二章5話 捨て犬
「何だ、これ……」
そこは本当に未来を生きていた。
憲兵の姿を模した、人造人間であることが明らかな人が街を歩き、店の出入口には自動ドアが取り付けられていた。
そんな便利に溢れた街の中を、道行く人々は何の不思議もないといった様子で歩んでいた。
(凄過ぎだろ……本当に三百年先を行ってるじゃないか……! レンガや石、木で作られた家ばかりじゃない、モルタルで外壁が作られた防水防火性に優れた家、自動ドアが使われている店の入口……完全に現代だ。しかも、何だよあの警備兵……! 見るからに人間じゃねぇ。あそこだけはもう現代越えてるんじゃないのか……?)
「ふふっ、どうだ? 驚いたろう」
「はい。こんな街、初めて見ました」
俺の驚く姿に、レンは少し嬉しそうだった。
ただ、俺が驚く原因は進んだ技術だけではなかった。
それは、この国に血管のように張り巡らされている街の通りだ。
石畳で綺麗に整理されてはいるものの、その広い道の真ん中に通る移動手段が全て馬車だったからだ。
進んだ技術に反して移動手段だけは停滞している。
その不自然さに、俺は驚きにも似た動揺を覚えていた。
「では、私はここで失礼いたしますレン様」
「ああ、ここまで運んでくれて感謝する」
「……! あ、ありがとうございました!」
すると、隣国へと届けるという目的を果たした御者は、荷物と共にセインズの地へと降り立った俺たちへと別れを告げ、どこかへと向かってゆっくりと馬車を走らせていった。
「レンさん、あの人に送ってもらうのがここまでなら、ここからはどうするんですか?」
足を失い、懐にも上限がある。
馬車がその場から去った瞬間、俺の胸には不安が瞬く間に膨れ上がってきた。
「それについては心配ない。この国に一人、馬車を扱える知人がいる。だからここから東洋の国に最も近い国まではその人に頼もうと思っている」
「あっ、そうなんですか? なら断られる可能性も少ないですし、安心ですね」
しかし、レンに宛があることを知り、その不安の感情は掌を返したようにみるみる内に萎んでいった。
「……さて、その人の所へと向かう前に、少しこの街を見て回ろうか」
「……! はい!」
すると僅かな間を置いて、レンは地に下ろしてあった荷物を背負いながら散策を提案し出す。
異世界に訪れた時に降り立った国カエサリオン王国は中世の雰囲気に溢れていたが、このセインズの街並みは現代をも越えている可能性がある。
この街に対する興味が尽きない俺にはそれを断る理由などなかった。
俺とレンは荷物を背負い、共に表情を輝かせながら現代にも似た街並みを散策し始めた。
「レンさん、何だか楽しそうですね。そんなにこの国に来ることが楽しみだったんですか?」
「ああ。この国は一年もあれば新しいものが出来ると聞くからな。私がこの国へと来るのは五年振り。いったいどれ程新しいものが出来上がっているのか楽しみで仕方がない」
街へと降り立ってからというもの、レンの表情は子供のように常に輝いていた。
普段のレンは冷静沈着でかっこいいという言葉が似合うが、今のレンに至っては子供にでも戻ったかのようで可愛いらしいという言葉がお似合いだった。
「ん……? あそこは……」
すると、ウキウキとした様子で歩いていたレンは一件の店へと目をつけ、おもむろに足を運び始める。
そこは自動ドアも立て付けられた扉もない、暗く、人を招いているとは思い難い様相を呈した店だった。
「レンさん、この店がどうかしたんですか?」
「この店、以前訪れた時に立ち寄ったことがあるんだよ。その時にいろいろと見たことのないものを見せてもらってな。色々と驚かされた記憶がある。だから、また何かないかと思ってな」
俺とレンは街の散策から切り替えて店の中を物色し始める。
レンの言う通り、その店には本当に色々なものがあった。
モニターと名前が記された小さなディスク、ごくごく小さな羽虫を模したスパイカメラ、種類に問わない品揃えだった。
(アンカーショット……? このピストル、シオンさんが使ってたものじゃないか。あの日、シオンさんが屋根の上に飛び乗ったのを見た時、凄い驚いた記憶があるけど、この街の技術を使ってたのか。それなら色々と納得出来るな)
「ん……?」
ひとつひとつ見て回り、その珍しさに感心と驚きを得ていた俺は明らかな場違いなものを目にして足を止めて注意深く見つめる。
「石……?」
そこにあったのはその辺に落ちていそうな灰色の石だった。
特に変わった形をしているわけではない、掌で包める程の小さな石が、最先端な技術の中に一緒に並んでいる。
あまりにも不自然だった。
「それは共鳴石だな」
すると、俺の疑問に答えるかのごとく、歩み寄ってきていたレンは石の名を告げる。
「レンさん、これって何に使うんですか? というか、これだけの技術の結晶が並べられた中に、何でこんな石がここに有るんでしょうか?」
