三章53話 出来ない
この生き方しか知らない。
疑問が残る言葉だった。
外を出歩いていれば職はいくつも目にすることが出来る。
外に出歩かなくともそれは同じこと。
生きていればいるほどに、生き方などいくらでも見えてくるものなのだが、フェイはそれを知らないとハッキリと意思を表した。
シロウはそんなフェイへと眉を潜める。
「……どういう意味だ? 余計なプライドなど捨てれば生き方などいくらでもあるだろう? まさか、日々を食い繋いでいくだけの人生が嫌だから罪に手を染めているとでも言うわけじゃないだろうな?」
「……余計なプライドを捨てているからこの生き方をしているんじゃないですか。センドウさんから話を聞いていますが、いくら親を失っているとはいえ、あなたにはわかりませんよ。私たちの気持ちなど」
フェイの様子はこれまでとの雰囲気とは一変していた。
真顔を保つその表情や纏う空気からは戦いを行うような気配は微塵も感じられはしなかった。
「シンジさん……と言いましたか? あなたになら私の考えがわかるのではないですか?」
「ぇっ……!?」
(俺……?)
すると唐突に、フェイの視線は俺へと注がれ、他の二人の視線も同時にこちらへと傾けられる。
「ある日突然、人拐いに捕まり、見知らぬ土地へと連れて行かれる。しかし、幸運なことにもそこで逃げ出せることが出来た。そうなった時、あなたならどうしますか?」
「……!」
(まさか……この人、もしかして……)
俺ならばわかること。
そして、紡がれた問い。
その二つを見比べて考えた瞬間、俺は彼女の生い立ちが何であるかをハッキリと感じ取った。
「ちなみに、お金は持っていませんし、回りには自分と同じように捕まった人々が……それも、皆自分よりも幼い少年少女たちばかりが付いています。シンジさん、あなたならこの状況に置かれた時、その子たちを見捨てることが出来ますか?」
(子供たちを、見捨てる……)
そんな折に続け様に投げ掛けられた問いに、俺の脳裏にはかつての少年たちの記憶が蘇る。
親の元へと帰りたいと願う姿。
取り巻く状況に全てを諦め、絶望に俯いている姿。
いくつもの子供たちの姿が瞬く間に脳裏を駆け巡り、そして、すぐさま結論は固まった。
「出来ない……」
「そうでしょう。同じ境遇を経ると、そこで初めて会った人物であろうともどうしても仲間意識が湧いてしまう。小さな子であれば尚更、見捨てることなど出来るはずがありません」
短く一言で問いに答えを示すと、フェイはニコリと笑みを浮かべる。
そして、用は済んだと言わんばかりにすぐさま視線をシロウへと戻すと、再び表情を無へと戻した。
「……私たちは皆奴隷でした。肉体労働のための、売春のための……拐われた理由は様々でしたが、私と同じように捕らえられていた人々は皆子供ばかりでした。裕福な人々は変な趣向の方々が多いので、子供は結構言い値で、それも競争が激しいことが多いのですよ。ただ、その時は運が良いのか悪いのかは定かではありませんが、買われなかったんです。ホッとしたものです。買われたら最後、地獄のような日々が待っていることなど目に見えていますからね」
過去を懐かしんでいるのか、フェイはフッと儚げな笑顔を浮かべる。
「……しかし、どちらに転んでも地獄でした。私たちを拐った彼女たちからしたら、苦労して得た商品が何も売れなかったのですからね。生活していくための資金も得られず、ストレスも溜まる。殺気立った彼女たちの様子から暴力を振るわれるのだろうとすぐにわかりました……
ですが、現実は予想を軽々と越えてきましてね。口減らしにしかならないのだからストレス発散がてらに殺そう、などと彼女たちは言い出したのですよ。対格差もあり両手は縛られた状況。無抵抗の子供が殺されていく姿はあまりにも無惨でしたよ。一人、また一人と成す術もなく殺され、すぐに私の番がやって来ました。下卑た笑みを前にし、ここで人生が終わってしまうのだと悟りました。ですが、死にたくないと強く願ったら見えたんです。何をどうすれば良いのか全てね。自分でもビックリしました。両手が使えないのに三人の大人に勝ててしまったのですからね。おかげでどうにか命を繋ぐことも出来、当時はホッとしたものです……
