなことを言って、宗近は口を閉じた。
後輩は「えー、気になるんですけど。どっちなんですかー!」と宗近の肩を軽くぽんぽんと叩いたが、宗近は答えずにコーヒーをのんびり飲もうとしていた。
「ちょ、先輩! せめて俺が肩を叩くのをやめてからにしてくださいよ!」
「君がそれに気づいているのなら私は何も言わないよ。言っておくが、私は制服が汚れるのが大嫌いでね……」
「っひい! すみませんっした!」
「その君のホテルマンらしくない言葉使いも早く直すべきだな」
「すんまっせん!」
「ほら、そういうところだよ」
そう言いながら、宗近はくつくつと低い声で笑っていた。
三人がたまにあの日を思い出しながら過ごしていると、美鈴が雑誌の撮影で宗近の勤めるホテルにやってきた。
そしてそのプールで撮影をしていると、宗近と美鈴は再会する。
「あ! 宗近さんじゃないですか! よかった! 会えて!」
「美鈴ちゃん。どうも久しぶり。こう言った方がいいかな。当ホテルへようこそ」
「やだやだ。そんな堅苦しくなくていいですよー」
「そう? それじゃあ、皆の前じゃない時だけ、私語にするよ。一応職場なんでね」
「あまり気にしなくてもいいのになーって思うんですけどね」
「まあまあ、例外なんて出せないっていうのもあるだろうから、気にしないでくれ。では、もし何か備品とか必要になったらすぐに他のスタッフにでも、私にでも聞いてくれよ?」
「わかりました! ありがとうございます!」
美鈴は微笑みを浮かべて嬉しそうにそう言った。
「美鈴ちゃーん、撮影続きやりますのでお願いしますー!」
「はーい! 宗鑑さん、また後で。フロント前のソファーで待ってますね」
それから美鈴は再び撮影に戻り、宗鑑も仕事に戻った。
美鈴はカメラの前で笑顔を弾けさせる。
今回の撮影は男性用というよりかは女性用のもので、夏の水着撮影のようだ。
まだ薄ら寒いというのに、モデルというのは凄いと宗近は正直思った。
冷たいはずのプールではしゃいで見せたり、プールから上がるその瞬間を見せたりと、大変そうに宗近は思っていた。
だが、美鈴はこれくらいのこと、女優になるためならばどうってことないと思い、どんなに寒くても笑顔で耐え抜いた。
そしてしばらく撮影が続き、終わると美鈴は水着から私服へと服を変え、今度はホテルの紹介の撮影をし始めた。
一度にいくつもの特集を撮って行くらしい。
それに、今回このホテルのプールを使ったのも、ホテルの宣伝という意味合いも強いらしい。
美鈴のそんな様子を見ている宗近は、仕事をしながらも、子を守る親のように見守っていた。
しかし、上司から呼び出され、何だろうと思いながら話を聞くと、インタビューに答えるようにとのことだった。
いきなりそんな大役をと宗近は珍しく焦り、上司に「さすがに急すぎますよ」と言ったのだが、上司は「君なら大丈夫。頼んだよ。宗近君」と言われてしまってはもう断れない。
「……はい。わかりました」
そう言って、ホテルマンとしての意地とプライドを見せるために、まずは衣服の乱れを正し、美鈴の前に現れた。
「宗近さん、よろしくお願いします! えっと、私がいろいろお聞きするので、ホテルのこと、いろいろ教えてくださいね! あ、緊張しなくていいですよ。いつものようにしていてくださいね。って、宗近さんがそんなに緊張するはずがないか。それだけ人生経験積まれてる感じがしますものね」
その話を聞いた美鈴のマネージャーが「あれ、美鈴ちゃん、この方とお知り合い?」と聞いてきて、美鈴は「以前助けていただいた方の内の一人がこちらの宗近さんなんです!」と答えた。
「ああ、以前聞いた話の……! それでここの仕事をしたかったわけだね」
「はい!」
どうやらこのホテルの取材などをする時に自分を使ってほしいと美鈴は事務所に頼み込んでいたようだった。
「私、本当に感謝してて、少しだけ皆に知ってもらえた今なら、こういう形で恩返しも出来るかなと思ったんですよ」
「そうだったんだね。気を使わせて悪いね」
「いえいえ! そういうのじゃないですから! 私が勝手にやりたがってやっているだけです! では、そろそろインタビューの時間にしましょうか!」
美鈴は元気にそう言って、インタビューを始めた。
宗近は少しだけ緊張を感じながらも、求められたことにしっかりと答えることが出来て、いい感触を得ていた。
同時に美鈴もリラックスした状態でインタビュー出来るから、宗近にまたも感謝した。
そんなことはいざ知らず、宗近は美鈴からの質問に丁寧に答えていく。
とても初めてインタビューを受けるとは思えない程、堂々とした答え方だった。
実際のところ、宗近は今日今回初めてインタビューに答えているのだが、それを感じさせない。
美鈴もその貫禄には驚いたが、それを表情に出さずにインタビューを続けた。
それから少しして、インタビューが終わると、気を利かせた宗近の後輩が二人に飲み物を渡した。
「ありがとうございます!」
「いえいえ! とんでもない。こちらとしても雑誌で取り上げていただけるだけでとても嬉しいので、サービスです! 宗近にはおまけということで」
「まあ、またまた!」
美鈴は「うふふ」と品よく笑った。
宗近もいつものチャラチャラとした感じの後輩が必死に真面目な人であることを演じてアピールしているところを見てつい笑ってしまった。
「え? え? なんで俺、いや、僕……私、笑われてるんですか? え? 先輩もなんで笑ってるんですか!」
その必死さが可笑しくて、二人はさらに笑い出してしまった。
後輩はよくわからないといった様子だったが、スタッフルームに戻るように宗近が言うと、素直にその言葉に従った。
恐らく、美鈴に近付きたかったのだろう。
だからあんなにも露骨にサービス精神旺盛なところを見せたのだ。
「いや、すまないね。彼はああ見えてチャラチャラしているが、結構根は真面目で正直者なんだ。少し挙動不審だったのも君が魅力的過ぎたからだろう。許してやってほしい」
宗近がそう言うと、美鈴は手を横に振る。
