三章16話 家族ごっこの終わり
剣道を習い始めたシロウは、常人離れした勢いでその腕をメキメキと伸ばしていった。
たった一年で幾年も鍛練を続けてきた大人と対等に渡り合い、二年と経った頃には師範代を担う強者にすら互角以上の戦いを繰り広げるようになっていた。
そんな剣才に優れる少年の噂は少しずつ広がりを見せていき、同世代の子供たちとは一切群れたりしない一匹狼のような様から、知る人からは剣狼などと囁かれるようになっていった。
そうして力を付け始めてから五年。
「はあぁッ!!」
「うぁっ……!」
シロウは師であるセンドウの力を越えた。
それは、ともすれば互角とも言えるようなものではなく、圧倒的な力量さを見せつける程にまで成長していたのだ。
シロウの気迫に圧され、床に倒れ込んだセンドウは、床から受けた尻の痛みに顔を歪ませる。
「いったた……参ったな。もう万が一にも勝てる気がしないな」
「力は大切な人を守るため……勝つ、勝たないは重要じゃないんじゃなかったのか?」
そんなセンドウへと、シロウは汗を滴らせながら手を差し出した。
センドウはその手を取りながら立ち上がる。
「それはそうだけど、やっぱりこうやって試合をするなら勝ちたいと思ってしまうのは当然だろう? 自分が一番強い人でありたい。そう思うのであればあるほど……わかるだろう?」
「……まあ、わからなくはないな」
シロウは完全な否定を返すようなことはせず、僅かな笑みを返した。
そんなやり取りから数瞬の間を開け、センドウは突如として真剣な眼差しをシロウへと向け始める。
すると、その僅かな変化にシロウはすぐさま気が付き、浮かんでいた小さな笑みを瞬く間に掻き消す。
「……ところでシロウ、この後私の部屋に来てもらっても良いかな? 大事な話がある」
「……別にそれは良いんだが、ここで話すのはダメなのか? 今人はいないんだし、誰かに聞かれる心配もないだろ?」
「万が一にも、聞かれたくはないんだ」
「……わ、わかった」
センドウの強い意思を感じ取り、特段断る理由もなかったシロウは首を縦に振る。
そして、道場を後にするセンドウに付いて、シロウは彼の部屋へと向かっていった。
場所を移し、共に部屋へと入るや否や、センドウはピシャリと扉を閉める。
そして、薄い光が差し込む部屋の中央で、二人は互いに向かい合った。
「……それで、話って何だよ?」
シロウは早く話を終わらせたいと言わんばかりの、あまり興味がなさそうな様子でセンドウに問い掛ける。
「……シロウ、この国で十数年と生きてきて、国に対して何か思うことはなかったかい?」
「……急にどうしたんだ? 思うことって、いったい何のことにだよ?」
すると、僅かな間の後にセンドウは、若きシロウに話すにはあまりにも大きく、漠然とした疑問を投げ掛けた。
シロウは唐突なその質問に、再び疑問符を浮かべる。
「この国の全てのことに対して、だよ。シロウももう子供じゃない、わかるだろう? この国の酷さを……この国で、役人はどれだけ得をしている? どれだけ私腹を肥やしている? 苦しんでいる人が何人も目の前にいるのに、彼らは助けようとすらしない。シロウなら、その事実を知っているだろう?」
「……」
少しずつ感情が増していくセンドウに、シロウは静かにその言葉に耳を傾ける。
「私はもう我慢ならん。この国は変わらなきゃならない……いや、変えなければならないんだ。だから、シロウにはその手伝いをして欲しい。なに、やることは簡単だ。この国の首を取れば良い。都から剣の指導を嘆願される程の私と、その私を優に越えるシロウ……腐りきった国を相手にするくらいのことなら、私たち二人の力があればやれる! この国に住む全ての人々を救うための戦いだ。シロウなら、手伝ってくれるよね?」
そんな言葉を紡がぬシロウへと、センドウは笑顔を浮かべて問い掛ける。
それは、闇の部分を垣間見たものであれば自分の考えに同意をしてくれるであろうという、確信めいた表情だった。
しかし、そんなセンドウの心境とは裏腹に、シロウがその表情に浮かべた感情は、酷く冷たい侮蔑に満ちたものだった。
「そんなことに手を貸す気はない。生憎だが、俺にはお前のような悪に立ち向かう正義感はない。俺にあるのはミアを守るための力だけだ。そんな下らないことをしたいと言うのであれば、門下の者でも何でも、俺以外の者を当たれ」
「……ッ!?」
シロウは遠回しにはせず、センドウへとハッキリと拒否を突き付ける。
約五年間、家族として過ごしてきたものからの冷たい視線を前に、センドウは受け止めきれない様子で動揺を露にする。
「な、何で……シロウ、本気で言っているのか? これはミアのためにもなることなんだぞ?」
「言いたいことはわかっている。この国の現状を変えれば、役人に搾取される未来は少なからず改善される。そうなればこの国に住む全ての人間が得をする。それはわかっている……だが、それには必ず恨みが伴うだろう? そして、その恨みはミアに向けられる可能性も考えられる。俺一人で済む問題じゃないんだよ」
「……ッ!」
断られた理由を耳にし、センドウは驚愕すると共にそれに納得して返す言葉をなくした。
そんなセンドウへとシロウは背を向け、話は終わりだと言うように扉へと向けて足を進める。
「俺はミアさえ無事でいてくれればそれで良いんだ。これ以上、家族を失いたくはないんだよ……昔のお前ならこんなことは言わなかったはずだ。今のお前はもう信用ならん。今日を以て、この家族ごっこも終わりにさせてもらう。もう、俺とミアには近付くな」
そして、扉を開ける前に足を止め、肩越しにセンドウへと視線を注いだシロウは、そう強く言葉を放ち、センドウの返答を待たずしてその場から去っていった。