一章12話 温もり
金糸の女性の登場により貴族たちは皆一様に焦りと絶望の表情に身を染め、逃げ場はないかと視線を四方八方に駆け巡らせる。
しかし、会場内に唯一目につく出入口の前には、現れた女性が立ち塞がり、他に地上へと出るための手段は会場から見渡せる範囲ではどこにも見当たらなかった。
すると、その突破口を開こうとモルダたち誘拐グループの一員は次々に武器を取り出して女性の周囲を囲い始める。
「素直に捕らえられてはくれん、か……仕方ない」
その辺りの様子を前にし、そうなることがわかっていたと言わんばかりに女性は切れ長の瞳を細くしながらすぐさまその状況を受け入れる。
そして、腰に下げた長剣の柄へと手をかけると、鞘と刃が擦れ合う小さな音を響かせながら剣を引き抜いた。
女性は両刃の剣を両手で握り締め、体の前で構えて周囲をぐるりと見渡す。
「……壇上の一人も入れて八人、か。少々面倒だな」
「モルダ、どうする? 殺さずに捕らえる?」
「……そんなことを出来るような相手ではないわ。全力で殺すわよ……!」
すると、そんな女性へとモルダたちは俺の鎖を握り締めるリゼ一人を残し、数にものを言わせて女性へと襲い掛かった。
モルダたち七人は皆、短く扱いやすいナイフを片手にして波状攻撃のように迫り来る。
右から、左から、正面から、首を掻き切らんと迫る彼女らを、女性はたった一人で全てを捌いていく。
横薙ぎに振り払い、掬い上げるように振り上げて弾き、飛び込むように放たれた刺突を剣で滑らせて受け止めると、相手の腕を掴んで勢いを利用して次に迫る敵へと投げ捨てる。
すると、投げ捨てられたものは頭を打ち、巻き込まれた一人は飛んできた仲間の重みを腹部に強く打ち付けられ、二人は同時に気を飛ばす。
「まずは二人……!」
それを確認し、女性は仕留めた数を呟きながら次に迫るものへと距離を詰める。
すると、攻めるばかりで守ることへの意識が薄れていた女は急激な距離の変化に全く反応することができてはいなかった。
女性はその隙を逃すことはなく、がら空きとなった腹部へ剣の柄で刺突を放つように殴り付け、重たい一撃を受けた女は小さく苦悶の声を漏らしながら先に倒れた二人と同じように意識を手放す。
「三人目……!」
女がまた一人と倒れ行く中、女性はすぐさま反転し、迫り来るナイフへと剣を合わせる。
三人倒したとはいえ、まだ迫る敵の数は四人。
圧倒的不利な状況であることは変わらず、四方向から同時に攻められれば防ぐことは不可能と言っても過言ではない状況。
女性は剣を盾にするように体の前で構え、ナイフの振るわれる方向に合わせて攻撃を防ぎながら、巧みなステップで四人との距離感を適切に保ち続ける。
「……ッ、うぉぉおぉ!!」
すると、たった一人の相手を押しても押しても切り崩せぬ状況に女たちは焦りと苛立ちを募らせ、四人の内の一人は痺れを切らして飛び出す。
そして、最短距離で攻撃を届かせようと、女性の腹部目掛けて突進する。
しかし、それは守りに徹していた女性にとっては最も易い一手であった。
女性は大きく避けることはなく、体捌きのみでその突進をいなすと、すれ違い様に首元へと手刀を放ち、四人目がドサリと音を立てて地面に倒れ付した。
すると、一度切れてしまった痺れは瞬く間に伝染し、さらに二人が女性の元へと突っ込んでいく。
ただ、二人で襲い掛かって来ようとも、そこには連携など微塵もなかった。
振りかぶって迫る一人目のナイフに対し、女性は力を込めて長剣を振り上げる。
すると、互いの刃が交わった瞬間、辺りには甲高い金属音が鳴り響き、柄の短いナイフは力に負けて勢いよく頭上へと弾き飛ばされる。
そこへ二人目の女が襲い掛かっていくが、女性は突進してくる相手のナイフに剣を合わせ、まるで闘牛士のごとくひらりと受け流して足をかけて転ばせる。