「いえいえ、なんだか可愛らしくて私、つい笑っちゃいました。あとで美鈴が謝っていたよって言ってあげてくださいね」
「ああ、わかったよ」
だが、宗近はそれを伝えるまで、大分はぐらかしたのだった。
何故なら、うろたえる後輩の姿が見たかったからだ。
「美鈴ちゃんからの俺の評価ってどうっすかね? 大丈夫でした? なんで何も答えてくれないんですか! 宗近先輩!」
そう言って宗近の周りをぴょこぴょこ歩き回っていたが、さすがに宗鑑もうるさくなってきて、「そういえば美鈴ちゃんが笑ってごめんって言っていたよ」と伝えたのだった。
その後、全ての撮影とインタビューを終えると、美鈴と宗鑑はホテルの前で別れの挨拶をしていた。
「それじゃあ、宗近さん。今日はありがとうございました」
「いや、こちらこそ。雑誌が出たら必ず買うよ」
「わーい! 嬉しいです! よろしくお願いします!」
そこへ、優馬が旅の途中に通りがかって、「あれ? 美鈴ちゃんと宗近さんじゃないですか!」と二人の元へ行って話しかける。
二人はえらく驚いた様子で、「優馬君!?」と思わず二人で声を揃えた。
「いやあ、偶然ですね。またあの時の三人が集まるなんて、今日は何かいいことがありそうだ。何かの撮影とかだったんですか? 最近美鈴ちゃんいろんな雑誌でモデルやってるもんね」
そう言われた美鈴は照れ臭そうにしながら「そう。撮影やってました。今度雑誌出るので、もしよければ見てください!」とそう言う。
「もちろん! でももしよければまた三人で集まって飲みに行きましょうよ。ね? ぜひ、お願いします」
優馬はそう言って両手を合わせて二人に頼み込んだ。
二人は頷き、宗近が「また飲みに行ったり、どこか遊びに行こう」と言った。
美鈴も「はーい!」と言って笑みを見せた。
「あ、そうだ!」
「うん?」
「どうしたんだい?」
美鈴が二人に「もしよければ、私のもう一つの夢に付き合ってくれませんか? 詳しいことは、また今度お伝えします。また三人で会いましょう」と言った。
連絡先は既に交換してある。
そして後程、美鈴からLINEで「三人で集まって飲みませんか? 私のもう一つの夢についてお伝えしたいことがあります」という連絡が来た。
二人は空いている日を書いて、送ると、飲み会の日が決まったのだった。
「奇跡的な再会を祝して乾杯!」
美鈴の元気な声が響く。
「乾杯」宗近と優馬の声が重なった。
そしてかちんとグラスを鳴らして生ビールを三人で飲んだ。
もちろん中ジョッキだ。
「それで美鈴ちゃん、夢って何?」
優馬が早速わくわくしながら聞いて来る。
宗近も少し気になって耳を澄ませた。
「私、女優になる夢があるって言ったじゃないですか。実はもう一つ夢があるんです。それは、日本全国を愛車のミニクーパーで旅をすることなんです。もしよければ、旅のお供になっていただけると、嬉しいのですが……」
二人は思わずため息を吐いた。
それは呆れてではなく、凄い夢だと思ってのことだった。
だが、美鈴は呆れて溜め息が出てしまったのだと思い込んでしまっていた。
「ご、ごめんなさい! 急に馬鹿みたいな夢話して……。でも、私本気なんです。どうですか? やっぱり、ダメでしょうか?」
美鈴は不安そうに眉をひそめて上目遣いで二人を見る。
優馬と宗近は顔を見合わせて、「旅に同行する」と美鈴に言った。
「俺も旅してるから多少道はわかるし、旅の最中の衣食住をどうするかなんかも教えられるからぜひ行きたいなぁ」
「私も、旅はやりたいかな。応援したい気持ちが強いからね」
「優馬さん、宗近さん……。ありがとうございます……!」
そして三人は具体的な計画を立て始めた。
どの季節がいいのか、具体的に何月にするのか、さらには車は何台で行けばいいのかなど……。
美鈴は楽しそうにどこに行こうかと話していた。
折角行くのだから、北から南まで、行けたらいいなどと、夢物語のようなことを美鈴は話した。
でも、二人は真剣に聞き、仕事の調整を早速始めてくれたのだった。
優馬はただ旅をするための資金を決めてそれを稼ぎ終わったら旅に出られると言う。
宗近は即座に上司に決まった期間、溜まった有休を使って丸々休むと連絡を入れた。
今までの功績も考えられ、宗近も仕事を休んで旅に同行出来るようになった。
美鈴も話が具体化してきたところでマネージャーに話を通して、旅のためにスケジュールを調整してもらった。
こうして三人は準備を着々と進めていく。
優馬は今までの旅の知識やガイドブックなどを買ってそれぞれ行きたいところを出してもらって、優馬がどのルートを通るかなどを決めて行った。
そして宗近は宿の予約を取ったり、持ち物の確認などすることになったのだ。
車は結局美鈴のミニクーパー一台で行くことになり、時間などによっては車中泊になるかもしれないということで寝袋などを宗鑑が買っていた。
なるべく無理のないようにスケジュールを組み、ぎりぎり車中泊がないくらいまでのスケジューリングをする。
そして三人が準備を出来た頃、季節は冬になっていた。
この冬に丸々一ヶ月程度、これから旅をするのだ。
3.「旅の始まり」
「あ、宗近さん」
「よっ、優馬君。今日から旅だね。やっぱり君も身軽だね。さて、美鈴ちゃんはどんな荷物で来るだろうね?」
「女性だから多くなるんじゃないでしょうか。やっぱり。モデルさんでもあるし」
「そうだなぁ」
まず最初に待ち合わせ場所の駅で、ミニクーパーが来るのを優馬と宗近は待っていた。
「そういえばミニクーパーって、ルパンが乗ってるあれですよね?」
「そうそう。君結構漫画アニメ好き?」
「結構好きですね。宗近さんは?」
「私も結構好きだよ。昔はよくアニメを観すぎて寝不足になったよ。観てない話はレンタルビデオ店で借りて観るくらいだったよ」
「そんなにですか。わかった。ドラゴンボールでしょう」
「他にもいろいろ観ていたさ。キャッツアイとかね」
「キャッツアイ! って……、確かジャンプの」
「そう。それ」
そこへミニクーパーが走って来て、二人の前のロータリーに停めた。
