三章49話 再会
十……二十……三十と、歩みを進める度に死体は視界へと映り込んでいく。
そんな血と死臭に塗れた廊下を、俺はレンを支え、その体を気遣いながらゆっくりと歩みを進めていた。
「すまん……少し、目眩が……」
「いえ、大丈夫ですよ」
歩みを進めてから幾分かの時が経った後、レンの我慢の限界はすぐに訪れた。
失血によって体はふらつき、自らの体を支えることすらままならない、そんな様態となっていた。
「……何か、音が聞こえる」
「本当ですね……」
(金属音……シロウさんが、近くで戦っているのか?)
階段を一つ登り切り、さらに先へと進んでさらなる次の階段を眼前に納めた時のこと。
体の痛みも忘れ、レンの杖代わりとなって歩みを進めていると、俺とレンの耳には剣劇の音が聞こえ始める。
距離はそう遠くには感じない。
一段一段ゆっくりと、レンが階段から滑り落ちぬようにと腕に力を込めて抱えながら、俺は徐々に大きさを増す音に警戒心を強めて恐る恐る階段の上へと顔を覗かせる。
「……!」
(いた……!)
床と水平の視線を右に左に動かして音の出所を確かめた俺は、視線の先に伸びる廊下で戦いを繰り広げるシロウの姿を視界に捉える。
するとそれと同時に、視界にはシロウが剣劇を繰り広げている相手の姿も映り込んだ。
黒い装束を身に纏い、手にはクナイを携え、忍者と呼ぶに相応しい姿縦横無尽に躍動していた。
その人物は重力を感じさせない身のこなしで、息着く暇も与えない怒濤の攻めを以てシロウへと襲い掛かる。
何度も、何度も、とても一対一で戦っているとは思えない早さで剣劇の音は次々と紡がれていく。
これが闘技の大会などであれば、いつまでも見ていたいと思えるような、息を飲む白熱の戦いだった。
だが、終わりは一瞬で訪れた。
相手の飛び込んだ一撃にシロウは刃を合わせて受け流すと、体勢が崩れた敵の背中へと容赦なく刀を振り下ろした。
男の声で断末魔が響き渡り、その次にはドサリという床に倒れ付した音が鳴り響く。
敵が動かぬことを確認したシロウはフゥと小さく息を吐くと、刀を払い、刀を伝う血を振り払った後、それを鞘へと納めた。
「……音が止んだな」
「はい。今、シロウさんが敵を……」
もう目の前には敵がいないのだろう。
シロウは悠然とした足取りで廊下の先へと歩み始める。
「行きましょう、レンさん。動けますか?」
「ああ」
階段から滑り落ちぬよう、俺はレンを気遣いながら再び足を動かし、残り少ない階段を上りきってすぐさまシロウの後を追い掛け始めた。
互いに満身創痍の体を引き摺り、屍を踏み越え、離れ行くシロウの背中を見失わぬよう、必死に足を前へと動かす。
だが、どれだけ頑張ろうとも、傷一つなく確かな足取りで足を進めるシロウには追い付くはずがなかった。
先を行くシロウの後ろ姿は俺たちの存在に気が付くこともなく、廊下の先の曲がり角へと消えていく。
コツ……コツ……と、ゆっくりとした足取りで俺たちは足を運び、シロウが消えた曲がり角へと近付いて、そしてシロウと同じようにその角を曲がる。
「ぇっ……!?」
すると、俺の瞳に飛び込んできた光景は予想だにしていなかったものだった。
それは、刀を構えたシロウがこちらへと殺気に満ちた瞳を見開いて、奇襲を仕掛けようとしている姿だった。
体も傷付き、人一人を抱え、さらには不意の状況。
避けることはおろか、防ぐことすら間に合わせられない。
俺は指先すら動かすことも出来ずに、ただただ間抜けな声を小さく漏らすばかりだった。
殺される。
そう悟って体を強張らせ、恐怖から顔を反らし、祈るように瞳を閉じる。
それしか、俺に出来る術など残ってはいなかった。
しかし、数瞬と時が経てども、俺の体に痛みが襲い掛かってくることはなかった。
「後ろを付けてくる気配があるかと思えば……お前たちだったのか」
すると僅かな間の後、目覚めを促すかのように、落胆と安堵に満ちたシロウの声が響き渡る。
刀を納める音に合わせて俺は瞳を開くと、目の前にあったのは優しげに微笑むシロウの姿だった。
「……無事なようだな、何よりだ」
「フッ……これが無事に見えるのか」
「当然だ。二人が相手をしたのは共に互角、もしくはそれ以上の相手だろう。命があっただけでも儲けものといったところを、その程度の傷で済んでいるのだ。無事と形容する以外に言葉が見つからん」
心配してくれていたのだろう。
その表情は優しげな兄というような、とても穏やかなものだった。
俺とレンはその笑みに釣られ、自然と表情を緩ませる。
「ところで、フェイ・ウィンリーは……」
「呼びましたか?」
「「「……ッ!?」」」
表情を元に戻し、言葉を紡ぎ始めたその瞬間だった。
シロウの背後からはとても清らかだが、恐怖を感じさせるような落ち着きのある声音が響き渡った。
シロウは刀を抜きながら素早く身を翻して腰を低く構える。
人の心を緩ませるようなニコニコとした笑みがそこにはあった。
糸のように目を細め、容姿端麗なその顔付きと淑女然とした落ち着きあるその佇まいは、どこか惹き付けられるようなものが感じられる。
だが、本性を知っている俺たちにはその笑顔は恐怖を感じるもの以外のなにものでもなかった。
「ふふっ……お久し振りですね、レンさん」
そんな俺たちの心情を知ってか知らずか、感情の読み取れぬその笑みを保ったまま、フェイ・ウィンリーは恐怖を煽るように、そう再会の挨拶を述べた。