そして、女性はナイフを弾かれて丸腰となったものへとすぐさま距離を詰め、柄で刺突を叩き込んで一人を地に伏せさせ、落下してくるナイフを空いた手で見事に掴み取る。
「クッソォ……!」
足をかけられて転んだ女は悔しさを吠えながら体を起こし、届けと祈るように刺突を伸ばして襲い掛かった。
しかし、そんな悪足掻きのごとき一撃が届くことはなかった。
女性は刺突を体を横に僅かにずらすだけで避ける。
そして、体勢が崩れに崩れ、隙だらけとなった女の首元へとナイフの峰を振り下ろし、ものの数分で人数差を帳消しにしてみせた。
「……これで六人。どうする? まだやるのか?」
「……当然でしょ? こんなところで捕まりたくはないもの」
ただ、人数差がなくなっただけであり、女性の前には冷静沈着なモルダがまだ残っていた。
たった一人となって尚、諦める気配を見せずにモルダは二丁の大型ナイフを構え直し、女性はナイフを捨てて再び両手で剣を握って体の前に構える。
二人の間には、一時の静寂が訪れる。
あれだけ激しく動いたはずの女性の呼吸は一切乱れておらず、逆に対するモルダの額には玉のような汗が一つ、二つと流れ落ちていっていた。
すると、その汗が顎先から離れ、地面に落下した途端、それが号砲を意味したかのごとく激しい剣劇の音が会場内に響き渡り始める。
モルダは体の回転と腕の振りで攻撃を繰り出し、反撃に対してはステップで間合いを管理するという、手数を重視した踊り子のごとき二刀流を以て女性を仕留めんと迫る。
響き渡る金属音の数はまるで多勢対多勢がぶつかり合っているかのように連続して響き渡り続けていた。
しかし、そんな連続攻撃をも女性は尽く見切り、剣で全てを受け止めて捌いていく。
一見すれば互角の戦いが繰り広げられているようにも見えた。
しかし、明確な力の差は一瞬、また一瞬と時が経つ毎に大きくなって現れてくる。
激しく動くモルダの額にはどんどんと玉の汗が浮かび、表情は歯を噛み締める苦し気なものへと変わっていく。
そんな姿とは対照的に、女性は彫像のごとく表情も息遣いすらも変えずに戦い続けていた。
「……ッ!?」
そして、戦いは唐突に終わりを告げる。
辺りには一際大きな金属音が鳴り響き、一本のナイフは高速回転しながら宙を待って二人から遠く離れた地面へと突き刺さる。
それは疲労からくる体勢の崩れと判断の遅れを突き、女性がモルダのナイフを弾き飛ばしたものだった。
「……ッ! うぁぁあぁ!!」
すると、モルダはこの一撃に懸けるとばかりに覚悟を決め、気合いを叫びながら突きを放った。
「ぅぐッ……!?」
「……これで七人」
しかし、そんな単調な攻撃が圧倒的実力差を見せつけていた女性に届くことはなかった。
女性は姿勢を低くしながら刃を避け、モルダの腹部へと拳を叩き付けた。
モルダはあまりの痛みに膝を崩し、それに堪えきれずにゆっくりと地面に全身を叩き付ける。
そして、それを確認した女性は流れるように剣を鞘へと納め、一息吐いた後、俺とリゼの方向へと向き直って歩み始める。
「貴様ら、逃げたいのであれば好きにすると良い。ただ、上では国防兵がネズミ一匹逃がさぬよう屋敷を封鎖しているがな」
多くの貴族たちとすれ違う中、女性はポツリとそう呟き、貴族たちは完全に諦めてその表情は絶望の色に染まる。
そんな意気消沈した中を、女性は足音を響かせながら進んでいき、リゼに鋭い視線を送りながら壇上へと上がってくる。
「と、止まりなさい!」
すると、リゼは僅かに震えた声で制止を促す。
その言葉に女性は素直に応じ、数メートルの距離を保って足を止める。
「それ以上近づいたら、こいつがどうなっても知らないわよ!」
リゼは俺を盾にするかのように鎖を自らに引き寄せて脅しをかける。