「遅くなってすみません! 後部座席へどうぞ! 楽しい旅にしましょうね!」
美鈴はミニクーパーの運転席に座ったまま、窓を開けてそう言った。
「後部座席のところの荷物、全部踏んじゃって大丈夫ですから! そのためにシート買ったんで。もう上から踏んづけて座っちゃってください! いやー、本当に遅くなっちゃって申し訳ないです! なかなか荷物がまとまらなかったんで、直前までパック詰めやってたんですよ」
「そうか。それじゃあ、優馬君」
そう言って、宗近は後部座席に座った。
荷物をなるべく踏まないようにして。
「は、はい。ご、ごめんね。美鈴ちゃん。荷物踏んじゃいます」
優馬はそう言って、荷物をふんわりと踏んで後部座席に乗り込んだ。
「はーい。大丈夫ですよ。大体衣類なので。後ろにはもう載らないんで、踏んで大丈夫そうなものだけ後部座席の下に置いておいたんです。さあ、走りますよ」
車は荒々しくバックし、そして発進した。
しばらくするとがたがたと音がする。
二人は気になって音のする美鈴の手元を見てみた。
すると驚くことに、美鈴はマニュアル車を運転していたのだった。
「がたがた言ってたのは、ギアチェンジの音か!」
宗近はそう言って、目を丸くして驚いていた。
「はい! 私、マニュアルのミニクーパーに乗るのが夢だったんです。だから、当然買う時はマニュアル車を選びました! ただ、ギアチェンが私苦手なので、たまにエンストしてしまうかもしれませんが、それだけはご了承ください……」
「え、エンスト……。わかりました。大丈夫です。事故だけは気を付けてください」
「もちろんです!」
そう言った矢先、赤信号で車が停まるとエンストを起こし、美鈴は鍵を回して再びエンジンを掛けたのだった。
このことに二人は少しばかり不安そうな表情を見せた。
「エンスト程度何でもないですよー。大丈夫ですからね。あー、それにしても楽しみだなぁ。念願の夢の旅だもん」
バックミラーに映った美鈴の笑顔を見ると、優馬と宗近の二人はまあ、こんな旅の始まり方も悪くはないだろうという気になったのだった。
「あ、お二人共、朝食ちゃんと食べてきました?」
「俺は腹が減ってないから食べて来なかったけど、聞かれちゃうと腹が減って来たような気がするなぁ」
「私は食べてきたが、まだ入るかな」
「よかったです! これから行くところ、ドカ盛りで有名なところなので、出来る限りお腹を空かせていてくださいね! 近くからゆっくり北上して、それから最北端から最南端を目指して南下して行きますから。優馬さんに教わった通りの場所に行けるように」
「わかった」と宗近が言う。
優馬は「はい!」と言って、なんだか誇らしげな表情を浮かべていた。
宗近はそれを見て「ぷっ」と笑い出した。
「あ、宗近さん酷い!」
「いや、悪い悪い。なんだか子供みたいだなって思って」
「ふふっ、お二人って兄弟みたいですね」
「美鈴ちゃんまで!」
「私も一人っ子だよ」
こうして騒がしくも楽しく、旅は始まったのだった。
北では雪祭りをしていて、丁度いい時期に行ったものだと三人は寒さに震えながらも、きちんと持って来ていた防寒着に身を包んでいた。
「あ、あそこのかまくら、入れるみたいですよ! 入ってお鍋食べられるって」
「行ってみましょうか。宗近さん、行きますよ」
「わかった。しかし寒い中で鍋か。いいなぁ」
そうしみじみと思っていると、美鈴がお店の人に金額を聞いていた。
「一人三千円だそうです! 大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だとも」
「俺も大丈夫です」
「じゃあ、三人でかまくら一つレンタルさせてください。お鍋も!」
そして三人はかまくらで鍋を囲んだ。
寒くて冷たいように思われたかまくらだったが、中には言ってみると意外とそんなに寒くなくて、むしろ風が入って来なくて快適なくらいだった。
鍋の味も美味しく、三人は満足してかまくらから出て旅を続けた。
車に入って、三人は暖房を効かせた中に居ると、少しばかり眠気が襲ってきた。
「なんだか眠くなっちゃいましたね。この状態で運転するのは怖いので、少し眠ってから行きましょうか」
「うん、俺はそれでいいと思う。ね、宗近さんって……あれ、もう寝てる!」
後部座席で宗鑑は早速眠りに就いていた。
その場にいる誰よりも年上だからだろうか。
疲労が蓄積していたのだろう。
気づけば宗近は眠ってしまっていたのだった。
「あらあら、宗近さん寝ちゃったみたいですね。じゃあ、優馬さん、ドライブ付き合ってくださいね」
そう言いながら、美鈴は歌を口ずさみ始めた。
とても楽しそうに。
優馬はその歌が耳に心地よく、窓の外を見ながら暫しドライブを楽しんだ。
三人はその日の夕方、目的のホテルに辿り着いた。
雪が降っていて、その中で露天風呂があるのだという。
ここは優馬の一押しで、温泉の効能がどうとかそんな知識まで美鈴や宗鑑に話していた。
三人は部屋に行くと、館内着を持って露天風呂に入ることにした。
もちろん男女別なのだが、三人は男女の湯の壁など気にしないかのように会話しながら入浴していた。
そんな時に、優馬の声が聞こえてくる。
「美鈴ちゃん。この後晩ご飯だけど、お腹空いてる? お昼に食べたお鍋がまだ残ってるのかな?」
優馬がそう聞くと、美鈴は「いえ! もうお腹ばっちり空いてます! 晩ご飯が楽しみですー!」と衝立の向こうで言っていて、優馬と宗鑑は「あー、お腹空いた」と声を揃えて言う。
美鈴は「先に上がりますねー」と言って温泉から上がって下着を着けて館内着に着替えた。
優馬と宗近も下着を穿いて館内着に着替えると、部屋に戻る。
部屋は一部屋だが、ベッドが三つあり、三人でも止まれる大きな部屋だ。
窓の外には街の光りが輝いて見える。
また、部屋は和風ながらも洋室らしいところもあって過ごしていて落ち着くものだった。
「なんだか懐かしいような気がしますね。まだ初めて来たところなのに……」
「それはそうだけど、美鈴ちゃん、本当に大丈夫?」
優馬が優しくそう問いかける?
