一章16話 招かれざる客
(ここからが、本気……素手で剣を持った人物と渡り合っていただけでも十分ヤバイのに、ここからはもっと……)
互いに構え、息を整える間の一瞬の静寂。
二人の会話を耳にしていた俺は、その静寂が二人の間に張り詰める緊張感をどんどんと強めていっているようにも感じた。
「……ッ!」
そしてその静寂は、笑顔を浮かべていたフェイの表情が獲物を狩る鋭い表情へと変化した瞬間に破られる。
俺の視界に飛び込んできた光景は先程とは対照的なものだった。
レンから攻めていた状況はフェイから攻めていくものへと変わり、レンが防戦に徹するというものへとなっていた。
フェイから繰り出される攻撃の嵐は目まぐるしい勢いでレンへと襲い掛かる。
顔へと向かって突き出される掌呈、体を回転させながら距離を詰めて振るわれる手刀、その回転の勢いを利用して上半身へと放たれる回し蹴り、そしてその蹴りの勢いを利用して別の足から放たれる回し蹴り。
レンが繰り出していた怒濤の攻めは反撃の余地を挟まぬ勢いがあったが、フェイが繰り出すそれもまた、それと同等、またはそれ以上に隙のない見事なまでの攻めだった。
(嘘だろ!? 押され始めた……!? リーチで勝ってるのに、何で……!)
ただ、レンは防戦一方のままでいようとはしなかった。
レンは僅かな攻撃の隙間を突いて反撃をせんとする。
しかし、レンが剣を横薙ぎに振るおうとした瞬間、フェイはレンの剣を持つ手首へと向かって掌呈を合わせ、その腕に力が込められる前に攻撃を止める。
そして、もう一方の腕でレンの顔へと掌呈を突き出す。
だが、その一撃はレンの顔を目前にして、レンがフェイの手首を掴んで引き留めたことによって届かぬ一撃となる。
レンの表情には力を込める真剣さが、フェイの表情には真剣な中にも口許に笑みが浮かぶ中、二人は互いの手首を掴んで止めた状態で力を比べて硬直する。
「……ッ!」
すると、余裕のあったフェイはレンの顎を打ち砕かんとして蹴りを振り上げる。
死角とも言える視界の下から迫ったそれに、レンは驚くべき反応速度で反応して仰け反って避けるが、それは同時に、反撃も防御の手段もなくす行動となっていた。
フェイは足を振り上げた勢いのまま僅かに跳躍すると、レンの胸を蹴りつけ、レンを弾き飛ばしながら宙で一回転して華麗に着地を決める。
そして、地面に倒れ込みながらも転がる流れの中で隙なく起き上がったレンへと畳み掛けるように距離を詰める。
全身が武器とはよく言ったもの。
武器を持って接近してくればどういう攻撃が飛んでくるのかある程度の予想は出来る。
しかし、その言葉通り全身が武器とも言えるフェイが相手では次に何が飛んでくるのかというのは予想が付かないものだった。
接近したその次に手が出てくるのか、足が出てくるのか、はたまたそのどちらでもないのか。
持ち前の不気味さがさらに予想を掻き乱し、行動の癖から次の行動を読む、という行為すらフェイはさせてはくれていなかった。
正拳突き、上段蹴り、上段回し蹴り、手刀、掌呈。
流れるような攻撃の嵐に、レンはさらに防戦一方へと追い込まれていく。
(けど、大丈夫……! レンさんなら……レンさんならどうにかしてくれる!)
俺は根拠のない信頼をレンへと熱く傾ける。
多数を相手に一人で打ち勝ったのだから、どれだけ強い相手だろうと必ず勝ってくれるはずだと。
「くっ……! はぁッ……!!」
すると、攻撃の波の僅かな隙間を見つけ、レンは反撃の一振りを振り払った。
「……甘い!」
だが、フェイは俺の希望を軽々と打ち砕くほどに強かった。
並みの相手であればその刃は届いていたことだろう。
しかし、それは苦し紛れの一振りだと咎めるかのようにフェイは姿勢を低くすることで軽々と避ける。
そして、剣を振るったことによって注意が薄れた足を素早く払い、レンの体勢を崩していた。
重力に従い、レンはそのまま地に背中を着けるかと思われた。
しかし、それを許した瞬間、敗北が訪れるとレンは察し、咄嗟に片手を地面へと着いて力付くで体勢を立て直し、その腕を軸として回転しながらほんの僅かな距離を開ける。
「……ッ!?」
ただ、フェイはその行動を読んでいた。
体勢を立て直したレンに息を着かせず一足で距離を詰め、レンの顔面を狙って掌呈を突き出す。
体勢を立て直すことで手一杯だったレンにとっては避けられるものではなかった。
レンは瞬間に体を引きながら眼前で腕を交差し、その掌呈を受け止める。
「ぅぐッ……!?」
「ぇっ……!?」
(攻撃を受け止めただけなのに、痛がった……?)
