二章20話 無抵抗
人を背負いながら歩む階段は人並み程度の力しかない俺にとってはだいぶ厳しいものだった。
俺は呼吸を僅かに乱しながらも、レンと共に一段ずつゆっくりと歩みを進めていく。
聞こえる人々の歓声が少しずつ大きくなっていき、それは俺の呼吸も俺たちの足音をも掻き消すような大きさへと変わりつつあった。
そうして階段を登り続けること数瞬、俺たちの視界には階段の終わりの姿が映り始める。
俺たちは改めて警戒を強めながら階段を上り切り、歓声鳴り止まぬ観客席へと足を踏み入れる。
人々の視線は全て戦いを繰り広げる闘技場内へと向けられていて、静かに現れた俺たちには一切注意が注がれてはいなかった。
「「「……!」」」
すると、沸き上がっていた観客の声を一瞬で掻き消す銃声が二発、ほぼ同時に響き渡る。
それは闘技の終了を意味する合図となった。
闘技場で戦いを繰り広げていた二人の女性は、胸や頭部から血の花を散らしながら倒れ付した。
その瞬間、会場は大歓声に包まれる。
異常な光景を既に目にしたことのある俺や見せ物として戦わされていたクレアだけではない、この光景を初めて直に目にするレンまでも、あまりの異様さに不快感を露にするように表情を歪めていた。
『何という結末! こんな終わりを誰が予想することが出来たでしょうか? 今宵のセインズ地下闘技祭決勝戦は、両者死亡により勝者なしという結果に至りました!!』
そんな中、実況を務める声は観客たちと同じように興奮の色に染まりながら最後を叫んだ。
余韻に浸るもの、満足して席を立つもの。
本日の闘技の終了を意味する言葉を耳にし、観客たちの行動はさまざま。
ただ一つ一貫していることは、観客の中の誰一人として俺たちの存在に目をくれるものはいないということだった。
観客たちは感想を互いに聞き合いながら、次第に地上へと続く階段へと向かい始める。
「まったく、これを楽しめる神経がわからん……だが、こんなことは今日で終わりだ。シンジ、クレア、首謀者と思しき人物が誰かわかるか?」
「「は、はい……!」」
「今探します……!」
そうして人の数が減っていく中、俺とクレアは右に左に視線を動かしながら観客席に注意を注ぐ。
「……! レンさん、あいつです……」
「……!」
すると、視線を観客席の最上段、俺たちが立つ位置の水平方向、壁に沿いながら何の警戒もなく、俺たちの元へと歩んでくる一人の男がいた。
この会場内では珍しい男性という存在とその顔を見て、俺は近づいてくる人物が探し求める人物であるということを確信していた。
ただ一つ気になることは、その隣に昨晩一緒にいた女の姿がないことだ。
俺とレンは共に警戒を強め、レンは俺とクレアの前に進み出て男が何をしてきても反応できるよう僅かに身構える。
(あいつ、何を考えて……何で平然とこっちに向かって来てるんだ……? まさか、ただの観客だと思っているのか? いや、でも、クレアを見てそんなこと……)
「二人とも、やつが何をしてくるかわからん。気を引き締めるんだ」
「「は、はい……!」」
すると、レンは静かに剣を抜き、戦闘態勢へと入り始める。
「随分と良いところで来てくれたな、待っていたよ」
「「……ッ!」」
しかし、明らかに状況を知っていながら待っていたという男の様子を前にし、その勢いは一瞬で瓦解していく。
ただ、レンから戦闘に臨む気配が薄れはしたものの、レンは未だ強い警戒の糸を張っていた。
「……待っていた、とはどういうことだ?」
「言葉通りだ、あんた方が捕まえに来てくれるのを待っていたんだよ。俺たちが慌てふためいて急いで逃げ出すようなことをしたら、どいつもこいつも異変に気付いちまうからな。俺の役目はここにいる全ての人間が異変に気付いて騒ぎ始めないようにするためだけ。闘技も終了した今、俺はもうお役御免ってわけだ。今さら逃げることなんて出来ないだろうし、素直に捕まってやろうと思ってよ。手荒に扱われたくもないしな」
男には一切焦りの色は見られない。
こういう運命を迎えることがわかっていた、そう言わんばかりに俺たちを前にしても余裕の表情をしていた。
「ちょ、ちょっと待ってください……! シンジさん、レンさん、私たちを戦わせていた人はこの人の他にもう一人、女の人がいたはずです……!」
「「……ッ!」」
(そうだ……! 確かに、こいつの隣には女がいた! そいつはどこに行った……?!)
男はクレアの言葉を耳にするとフッと小さく笑みを見せる。
「おい、貴様……! もう一人はどこにいる……?!」
そんな男へと、レンは若干焦りの色を漂わせながら強い口調で問いかける。
「さあな。俺はずっとここにいたんだぜ? どこに行ったかなんて知るわけないだろ」
するとその問いに、男はとぼける様子もなく即座に受け答えた。
そうして男が応えた後、地上に向かっていった人々からは動揺の声が広がり始める。
おそらくそれは、出入口を囲んでいたアリアたちの存在によって生じたものだろう。
人々の声が響き渡ってきたのを耳にすると男は再び微笑を垣間見せた。
「前も後ろも潰して一網打尽か……完璧な手筈だ。ただ、見当違いがなかったらの話だったがな」
そして、その微笑はすぐに、勝ち誇ったような笑みへと変わる。
俺たちは皆、その笑みにただ歯を噛み締めることしか出来なかった。
掌の上で踊らされていた。
その事実を突き付けられたから。
努力が無駄だった、そう思える程の悔しさに、俺はただ呆然と立ち尽くす。
そうしていると、地下闘技場にはアリアたちの警備の部隊が現れ、無抵抗の首謀者が一瞬の内にして捕縛されるという、拍子抜けする程に何の山場もない終わりを以て、事件は終結を迎えるのだった。