「何がですか?」
美鈴は全く分からないといった様子でそう聞き返す。
「部屋だよ。美鈴ちゃん。いくらなんでも、男女一緒というのはさすがに悪いなぁと思ってね」
「大丈夫ですよ! あ、もしそんなに気になるのなら、私だけ車中泊でも大丈夫ですよ! なんてね。お二人が酷いことをする人達だとは思っていませんので、安心してくださいね。私も安心して眠れますので」
「そうかい? それならいいのだけれど。他のホテルは皆男女別だから、こことあと最後のキャンプ場が一緒のテントになってしまうな。申し訳ない」
宗近がそう言って頭を下げた。
「いえいえ、本当に大丈夫ですので! ホテルに泊まれるようにぎりぎりまで無理矢理スケジュールに入れてくれたのもわかってますから」
美鈴はそう言ってにっこり微笑んだ。
そういうと、美鈴はいきなり枕を投げた。
それから三人は枕投げをしだした。
それから晩ご飯の時間になり、三人で食事を取る。
和食のフルコースで量がまずとんでもない。
三人は思わず目を剥いて驚くほどの量だった。
次から次へと持って来られ、いざ最後だとなると、さらにもう一品追加された。
それが本当の最後の一品。
つまり、デザートだった。
デザートは餅入りのおしること、甘酒だった。
温まるデザートに、三人はほっとして、それを腹に入れると舌鼓を打って「もう食べられない」と、美鈴はベッドに寝転んだり、宗近はソファーに座ったり、優馬は座椅子に座ったままテレビを観始めた。
お膳は美鈴がまとめて廊下に出しておいた。
そして三人は一息吐くと、明日はどこそこに行くと計画を確認して、三人仲良く、それぞれの布団に入って眠ったのだった。
三人は旅を続け、徐々に徐々に南下していった。
海のすぐ近くを走ることもあったし、砂漠を見たこともあった。
その度に美鈴は酷く嬉しそうにその光景を目に焼き付け、スマートフォンで写真を撮っていた。
「三人で記念撮影しましょー!」
美鈴がそう言って、行くところほぼ全てで三人での集合写真をデータに残し、保存していた。
優馬と宗近はそのすぐに写真を撮るということに戸惑いを隠せなかったが、それは最初だけで、しばらくするとデータに残るのはいいとさえ思えてきたのだった。
だから、今ではカメラを向けられたら三人全員で笑顔を見せられる。
もちろん、美鈴がカメラを向けたらの話だが。
美鈴達の旅が進んでいくと、優馬と宗近の二人は美鈴のその魅力に惹かれていった。
「あはは、やっぱり外は寒いですねー」そう言って城い吐息を出して、空を見上げる美鈴。
少女のようなその無邪気さと可憐さに、二人は見惚れていた。
「? どうしたんですか」
「いや、なんだか可愛いなって」
優馬が正直に言うと、優馬はすぐに自分が何を言っていたのか理解して顔を少し赤くした。
「女の子はいつだって可愛いんですー!」
なんだか「そうじゃあないんだよな」と思いつつも、優馬はそんな可愛らしい美鈴を見てにこっと微笑み、宗近はそんな二人を見て微笑んでいた。
「え? 何ですか? 私、変なところでもありました?」
「いや」
宗近がそう言ってくつくつと低い声で笑っている。
優馬は「か、勘違いしないでくださいよ! 宗近さん!」と慌てて言うも、宗近はそれを軽く「わかっているとも」と言ってその話を流した。
わかっていないのは想われている美鈴だけで、美鈴は相変わらずわからないと困ったような笑みを浮かべていたのだった。
気づけば旅はあっと言う間に中間程までやってきた。
丁度その頃、世界で流行ったウイルスが猛威を振るい、その後の旅は街の中ではマスクをしなければならなくなったのだった。
旅先でマスクを少々多めに買って、三人はマスクをして旅を続けることになった。
そしてさらに南下していくと、寒さがそこまで厳しくないところのキャンプ場に辿り着いた。
キャンプ用品をレンタルして、三人はテントを張ることから始める。
「わぁ、皆さん手際がいいですね。私、縄の縛り方からまずわからないのです……」
「大丈夫大丈夫。縄の結び方は……」
「こう?」
「そう。それから……」
優馬は美鈴がわかるようにゆっくりと教えて、美鈴がやって覚えるまで何度か繰り返した。
宗近はそんな二人の様子を見て、なんだかお似合いのカップルのような気がして、微笑ましく思えてきたのだった。
「このキャンプ場には一泊二日でしたよね、宗近さん」
美鈴がやっと縄を張り終わって、冬だと言うのに汗を掻いて輝かしい笑顔で宗近を見て言った。
「ん。ああ、そうだよ。冬にキャンプなんて、寒いけれどもね。結構いいものだよ。星空が綺麗でね」
「あ、俺もここ来たの二回目くらいです! ここ、星空綺麗って有名ですよね。俺もここでの景色をまた見たいなって思ってたんで、丁度いいなって思って行きたいところをピックアップする時に取り上げたんです」
「それでか。なるほどな。美鈴ちゃんはここに来たことは?」
「ないですー! キャンプ体験、小学校の頃なんか熱出して行けなかったから、今日キャンプ出来て嬉しいです!」
「そうか。たくさん楽しもう。よし、じゃあ、私はかまどを作っているから、その間に美鈴ちゃん達には松の枝を拾って来て貰おうかな。あと、乾いた木の枝を」
「わかりました」
