二章17話 重なる面影
蘇る忌まわしき記憶が心を締め付ける。
女性たちが強制的に戦わされていた光景を覚えていれば予想出来た光景だったが、咄嗟の状況たったがゆえに予期することが出来なかった。
あまりにも酷似したその光景に、俺の脳裏には囚われの日々がフラッシュバックする。
しかし、俺は寸でのところで声を抑え、大きく息を吸って、そして全ての息をゆっくりと吐き、動揺する心を静める。
(落ち着け……落ち着け。今の俺はあの時のような絶望的状況に立たされているわけじゃない。俺は奴隷なんかじゃない……人間だ……! だから恐れるな。ここまで来たのは俺の意思だろう。レンさんが駆け付けてくれるまでは一人でどうにかしなきゃいけないんだ。立て……!)
そして、思い出したくもない過去の記憶に挫けそうになっていた心を奮い立たせ、陰に隠れていた俺はゆっくりと立ち上がる。
(レンさんの所に新手が駆けていったからにはレンさんがすぐに駆け付けてくれることはない……五分だ。五分、一人で見つからないように逃げ回る。それだけあれば、レンさんなら敵を全て片付けられるはず。幸い、ここは全て明かりに照らされてるわけじゃない。真っ直ぐにこっちに向かってこない限りは、暗闇に紛れることでどうにか出来るはずだ)
「……!」
そうしてやるべきことを見定め、心を強く保った俺の耳に、一つ小さな音が鳴り響く。
それはパチパチという、何かが弾けるような、それでいて刺々しい印象の受ける音だった。
(何だ……? 漏電の音、か……?)
音の方向で待っているものが何であるかはわからない。
敵である可能性も捨てきれるわけではない。
ただ、音が何であるかを確かめたいという心が、体を音の方向へと引っ張ろうとする。
(こちら側に逃げられるかどうかを知っておく必要もある……一応、確かめておこう)
俺は足音を立てぬよう慎重に、敵であったとしてもすぐに身を退けるようにしながら、ゆっくりと奥へと歩み始めた。
進めば進む程に響き渡る音は大きさを増す。
ただ、音の間隔は不定期で、徐々に弱々しくなっているようにも感じられた。
いくつもの時を掛けてゆっくりと近付き、パチパチという弱々しい電糸が弾ける光景をすぐそこで見られる所まで近づいた俺は、暗闇に目を凝らしてその存在を確認する。
「……!」
(あの子は……!)
どうやら弾ける電糸は地面に接する辺りで迸っているようだった。
そして、その電糸の上へと視線を持っていくと、かがり火の僅かな明かりで照らされているのは赤い髪が特徴的な、クレアという親子での殺し合いを強要されていた女性だった。
クレアの姿は戦いを終えた後なのであろう、片腕と片方の膝から下が欠損した状態で、生気の感じられない絶望に染まった様子で床に座っていた。
俺は辺りを見渡し、他に誰もいないことを確認しながら慎重にクレアへと近づいていく。
響き渡る程ではないにしろ、微かな足音を完全に抑えることは出来ない。
俺とクレアとの距離であればすぐに気付かれてもおかしくはない。
だが、クレアは一切俺の足音に反応することなく、項垂れ続けていた。
「…………ぁ、あの」
閉鎖空間では音が反響して大きく響き渡ることがわかっている。
だからこそ、声を掛けるべきか悩んだ。
ただ、俺は数瞬の逡巡の果てに覚悟を決め、小さく声を掛けた。
すると、クレアはゆっくりと頭を上げ、光が消えた瞳で何事かと目の前の俺へとじっくりと視線を注いでくる。
「大丈夫、ですか……?」
「ぇっ……?」
どう声を掛けるべきか悩みながら、唯一頭に即座に浮かんだ言葉を俺は呟く。
すると、そのような言葉が飛んでくるとは思ってもいなかったのか、クレアは呆けた様子で小さく疑問符を浮かべる。
(ど、どうしよう……言葉が見つからない。声を掛けたは良いが、何も考えてなかった)
「えっと……お、俺は、シンジって言います。君は、クレアで良いんだよね?」
「……!?」
生気の薄いクレアからは反応があまり返って来ず、俺は言葉を見つけるのに必死になりながら問いかける。
「あの……何で、私の名前を……?」
「えっと……この国の王女様の依頼で、闘技場に潜入したことがあるんだ。その時に君が、その……お母さんと戦わされている所を、見て……」
「そう、ですか……」
いつ声に気付いて人がやって来てもおかしくはない。
俺は緊張の糸が今にもはち切れそうな状況の中、小さく抑えた声で言葉を見繕う。
しかし、いくつかの言葉を交わしたクレアの表情には一切の変化はなく、むしろ、俺が名前を知っている理由を耳にした途端、今にも泣き出しそうな程に瞳を潤わせ始める。
「……私、負けちゃったんです」
すると、クレアは涙を目尻に溜めながら、儚い笑顔を浮かべてそう呟く。
「お母さんを殺してまで勝ち上がったのに……私、死ぬのが怖くて降参しちゃったんです。降参したら、何度でも体を治されて、戦わされ続けるのがわかってるのに、降参しちゃったんです」
「……」
俺はそんなクレアに何か言葉を掛けてやることが出来なかった。
死ぬのが怖い、その気持ちに寄り添うことは出来ても、クレアの辛い状況に寄り添える程、人生経験を踏んでいるわけではないから、掛けるに相応しい言葉を見つけることが出来なかった。
すると、クレアは壊れたように、涙を一滴落としながら笑みを浮かべ始める。
「……知ってますか? シンジさん。私、今、腕も足もないのに痛くないんです。はは……おかしいですよね。何にも、感じないんですよ。本当は死んでてもおかしくない状態なのに、私は、こんな状態になっても生きていられるんですよ。化け物と同じじゃないですか……! それに、この前見たんです。私と同じようになった人が、まるで模型みたく腕や足を取り換えられている所を。これじゃまるで、人間じゃないみたいじゃないですか……!」
「……!」
「……もう、人間というより人形ですよね? こんなんで、生きてる意味ってあるんでしょうか……?」
そして、涙を拭うこともせず、僅かに俯きながら儚い笑顔を浮かべ、地面に水溜まりを作り始めた。
(わかった気がする……何で、恐怖を感じずに潜入することが出来たのか。何で今も恐怖を感じていないのか……クレアが、俺と同じだからだ。俺と同じような状況に立たされている人たちを助けたい、心のどこかでそう思っていたから、怖じ気づいたりせずにやってこれたのかもしれない)
俺はそんなクレアへと片手を伸ばす。
そして、涙伝う頬へと手を添え、親指で流れる涙を優しく拭い去る。
すると、クレアは驚いたようにピクリと体を反応させ、ゆっくりと顔を上げる。
「……人形なわけないよ。こんなに暖かい涙を流すクレアが、人間じゃないわけない……! 他の誰が何と言おうと、俺はクレアの味方で居続けるよ。回りの全ての人に白い目で見られようと、クレアは人間だって叫び続けてやる……! 一人なら、挫けちゃうかもしれないけど、二人で一緒なら恥ずかしくもないだろ?」
「……!」
先程まで言葉に悩んでいたとは思えない程に、スラスラと言葉が口から飛び出していった。
すると、先程まで光を失っていた様子のクレアの瞳には、少しだけ光が戻ったようだった。