三章35話 命を懸けてでも
海に囲まれた小さな島国とはいえ、一国の乗っ取りを狙っているなど、想像し難いものだ。
ただ、フェイ・ウィンリーという人物の戦い振りを一度目にしたことのある俺は、それが考えられないものなどとは思えなかった。
それというのも、十にも迫る人数を一人で返り討ちにした、圧倒的な実力を誇るレンを完膚なきまでに叩きのめしておきながら、まだまだその上があるとハッキリと感じられるほどの底知れなさをフェイからは感じられていたからだ。
たった一人ですら国を落とせるのではないかというほどの圧倒的さを知っていれば、シロウへの否定の言葉など出てくるはずもなかった。
「……過去の言葉というのは、私たちに話してくれた、シロウがセンドウと距離を置く切っ掛けとなった時のもののことだろう?」
シロウの推測から僅かな間を開け、レンはシロウへと問いを投げ掛ける。
すると、シロウは僅かな間を開けることなく、問いに対して首を縦に振った。
「ああ、それだ。犯罪を行うことに抵抗のない連中を味方に付けてここが勝負の時と踏んだのだろうな……俺に邪魔をされぬよう殺そうとしてきたこと、たとえ殺せなかったとしても、ミアを取り戻した安堵から俺が平穏な暮らしへと戻ると踏んでの行動を取ったことも考えれば間違いない……!」
これまでの経緯やミアの証言を鑑み、シロウはそう強く言い切る。
すると、そんなシロウへと異議を申し立てるように、クレアは恐る恐るといった様子で手を上げる。
「あの……センドウさんがこの国で有名な剣術師だということはお伺いしていますが、本当に一国を相手に立ち向かうなんてことがあるのでしょうか? どんなに強い人であろうと、そんな大それたことを成し遂げるのはさすがに無理があるような気がするのですが……」
クレアの疑問はごく自然なものだった。
たった一人、武を極めたものがいようとも、一国を守る兵士の数ともなればその数は計り知れないものがある。
その強者の数が二人、三人と増えたとしても、莫大な数の力をひっくり返すのは無理なものといえた。
だが、その問いを受けようともシロウは一切表情を変えることはなかった。
「通常の国であれば、たかが数人、数十人程度の一団で国落としなど到底無理なことだろうな……ただ、この堕落した国ともなれば話は変わる。外からやって来たお前たちであればこの国の惨状を目にしたことがあるはずだ」
シロウの言葉に、俺たちの脳裏には賄賂を求める役人たちの姿が蘇る。
危機感など何もない、そう感じざるを得ない光景ばかりが記憶に残っていた。
「……この国はあまりにも堕落し過ぎた。力あるものたちはその力で地位を取り、そして金の味を覚えてやつらは武を身に付けることも止めた。兵士の数は少なからずあれど、今ではその錬度は皆無に等しい。だから、わざわざ剣だけは優秀なセンドウに指導を頼むようにもなっているんだ。そして、そこで兵力をある程度知ったセンドウであれば、行動を移す時期を見極めるのも容易。あいつにとって障害となるであろう俺を切り離そうとしていたことから見ても、やつらが今、国の首を狙っているということは断言出来る……!」
惨状を思い返し、シロウの言葉を聞き、俺たちの中には意見を呈するものはもう誰もいなかった。
「……シロウさんは、どうするつもりなんですか? 止めに、行くんですか?」
シロウが言葉を語り終えてから僅かな間の後、俺は覚悟の定まった様子のシロウへと問い掛ける。
すると、シロウは小さく首を縦に振る。
「もちろんだ。俺がセンドウの誘いを断ったのは、あいつが国の長となればより酷い結末を思ったからだ。それが現実に迫っている今、止めに行かないなどという選択肢は俺の中には欠片ほどもありはしない」
「そう、なんですか……」
(無茶だ……シロウさんが強いということは戦っていなくてもわかる。でも、たった一人でセンドウってやつと、あの化け物を相手になんて……)
この国と無縁な俺にとって、この国の将来など心配する義理はない。
ただ、僅かながらとはいえ、同じ時を過ごし、共に戦い、同じ釜の飯を食した今、俺の心には死地へと向かおうと意思を固めるシロウのことを不安に思う念が芽生えていた。
「……お前たちに一つ、問いたいことがある」
そんな中、シロウは先ほどまでとは僅かに違う静かな声音で俺たちへと語り掛ける。
「……何だ?」
「もし、俺が力を貸してくれと言ったら、お前たちはどうする?」
すると、レンの問いに対して返ってきた答えは、俺の心を悟ったかのような問いだった。
「ミアを取り戻しに行くのをたった一人で向かっていたとしたら、俺は昨夜、間違いなく死んでいた。センドウの策略に嵌まり、得体の知れない力に飲まれたまま、ミアを救い出すことも出来なかっただろう。だが今、俺は生きている。それは、センドウの想定にはなかったお前たちがいてくれたからだ。お前たちがいてくれたからこそ、俺はまたミアと生きて会うことが出来たんだ……だから、お前たちのその力を見込んで頼みたい。センドウに国を盗らせないために、俺に力を貸してくれ……!」
床に両手両膝を着き、額を擦り付け、自尊心を捨ててシロウは俺たちへと頭を下げる。
関わりのない人が見れば無様ともいえる格好だ。
ただ、俺はその姿から並々ならぬ熱意が込もっているのが感じられた。
そして、それは横にいるレンやクレアも同じ様子だった。
「私は構わんぞ」
「私も、お力添えいたします……!」
レンは笑顔でシロウに応え、クレアは力の入った様子でやる気を露にする。
そして、その場にいる全員の視線はまだ答えを示していない俺へと自然と集まってくる。
国盗りを止めに行けば、死ぬ可能性は十分にある。
そして、その可能性はこの場にいる誰よりも俺が高いということは、自分自身でも客観的な目線を以てわかっていた。
(命を懸けてでも、あんな過去は忘れ去らなきゃいけない。今度こそ自分の手で、ケリを着ける……!)
だが、それを理由に断るという選択肢など、俺の中にはなかった。
「どれだけ力になれるかわからないけど、やります……!」
俺の人生を踏みにじったのはリゼだけではない。
まだ、過去を払拭出来ているわけではなかった。
俺は注がれる全ての眼差しに応え、力強く首を縦に振った。