優馬はすぐにその内容を理解したが、美鈴はキャンプ初心者なだけあって、何が目的かわかっていない。
「松の枝? 松の枝で何をするんですか? 乾いた木ならわかりますが」
それに対して優馬が優しく美鈴に教える。
「松は油があるから、よく燃えるんだよ。着火剤として凄く優秀なんだ。だからだよ」
「へえ……! そうなんですね! 初めて知りました!」
宗近は二人が枝を探しに行っている間、石を積んでかまどを作り上げていく。
それにしても、あの二人はお似合いだと。
今も楽しそうに話しながら枝を拾っている。
あの二人が付き合ったら、きっと二人共幸せになれるだろう。
でも、そんなことをわざわざ言ったり、勝手に吹き込むなんてことを宗鑑はしない。
そして二人が戻って来ると、大量の枯れた松の枝があった。
「ご苦労様。今度はカレーを作るから、食材を切ったりしてくれるかい?」
宗鑑は二人にそう言うと、二人は「もちろん!」と声を揃えて答えた。
「そういえばここはもう街ではないから、マスクを取ってもいいですよね?」
美鈴がそう言うと、宗近は頷き、優馬も「そうですね」と言って、全員がマスクを外した。
自然の中でマスクを外し、生活が出来ることがとても嬉しい。
三人はそう思いながらマスクをポケットに入れて、カレー作りの支度をするのだった。
晩ご飯の時間になるとカレーは美味しい匂いを漂わせて完成されていることがわかる。
三人でキャンプ場に用意されていたテーブルを囲み、カレーを食べるところだ。
「よし、それでは食べよう。いただきます」
「いただきます」
「いただきまーす! わあ、美味しいー! ご飯もおこげのところが美味しい! カレー大成功ですね! これも優馬さんと宗鑑さんが旅に付いてきてくれたからです! ありがとうございます!」
「いやいや、そんなに凄いことを私達はしていないよ。それにキャンプはこうやって仲間で食べるのが一番美味しいと思えるしね」
「そうですかー。なるほど。それで美味しいんですね!」
美鈴は微笑みながらカレーを食べる。
品よく、それでいて凄く美味しそうに食べるから、優馬も宗近も見ていて気持ちが良かった。
そして二人もカレーを食べ、皆でおかわりをして、丁度カレーはなくなった。
「カレーって美味しいですねぇ。今日みたいなカレー、私ずっと食べてみたかったんです。愛車のミニクーパーで日本中駆け巡って、自然の中でカレーを食べる。ふふ。ささやかな私の夢だったんです。叶えてくれて、ありがとうございます」
にこっと微笑む美鈴。
二人はその笑顔が見られるのなら、この旅に付いてきてよかったと思った。
美鈴は笑うと周りに花が舞うような、そんな柔らかな雰囲気を出すのだ。
「ところで、お風呂って……」
「ああ、それなら施設の方のお風呂を借りられるようにしておいたから、安心してくれていいよ」
「よかったー! ありがとうございます!」
「やっぱり女の子だねぇ」
「ですねぇ。俺達だけなら多少風呂に入らなくてもって思っちゃいますけど」
「やだー! お風呂くらい入りましょうよ! ね。ドラム缶風呂とかでもいいんですから」
「冗談だよ。冗談。ね、宗近さん」
「まあな……」
そして三人は施設の方にあるお風呂を借りて、三人揃ってキャンプ場に戻って来た。
「ふう、やっぱり寒いですね。テントの中ならもうちょっとマシなのかな」
「ああ、テントの中なら風もないからね。それにシートも敷いておいたから、多少は寝心地もいいだろう」
宗近がそう言うと、美鈴は「わーい!」と言って飛び跳ねて喜んだ。
その様子を、どこか嫉妬のような眼で優馬が見ていた。
優馬のその視線に気づいた宗近は、「じゃあ俺はそろそろ寝るから」と言って先にテントに入っていった。
残された二人は火の始末をして、少し話をする。
「宗近さん、いつも寝るの早いですよね」
美鈴がそう言うと、優馬が「うん。そうですね。年齢的な意味でかな?」と言うから、美鈴は「まあ! そうじゃなくてきっと疲労しているのよ」と言った。
「それもそうだね。ねえ、美鈴ちゃん……」
優馬は唾液を飲み込んだ。
「どうしたんですか? 優馬さん」
「あの……」
「はい?」
優馬は今、ここで告白しようと決めていた。
旅を初めて数日……、花のような美鈴に惚れてしまったのだ。
今も、優馬が何を言うのかときらきらと輝いた瞳で優馬を見ている。
その瞳を見ると、吸い込まれるような、そんな気がした。
「いえ、その……。このキャンプの後も、よろしくお願いします」
「ふふっ、おかしな優馬さん。こちらこそ、よろしくお願いします」
優馬は告白するタイミングを完全に失ってしまった。
それを宗近がテント内で聞いていて、優馬がテントに入ると「失敗したな」と小さな声で言った。
「聞いていたんですか。宗近さんも、人が悪いなぁ」
「聞こえてしまったんだから、仕方がないだろう」
「確かに、それもそうだ。俺、勝手に惚れて勝手に失恋しちゃいました」
「まだ若いんだから、出会いはこれからだよ。美鈴ちゃんだけじゃないさ」
「美鈴ちゃんがよかったんですー……」
「ま、仕方がないな。ほら、それよりも早く寝よう。明日も早くから朝飯の準備をしたりしなくちゃいけないんだからな」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみ」
