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男がか弱きこの世界で  作者: 水無月涼
三章 東洋の国
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三章46話 くれてやる

 時が止まった。

 そう感じてしまうほどの静寂だった。

 目の前に佇むセンドウは瞳を閉じ、剣を鞘に納め、無防備とも言えるような状態。

 距離も遠く離れているとは言えない今なら、一太刀入れるには絶好の機会のようにも見えた。

 しかし、そんな状況を前にしても、レンが足を動かすことは一向に訪れることがなかった。



 (聞いたことがある……剣を鞘に納め、引き抜き様の一瞬に全てを集約した、“居合い”という神速の剣技を駆使するものがいると。もし、目の前にいる彼がそれの使い手だと言うのであれば、今の状況が隙を晒しているように見えたとしても、不用意に攻めるのは得策とは言えんな……)



 剣を強く握り直し、切っ先をセンドウへと傾けながら、集中力を高めて鋭い視線を注ぎ続ける。

 激しい戦いを繰り広げているわけではないというのに、レンの額には汗が滲み出ていた。

 沸々と滲み出た汗は寄り添い合い、玉のような滴となってはレンの輪郭をなぞっていく。

 眉尻を駆け抜け、頬を伝い、顎に達してさらなら大きな一粒となった瞬間、体を離れて床へと急降下していく。



 「……ッ!」



 ぴちゃり。

 耳を傾けなければ聞こえぬほどに小さな、一滴の水音が微かに鳴り響いた瞬間、保たれていた静寂は一瞬にして打ち破られた。

 今までに聞いたことのないような、耳をつんざく金属音が高々と鳴り響く。



 「ぐっ……!」


 (速い……! 尋常ではない速さだ……!)



 目で追うことも困難なほどの一瞬の出来事だった。

 水音が響き渡った瞬間、センドウは瞳をカッと開くと同時に数メートルほどの距離を一足で詰め、引き抜き様に横薙ぎの一振りをレンへと振り払ったのだ。

 速く鋭く、全集中を注ぎ込まれて振り払われたそれは、剣を盾にして防いだレンへと強い衝撃を残し、反撃することも叶わぬほどの怯みを与えていた。

 あまりの衝撃に、レンは僅かに一歩後退り、自らの隙を補うようにセンドウは飛び退きながら再び鞘へと剣を納めて腰を低く構え始める。



 「さて、ここからはどちらの体力が最後まで保つかの勝負ですね……」


 「……ッ」


 (来る……!)



 そして次の瞬間、辺りには先ほどと同じ、強烈に耳に残る大きな金属音が響き渡った。

 居合いの一振りを弾き返し、その反動でレンは僅かに二歩後退る。

 その隙にセンドウは再び飛び退き、間合いを取ってはすぐさま居合いの構えを繰り返して集中力を高めていた。


 三度、四度と、耳をつんざく金属音は鳴り響き、戦いが終わらぬ限りそれは何度でも繰り返され続ける。

 一振り毎に全神経を注ぐセンドウと、一合毎に全神経を注ぐレンの衝突は、永遠に続くのではないかというほどのものだった。

 しかし、二人の剣劇の終わりは唐突に訪れた。



 「……ッ!」


 (しまった……!)



 幾度目となるかもわからぬ金属音が響き渡った瞬間、衝撃に堪えきれなくなったレンが上半身を浮わつかせ、無防備にものけ反ってったのだ。

 誰から見ても逃す理由などない絶大なる好機。

 膠着していた戦況をようやく瓦解させ、センドウは僅かに歯を覗かせる笑みを浮かべながら、もう慎重になる必要などないと言わんばかりに刺突の構えを取る。



 (まずい、間に合わない……!)



 防ぐことが出来ない。

 刀の鋭い切っ先が自らの心の臓に向けられたのを目にし、レンは瞬間的にそれを悟った。

 何がなんでも避けるしかない。

 頭の中ではその一つの考えだけが強く訴え掛けてきていたが、レンの心はそれすらも間に合わないと悟っていた。



 「覚悟……!」


 「……ッ!?」


 (今のは……!)



 センドウが一歩踏み込み、切っ先が徐々に自らへと向かって突き進んでくる。

 そんな光景を前にした瞬間、レンの脳裏には走馬灯のように一瞬だけ過去の記憶が通り過ぎていった。

 それは遠くはない、いつかの出来事。

 厳格な女性が鋭い瞳で冷たく言葉を言い放ち、暗く沈んだ表情のレンはすがるようなことすらせず、僅かに俯いたまま短く一言返事を返す。

 そんな何でもない光景だった。

 だが、その短い光景がレンの体に一瞬だけ、大きな力を与えた。



 「……ッ!? うあぁッ!!」



 レンの苦痛に喘ぐ声が響き渡る。

 だがそれは、絶叫などというほどのものではなかった。

 本来であれば致命傷を避けられないほどの状況だった。

 しかし、レンが負った傷は左腕の輪郭を貫かれ、その肉を僅かに一センチほど切り込まれる程度で済んでいたのだ。

 腕を切り込まれるのとほぼ同時に、レンは傷つくことも厭わず左手で刀の根本へと掴み掛かる。



 「ギリギリで避けましたか……! ですが、もうその傷ではまともに動けはしません。私の勝ちです」



 天と地がひっくり返ろうとも負けることなどありはしない。

 そう言わんばかりに、センドウの声音からは喜と楽の感情が溢れ出る。

 しかし、僅かに俯き、刃をこれ以上振り回されぬよう血を滴らせながら刀の根本を素手で掴むレンは、そんなセンドウへと同意も反論も返しはしなかった。

 死んだように固まるレンを前にし、センドウは戦いは終わりだと言いたげな表情で掴まれる刀を引き戻そうとする。



 「……ッ!」


 (動かない……?)