女性はその言葉に沈黙した。
リゼを真っ直ぐに見つめ続けることに変わりはないが、直立したまま数瞬と動くことはなかった。
しかし僅かな間の後に、女性は流れるような動作で剣の柄へと手をかけ、迷いなく引き抜き始める。
「嘘です!! ごめんなさいッ!!!」
すると、鞘から刃が数センチほどその身を露にした瞬間、強気だったリゼは態度を翻し、飛び込むように両手・両膝・頭を地に着けて謝罪を叫んだ。
女性は惨めと言えるその姿に瞳を落とし、ジッと視線を注ぎ続ける。
そして僅かな間の後、女性は抜きかけた剣をゆっくりと鞘へと納めた。
「死ねぇぇえぇえ!!!」
しかし、警戒が解かれた際の僅かな隙をリゼは狙っていた。
剣が鞘へと納める音が小さく響き渡った瞬間、リゼは服の内から取り出したのであろうナイフを片手に女性へと飛びかかる。
「んがッ!!?!」
だが、リゼの凶刃が女性へと届くことはなかった。
それはリゼが地に頭を着けていたからこそ、丁度良い高さになっていたのであろう。
強襲を試みて飛びかかったリゼは、まるで突き出されていた膝に吸い込まれているかのようでもあった。
顔面にもろに膝を受け、鼻血を垂らしながら白目を剥いたリゼは、飛び起きてすぐに地面へと突っ伏した。
全ての敵を仕留め終え、女性はフゥと一息吐く。
(すげぇ……たった一人で、全員を……いや、それよりも……俺、助かったのか……)
「ぁ……」
「……ッ!」
助けが来た。
その事実を確認し、頭がハッキリとそれを理解した瞬間、俺は膝が崩れていくのを止められなかった。
しかし、女性はそんな俺の様子に瞬く間に反応し、地面へと倒れる前に体を受け止める。
「大丈夫か……!?」
「も、申し訳ありません……助かったって思ったら、体の力が抜けて……」
「……無理もないさ、謝ることなんてない」
女性は手間をかけたことに対して一切に気にかけてはいなかった。
むしろ寄り添い、受け止めたまましばらくの時を過ごすことすらも嫌な顔一つしなかった。
「あの……」
「……どうした?」
僅かな時をもたれ掛かる形で過ごした後、俺は女性と顔を見合わせて声をかける。
「名前を伺っても、よろしいですか?」
「もちろんだ……私の名はレン、と言う」
「レン、さん……」
彼女は名をレンと言った。
レンはその程度のことなど易いもの、とばかりに笑顔を浮かべる。
「あの、レンさん……助けて頂き、ありがとうございます」
「構うことはない、当然のことをしたまでだ」
そんなレンへと、俺は弱った今の体であってもできる、心からの感謝の言葉を口にする。
するとその言葉を耳にした瞬間、レンの表情には一層優し気な笑みが浮かんだ。
「……少年、私も君の名を聞いても良いか?」
そうしてその笑みから数瞬置き、レンは俺と同じように名を聞いてくる。
俺にはその問いかけに拒否する理由などなかった。
「あっ……はい。俺の名は、シンジって言います……」
「そうか。シンジ……」
「ぇ……」
俺の名を知ると、レンは優しく名前を呟きながら俺の頭の後ろへと手を回す。
突然の行動に俺はただただ間抜けな声を漏らすことしかできなかった。
そんな俺の様子に構うことなく、レンは俺の額を自分の肩へと優しく引き寄せる。
「辛かったろう? もう、大丈夫だぞ」
「……ッ!」
そして、まるで俺の心がわかっているかのように、優しくそう囁いた。
その言葉を聞いた瞬間、俺は涙の防波堤が決壊する音を耳にした。
「ぅ……ッ、ぅわぁぁあぁ……!!」
人の温もりと心の安堵、そして頭を優しく撫でられる感覚。
それら三つは、止まることを知らぬ勢いで涙を呼び寄せ続けた。
ただ、俺はそんな涙を止める気にもならなかった。
レンからもたらされる優しさに身を委ね、俺は脇目も振らずに涙を流し続けた。