二章6話 アリアとレヴィ
煌びやかな豪華な家具、滑らかで色彩豊かな絨毯、肌触りの良い布団、一流の盛り付け、一流の味付けが施された豪勢な食事。
そして、
「おはようございます、シンジ様。朝食のご用意が整いました。お嬢様のお部屋へどうぞ」
「は、はい。わかりました……」
多数のメイドが俺の身の回りの世話をしていた。
(まあ正しくは、俺が逃げ出さないようにするための見張りだろうけど)
メイドの知らせによって部屋を出た俺は前後をメイドに挟まれた状態で廊下を歩み始める。
赤く長い絨毯、壁には名だたる画家が描いたのであろう引き込まれるような絵画、狭いテーブルの上に飾られた高価そうな壺。
目に映る全てが一級品ばかりだった。
(それにしても、誘拐されたとは思えない扱いだな。これまでの人生はもちろんのこと、これから先の人生でも味わえないくらいの豪華な暮らしを送らせてもらってる。どういうことだ? 本当にペットとして拾ったってことなのか? いや、でもそんなはずはない。もしそうだったとしたら、こんな風に見張りは付けないし……)
長い廊下を歩み進め、一つの扉の前で前方のメイドが足を止めると、メイドはその扉をノックする。
僅かな間の後に透き通るような声が響き、メイドは静かに扉を開く。
「お嬢様、シンジ様をお連れしました」
すると、そこには静かに本に目を通す俺を誘拐した人物の姿があった。
「……ん、ご苦労様」
「……では、ごゆっくり」
メイドは労いの言葉を貰うと一礼して短く言葉を残し、部屋に足を踏み入れた俺を残して立ち去っていった。
すると、女性はパタンと本を閉じ、立ち尽くしたまま動かない俺へと視線を向ける。
「……何をやってるの? 早く食べないとせっかくの料理が冷めてしまうわよ?」
「……ああ、わかってるよ」
女性の言葉からは悪意やそれに似た感情は感じられなかった。
ただただ純粋な疑問を投げ掛けた、そういった感じの様子だった。
立ち尽くしたままでいることが不自然で無駄な行動だと悟り、丁度二人分の食事が並べられるテーブルの、女性の向かい側へと俺は腰掛ける。
それを見届け、女性はスプーンでスープを掬い、上品な所作で口へと運ぶ。
「……なあ、今日でもう三日目。そろそろ教えてくれよ。何で俺を誘拐したんだ?」
(性的消費や憂さ晴らしのためのサンドバッグ、労働力として使うでもない。誘拐されてからもう三日、何もされない、何も教えてもらえない……何を考えてる、この女)
そんな女性の食事に視線を注ぎながら、俺は料理には手を付けずに問いを投げ掛ける。
女性からは答えは返ってこない。
女性は口に含んだスープの味をしっかりと味わうようにゆっくりと飲み込み、そして僅かな間の後にスプーンを置いて、ゆっくりと見つめ返してくる。
「……名前」
「えっ……?」
そうして待ち続け、ようやく開いた口から放たれた言葉は質問とは全く関係のない言葉だった。
「……名前を教えたはずよ。質問があるならちゃんと名前を呼ばなきゃ失礼じゃないかしら?」
すると、小さな間の後に再び言葉を発した女性は、全うとも言える意見を提示する。
“なあ”や“おい”
そんなぶっきらぼうな呼び掛けで質問に答える気は起きない。
逆の立場になって考えれば彼女の気持ちは理解できるものだった。
「はぁ……アリア、何で俺を誘拐したんだよ?」
捕らえられ、何も教えもらえていない現状から苛立ちも合間り、面倒だと溜め息を吐きながらも俺は改めて問いを投げ掛ける。
すると、アリアはまたもすぐに答えを返してはこなかった。
俺の質問を咀嚼し、ゆっくりと飲み込んでから真剣な眼差しを向けてくる。
「……誘拐じゃない、拾っただけ」
「そんなことはどうだって良いんだよ! お前、端から答える気ないだろ!?」
アリアの表情から、ちゃんとした答えが返ってくると思っていた。
だが俺の希望に反し、返ってきた応えは実にどうでも良い訂正だけだった。
アリアはやることはやったと言わんばかりに再びスプーンを手にし、俺の視線は一切気にしていない様子で食事を再開し始めた。
「無駄ですよ、シンジ様」
すると、一人アリアの部屋に留まっていたメイド、誘拐された場に居合わせていたヒスイ色の髪が特徴的な女性は、アリアの代わりといった様子で声を上げる。
彼女は名をレヴィと言った。
常にアリアと行動を共にしている所を見ると、どうやら彼女の専属メイドといった感じらしい。
「お嬢様は自分がこれと決めてしまうと、他人にどれだけのことを言われようとも変えることはありません。なので、今は諦めてください。お嬢様が自ら話す気になれば、その内ちゃんと理由を聞かせて貰えるはずですから」
(なるほど。これがいつも通りってことか。誘拐犯の側近に同情してやる義理はないが、こいつも大変だな)
レヴィのものの言い方から、この自由気ままなお嬢様には何を言っても通じないんだと俺は諦める。
しかし、それと同時に別の考えが頭を過った。
「……なあレヴィ」
「……! 何でしょう?」
「俺が誘拐された時もそうだし、この屋敷に来てからもそうだが、レヴィは常にアリアと一緒にいる。知ってるんじゃないのか? アリアが何を考えて俺を誘拐したのか。知ってるならレヴィが教えてくれよ」
「……! 三回も……! レヴィばかり名前を呼ばれてズルい……シンジ、私の名前ももっと呼んでくれても良いのよ?」
「うるさい、ちょっと黙っててくれ」
一緒にいるからこそ、何を考えて行動したのか知っている可能性があった。
俺とレヴィの会話でよくわからない妬きもちを妬くアリアを制しながら、俺はレヴィへと真剣な眼差しを注ぐ。
しかし、レヴィは俺の期待に馬鹿馬鹿しいといった様子の溜め息を吐いた。
「……シンジ様、この人が私に計画を話した上で行動すると思いますか? 思い立ったら既に行動に移しているようなこの人の考えを私が知っている余地などありませんよ。それに、私のような常人に、誘拐を拾ったなどと言い張るようなこんな異常者の考えがわかるわけもありません。なので、常に一緒にいるのだから癖や口癖からの推測でどうにかしてくれ、と言われても無理だということを先にお伝えしておきます」
そして、一言も止まることなく従者とは思えないほどの言葉を交えながら意見を捲し立てた。
「……レヴィ、私はあなたの主人よ? いくら幼馴染みだからと言っても、さすがにその言い方は失礼じゃないかしら?」
(……無視してるよ。本当に主従関係にあるのか? この二人)
すると、アリアの表情には僅かに悲し気なものが浮かぶ。
しかし、レヴィはアリアの視線から目を反らして毛先をいじるばかりで、問いに答えはしなかった。
「……取り敢えず、まだ俺には誘拐した理由を教えてはくれないし、逃がす気もないってことで良いのか?」
「ええ、それがお嬢様の意思ですからそういうことになりますね。なので、もうしばらくの間はお嬢様のわけのわからないわがままにお付き合い下さい」
「……レヴィ、私はこの世界でたった一人しかいない絶滅危惧種よ? もっと優しくして欲しい」
端から逃げられるとは思っていなかったが、アリアの意思を知り、俺は余計な抵抗をすることを諦める。
そして、誘拐された原因を教えて貰えるまでは豪華な暮らしを享受しようと、俺は心に決めた。