一方で、美鈴も別のテントで眠りに就こうとしていた。
それにしてもさっきの優馬さんはどうしたんだろうと、そればかりが頭をぐるぐる回っていた。
眠りに就こうにも、それが少し気になってしまう。
でも、きっと大したことじゃないだろう。
そう思って、美鈴は灯りを消して一回テントから顔を出して夜空を見てから、綺麗なその景色を目に焼き付けて、眠りに就いた。
翌朝、目を覚まして三人は洗顔、歯磨きをした。
そして朝ご飯を作り、次の旅への準備をし始めた。
「おはようございます! もう次に行くところがどんな感じか知りたくて仕方がないです! 優馬さん、宗近さん、よろしくお願いします!」
「ああ、よろしくね」
「よろしくお願いします」
朝ご飯はお米を炊いて、調味料を使って味付けをしておにぎりにする。
それを皆で食べて、キャンプ場を元の状態に戻す。
キャンプ場を元の状態に戻すのはマナーなのだと優馬と宗近が口を揃えて言った。
美鈴はそういうものかと思いながら、同じようにキャンプ場を元に戻して、またマスクをして三人はミニクーパーに乗り込んだ。
ミニクーパーに乗り込むと、やはり自分達は旅をしているんだなあと再度思い、三人はわくわくとした気持ちになった。
澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ一泊二日、とても嬉しくて楽しいものだった。
さあ、次の旅に出よう。
そう思って、美鈴はマスクをしてエンジンを動かしてミニクーパーを動かした。
ミニクーパーは走る。
残った旅路を走っていくのだ。
三人を、夢を乗せて。
キャンプ場から出てからしばらくして、南下していくと、まだ紅葉残っているところもあって、雪と紅のコントラストが美しい景色が続いたのだった。
「今度はそこの山の中、ですよね。しっかりナビに入れてきたので道は大丈夫です!」
そう言って、美鈴は山奥のホテルに向かって行った。
とはいえ、何故だかホテルまでなかなか辿り着けず、皆であーだこーだと話して気づけば街中に行くことが出来て、無事、ホテルに辿り着いていた。
「ここはお饅頭が美味しいらしいです! 行ってみませんか?」
そう言いながら、美鈴は二人の背中を押してお饅頭屋さんに向かって行く。
「すみませーん。お饅頭十二個入をください!」
「え、美鈴ちゃん、そんなに食べるの?」
「一人で食べるんじゃないんですから、大丈夫ですよ。お饅頭、一人四個食べられますよ! 嬉しいですね! 甘いもの、そういえば最近食べてませんでしたもんね」
「まあ、こういったしっかりとした重さのある甘いものは食べていなかったですね」
「優馬さんもそう思いますよね! ほら、やっぱり三人で四個ずつでいいですよ!」
二人は何も言えなくなってしまい、美鈴の言う通り、十二個入のお饅頭を買って、ホテルに行って部屋で荷物を置いてから食べた。
「んー! 美味しい!」
荷物を置いてからは、周りの景色を楽しんだり、いろいろな観光名所に立ち寄って行く。
そして美味しそうな食べ物屋さんがあると、試食して、美味しかったらそれを買ってホテルで広げて宴会をする。
宗近は酒の肴になりそうな塩辛なんかを選び、優馬は煎餅など無難なものを、美鈴は女子らしく甘いものを好んで買っていた。
それを全て広げてお酒を飲んだり、ジュースを飲んだりしながら楽しむ。
会話をしていると、皆で楽しさを共有出来る。
ホテルでなくても、キャンプ場なんかでも三人は今回の旅で、いつもこのようにしてきたのだった。
「はあ、それにしてももうすぐこの旅も終わってしまいますね……」
美鈴は凄く残念そうに溜め息を吐いてそう言った。
寂しそうで、見ていられなくなった優馬はすんと鼻を鳴らす。
「また会えるさ。私達はいつだって会えるのだから」
宗近がそう深く考えずにそう言うと、美鈴は「そうですよね。きっと、また会えますよね! また、三人で旅を出来ますよね! 優馬さんもそう思うでしょう?」と言うと優馬を見た。
「ははは、俺もそう思いますよ。」
「そう……。そうですよね。優馬さん、宗近さん、ありがとうございます。もう少し、旅にお付き合いください」
「はい!」
「ああ。もちろんだよ」
美鈴の寂しげな表情に二人は気づかなかった。
一人、美鈴は二人に隠している大きな隠し事があった。
言うべきか、言うまいか。
それについて悩んでいたのだった。
だが、言うなら、どうせ言うならば、旅の最後に言いたい。
そう思った美鈴は、旅の終わりまで、その隠し事を隠したままにすることにした。
青森、秋田、山形、新潟、富山、金沢、福井、京都 広島、九州を巡り、三人は旅の最後に訪れたホテルのロビーで、座って寛いでいた。
温泉に入った後で、三人は浴衣を着ていた。
美鈴はちょっと溜め息を吐く。
「それにしても、明日で終わりなんですね……」
美鈴はそう言って、寂しそうに俯いていた。
とても残念そうに、辛そうにしていて……。
「そんな人生最後の日みたいに言わなくても」
宗近がそう言うと、美鈴は寂しそうに笑った。
その様子に、優馬が優しく問いかける。
「まさか、死のうなんて、そんな馬鹿なことを考えているんじゃ……」
それに対して美鈴は明るく大きな声で否定する。
「そんなことないです!