 しかし、傷付いた腕で刀を握り締めるレンから、センドウがそれを引き戻すことは出来なかった。

 そんな状態の体のどこからこれほどの力が出ているのだろうか。

 そんな疑問を抱えながら、センドウは冷徹に瞳を細める。



 「離してください、楽に逝かせてあげますから。それとも、その美しい指や腕を切り落とされて死にたいとでも言うのですか?」



 これが最後の通告だ。

 そう言わんばかりに、センドウの声は低く冷たかった。

 言葉を紡いだ後、センドウは返答を待つかのように、僅かな間、静かにレンを見守る。

 俯く頭、傷付くことを厭わず白刃を握り締める左腕、痛みを感じていながら尚、垂れ下がることのない剣を手にする右腕。

 センドウの心の内には黒く揺らめく不安が芽生え始めていた。

 力量差が互角の相手を前にして深手を負い、状況は圧倒的に不利。

 にも関わらず、諦念が漂うどころか、剣を手にする腕やその鋭い切っ先が床に垂れ下がることはなく、むしろ力がみなぎっていたからだ。



 「……安いものだ。腕の一本くらい、くれてやる」


 「……?」



 するとおもむろに、目と鼻の距離ですらハッキリと聞き取れぬような小さな声で、レンはセンドウの問いに答え始めた。

 どういう意味だ、センドウはそう言いたげに眉を寄せ、そして同時に、レンが放つ異様さに怯んだように僅かに上体をのけ反らせる。



 「だが、その代わり……!」



 そんなセンドウへと詰め寄るかのように、レンは語気を強めながら顔を上げた。



 「その命、貰うぞ」


 「……ッ!」



 目を見開き、瞳孔を開き、今までに見たことのないような姿でレンは低くそう宣言する。

 するとその瞬間、センドウは手にする刀が灼熱に燃え盛ったかのごとく、捨て去るように自ら手放して飛び退いた。

 センドウの手からもレンの手からも離れ、刀はカシャンッと音を鳴らして床に転がり、逃がすまいとレンはセンドウとの距離を詰める。

 殺される。

 そう強く感じ取ったのだろう。

 センドウは額に大粒の脂汗を浮かべながら一つ、二つと距離を取るために飛び退き、近付くなとばかりに腕を振り払う。



 「それはもう見たと言っている……!」



 しかし、悪足掻きと言える小さな毒針がレンへと届くことはなかった。

 目に見えるかもわからぬ針を軽々と弾き返し、レンはさらに勢い付いてセンドウへと駆け寄る。

 すると、逃げていても終わりが来ないと踏んでか、センドウは飛び退く足を止めて腰を低くし、刀の鞘を以て居合いの構えを取り始めた。

 切り裂くことなど出来なくとも、頭をかち割ればそれで終わる。

 そう自らに言い聞かせるように、詰め寄る僅かな時間で瞬く間に集中力を高めていた。


 ぴちゃり。

 血の一滴が床に滴る音が響く。

 その瞬間、センドウは目を見開いて鞘を振り抜き、それと同時に、レンはそれを打ち返さんとばかりに剣を振り払った。



 「……ッ!」



 互いの一刀は衝突し、音を響かせ、そして一方が宙を舞う。

 どこにそんな力が。

 鞘が手元から離れたセンドウはそう言いたげな表情を浮かべ、衝撃に堪えかねて上体をのけ反らせる。

 その姿は無防備そのもの。

 またとない絶大な好機だった。

 最後の力を振り絞ってレンは深い一歩を踏み込む。



 「はぁああぁあッ!!!」



 集中力を使い果たし、体が思考に付いていかないのだろう。

 窮地を前にしながらセンドウの体は微動だにしなかった。

 レンは気合いの咆哮を響かせ、渾身の刺突を突き立てた。



 「……ッ!」



 溢れ出した血が、剣を伝った血が、パタパタと床に染みを作る。

 胸を貫かれ急速に力が抜けていくセンドウは苦悶の声を漏らすこともなく、支えを求めるようにレンへと寄り掛かった。



 「参り、ました……」



 そして、儚げな笑みを浮かべながら僅かに一言だけ呟くと、レンの肩を滑り落ち、手から離れたレンの剣もろともドサリと音を立てて床に倒れ付した。

 レンの激しい息遣いが響き渡る中、溢れ出る血は床に水溜まりを作り、それに上塗りするかのようにレンの腕から溢れ出る血が指先を伝って滴り落ちる。



 「ぐぅッ……!」



 死闘に終わりを迎え、気力が途切れたのだろう。

 表情は痛みに歪み、血が滲む手を握り締めながらレンは溢れ出る血を抑えんとしてもう一方の手で腕を抑える。

 だが、一度溢れ出した痛みを抑えることはもう出来なかった。

 体力も気力も使い果たし、体を支える力を失ったレンはガクリと膝を折って、血に塗れることも厭わず床に膝を着けた。

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