二章11話 親と子
一戦が終わり、泣き崩れたまま動かない女性は係のものの手によって引き摺られ、闘技の間閉ざされていた扉の先に伸びる通路を通って闘技場から姿を消していく。
そして、死に絶えた女性もまた引き摺られて通路の先へと消えていき、闘技場内に残った血痕は丹念に洗い落とされていく。
そんな光景を眺めながら次の試合を待っているのであろう人々のは興奮は全くと言って良い程に冷める気配はなく、人が死んだということは当然のことと言った様子で周りの人々と楽し気に会話の花を咲かせていた。
(何でこいつらはこれを喜べるんだよ……何で、こんなものを楽しめるんだよ……! 理解出来ねぇよ……!)
おそらく、この会場内ではただ一人、俺は浮いた存在であることだろう。
沸々と燃える気持ちを叫んだ瞬間、この場にいる数え切れない数の人々全てが、敵である俺を認識して捕らえんとして襲い掛かってくるのは明白だった。
俺は気持ちを無理矢理押さえ付けて自らに課せられた任を思い出す。
(……いや、理解する必要もないな。こんなの、普通の人間なら理解出来ないのが当然なんだ。変に反応してバレるようなことだけは避けなきゃならないんだ。落ち着け、俺)
瞳を閉じ、一つ深呼吸をして気持ちを完全に落ち着かせると、場内にはアナウンスが流れ始めた。
そしてアナウンスの音と共に、会場内は再び歓声が鳴り始める。
『続いての一戦は非常に興味深い一戦となることでしょう。それと言うのも、なんとなんと! 次なる一戦は、実の親子による闘技なのです!!』
すると、アナウンスの言葉を耳にし、会場には興奮の入り交じったどよめきが起こる。
「……さて、新人はちゃんと面白いものをみせてくれるのかしら」
「ああ、見物だな」
「……!」
そんな中、明らかに他の人々とは違う様子の男女の声が鮮明に耳に響き渡る。
女性はウェーブが掛かった茶色の長髪、男性は茶色の短いくせ毛。
発言からしておそらく、アリアが睨んでいた犯人なのであろう。
二人は戦いを楽しむ人々から後ろに離れた最上段の席に腰掛けて会場の様子を楽しんでいた。
そんな二人と俺との距離は僅かに数メートル。
出入口となる階段のすぐ近くで立ち見をしていた俺は、彼らの背後から僅かに外れた場所に立っていた。
(あの様子、あの二人がこれを……何が面白いものを、だ。本当に、ふざけてる……!)
俺は視線を悟られぬように、横目で二人を一瞥しながら歯を食い縛り、怒りを握り潰すかのように拳を固めて感情を抑え込む。
そうしていると、響き渡るアナウンスが開戦の時を知らせ始める。
『……トーナメントを勝ち上がり、優勝すれば晴れて自由の身を勝ち取れるこのセインズ地下闘技祭! 第一回戦第四試合、クレア対シンディの親子対決を勝ち取るのはどちらとなるのか!? それでは参りましょう! レディ……ファイトッ!!』
アナウンスによる煽りは会場の熱気をどんどんと高めていき、ゴングが鳴り響いた瞬間、会場では歓声が大爆発した。
二人の戦いの音も会話も掻き消す歓声は数瞬の間、勢いを衰えることなく鳴り続ける。
しかし、闘技場内で向かい合う二人の女性はゴングが鳴り響いたのを耳にしているにも関わらず、互いに動くことなく立ち尽くしていた。
すると、会場はその姿に徐々に疑問符を浮かべ始め、鳴り響いていた歓声は徐々に衰え始める。
「何やってんのよ! 早く戦いなさいよ!」
そして、一人の野次を境に会場からは徐々にブーイングの声が響き始める。
そんな会場の厳しい当たりを受けてか、娘であろう鮮やかな赤い髪が肩に掛かる程の若い女性は膝から崩れ落ちて掌で顔を覆い始める。
「無理だよッ!! お母さんと戦うなんて、出来ないよッ!!」
そして、響き渡るブーイングを沈ませる程の大きな涙声で、彼女は自身の胸の内を叫んだ。