「それならいいんですが……。じゃあ、どうしてそんなに暗い顔をしているんですか?」
「二人と離れるのが、寂しいのと、隠し事があるんです」
「隠し事?」
「詳しいことは、明日お伝えします。さて、それより部屋に戻って思い出話でもしましょうよ。今までの、旅の楽しかったことをいっぱい、お話したいです」
そう言われたら、二人は断れない。
三人で一緒の部屋に入って、ベッドに腰掛け、今までの旅の思い出を話し始めた。
ミニクーパーを何度エンストさせたのかなどというくだらない話もした。
それが、美鈴にとってはとても嬉しくて、少し恥ずかしいような、そんな気持ちにさせたのだった。
だからこそ、隠し事があると後ろめたい気持ちにもさせた。
二人はその隠し事のことを何故今言ってくれないのかと思いながらも、本人の意見を尊重しようと思っていたため、聞くことはしなかった。
ただ、心の中で、三人はもやもやとしたものを抱え込むことになる。
4.美鈴の告白
そして旅の終わりに、美鈴はミニクーパーに三人で乗って帰り道を走らせていた。
もうすでに夜になっていた。
月夜の綺麗さと、美鈴の美しさが二人には透き通って見えた。
美鈴は今までと同じような調子で、明るく軽い口振りで話していた。
「実は、私、二人に隠し事があるの。」
「え?」
「私、癌なんです。」
二人は耳を疑った。
がん? 美鈴が? あんなに元気で楽しそうだったのに…そう思った。
そもそも癌であるのに旅なんか悠長なことをしていていいのかとさえ思った。
そんな気持ちにもなって、心配、不安が優馬と宗鑑を襲った。
だが、そんなもの関係ないとばかりに美鈴は明るくこう言うのだ。
「今度、手術があって、その前に、どうしても旅をしたかった……。お二人には、本当に助けられました。ありがとうございます」
ミニクーパーを動かして、信号で止まりそうなくらい速度を落とす。
しかしすぐに信号が青になって走ろうとすると、ミニクーパーはエンストを起こした。
「あはは。ごめんなさい。またエンストさせちゃいましたね。すぐ動きますから安心してくださいね」
「いや、そんなことより、体調は悪くないのか? 大丈夫か? 運転、もしかして交代した方がいいんじゃ……」
宗近がそう言うと、美鈴は「全然痛くも何ともないです! ただ、疲れやすい、かなぁ。運転は私がしたいので、交代はしないで大丈夫ですよ」と困ったような顔で、前を見ながら言った。
「その若さでがんって……。進行が早いんじゃ」
優馬も心配の気持ちからか、そう言って美鈴の身を案じた。
「私、進行遅いみたいで。だから、経過観察しようってなったんですが、ちょっと大きいみたいで、旅が終わったら、手術して取っちゃうんです。でも、胸の再生の手術もするから、見た目ではそう簡単にわからないとは思いますが……」
「不安なら、手術の日、俺でよければお見舞いに行くよ」
「俺も!」
「二人共……、ありがとうございます。でも、大丈夫です。お仕事やお休みを優先してください……。私は大丈夫です。お二人と一緒に三人で旅が出来た。この思い出を胸に、手術を受けてきますから!」
「俺、俺何と言っていいかわからないけれど、美鈴ちゃんならきっと大丈夫だと思う! 絶対に、手術うまくいくよ!」
「優馬さん……」
「私も同意見だな。きっと君は無事に帰って来れる。私達が待っているから、必ず帰って来てくれよ」
「宗近さん……」
優馬と宗近は顔を向けて悲しそうな顔をする。
次の日
優馬と宗近は美鈴を強引に連れ出す。
そして、小さな町の古びた劇場に連れていく。
優馬「 女優になりたいんでしょ? そこであそこの劇場に二人で話をつけてあるから。美鈴ちゃんがミュージカルをする」
宗近「よ!朝比奈大女優!」
宗近もそう言って、拍手する。
「じゃあ、あそこの劇場に行きますからね。隣の駐車場に車を停めてくる。はい、行ってみましょうか。美鈴の夢を、叶えるために……」
車を駐車場に停めて、劇場に入る三人。
中には劇場支配人とその妻がいた。
台本は、昔、芝居劇団が置いていった本を使った。
美鈴は控室に通されて、お化粧を直したり、台詞のための声出しをしていた。
「美鈴さん、女優さんになりたいんだって?」
支配人の妻がそう言って美鈴に話をした。
「はい。そうです。今はまだモデルのお仕事ばかりですけど……、いつかは女優になりたいんです!」
「そっかぁ。それなら大丈夫よ。あなたには他にはない華やかな雰囲気があるもの!」
「えっ、あ、ありがとうございます!」
「お化粧もいい感じね。舞台映えするものを選ぶといいわよ。このワンピースなんか可愛くて良いと思うのだけれど。そうね、それから……って、あら嫌だ。もうこんな時間ね。美鈴さん、ミュージカルの時間よ。私も客席で見ているから、しっかり頑張ってね」
「はい! ありがとうございます!」
劇場が幕を開けると、美鈴がスターになったという設定でミュージカルが始まった。
支配人とその妻は席に座って拍手をする。
美鈴はスマートフォンに入れていた曲を流してもらって、それに合わせて歌って、踊った。
曲のメロディーは一緒でも、歌詞を変えた替え歌で、しなやかな身体を使って精一杯表現した。
優馬と宗近も、別の役で手伝い、歌った。
美鈴は
もっと生きていたい! もっと輝きたい! 女優になりたい!