その瞬間、レンの表情は歪んだ。
俺の目には洗練された鋭く速い掌呈にしか見えなかった。
しかし、それを受けた当人にはどれだけの衝撃が加わっていたのか、まるで骨でも折れたかのようにレンの両腕からは力が抜けていく。
「ふぅ……終わり、ですね」
「……ッ! はぁッ……!」
「おっと……!」
決着が着いたと言った様子でフェイが僅かに戦闘の気配を緩めた瞬間、レンは一発逆転を掛けて蹴りを繰り出す。
しかし、フェイは気を抜いているようで一切油断はしていなかった。
迫る上段回し蹴りに対し、フェイは勢いよく掌呈を合わせてそれを受け止める。
「ぐぅッ……!?」
「それはいただけませんね。体の異変に気が付いた時点で、余計なことは避けるべきです」
すると、レンはまたも体に異常を感じたのか、表情を歪めながら足を戻し、蹴りを放った足を地面へと下ろす。
しかし、下ろした足は体を支えきれずに崩れ、レンは地面へと片膝を着き、両腕を力なくぶら下げながらフェイを見上げた。
「ふふっ……どうですか? 私特性の痺れ針の麻痺毒の味は? 痛みを伴う即効性の毒ですから結構効くでしょう?」
「うッ、くッ……!」
「ただ、安心してください。針が刺さった箇所の周辺をしばらくの間痺れさせるだけです。死にはしません」
すると動けなくなったレンを前にして、フェイが放つ空気からは緊迫感が消え去る。
表情には不気味さに溢れる笑顔が浮かび、フェイは警戒もなく手を後ろに組み始める。
「どこまでも、舐め腐っている……!」
「……ん? もしかして、素手でやると嘘を吐いて暗器を使ったことですか? 言ったでしょう? 戦いに卑怯はないと」
「そんなことではない……! 麻痺毒などでなければ、私はもう死んでいる……! 何故だ!? 命乞いでも聞きたいのか!? それとも楽しむためだとでも言うのか!?」
そんなフェイへとレンは鬼気迫る表情で睨み、問いを叫ぶ。
レンの言葉はもっともだ。
戦いの知識や毒に関する知識のない俺でも、麻痺毒でなければレンが死んでいたというのが察せられる。
レンは今にも取りこぼしそうになる剣の柄を、痺れる中でも出せる全力を以て強く握り締める。
「簡単なことですよ。殺してしまっては売れないじゃないですか」
「……ッ!」
たったそれだけのことで?
レンの表情にはそんな意志が垣間見えた。
「……ですが、それは並みの人物であればのこと。あなたほどの人物になると、皆怖がって買い取り手がつかないのでね。仕方がないので、今回はあなたをここで始末させてもらいますよ」
(まずい! レンさんが、殺される……! 行かなきゃ……! 助けてもらったんだ! 今度は助けなきゃ!!)
劣勢でも尚、希望にすがり続けていた俺は、いつの間に持っていたのか、フェイがナイフを握り締めていたのを見て焦燥に駆られる。
だが、俺には武術の覚えもなければ、相手を押さえ込む力すらない。
そして、あれほど強かったレンですら叶わないというフェイに対する恐怖で、足は震え、根が生えたかのように動かしたくても動かすことが出来なかった。
「さようなら。楽しませて頂いたこと、感謝いたしますよ」
(俺の足だろ!? 動けよ! 今助けないで、いつ恩を返すんだよッ!?)
フェイはレンへとゆっくりと近づき、首を掻き切ろうと握り締めたナイフを構える。
俺は情けない自分を恨んだ。
命を救ってくれたと言っても過言ではない人物が目の前で危機に陥っているのに、一歩踏み出すことすら出来ず、あまりにも不甲斐なかったから。
俺は自分自身を強く憎みながら目の前で起きる光景に目を背けて瞳を閉じた。
「お取り込み中すみませーん」
「「「……ッ!」」」
しかし、フェイのナイフが振るわれようとした瞬間、辺りには緊張感のない声が響き渡った。
俺は唐突なその声にハッしながらと振り返り、フェイとレンもまたその声の方向へと振り返る。
「……これはまた、招かれざる客が来たものです」
「どうも~」
上階へと続く階段、そこにいたのは、露出度の高い衣装に身を包み、煌めく銀色の髪をポニーテールにして揺らす美しい女性だった。
フェイは現れた女性の顔を見るやいなや、その表情に不快感が浮かべる。
しかし、そんな表情は気にしないと言った様子で、女性は小さく手を振りながらニッコリとした笑顔を浮かべていた。