一章5話 一筋の光
記憶を追いかけるような運命のいたずらによって一度折れた心をすぐさま立て直した俺は、暗闇の中でチャンスが巡ってくるのをひたすら待ち続けた。
岩盤に囲まれた牢の中では日の光を確認することなどできるわけもなく、誘拐される際に眠らされていた俺には一切時間の感覚はない。
異世界へとやって来てから今が何日目なのか、ここへと連れられてからどれだけの時間が経ったのか、何もかもわからず、それによって生じた精神的ストレスは既に相当数蓄積していた。
(考えろ……力では叶わないってことはわかったし、強行突破は得策じゃない。頭を使ってどうにか隙を突いて逃げ出すしかない……! あの二人は一週間以内に次のオークションとやらを開きたいと言っていた。そして俺を売り捌くためにできる限り早くそれを開きたいとも言っていた……つまり、この一週間が、俺が人間でいられるかどうかが決まる制限時間だ。やれるだけのことはやり尽くせ!)
俺は無駄に体力を消費しないよう床にだらりと脱力して座り、背中を壁に預けて瞳を閉じ、不必要な情報を全てシャットアウトして思考に全集中を注ぎ込む。
(現状、俺に与えられているであろう逃げ出すためのチャンスは、オークションが開催される時だ。オークションと言うからにはおそらく、こことは違う、仲介業者とかが管理する会場に連れ出されるはず。けどおそらく、その時になったらもう逃げ切ることは不可能だ。その瞬間に俺が足掻こうとすることくらい、あの二人もわかってるはず。だから、それ以外のごく僅かなチャンス……生かすために食事が配られる時とか、そういったものでも何でも良い。どこかで必ず逃げ出せる機会を見付け出さなきゃ……!)
「……!」
(足音……それに、金属音……?)
そうしていると、暗闇の中には一つの足音と擦れ合うような金属音が響き渡り始め、それを耳にした俺は閉じていた瞳を開いて徐々に大きさを増していく音の方向へと視線を注ぐ。
響く音は一歩足りとも立ち止まることはなく近づいてくることを示し、視界にはかがり火で揺れる影が映り始める。
そうして数瞬と待ち続けていると、近づいてきていた足音はその姿を表す。
「さてと、今日は誰にしようかなぁ……」
物色するような言葉を呟きながら現れたのはピンク色の髪をツインテールにした少女リゼだった。
顎に手を当て思案しながら歩いていたリゼは俺の牢の前で立ち止まると、ジッと俺の姿を見つめる。
「決ぃめた……!」
「……ッ!」
すると、リゼはニィッと口元を歪めて下卑た笑みを浮か出した。
俺は背筋に寒気を感じ、体を僅かに縮こまらせて身構えると、リゼは手にしていた鍵の束から錠に合う鍵を探し始める。
そして、正解の鍵を見つけ出すと、すぐさま錠を解き、鍵の束を懐に納めながら牢の中へと押し入ってくる。
「東洋人ってどんな感じなのか少し気になってたのよねぇ」
(ちょっ、ちょっと待て。さっきの言い方からして、これってまさか……!)
「……な、何を、するつもりだよ?」
リゼから感じられる妖艶な雰囲気、その前後の言葉から予測できる差し迫る状況。
薄々感づいていながらも俺は確信を得るために問いを投げ掛けると、リゼは小さく笑い声を漏らす。
「怯えなくて大丈夫よ、安心して? 痛くはしないし怖いこともない。すごーく気持ちいいことをするだけだから」
そして、リゼの返答を聞いた瞬間、俺は思い浮かべていた推測が正しかったと確信した。
「い、嫌だ……! く、来るな……! 来ないでくれ!」
(俺、ファーストキスだってまだなのに、初めてがこんな形でなんて……最初くらいは好きな人とが良いんだ! こんな食われるような形でなんて……絶対に嫌だ!)
俺は懇願しながら牢屋の隅へと後退るが、リゼはその様子を楽しむように一歩一歩ゆっくりと詰めよって来る。
「逃げたところで逃げ場なんてないでしょ。そんな狭いところにいたら出来ないじゃ、ない……!」
そうしてリゼは、牢屋の隅で丸く縮こまった俺の腕を掴み、無理矢理に引き寄せて中央へと投げ出す。
強い力で振り回された俺の視界はぐるりと回り、背中には硬い衝撃が襲い掛かった。
衝撃によって生まれた痛みに顔を歪めていると、俺の体には立て続けに両手首を掴まれる感覚と腰付近に重くのし掛かられる感覚が襲い掛かる。
「ふふっ……つっかまーえた!」
「……ッ!」
その感覚に、痛みを振り払って眼前を確かめると、そこには一瞬の内に馬乗りになっていたリゼの姿があった。
「あんまり暴れないでね? すぐに終わらせてあげるから」
「い、嫌……! 誰か……! 誰か助けて!」
「あぁ、その表情キュンキュンしちゃう……!」
リゼは俺の叫びを聞くや体を震わせ、恍惚の表情を浮かべる。
そんなリゼを喜ばせまいと、誰かに助けを求めんとして、俺はリゼから顔を背けて牢の外へと顔を向ける。
「……ッ!」
(扉が、開いてる……!)
そして、開け放たれたままの扉の姿を見て、心の内を支配していた貪られることに対する恐怖は一瞬にして消え去っていった。
(そうだ……今ここにいるのは、このリゼって女ただ一人だ。ということは、この状況さえどうにかすれば、逃げれる……!)
俺はリゼの様子を横目でチラリと一瞥し、その注意が俺の下半身へと向いていることを確認する。
(このチャンス、逃すわけにはいかない!)
「……ッ!」
「……いッ!?」
そして、リゼが手首を押さえていた片手を俺のズボンへと伸ばそうとした瞬間、俺は勢いよく体を起こし、その勢いのままリゼの顔面へと頭突きを叩き込んだ。
硬い一撃を鼻にもろに受け、苦悶の声を漏らしたリゼは鼻を押さえながら痛みで仰け反る。
「ぅあッ!!」
「……ッ!?」
その体勢が崩れた瞬間を俺は逃しはしなかった。
俺は下腹部に重くのし掛かっていたリゼを、持ちうる力全てを注いで思い切り押し飛ばす。
すると力の強かったリゼは思いの外、背丈に似合った軽さがあったようで、俺が考えていた以上にリゼの体は意図も容易く吹き飛んでいた。
「いッッ!!?!」
一メートル弱軽く飛んだリゼは、勢い余って岩壁に頭をぶつけ、痛みのあまり、今度は頭を押さえて地面をのたうち回る。
その決定的な好機に、俺は急いで牢の外へと駆け出した。
僅かに開いた扉を押し開き、牢の外へと飛び出すやいなやその扉を閉める。
そして、ぶら下がった状態の南京錠に手を伸ばし、すぐには追いかけて来れないように施錠をかけた。
「……ッ!」
すると、その音を耳にした瞬間、痛みに悶えていたリゼはハッとして起き上がる。
そして、扉へと視線を注いで現状を認識すると、額に脂汗を浮かべ始める。
「ぁ……まっずい……!」
俺は一歩、二歩と後退り、それを助走としながらリゼから逃げるように走り出す。
(や、やった……! やったぞ! これで、ここから出られる!)
背後からはガシャンという鉄格子を掴む音が響き渡り、引き留めようとするリゼの叫びが木霊する。
しかし、一度走り出した俺は一度も振り返ることはなく、かがり火に照らされる廊下を駆け続けた。