魂の輝きを表すかのように歌いながら踊る。
ずっと夢に見ていた舞台を全力で、全身全霊でやった。
そのミュージカルは生へ縋りつきたい美鈴の、魂の叫びそのものだった。
「私はもっと生きていたいの! 死んでなんていられない理由がある! 私はただ私でいたいだけ!」
そう心の中から外へと叫び出す。
それは演技なんかではなく、本気の、本当の美鈴の姿だった。
いつものただ優しいだけの美鈴じゃない。
もっと現実を生きていたい、美鈴の魂。
「お願い! 邪魔をしないで神様! 私はもっと生きていたいのよ!」
美鈴は自分の思うミュージカルをやって、満足いく終わり方をすると、お辞儀をした。
支配人とその妻から拍手をされ、美鈴は笑った。
舞台袖から眺めていた優馬と宗近も、美鈴に拍手を送る。
これから頑張るんだよ。そしてまた旅をしよう。
そんな意味を込めながら。
「いやあ、よかったよ。美鈴さんだったね。私達は君のファンになってしまったよ。君の今後の活躍を、私達はずっと願っているからね」
支配人にそう言われ、美鈴は感激して涙が出そうになるも、なんとか食い止めて「ありがとうございます」と微笑んだ。
「美鈴さん。きっとあなたはいい女優さんになれるわ。頑張ってね」
支配人の妻にそう言われ、背中をばしっと叩かれた。
でもそれは激励の意味であることを、美鈴は知っていた。
「ありがとうございます! 絶対女優になります! 今後の活躍を、ご期待くださいませ!」
そう言って、美鈴は深く深くお辞儀をした。
「優馬さん、宗近もありがとうございました。舞台の準備とかしてもらって……」
「いや、そんなの大丈夫だよ。美鈴ちゃんこそ、疲れただろう? 少し休んでから行こう」
「そうですよ。美鈴ちゃん。それに、このくらいの準備、何ともないです! でも、俺の昔の経験が役立ったのは本当に運がよかったなぁ」
「うふふ。ありがとうございます」
そして三人は少しばかりミニクーパーで眠ってから、しばらくすると美鈴がミニクーパーを静かに走らせるのだった。
美鈴は劇場から海へとミニクーパーを走らせる。
そして三人は海へと辿り着いた。
車を走らせていたらいつの間にか夜中になり、気づけば朝焼けが広がっている。
美鈴は必死に起きている二人に寂しそうな笑みを浮かべてこう言った。
「二人と旅をして、本当に楽しかったです。私の人生は、幸せ。この時をずっと忘れない」
優馬はそんな様子の美鈴に涙ぐみながらこう言う。
「これが最後じゃない。病気でも、長生きしている人はいる。癌だって、今は手術で治ることの方が多いじゃないですか」
ただ、宗近は何の言葉も美鈴には掛けず、ただ太陽を眺めていた。
「これから、俺達はどうする?」
美鈴はちょっとだけ鼻声でこう言う。
「お二人とは、最初のあの駅までお送りします。そうしたら、少しだけお別れ、ですね。本当に、少し、寂しいですが……」
「俺達はいつでも美鈴ちゃんを応援していますから。それに、連絡先も知っているでしょう? だから、大丈夫ですよ。いつでも会えます。まずは、病気のことを考えてゆっくり療養してください」
「ありがとうございます。優馬さん」
「困ったなぁ。私が言いたいことを全て優馬君が言ってしまった。そうだな。まあ、人生は何があるかわからないが、きっと君は生きられる。だから、別れとか気にしなくていい。どうせ、またすぐに会えるだろうから。その時にまた旅の話をしよう。いろいろな話をして、飲み会でも開いて……。そうして、歳を重ねていけばいいじゃないか」
「そうですね。ありがとうございます。宗鑑さん」
三人は浜辺に腰を下ろして、水平線のそのまた向こうをじっと見ていた。
朝焼けが、太陽が目に沁みる。
美鈴はにこっと微笑んでお辞儀をした。
「いや、また次に会えるのを楽しみにしているよ」
「俺も、この一ヶ月、凄く楽しかったです。また、三人で旅をしましょう。エンストをよく起こす
ミニクーパーで」
優馬が冗談を笑顔で言った。
美鈴は「もう! 最後にはエンストしなくなったんだからいいじゃないですか!」と
言いながらも表情は笑っている。
三人はお互い笑い合って言った。
「またみんな会える日まで」
少しして、宗近は街頭のCMで朝比奈美鈴がテレビに
映るのを見ながらサングラスを掛けたまま車の運転をしていた。
海に向かっている最中だ。
海に行くと、宗鑑は白い波が立つ海岸線に立っていた。
が
一方で優馬は空港で荷物を持ってスマートフォンを見ていた。
待合室の席には、鞄とスーツケースが置かれている。
スマートフォンでは旅行先であろう場所の画像などが表示されている。
そこに女性が現れる。
派手な衣装の女性である。
女性「優馬くん、待たせてごめんね」
と優馬の肩に手をかける。
優馬は立ち上がり「さあ、行こうか」と微笑んで
二人は入管ゲートへ向かっていった。
そして海に居る宗近は、ずっと海を見ている。
そばでは、子供たちと母親が、海辺で遊んでいる。
静かな午後の波の景色に、
海は穏やかに寄せては引いている。
そして、三人で撮った写真をふと取り出し見る。
短く長い時間が過ぎていく
さあ、そろそろ帰ろうかな。そう思ってその場を去ろうとした
すると女性ものの白い帽子が風に吹かれて宗近の足下に落ちた。
宗近は、帽子を拾い上げ、視線を来た方向に目を向ける。
女性の蜃気楼が近づいてきていた。
微かに微笑むような朧げな姿に、宗近はもう一度まっすぐに目を向けていた。
海には白い雲と、眩しい太陽が上り、爽やかな風が吹いた。