三章33話 離島からの帰還
「ぅ……ん…………」
「……!」
どれほどの時間を一人で静かに過ごしていたことだろうか。
延々と木々のざわめきと寝息だけが響き渡っていた俺の耳に、ようやくそれらとは違う音が小さく響き渡る。
「シロウさん、大丈夫ですか……?」
最初に目を覚ましたのはシロウだった。
シロウは頭を抱え、顔をしかめながら体を起こして辺りを見渡す。
「頭が、痛む。俺はいったい何を……?」
夢の中と現実を混同しているのだろうか。
シロウは自らが今、どういう状況にいるのか理解出来ていない様子だった。
「老婆が仕掛けていた変わった植物の力で眠らされていたんです。覚えてませんか?」
「……ッ! そうだ。俺はあの時、センドウを追って……センドウはどうした!?」
しかし、それも一瞬のこと。
現状に至るまでの経緯を一言口にした瞬間、シロウは目の色を変え、俺の両肩を掴んで鬼気迫る表情を近付ける。
「わ、わかりません。でも、たぶんもう、ここにはいないはずだと……」
敵ではないとわかっていても、シロウのその表情は恐怖を感じさせる程のものだった。
俺は僅かに声を震わせながら問いに受け答える。
すると、シロウの表情は僅かに和らぎ、俺の肩を掴む手からは力が抜けていく。
「……すまん。少し、取り乱した」
「い、いえ。大丈夫ですよ……」
そして、返答を聞いて冷静になったシロウは、気まずさからか、視線を背けながら謝罪を口にした。
そうして何も喋らぬまま僅かに間を開けた後、シロウはふと倒れ付した老婆へと視線を移す。
「……あれは、お前がやったのか?」
「ぇっ……あっ、はい。まあ……」
「そうか。なら、俺は命を助けられたということになるな。礼を言う、助かった」
視線を合わそうとはしない、とても素っ気ない感謝の言葉。
だが、俺にはそれがとても嬉しく感じるものだった。
今までであれば常に誰かに身を守られ、人を助ける行為などとは無縁だった。
努力の成果を実感する瞬間は度々現れはすれども、自分一人の力で自分の身も誰かの命も守りきれた試しなどなく、人を守って感謝をされるという経験などなかったからだ。
心の中に沸き上がる嬉しさで、俺は震えるような思いだった。
「……ところで、そこの老婆を仕留めてから今に至るまでに、どこかに人の気配を感じたりはしなかったか?」
そんな余韻に浸っていると、シロウからは唐突な質問が飛んでくる。
「あっ、いえ。そういったことは特に……」
「そうか……もしかしたら、もうここには誘拐された人々などいないのかもしれんな」
シロウの声は気落ちしている様子が感じられるものだった。
ただ、そうなるのも当然のこと。
自らの妹に関わる敵を逃し、そしてその妹の行方も掴めぬまま。
これまでの苦労に対して収穫が皆無ともなれば、シロウの様子の変化も仕方ないと言えるものだった。
「……二人を起こそう。これ以上、留まっている必要もないし、屋敷を見回って何もないようであれば帰るぞ」
「はい、わかりました」
辺りに人の気配は一切感じられない。
期待は薄かったが、一縷の望みを捨てるわけにもいかなかった。
俺はレンとクレアを揺すって起こし、僅かな可能性に賭けて、俺たちは物音一つしない屋敷を見回り始めた。
調べていない部屋は二階と三階にあるもののみ。
敵のいない中で屋敷内を調べ尽くすのはそれほど時間が掛かるものではなかった。
「……どの部屋にも人の姿は見られなかったな」
全ての部屋を調べ終え、俺たちは何の収穫も得られぬまま屋敷の外へと足を踏み出す。
「止まれ……!」
「「「……!」」」
すると、先陣切って外へと足を踏み出していたシロウは、レンの言葉に応えるかのように、手で制しを促しながら足を止めた。
シロウは警戒を露に刀へと手を伸ばし、腰を低く構えながら一点を見つめる。
「そこにいるのはわかっているぞ……! 出てこい、姿を現せ!」
シロウが見つめる先は暗き雑木林の中にある茂みの中。
人一人が隠れられるような小さなその場所に視線を注ぎながら、敵を前にしたかのような声音で声を響かせる。
すると僅かな間を開け、要求に応えるようにして茂みは音を鳴らしながら揺れ始める。
「ぇっ……子供?」
現れた人の姿を目にし、困惑の疑問が俺の口からはついて出た。
俺たちと現れた子供との距離はおよそ十数メートルといったところ。
今はまだ夜ということもあって顔をハッキリと確認することは出来なかったが、その立ち姿と構え、月明かりに照らされて見えた景色から、銃口をこちらへと向け、警戒心を露にしているということが見て取れた。
「……! ミア、か……?」
そんな銃を向ける人影へと殺気を放ち、刀に手を掛けていたシロウは、僅かな間を置き、半信半疑といった様子でポツリと妹の名を口にしながら問い掛ける。
「ぇ……シロウ?」
「ミア……!」
すると、シロウの言葉を聞いた瞬間、眼前の子供からは少女の小さな声が響き渡る。
声を聞いた瞬間、シロウは自らの妹だということを確信したらしい。
解き放たれていた殺気は瞬く間に掻き消え、一人の少女の兄としての自分に帰ったシロウは、一目散にミアの元へと駆け出していった。
思わぬ形での兄妹の再開を前に、驚きを感じている所もあったが、それ以上に、俺の中に溢れるのは安堵の気持ちの方が強かった。
俺たちは互いに笑みを浮かべて顔を見合せ、肩を並べながらシロウたちの元へと駆けていく。
「大丈夫か、ミア? 怪我は……」
「いッ……!」
妹の無事を肌を通して実感するかのようにシロウがミアの体に触れていると、ミアは痛みに顔を歪めて小さく声を漏らす。
「血が……! 何があった……!?」
すると、腕に出血があることに気が付き、シロウは目の色を変えてミアへと迫る。
「ここに来る間に、枝で引っ掻いた……」
「……そ、そうか。良かった。誰かに傷付けられたわけではないんだな」
しかし、ミアの口から紡がれたその実は、血相を変えてまで心配するほどのものではなかった。
怪我の原因が大したものではないと知り、シロウは肩を落として安堵の吐息を吐く。
そして僅かな間を開けた後、シロウはミアの手にする銃へと視線を向けた。
「……ところで、それはどうしたんだ?」
「机の上にあったから、借りてきた……誰かに見つかっても、大丈夫なようにって思って……」
シロウの問いに、とても静かな落ち着きある声音で、ミアはシロウの妹らしい言葉を呟く。
そんな返答を耳にし、シロウは何も言葉を紡がずに優しげな笑みを浮かべた。
「何はともあれだ、無事で良かった……帰ろう」
「……うん」
数瞬前まで見せていた姿など微塵も感じられない穏やかな表情をシロウは浮かべ、ミアはその言葉に静かに首を縦に振る。
そうして、俺たちはミアを連れて島の裏手にある小舟に乗り、離島を後にした。