一章17話 シオン
誰も予期していなかった人物の登場に、その場は沈黙し、視線は銀糸の彼女一身へと注がれる。
(誰だ、あの人……というか、いつからいたんだ? 全然気付かなかった……)
俺が二人の戦いへと視線を注いでいたからか、彼女が一切足音を立てなかったからなのか。
気配を微塵も感じさせずに女性は俺たちの前へと現れていた。
「盛り上がってるところ申し訳ないけど、そこまでにしてもらおうかなフェイさん。ボクがここにいるっていうことは、これから何が起こるのかはもうわかるよね?」
「……ええ、悪名高い“銀の鍵”に目を付けられたということは、あらゆる意味での死を免れ得ない。仕方がありません。口にしたからには始末しておきたかったのですが、それをすればここを見逃してはくれないでしょうから、ここは素直に手を引きますよ」
「理解が早くて助かるよ」
フェイは不気味さが溢れる笑顔を浮かべながらナイフを袖の内へと仕舞い、レンから離れて女性が立つ階段へと歩み寄る。
すると、女性は笑顔を浮かべながらも強い警戒心を露にして大きく距離を取り、俺の近くまで退避してくる。
「ふふっ、そこまで警戒しなくても良いじゃないですか。何もしませんよ」
「この国で一番強いレンさんをあんな状態にできる人ならボクは一瞬で殺されちゃうだろうからね、警戒するのは当然でしょ? それに、その顔で言われても信用できないかな」
「その言葉はさすがの私でも傷付きますよ。まあ、良いです。今はここを離れるのが先決ですからね」
フェイから距離を取った女性の表情には先程の笑顔はなく、迫り来る死を前に抗っているような、そんな切迫した様子があった。
そんな女性の様子を笑いながら、フェイは言葉通りに階段へと真っ直ぐに歩み進め、遠ざかっていく足音を響かせながら階段の先にある暗闇へと消えていった。
「うッ……!」
「「……ッ!」」
「レンさん……!」
すると、静けさが舞い降りたオークション会場に剣が床に落ちる音と、痛みに喘ぐ声が小さく響き渡る。
すると、俺の足は先程まで動かなかったことが嘘かのように動き始めた。
共に駆け寄る女性の足音を耳にしながら俺はレンの元へと駆け寄り、膝を着いて目線を合わせる。
「だ、大丈夫ですかレンさん……!」
「ぁ、ああ。少し、気が抜けただけだ。それより……」
出会った時とは打って変わり、レンの声は弱々しいものとなっていた。
しかし、その強い瞳には変わりはなく、レンは駆け寄ってきた女性へと鋭い視線を向ける。
「シオン、何故貴様がここにいる……?!」
そして、女性の名を呼びながら問い質し始めた。
「レンさんと同じ。臭い匂いを辿ってここまでやって来たんだよ。あっ、先に断っておくけど、ボクを捕まえるっていうのは無しね。命を助けて上げたんだから、今日は見逃してね」
「……ッ」
すると、シオンはレンの質問に答えながらレンが断りづらい要求を叩きつける。
それを耳にし、レンは何かを言いた気に言葉を詰まらせるも、反論が声に出されることはなかった。
「それよりも、ちょっとジッとしててね」
「ぐっ……!?」
そして、反論が返ってこないことを確認すると、シオンは唐突に、レンの腕に刺さっていた針を何の躊躇いもなく勢いよく引き抜いた。
痺れる感覚の中、痛みが走ったのであろう、レンは苦悶の声を漏らすが、シオンはその反応には目もくれず、次々と針を抜いていく。
「……腕の様子からして麻痺毒か。これはまた厄介なものを貰っちゃったね。おそらく、後十分から数十分くらいは痺れが取れないんじゃないかな……これで良し、と」
そして、レンが痛みで顔をどれだけ歪めようとも気にすることなく、シオンは全ての針を抜き切った。
「……シオン、感謝する」
「……ッ!」
すると、甲斐甲斐しいシオンの行動にレンは静かに礼を述べる。
シオンにはその言葉は予想だにしない言葉だったのだろう。
シオンは驚いた様子で目を見開いて言葉をなくしていた。
「ふふっ、どういたしまして」
だが、僅かな間を置いてシオンは言葉を飲み込み、レンへと笑顔を返した。
「……ところで、君は東洋人のように見えるけど、このオークションで売られるところだったのかい?」
「えっ……?」
そんな笑顔から一瞬の間を置き、シオンは唐突に問いを口にする。
一瞬前まで蚊帳の外だった俺は、唐突に自分へと向けられた視線と質問に虚を突かれ、小さく間抜けな声を漏らすことしかできなかった。
「は、はい。そうです」
「そっか……君、名前は?」
「えっと……シンジ、です」
「シンジ君ね。ボクの名前はシオン、よろしくね」
「は、はあ……」
俺は次々と投げ掛けられる言葉にただ付いていくことしか出来ず、話し掛けられてからというもの、シオンのペースに乗せられっぱなしだった。
そして、俺が状況を整理して飲み込む暇もなくシオンは俺の両肩へと手を添え、真剣な眼差しを見せる。
「……今は忙しいから無理だけど、後でもう一度、必ず会いに来るよ。だから、あまり遠くには行かずに待っててね」
「えっ……」
そうして紡がれたシオンの言葉を、俺は理解することができなかった。
しかし、理解の合否に関わらず、シオンは笑顔を浮かべるとスッと立ち上がりながら懐から針金を取り出し、ステージの裏へと駆けていく。
「やっぱり、まだ捕らえられたままだったみたいだね……さ、皆出るんだ。ここはもう危ない。出来るだけ早く貴族の屋敷からは離れるんだよ? それと、迷子にならないよう、大きい子たちは小さい子たちの手を引いて上げてね」
そして、その針金が錠に合う鍵であるかのごとく一瞬で解錠し、捕らえられていた人々は表情を輝かせながら地上を目指して階段へと駆けていった。
「じゃ、シンジ君もレンさんも出来るだけ早くここを離れるんだよー!」
「ちょっと待っ……!」
それを見送り、最後の一人が階段の先へと見届けた瞬間、シオンは俺とレンへと意味深な言葉を残し、ステージ裏の先、地下牢に続く道へと消えていった。
俺はシオンを引き留めようと伸ばした手をそのままに、静けさが舞い降りた中、言葉を失う。
(ちょっと待ってくれよ……どういう意味だよ……! 今の言葉も、さっきの言葉も……! 待っててって言ったり、ここを離れろって言ったり……)
「……シンジ」
「……! は、はい……!」
伸ばした腕をゆっくりと下ろしながらシオンの言葉を考えていた俺は、響き渡った声にすぐさま振り返る。
「ここに留まっていては命が危ない、ここを離れよう。すまないが、肩を貸してはくれないか?」
「は、はい。わかりました……!」
まるで、レンの言葉は俺に道を示してくれているかのようだった。
俺は一人では思うように動けないレンへと寄り添い、肩を貸して支えながら階段へと向かって歩み始めた。