二章10話 死を喜ぶ人々
人通りの少ない夜の街。
鉄の扉の前でただ一人、何をするわけでもなく立ち尽くしている人間がいようとも誰も不審がることはない。
俺は扉を前にして再び緊張で荒ぶり始めた心を深呼吸をして落ち着かせ、懐からカードキーを取り出す。
(この指が収まるサイズのパネルが指紋認証で、このレンズが虹彩認証ってわけか。そして、この薄い差し込み口がカードキーの鍵穴……凄いな。まるでスパイものの映画の世界に飛び込んだみたいだ)
「……っと、そんなこと考えてる場合じゃないな。俺は潜入するためにここに来たんだ。浮かれている場合じゃない……!」
敵地への潜入を前にし、どこか遠くに感じていたそれがどんどんと現実味を帯びていき、映画の設定と類似した状況という少年心や冒険心といったものがくすぐられるような感覚に、俺の心は少し浮わついていた。
ただ、気を抜いている場合ではないと、俺はすぐさま気持ちを改め、表情を真剣さに染めてカードキーを鍵穴へと差し込む。
すると、ピピッという聞くに懐かしい機械音が響き渡り、タッチパネルに光が点ると共にカメラレンズから駆動音のような音が微かに響き渡る。
『アマルダ・カザレス様ですね。本人確認を行います。指紋認証と虹彩認証を行ってください』
「……!」
(ヤバい、マジで映画の世界に来たみたいだ……! どうしよう……興奮が抑えきれねぇ……!)
しかし、一度落ち着かせた心は機械から響き渡った声を聞くやいなや、またしても興奮で踊り始める。
(ダメだ……! 落ち着け、俺……! これは遊びじゃないんだ、浮かれてたら命を落とすぞ!)
そんな心に、俺は最悪の状況を思い浮かべることで無理矢理落ち着かせ、気を引き締めるために頬を両手で叩く。
そして一呼吸、小さく息を吐いて再び真剣さを表情に浮かべると複製した指紋のシートを貼った人差し指をパネルへと乗せ、それが完了するなりカメラレンズへと虹彩が複製されたコンタクトレンズを認証させる。
『本人確認が完了いたしました。ようこそお越しくださいました、アマルダ・カザレス様』
すると、硬く閉ざされていた扉は排気音と共に自動で開かれ、俺の前に暗い道を切り開く。
ここまではまだすぐに引き返せるだけの余地があった。
だが、ここから先は進めば進むほどに周りは全て敵となり、気を抜けば即座に死すらあり得る世界だ。
俺は心の中で瞬く間に緊張の糸が張り詰めていくのを感じた。
「よし、行こう……!」
だが、そこには多少の恐怖はあれども、足がすくんで動けなくなるほどのものはなかった。
俺は扉の先に伸びる地下へと続く薄暗い階段へと足を踏み入れ、僅かな明かりを頼りにしながら一歩ずつゆっくりと地下へと下りていった。
カツン、カツンと階段を踏み鳴らす音がうるさく響き渡る。
だが、階段の先からはその音を掻き消す程の大音量の歓声と野次が混在して響き渡っていた。
(凄い歓声だな……いったい、この先に何が……)
階段の終わり付近にはその先で待っている部屋の明かりであろう、白い光の余波が足元を照らす。
未だハッキリと記憶に残る、地下道と同じ岩肌の床だ。
俺は息を殺し、少しでも音を立てぬよう注意を払いながら、階段の最後の一段を下り切る。
「何やってんのよ、殺せーッ!」
「いつまで突っ立ってんのよ!? 早く戦いなさいよッ!」
(何だ、これ……! 闘技場か……!?)