「やだ……嫌だよ…………」
すると一瞬で静まり返った会場内には啜り泣く音だけが小さく響き渡る。
そんな彼女の元へ、対戦相手である女性は小豆色の長い髪の毛を揺らしながらゆっくりと歩み寄っていく。
「……クレア」
そして膝を着いて寄り添い、肩に手を乗せて一言、シンディはクレアへと優しく声を掛けた。
すると、クレアはハッと顔を上げ、目に涙を溜めながらシンディを見つめる。
「大丈夫よ、お母さんもあなたと気持ちは同じ。自由になるためとは言っても、クレアを傷付けることなんて出来ないわ」
母が娘へと向ける真っ直ぐな愛情。
何一つ不自然なものでも、不愉快なものでもない。
ただ、死を喜ぶこの薄汚れた会場内では最も忌むべきものらしく、鳴りを潜めていたブーイングが再び辺りに響き渡り始めた。
「でもね、ずっとこうしてはいられないの。わかるでしょう? この闘技祭を勝ち上がらない限り、一生自由を手に入れることなんて出来ない。このままずっと戦いを拒んでいても、ここから出して貰うことも出来ずにただ飢えて死んでいくだけ……だから、この試合は終わらせなきゃいけないの」
「……! 嫌だよ……! 私、死にたくないし、お母さんにも死んで欲しくない! そうだ! お母さん、一緒に降参しよう? そうすれば、戦わないで済む!」
「わがまま言わないの。降参したところで、ここから逃げられないでしょう? また次の闘技祭に駆り出されて戦いを強要されるだけよ」
戦いを始めぬ二人にブーイングが鳴り止むことはない。
その雑音のせいで二人の会話は俺の耳に届いてはいなかったが、遠くから確認出来るその表情から、泣きじゃくる我が子を母親が宥めているということだけはわかった。
「……だからクレア、あなたの手でお母さんを天国に連れていって?」
「……ッ! 出来ないよそんなこと! お母さんは、私にお母さんを殺せって言うの!? そんなことしたら私、一人になっちゃうじゃん!」
「ううん、そうじゃない。お母さんを天国で待ってるお父さんのところに連れていって欲しいの。他の誰かじゃなく、クレアに見送って欲しいのよ……それに、クレアは一人じゃないわ。お父さんもお母さんも、ずっとクレアの心の中にいる。だから、絶対に一人になったりはしないわよ」
「……ッ!」
シンディは慈しむような笑顔をクレアへと向ける。
「ごめんね? こんなこと頼んで。でも、機械にそういう仕組みがされているのか、自分で命を絶つことが出来ないのよ。だからお願い、クレア」
「でも……」
「早くしないとお父さんが迷子になっちゃうから。クレアもお父さんが方向音痴なこと知ってるでしょう? 向こうで迷子にならないようにお母さんが付いていないと……だから、ね?」
そして、シンディはクレアの機械化された腕を取ると自身の心臓の位置へとその掌を持っていく。
すると、状況の変かにブーイングの勢いは徐々に衰えて二人の行動へと集中が注がれ始める。
そうして会場が静かになっていく中、再びクレアの啜り泣く音が響き渡り始める。
「……んね…………ごめんね、お母さん……!」
「謝らなくて良いのよ。お母さんが決めたことだもの……ありがとう、クレア」
そしてシンディが感謝を告げた次の瞬間、会場には試合を終わらせる発砲音が響き渡った。
胸を銃弾に貫かれ、血の花を咲かせたシンディは倒れ行く最中、クレアへと儚い笑顔を浮かべた。
「……ッ、うわぁぁあぁん!!!」
「「「ワァァアァア!!!」」」
そしてシンディが力なく床に倒れ付した瞬間、クレアは泣き叫び、それを掻き消すように会場は大歓声を響かせる。
「腐ってる……!」
これ以上見続けることは俺には出来なかった。
俺は誰にも聞こえない程の小さな声で怒りを呟き、強く拳を握り固めながら元来た階段へと向かい、地下闘技場を後にした。