ただ、もうお察しでしょう? 回りには私の後に控えていた子供たちが沢山いたのですよ。拐われる際に親は両方殺されてしまい、辺りはどこかもわからぬ知らぬ土地。小汚ない格好をした私たちを助けてくれるものなど居らず、生き残った中で一番年上だった私が彼女たちを見捨てるわけにもいかない。どうにかしようと頑張りはしましたが、子供だった私が手に出来る職など限られてますし、そんな仕事で稼げる日銭などたかが知れている……幼かった私が彼女たちを生かしていくには、盗みでも何でも、犯罪に手を染めて生きていくしかなかったんですよ。そうして、彼女たちは私の後ろ姿を見て育つのですから、彼女たちも自然と同じ道へと進む。楽に生きていく術を知った彼女たちは、もう真っ当な道に戻ることなんて出来なくなっていたんですよ」
(待っている人も助けてくれる人もいない中で、子供たちを守っていこうとするならば、俺も同じ道を選んでいたかもしれない……)
フェイの言葉は痛いほど理解が出来た。
責任感が強い人物であればあるほど、その道へと進んでしまうことは仕方のないことのように思えた。
「……待て」
すると唐突に、レンは声を発してフェイの話を引き留める。
「貴様は商人として十分に成功していただろう。犯罪者から足を拭うチャンスはいくらでもあったはずだ」
レンの指摘は確かなことだった。
フェイには商人としての一面がある。
犯罪に手を染めなくとも、その道に進んでいくことも出来たはずだった。
「ええ、私一人で生きていくのであればそれで十分だったことでしょうね。ですが、何度も言わせないで頂きたい。仲間を見捨てるわけにはいかないんですよ。あなたが想像している以上に、商人という仕事は難しいものなのです。客が何を欲しているのかしっかりと見極め、仕入れ、売り捌き、それを延々と繰り返していく。とてもじゃないが安定しない。世情次第ではものの流れなど一瞬にしてひっくり返る。大商人などと名を馳せるにはとてつもない豪運が必要となってくるのですよ。普通の商人程度では、なに不自由なく養っていける人の数など、せいぜい二人や三人が良いところ。容姿のおかげで知名度を得たところで、そんなものはすぐに日常に成り変わって廃れてしまう。どれだけ名前が売れていようと、それだけでやっていけるほど甘くはないんですよ。
そして、軍隊などに入らなかった理由もこれと同じです。私一人がそちらの道に進むのであれば簡単ですが、彼女たちの中には戦う
ことを苦手とするものたちもいる。そんな子たちを見捨てるわけにはいかなかったのですよ……まあ、そもそも、育った町では盗人として名も顔も知られていましたし、市民権のない他国の軍には入ることすら出来ませんから、最初からその道など閉ざされていましたがね」
しかし、その指摘すらもフェイは叩き伏せ、彼女の人生への口出しをする声はパタリと鳴り止んだ。
すると、その光景を確かめ、俺たちの顔を見定め、フェイは再びニコリとした笑みを浮かべる。
「……一応断っておきますが、同情など要りませんよ? 私自身、この生き方は気に入っているんです。深く考える必要も、他人の迷惑になるなどと案じる必要もありませんからね」
そして、そう言い切った直後、ジャラリとした金属の擦れ合う音が響くと同時に、フェイの袖からは一本の棒状のものが垂れ下がる。
「さあ、話もこの戦いも終わりにしましょう。小細工も通用しないようですから、久々に本気で戦って差し上げますよ」
「……ッ!?」
(嘘だろ……!? あれで今まで、本気じゃなかったのかよ!?)
木製の六角柱が三つ、鎖で繋ぎ止められた武具“三節棍”。
それを自身の眼前で構えながらそう言葉を発したフェイは、これまでのニコリとした笑顔ではない瞳を開いた状態で、僅かに口許に笑みを浮かべた。