二章7話 王族
豪華な暮らしを享受すると決めてから一日が経った。
誘拐されたと意識していた最初の三日間は食事が美味しい、この一点のみにしか心休まる時がなかったが、気持ちを変えてからというもの、生活の全てが新鮮な感覚へと変わっていた。
いつ性奴隷として扱われるのかとビクビクとしながら眠りに着いていた夜は、起きることが苦とも思えるほどの快適な眠りを得られ、アリアに呼ばれて彼女の暇潰しを付き合う時間は、今まで出会ったことのないボードゲームを心から楽しみ、この世界で初めて娯楽を味わうという特別な時間となった。
そして、小腹が空いたと呟けば甘美な菓子が即座に作られ、体の汗を流そうと浴室に向かえば全身を伸ばしても有り余るほどの広い浴場を独占できる。
正直に言って、今までの生活の記憶など忘れてしまう程のものだった。
そうして迎えた五日目。
いつも通りアリアに呼ばれ、大した会話もないまま朝食を終えると、レヴィの指示によって瞬く間に食器が片付けられていく。
そしてそれらと入れ替わるようにテーブルの上には紅茶とティーカップが並べられていく。
そんな辺りが忙しない中、アリアは回りの雑音は一切耳に入らないといった様子で閉じていた本の続きを読み始めた。
「……そう言えば聞いていなかったんだが、あんな白昼堂々人を誘拐して、アリアは捕まったりしないのか? まさか、貴族だから法律をねじ曲げれば良いとか言うんじゃないだろうな?」
この五日間、アリアの屋敷で過ごしてわかったことは、本に関わらず、深い集中をし始めたアリアには何を言っても言葉が届かないということだ。
俺は自身を含めた三人分の紅茶をカップに注ぐレヴィへと視線を向けてそう問いかける。
「大丈夫です、絶対に捕まることはありません。それと訂正しておきますが、お嬢様は貴族などではありませんよ」
「えっ……何言ってんだよ? これだけ豪勢な暮らしをしていて貴族じゃないわけないだろ? もしかして、商人として大成功したとでも言うのか? だったら法律をねじ曲げることだって出来ないし、尚更捕まるだろ」
レヴィの回答に俺は疑問符が踊った。
貴族でもない人間が豪勢な暮らしを送り、多くの給仕を雇い、外に出て働くわけでもない。
それほどまでに裕福な暮らしを送れる人間の職種など、考えられる可能性はごく僅かだった。
「もちろん、大商人というわけでもありません……お嬢様は王族なんですよ、この国の」
「は……?」
レヴィは俺の推測に否定を返し、僅かな間の後に答えを示す。
その瞬間、俺の頭は真っ白になった。
(おう、ぞく……? おうぞくって何だっけ? ストーカーの一族か……? いや、そんなバカな一族なわけない。王の一族、だよな……いや、)
「ちょっと待て!! この国の王族が人を誘拐してんのか!?」
「ええ、だから困ってるのですよ。この国の法律では王族を裁くことは出来ませんから」
あまりにも理不尽と言わざるを得ない。
王族にとって自由過ぎる法律が彼女を蛮行へと導くのか、はたまた彼女自身の性格がこの国の法律とベストマッチしてしまったのか。
真意は定かではないが、俺はしばらくの間、空いた口が塞がらなかった。
(ヤバすぎるだろ、この国……王族がこれじゃ、街ではもっと誘拐やら色んな犯罪が横行してるんじゃないのか?)
「一応お答えしておきますが、この国での市民による犯罪の件数は、過去十年間でお嬢様が人を誘拐した事案が数十回に対し、両手で足りる程の数しか起きてませんよ」
「……ッ!」
すると、心の内で驚愕していた俺に回答を示すかのごとくレヴィは街の治安の良さを訴える。
(い、今、声に出してなかったぞ? もしかして……心を読まれた? こいつ、マジか……)
「ちなみに、心を読んだわけではありませんよ? 国の名誉のために先にお伝えしただけです。なにせ、この国の第一王女が他国に示しがつかないような行動を取っていますからね。市民たち自ら良識ある人間となることで、良い国だということをアピールしようと頑張ってくれているのです。本当に、頭が上がりませんよ」
(絶対心読んでるだろ、こいつ。いや、それよりも……)
「レヴィ……お前今、アリアが第一王女って言ったのか?」
「ええ、そうですよ」
俺にとっては密接な関係があるわけではないこの国を心配する必要など俺にはない。
だが、レヴィの言葉を聞いて俺は自然とこの国に対して憂いの感情が沸き出してきた。
「……大変だな。アリアが女王になったら、この国終わるだろ」
「ええ、現女王様も最初はそう嘆いていました。ですがご安心を、お嬢様はこの国の女王となることはありません。退位の時には第二王女へと王位を譲ると、女王様は数年前に英断なされましたから」
「そ、そうなのか。じゃあ、安心だな……」
(そりゃ、そうなるか……アリアみたいな誘拐魔が女王になって外交のために他国へと飛び出したら、手土産感覚で人を拐いかねない。国際問題に発展して戦争なんて起きたらたまったもんじゃないからな……まあ、この国の最先端技術を使えば、大抵の国はねじ伏せてしまいそうだけど)
俺たちの会話はただの音楽と思っているのか、完全に耳に入ってはいないのか、アリアへと視線を移すと彼女は表情一つ変化させずに読書へと没頭していた。
「ーーッ!」
「……ん? 何か、忙しない声が聞こえないか?」
「……ええ。誰か、来ますね」
すると、部屋の外からは何やら騒がしい声が響き始め、その音はどんどんと近くなってくる。
そんな迫ってくる何かに俺とレヴィが身構えた瞬間、部屋の扉は蹴破られるような勢いでけたたましい音を響かせながら開かれる。
「……ようやく見つけたぞ。王族が人拐いとは随分な国だな……!」
すると、静かで威圧感ある声を響かせて入ってきたのは長い金糸の髪と透き通る碧眼が美しいレンだった。
現れたレンは剣の柄に手を掛けているわけではなかったが、放たれるオーラからは並々ならぬ殺気が揺らめいていた。