「それは、技術でも越えられないものがこの石には詰まっているからだ。この石は手で簡単に割ることが出来るんだが、その割れた石同士はどんなに離れていたとしても共鳴し合う。この国のほとんどのものは電気が必要になるんだが、この石だけはそれを必要としない。だから、緊急時の通話手段として活用することが出来る。まあ、それだけじゃなく、隣の黒い石……拡声石という音を通すとそれを大きくすることが出来る石なんだが、それと共鳴石を組み合わせることで、電気を必要としない放送設備を作ることができる。この国は電気が街の根幹を担っているからな。それが麻痺してしまった時でも大丈夫なように、この中では場違いとも言えるようなそれが取り揃えられているんだ」
「なるほど……」
(確かに、ブラックアウトにでもなったらこの街は一瞬で機能が停止する。命を繋ごうと思ったら情報は何よりも大事になってくるからな。電気がなくてもそれをやり取り出来るこれは、技術を越えるものか詰まっているって言っても過言じゃない)
ただの石ころではないということを知り、俺は割れぬよう注意を払いながら元の位置へとそれを戻す。
「さて、そろそろ昼だな。昼食を摂りに行こうか」
「はい……!」
そして、レンの提案に従って、俺とレンは再び街を歩き始めた。
景色を眺めながらレンに付いていく俺は一歩と止まることなく歩み続ける。
どうやらレンには目指すべき場所があるようだった。
「……! あった、あそこだ」
そして、目指すべき場所を視界に捕らえ、レンの表情は明るくなる。
「何だか嬉しそうですね。ここに特別な思い出があるんですか?」
「特別と言えば特別かな。五年間、時を隔てても覚えているくらいおいしかったんだ、この店の料理は。だから、もう一度この街に訪れることがあれば、ここに出向こうと思っていたんだよ……シンジ、席が空いているか確認してくる。少しだけ待っていてくれ」
「はい、わかりました」
この国へと辿り着いてから、レンは常に楽しそうだった。
レンは優し気な笑みを残すと、自動ドアではない木製扉を引いて店の中へと消えていった。
(五年間も覚えているくらいの味か……楽しみだな)
そんな背中を見送り、俺は期待に胸を膨らませる。
旅支度を整えるレンを待っている間に宿屋で摂った食事も文句が出ないくらいには十分おいしかった。
ただ、レンの反応から見るにそれを大きく越える味だということが伺える。
味を想像すればする程に、楽しさがどんどんと溢れてきていた。
「んっ……!?」
(何だ……!? 口を抑えられた!? まさかこれ、あの時と同じ……!)
しかし、その想像をしていた時間が大きな隙となっていたらしい。
唐突に俺は声を出せぬように口許を手で覆われ、逃げられないよう首もとを腕で固められながら強い力で引っ張られていく。
そして、その勢いのままどこかへと引き摺り込まれ、バタンッという音と共に閉鎖空間へと俺を捕らえる人物と共に閉じ込められる。
「……出して」
すると、そんな音の次に響いてきたのは静かで透き通るような女性の声だった。
女性の声に応え、閉鎖空間はパカッパカッ、カタカタという音を響かせながら動き始める。
音と揺れ、記憶に新しいその感覚から、俺は馬車に揺られているということがすぐにわかった。
「ンーッ!」
(何でまた誘拐されなきゃならないんだよ! 離せ!!)
状況からして、自分に襲い掛かった事態が何であるかはすぐにわかる。
俺は逃れようと必死にもがいた。
だが、強い力で抑えられている俺は口許の指を解くことすらままならなかった。
「……お嬢様、そちらの方は?」
すると、呆れたような声音で先程とは違う声が響く。
その声に反応して声の主へと視線を向けると、俺の目の前にはヒスイ色の髪の毛を綺麗に切り揃えたメイド姿の女性が冷めた目で向かいの人物を見つめている姿があった。
(お嬢様……!? と言うことはこいつ、良い所の出じゃないか!? 貴族はどこに行ってもこんなのばっかりかよ!?)
俺は視線を斜め上へと移し、俺を捕らえる女性を見つめる。
森のように深い緑色の長い髪に、整った顔立ちながらも眠たそうな瞳。
美しいと称せるほどの人物ではあったが、その表情からは感情があまり感じられなかった。
「……拾った」
(はぁ!? 誘拐したの間違いだろ!?)
すると、メイドの質問に女性は筋の通らない言葉を呟く。
あまりにもいい加減な主張に俺は言葉を失った。
「はぁ、まるで捨て犬みたいな……人間が道端に落ちているわけないでしょう?」
(……! メイドの方はまだまともだ!)
そんなご主人様の言葉にメイドは深く溜め息を吐く。
「拾った場所に戻して来て下さい」
「……嫌」
(お前も捨て犬扱いしてんじゃねーか!? 最悪だこいつら! レンさん、助けてー!!)
ただ、メイドは主人に逆らってまで俺に手を差し伸べてくれるということはなかった。
俺は解放してくれる可能性はないと悟り、再び激しく抵抗し始める。
だが、この世界の男女の差を引っくり返すことは容易ではない。
揺れる馬車の中、強く固められて声も出せない俺は、心の中で助けを叫ぶことしか出来なかった。