一章7話 暗き道のその先に
女は気絶している様子で静かに眠る一人の子供を抱えながら、隣で付き添う女と笑顔を見せながら階段を下りていく。
そんな中、その女は眉をひそめながら唐突に足を止め、それを受けてもう一人の女もまた足を止める。
「……? ねえ……今、何か変な音が聞こえなかった?」
「音……? いや、聞こえなかったけど……」
「……じゃあ……気のせい、かな……?」
問いかけに仲間の女は不思議そうな顔をしながら否定を即答する。
その返答に、女は自分の耳を疑い、未だ引っ掛かったものが気になるといった様子を見せながらも歩みを再開し始めた。
子供を運ぶ二人は地下牢まで下りると、誰も入れられてはいない牢を見つけては扉を開き、連れてきた子供をその中で寝かせる。
「……何? やっぱりまだ気になるの?」
付き添いで地下までやって来た女は扉に錠を施しながら、何かを考えている様子を保つ女へと問いかける。
「いや、それとはまた違うんだけど……何か、静か過ぎない?」
「……ん? どういうこと?」
「いや、だってさあ、リゼが見回りに行く時ってだいたい商品に手を出してるから何かしら音が響いてるでしょ? でも、今日はそうじゃないじゃない? しかも、まだ帰ってきてないから、何かあったのかなと思って」
「……確かに」
女から返ってきた答えに錠を施し終えた女は真剣な眼差しで納得の意を示す。
「……リゼーッ! いるなら返事をしなさい!」
そして僅かな間の後、その女は大きく息を吸って呼び掛けを響かせる。
「……ごごよォッ!!」
「「……!」」
「向こうから聞こえたわ……!」
「ええ、行きましょう……!」
するとその呼び掛けに、泣いている画が思い浮かぶような悲痛な叫びが響き渡った。
二人はその声に異常な事態が起きていることを察知し、勢いよく駆け出す。
「えっ……?」
「リゼ……あんた何やってんの?」
そうして声の出所へと辿り着いた二人は、目の前にある光景に困惑する。
「見でわかるでじょォ!!?」
「わからないわよッ! 何をどうやったらそうなるのよ!?」
二人の視界に映った光景はボロボロと涙を流しながら成す術もなく鉄格子にしがみつくリゼの姿だった。
察して欲しいとキレぎみに泣くリゼに女は最もらしい疑問を投げ掛ける。
「東洋人を味わおうとしたら頭突きされて押し飛ばされて壁に頭打って逃げられた上に鍵まで掛けられたのよ! すぐに追いかけようと内側から鍵を開けようとしたんだけど、手を滑らせちゃって鍵が手の届かない場所に落っこちちゃったのよ!!」
涙ながらの説明と共に示されたリゼの指差す先を見つめると、そこには確かに、ギリギリ指が届きそうにない位置に鍵の束が転がっていた。
鍵を見つめ、リゼの説明を咀嚼し、二人の女はわなわなと体を震わせながら表情を怒りの色に染めていく。
「このバカリゼッ!! 何てことしてくれてんのよ! あれを逃がしたらどうなるかわかってんの!?」
「ひィッ!? ごめんなさい!」
そして、付き添いで来ていた女の怒声を受け、リゼは縮こまりながら涙を浮かべ、申し訳なさそうな表情で謝罪を口にする。
すると、怒りを叫んだ女はリゼに舌打ちを打ちながらも、地に転がる鍵束を拾い上げて錠を解き始める。
「まったく……! このことは後でモルダに報告させてもらうからね。覚悟しておきなさい……!」
「……! 嫌ッ! それだけは勘弁して!」
「自業自得よ! 甘んじて受け入れなさい!」
そして、錠を解いて扉を開くと、女は飛んで泣き付いてくるリゼを引き剥がそうとしながら強く突き放した。
「……ねえ」
そんな二人のやり取りを前に、リゼの有り様に驚いてから黙り続けていたもう一人の女は静かに声を発する。
「東洋人に逃げられたって言ったけど、私たち、ここに来るまでに誰ともすれ違ってないわよ……」
「えっ……!?」
「確かにそう言えば……!」
「この地下牢から地上に出る階段は一つしかない。つまり、出会していないってことはもしかして、あそこに行ったんじゃ……」
「「……!」」
そして、女の推測を耳にして二人は何かを悟り、逃げ出したシンジを追うべく三人は勢いよく駆け出した。
ーーーーー
どこまで続くかわからぬ暗闇の道を、俺は息を切らしながら延々と駆け続ける。
(どこまで続いてるんだ、この道は……! もう、息が……)
リゼから逃れ、それからほぼ休むことなく走り続けていた俺は体力の限界に顔を歪め、走る速度をどんどんと落としていく。
そして終には足を止めて両膝に手を着き、酸素を求めんとして激しく呼吸を繰り返した。
「クッソ……! 早く逃げなきゃ追い付かれるかもしれないっていうのに、長過ぎるだろ……この地下道……!」
額に浮かぶ汗を拭い、いつまでも続く暗闇に苛立ちを募らせながら俺は再び足を動かし始める。
呼吸が整ったわげはなく、体力が回復したわけでもない俺は重たい足を一歩ずつ持ち上げて着実に進んでいく。
「……! 扉だ……!」
すると歩み始めてから数秒、視界には徐々に変化が訪れ、その変化に目を凝らして見ると、そこには先刻目にしたばかりの扉と同じ木製扉が待ち構えている姿があった。
地下道の終わりを目にした俺は途端に気力を取り戻し、先程までの疲れを忘れて軽く駆け出す。
(やった……! ようやく終わる……ようやくこの暗い道から抜け出せる!)
そして、精神を磨り減らす長い地下道の終わりに喜びながら、俺は走る勢いをそのままに扉へと手をかけた。
「……え?」
すると、扉を開けた先に待ち受けていたのは、依然として続く薄暗い闇と、火の灯るランタンが所々に吊るされている光景がそこには待っていた。
俺はその明かりを頼りに、辺りの状況を深く確かめる。
目先には一本道、その道の先には僅かな広間が垣間見える。
そして、道の両脇には先刻まで納められていた牢屋よりも豪勢というべきか、職人の手で作られたような精巧さが感じられる真四角の牢屋がいくつも並んでいた。
「は……? 何でまた、こんなところに牢屋が……どういうことだよ……? まさか……ここにはもう、俺の逃げ場はないのか……?」
困難を乗り越え、苦労して逃げて来た先にも同じ光景が待ち受ける。
絶望するには十分だった。
「……いや、そんなはずはない。この先に、まだ救いはあるはず……!」
だが、俺は一縷の望みをかけて道の先で待つ広場へと駆け出す。
扉から先に見える広間までの距離は数メートルから十数メートルといった所。
天国と地獄のどちらが待ち受けているかは五秒後にはわかる。
希望も絶望も全て捨て、目に映る光景に全てを委ねて俺は駆ける。
「何か声が聞こえたかと思ったら……」
「……ッ!」
しかし、結果をその目に納める前に、人の姿を纏った絶望がフラりと、俺の目の前に現れた。
「牢屋に納めていたはずの東洋人じゃない。ねえ、教えてくれるかしら? あなたはどうしてここにいるのかしら?」
(苦労してここまで来たっていうのに、何で……何でこんな所に、この女がいるんだよ……!)
薄暗闇の中、ランタンの光に照らされる姿は青紫色の長髪。
一度、リゼと共に俺の目の前へと現れた女であるモルダは、怒りなどの感情が感じられない声音で問いかけながら、優し気な笑みを浮かべた。