三章2話 世界一幸せな化け物
陽のある時間帯に出来る限り足を進め、夜には賊への警戒のために見張りを立てる。
そんな一日を繰り返しながら俺たちは東洋の国への道のり着実に進んでいた。
そうした日々の中のとある一日、レンとレヴィが陽光の暖かさに誘われて寝息を立てる中、馬車の中でいつもと同じように揺られていた俺はふと記憶を省みて疑問符を浮かべる。
「……なあクレア」
「はい、何ですか……?!」
「……!」
そして、俺がクレアへと一言声を掛けると、クレアは目まぐるしい速度で反応する。
その速さはあまりにも速すぎて、頭にあった言葉が飛びかける程に驚くべき速さだった。
「……え、えっと、出発する前にレンさんが危険な目に会っても大丈夫かって聞いた時、クレアは身を守る術を持っているって言っていたけど、その守る術ってどんなものなんだ? 武器とかは持ってないようだけど、格闘技とかが出来るのか?」
クレアのあまりの反応速度の速さに動揺していた心を沈めながら、俺は聞こうとしていた言葉を思い出して問いを投げ掛ける。
「うーんと……格闘技と言いますか、お母さんが我流の武術をやっていたので、それを少しなら出来ますよ。もちろん、それだけじゃなくて、一応武器とかも持ってますよ。ここに……ほら!」
すると、クレアは問いに笑顔で答えながら、俺の眼前へと自身の掌を向ける。
そうして僅かに間を開けると、掌の真ん中には豆粒程の穴が現れる。
「この腕には脳波で指令を送ると撃つことが出来る銃が仕込まれてるんです……! 一度に装填出来る弾数は五発しかないんですけど、予備の弾もありますし、ここにも……ほら!」
クレアは自身に仕込まれた武器を笑顔で説明しながら、スカートからスラリと伸びる白く綺麗な足へと手を伸ばす。
すると、ふくらはぎの側面が開くと同時にそこからは剣の柄らしきものが飛び出してくる。
クレアはそれを手に取ると、それを引き抜いて白く輝く刀身を露にした。
「普通の剣よりかは少し短いですけど、ナイフよりは長い剣も持ってます……!」
クレアの言葉通り、膝から足首程までの長さがある脇差のような剣が陽光を反射して輝いていた。
「それに、武器だけじゃないんですよ? この腕と足には簡易医療キットも収納されているので、小さな怪我程度ならすぐに治して上げることも出来るんです!」
クレアは自身に内蔵された身を守る術のみならず、傷付いた身を治す術までも楽しそうに笑顔で話す。
ただ、俺はそんなクレアに笑顔を返すことは出来なかった。
「クレア、どうして……これじゃ、前と変わらないんじゃないのか? クレアが嫌がっていた……」
“化け物みたいじゃないか”
そんな心に残っているであろう傷をさらに抉るような言葉が、俺の頭の中に一瞬だけ過った。
そんなことは微塵も思っていないが、問い掛けるためだけにそう表現すればクレアを傷付けてしまい兼ねない。
俺は言葉を忘れたように、会話の中途で口を閉ざした。
「……大丈夫ですよ、シンジくん」
すると、クレアは察したように笑みを浮かべながら剣を足に納める。
「これじゃ地下で囚われていた時と同じ。体を取り換えっこ出来るなら模型みたいだ、こんな人間は化け物みたいだ。シンジくんはそのことを不思議に思って……心配してくれてもいるのでしょう?」
「……ぁ、ああ」
少しでもそう思ってしまったことに、申し訳ない気持ちで一杯となった。
俺は目を反らしながら小さな声でクレアに同意する。
「気遣ってくれてありがとうございます。でも、私は本当に大丈夫ですよ。シンジくんが疑問に思った通り、武器もなにもない普通の体にしてもらうことは可能でした。でも、武器もなにもない、普通の体になったとしたら、私にはお母さんからもらった少しの格闘術しかありません。もし、大切な人を守りたいって時にそれだけの力しかなかったら、守りたい人も守れないかもしれない。そんなことになったら、私は必ず後悔する……だけど、この体だったら大切な人たちを守ることが出来るのかもしれない。そう思ったら、化け物みたいな体のままでいようって、あのままの体のままの方が良いやって、そう思えたんです」
寝ている二人が起きてしまうのではないかという程、クレアの声には言葉を紡ぐ程に熱を帯びていく。
「……シンジくん、あの時言いましたよね? 守ってやることは出来ないけど、連れ出して上げることなら出来るって」
「あ、ああ……」
「私は、シンジくんを連れ出して上げることは出来ません。でも、その代わりにシンジくんを守って上げることなら出来ます。だから、どんなことがあっても、どんな時でも、守ります……そのためなら、私はどんな化け物にだってなりますよ」
俺が以前、口にした言葉とは正反対の言葉を、クレアは笑顔で語る。
だが、俺はその気持ちを素直に嬉しく思うことは出来なかった。
それは、俺の言葉がクレアを武器にまみれた体のままでいることを導いたようにも感じられたからだ。
クレアから平和な生活を遠ざけたのかもしれない、そういった気持ちを感じ、俺の心には申し訳なさが溢れてくる。
「ごめんよ、クレア。俺があんなことを言わなかったら、クレアは……」
「謝らないでください……!」
「……!」
すると、謝罪を口にした俺の言葉を遮って、クレアは俺の行動に拒否を突き付ける。
叫びにも似たその言葉で寝息を立てていた二人は朧気な表情ながらも目を覚まし始める。
「シンジくんにあの言葉を貰っていなかったとしても、私はたぶんこうしていましたよ。だって、言いましたよね? 一生を掛けてでも恩返しするって。私には大した取り柄なんてないですから、近くにお仕えして命に代えてでも守る、くらいのことしか思い浮かびません。だから、謝る必要なんてないんですよ……それでも、もしシンジくんが納得出来ないなら、私は一つだけ約束いたします」
「……何を?」
「世界一、幸せな化け物になるって……!」
「……!」
目覚めた二人が状況を理解出来ていない様子の中、クレアは満面の笑みでそう宣言する。
「どれだけ頑張っても負い目が消えないのなら、その言葉を掛けて良かったとシンジくんが思えるかくらい、私は幸せになってみせます……! 普通の体では手にすることの出来なかった幸せを手にしてみせます……! それでもまだ少しだけ、納得出来ないということがあるのなら、笑顔でいてください。今の私にとっての幸せは、大切な人たちずっと一緒にいられて、その人たちが笑顔でいること。シンジくんたちが笑っていてくれるのなら、私は幸せなんです。だから……私と一緒に、笑ってください!」
クレアの笑みに、俺はその思いに応えるように笑い、俺だけではなく目覚めたばかりのレンとレヴィもまた笑顔を浮かべる。
ほんの数瞬前まで、俺とクレアの間には僅かに重たい空気が流れていた。
だが、クレアの思いと言葉を前にして、その空気は欠片程も残らず消え、馬車内は和やかな空気に包まれていた。