三章24話 死への怯え
『ナイフや短剣などの短い得物の使い手を相手にする場合、判断を誤れば一瞬で窮地に追い込まれかねない。だから、相手の実力が自分よりも格段に低い場合でもない限り、不用意に攻め立てるようなことはしてはならないぞ。良いな?』
俺の脳裏に、剣の修練をしていた時の光景が鮮明に思い出される。
『……レンさん、それはいったいなぜなのですか? リーチの長さで有利を取れている分、こちら側から仕掛けて相手になにもさせない方が懸命なのではないでしょうか?』
『ああ、それが良い方向に転がる場面も多々ある。だが、短剣などを好んで使うものというのは自らの有利不利を完璧に把握して戦いに臨む。だから、そういった相手というのは僅かな隙を逃すまいと、虎視眈々とこちらの隙を伺っているし、そのような相手はとにかく早い。自身の有利なところを頼りに攻め立てれば、こちらが動きづらい間合いに飛び込まれてたちまち畳み掛けられてしまうんだ』
『『なるほど……』』
俺は問いを投げ掛けたクレアと共に感心しながら頷く。
『だから、そんな相手と戦う場合には、相手が疲れで動きの鈍くなったところを狙うか、相手が戦いを早く終わらせようと焦って前のめりになったところを突くと良い。こちらのリーチが長ければその分、その長さを生かして防戦でも有利を取れるからな』
そんな俺たち二人へと、レンは優しげな笑みを浮かべてそう言った。
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度重なる金属音が辺りに響き渡る。
二刀の短剣を用いたリゼの剣劇には、休む暇を与えないという意志が言葉を交えなくともありありと感じられ、俺の命を刈り取らんと本気で向かってきているということが、刃を数回交えただけでもわかる程にリゼの放つ気迫はその意思を物語っていた。
そんなリゼの畳み掛けるような連撃を、俺は後ろに退くことで適度な距離を保ちながら、防御に徹して幾度となく防ぎ続けていた。
(焦るな、落ち着け。レンさんから教わったことを全て出せれば絶対に勝てる……!)
端から見れば、俺の現状は防戦一方に追い込まれた不利な状況。
ただ、そんな状況の中にいる俺は、焦りという感情に心を支配されていくることはなく、むしろ、立て続けに刃が振るわれる中でも驚く程の落ち着きを保っていた。
(ナイフの類いは軽くて短い分、一つ一つの攻撃に大きな威力を出すことは出来ないが、振り回しても体幹が大きく崩れることはない。だからその分、次の行動を早く行うことが出来て他の武器よりも手数を多く出すことが出来る。ただ、そのメリットは同時に、攻めあぐねれば攻めあぐねる程に、焦りと疲労を募らせてしまうことになるというデメリットがある……!)
攻め急ぐようなことはせず、剣を盾のように扱ってひたすらに防御に徹し続ける。
「さっきの威勢はどこにいったのかしら?! そんなんじゃ、一生アンタの言う借りってやつは返せないわよ!」
すると、俺が一度も手を出しては来ない状況にリゼは勢い付き、挑発的な笑みを浮かべながら攻撃の手をさらに加速させていく。
「好きに言ってろ……!」
(このまま体力を削り続ければ、いずれ攻撃のチャンスは巡ってくる……! だから、それまで堪え続けることが出来れば、今どれだけ良いようにやられていようと問題ない!)
そんなリゼへと俺は投げやりな言葉を返し、挑発を無視して間合い管理に努め続けた。
リゼが距離を詰めては俺は刃を受け止め、弾き返しては身を退いて懐に入られぬように心掛ける。
そんな地道で堅実な戦闘の光景は、時間がループしているかのごとく幾度となく繰り返され続けた。
すると、次第にリゼの呼吸には乱れが生じ始め、その表情には徐々に焦りの色が現れ始める。
「チッ……! ちょこまかちょこまかと……いい加減、真面目に戦いなさいよ!」
リゼの手には先程までよりも、明らかに強い力が加わっていた。
剣から伝わってくる怒りを受け止めながら、俺は未だ仕掛けはせずに、何も言葉を返さすことなく繰り返し続けた守りの構えを貫き通す。
「アンタが狙ってるのは仲間が助けに来てくれることなんでしょうけど、そんなもの来やしないわよ! アンタらを動揺させるための奇襲はリゼ一人! 他は全員、畳み掛けるための待ち伏せに回しているからね!!」
(そうか、上の戦いの音がまだ多く聞こえているのはそれが原因か……!)
すると、リゼは俺の心理を推測しながら、絶望を与えんとするように上の状況を白状する。
「それがわかったんなら……逃げずに戦えぇッ!!!」
「……ッ!」
そして、詰め寄る一歩を深く踏み込み、最短距離で刃を届かせようと、リゼは俺の胸元目掛けて突きを放ってきた。
今までになかった行動を前にし、俺の心は一瞬ビクリと跳ね上がる。
(ここだ……ッ!)
ただ、それは動揺から来るものではなかった。
攻めに転じるべき、相手の焦りがピークに達した時であると瞬間的に心が理解したからだった。
俺はリゼの突きに刃を合わせ、滑らせるようにしてそれを受け流す。
すると、積もり積もった苛立ちで力任せに突っ込んだリゼは、止まることも出来ずに前のめりになってたたらを踏んだ。
勢い余って俺の横を通り過ぎたリゼは表情を焦りの色に染めながら振り返り、俺から距離を取ろうと後方へと飛び退く。
しかし、均衡が崩れた今、俺がそれをみすみす逃がす理由などどこにもない。
俺はすぐさま距離を詰め、先程までとは正反対の立場で再び金属音を響かせ始める。
リゼはどんどんと後ろへと退きながら、畳み掛ける俺の剣劇を受け止めていく。
しかし、体勢を整えるために退いたがゆえに、その守りはあまりに脆く、足をもつれさせて転倒する未来が見える程に、リゼには一切の余裕が見られなかった。
俺は堪え続けた鬱憤を晴らすかのごとく、攻撃の手を片時も緩めずに剣を振るい続ける。
「ハァッ……!」
「……ッ!?」
すると、剣劇の終わりはすぐに訪れた。
力を込め、前に進む勢いをも乗せて剣を振るった瞬間、受け止めようとしたリゼの手から短剣が一本弾かれて飛び、上体が仰け反ったリゼは成す術もなく床に尻を打つ。
(取った……!)
俺は勝ちを確信した。
どれだけ筋力に差があろうと床に尻を着いた状態からでは逃げることも、全てを受け止めることも、ましてや全てを避けきることも容易ではない。
俺は因縁に終止符を打たんと、リゼへと向かって突きを放つ。
「ひっ……!」
「……ッ!」
しかし、リゼが死の恐怖に怯えて縮こまった姿を目にした瞬間、俺は途端にその動きを止めてしまった。
“人を殺そうとした”
そう心が理解した瞬間、俺の体は自分への恐怖で震え始めたのだ。
あと数十センチ、肘をグッと伸ばすだけで手の届く所にあった勝利は、幻であったかのごとく、霧となってフッと消えていった。