すると、視界に飛び込んできたのは数十人、数百人の観客が視線を注ぐ円形闘技場だった。
そしてその会場の中央、闘技場内で命を奪わんと必死になっているのは、体の一部が機械で作られた二人の女性だった。
ただ、一人は機械で出来た片腕がもがれており、完全なる劣勢に追い詰められていた。
しかし、優勢であるにも関わらず、五体満足である女性の方は躊躇っている様子で、二人は膠着状態となっていた。
「お、お願い……! もう降参して! あなたを殺したくはないの!」
「嫌よ! 降参なんかしたところでこの地獄が続くだけ! この地獄から解放されようと思ったら、死ぬか勝つしか道はないのよッ!!」
一方は手に掛けることへの葛藤を露にし、もう一方は死への恐怖を捨てた覚悟の瞳をしていた。
(あの姿……もしかして、サイボーグ? しかも、二人とも望まぬ戦いを強いられているようなことも……アリアが言ってたのは、こういうことだったのか)
すると、降伏を拒む女性が戦いを拒む女性へと鬼の形相で襲い掛かることによって、止まっていた戦いが再開される。
だが、迫ってくると知った瞬間、女性は恐怖におののきながら逃げ出した。
ただ、闘技場内は完全に締め切られており、観客席とも高い壁で隔たれたそこではどれだけ逃げようとも逃げられるような場所などなかった。
涙を浮かべる女性と鬼気迫る女性の鬼ごっこを前にし、観客たちからは罵声が響き渡り始める。
「逃げないでよ! 逃げるくらいならあなたが降参しなさいよッ!!」
「私だってこんな地獄はもう嫌なの! お願いだからもう諦めて!」
殺そうとするもの、殺したくないもの、そのどちらもが必死だった。
終わりの見えぬ鬼ごっこに、会場の怒りと追い掛ける女性の怒りのボルテージはどんどんと高まっていく。
「……ッ!」
(マズイ、躓いた……!)
しかし、永遠に続くかと思われたそれの終わりは、唐突に訪れる。
おそらく、戦いの跡で足場が僅かに悪くなっていたのであろう。
背後を確認しながら逃げていた女性は正面から派手に倒れ付し、体を地面に打ち付けたのだ。
「やれーッ!」
「殺せーッ!」
すると、その瞬間を待っていたとばかりに、会場内からは一斉に殺人への後押しをする叫びが響き渡る。
「うぁぁあぁあ!!!」
「……ッ! イヤぁぁあぁあ!!!」
追い掛けていた女性はここしかないという必死さに染まる意志が感じ取れる程の叫びを上げ、縮まらなかった距離を一気に詰める。
倒れた彼女にとっては女性が迫ってくることは死が迫ってくることと同義。
女性は恐怖に悲鳴を叫び、近寄らないでとばかりに手を突き出しながら目を背けた。
「……ッ!」
「「「……!」」」
ただ、その瞬間、辺りには発砲音が鳴り響いた。
それは倒れた彼女が手を突き出したのと時を同じくして鳴り響いたものだ。
彼女の機械化された掌には銃口のような穴が開いて、そこからは灰色の煙が細く上がっていた。
おそらく、恐怖がゆえの事故防衛として、威嚇の意味を込めての発砲だったのだろう。
シンとして音が消え去った会場内に、女性は恐る恐る瞳を開いて眼前を確認する。
「……ッ!」
すると、目の前に立つ闘技の相手を目にした瞬間、女性は驚愕のあまり声を出すことも出来ずに、口許を手で覆って瞳に涙を浮かべた。
相手の女性は地に伏せて死んでいたのだ。
頭の半分がなくなった状態で大量の血を垂れ流して。
「イヤぁぁあぁあ!!!」
「「「ワァァアァア!!!」」」
流れ伝ってくる血が足に触れた瞬間、女性は悲鳴を涙を溢れさせながら悲鳴を上げ、観客は人の死を目にして大歓声を響かせる。
(狂ってる……! 何で喜んでんだよ、こいつらは……!)
その姿は俺には一ミリも理解が出来なかった。
俺は見るに堪えない状況に恐怖を覚えるどころか、あまりにも理解出来ない状況に怒りを感じていた。