四章13話 開け、岩
「……たぶん、ここだな」
そう言って、シオンは足を止める。
シオンの言葉を信じ研究所を後にした俺たちは、研究所の背に控える木々なき岩山を前にして立っていた。
「……シオン、本当にここで確かなのか? 洞窟やら、身を隠せる場所があるならまだしも、ここは人目見ただけでも人がいるかどうか判別出来るような場所だぞ?」
すると、皆の気持ちを代弁するかのように、レンはシオンへと問い掛ける。
レンの言葉通りだった。
俺たちが目の前にする山の高さは、およそ数十メートル。
拠点と思しき小屋の姿も見当たらなければ、身を隠せるような洞窟の姿も見受けられない。
とてもではないが、ここに人が姿を眩ましているとは思えなかった。
「ボクの経験則が正しければ、間違いないよ」
すると、自信に満ち溢れた笑みを浮かべ、シオンは俺たちへと振り返る。
「どうしてそう、言い切れるん、ですか……?」
「どうって言われても、こればっかりは培った経験がものを言うからねぇ。でも、一つ言えることは、どういうわけかは知らないけど、ズル賢い人たちっていうのは皆同じ思考回路を持っているみたいなんだよね。
何と言うか……いかにも怪しさ満点の場所のすぐ近くに、本当に隠したいものを隠す傾向があるんだ。つまり、これに当て嵌めてあの研究所を前者と見立てるならば、この何の変哲もない岩山は格好の隠し場所になる、というわけさ。だから、ここだってわかる」
(わかる人にはわかる特別な感覚、なんだろうな……でも、言われてみれば確かにそうだ。初めてここに来ようが、何度ここに来ようが、いかにもな雰囲気があるあの研究所にまず先に目が行く。こんな何もない岩山なんて、探索しようって言われない限り絶対に訪れたりしなかっただろうな)
シオンのそれは、確固たる証拠なしの自信だったが、どういうわけか信じるに値するだけの何かがあった。
この場へと連れられた訳を知り、やはりここは違うなどと異議を申し立てるものは俺たちの中に誰一人として現れる気配はない。
それを見定め、シオンはニコリと笑みを浮かべる。
「さてさて、質問も無くなったところで、ここからが本題! さあ皆、お相手さんの隠れ場の捜索と行こうか!」
すると、静けさを打ち破って口を開いたシオンからは、仕事の開始を意味する一言が発せられた。
数瞬の間、俺たちは皆揃って呆然となる。
「……えっと、シオン。場所はわかった、って言っていなかったか?」
「うん、言ったよ。わかったのは大まかな場所だけどね」
「……」
(あんな意味深な笑みをしていたものだから、てっきり正確な居場所を突き止めたのかと思ってたけど……あれはそういう意味じゃなかったのか)
レンは頭を抱えて大きな溜め息を吐き、俺とクレアは悪気のない笑みを浮かべるシオンへと苦笑いを浮かべる。
思い返せば確かに、シオンは場所はわかったと言っていただけ。
突き止めたという言葉は一言も発していなかった以上、勝手に頼りにし、背中に付いて来た俺たちに責めるような真似は出来なかった。
「さ、あんまりだらだらしていても時間がもったいないし、さっさと始めようか」
どんな特徴があるかもわからない。
どんな場所に設けられているかもわからない。
だが、やらねばならなかった。
俺たちは気を改め、見つかるかもわからぬ隠れ場探しへと赴き始めた。
山の麓を、その輪郭に沿ってひたすらに歩み続ける。
岩肌をよく見定め、肌で感じ、歪さや空洞の有無といった違和感がどこかに隠れていないかを注意深く探し続けた。
しかし、何の成果も得られぬまま時間は一刻、また一刻と過ぎ去っていく。
「シオン、少し休憩にしよう。探すのに躍起になってはがりでは、仮に見つかったとしてもその後までが保たん」
「うん、そうだね。そうしよっか」
昨日から常に動き続け、既に疲労はかなり溜まっていた。
そして、そこに積み重ねるようにして、延々と続く何の変哲もない岩壁を見定め続ける作業。
体だけでなく、心にも多大な疲労が積み重なっていた。
「それにしても、これだけ探して見つからぬとなってくると、ここが本当に正しいかどうか疑いたくなってくるな」
「そういうことは思っても言わないでほしいよ、レンさん。言葉は形になりやすいんだからね?」
「言霊、というものですね? 昔から言われてますよね、言葉には不思議な力があると」
レンの一言を機にして、岩山から目を離したレンたちは、旧友の三人で集まったといった様子で他愛ない会話を交わし始める。
殺気や気迫、緊張感すらも何もない、穏やかな時間がそこには流れていた。
(良いな、こういう景色……ずっと眺めていられる)
見目麗しい多様な美女が微笑みあい、殺伐としたものとは無縁な様子で楽しげに会話を繰り広げる。
会話の中に入らずとも、見ているだけでずっと楽しんでいられる、心が安らぐ。
そんな思いが俺の心の中には芽生えていた。
(色々と巻き込まれてばかりで、先の事なんて考える暇もなかったけど……今の毎日が少し落ち着いたら、こんな平和な日常を過ごしていけるようになったら良いな)
今、考えるようなことではないのかもしれない。
だが、目の前の光景が、意識の外からそんな思いを湧かせているかのように、自然と心の内にそんな思いが過っていた。
「ん……?」
(あれ、ちょっと待て……)
そうして和やかな光景を眺めていること数瞬、俺はその光景にある違和感を覚える。
一、二、三……。
レン、クレア、シオン……。
(ミアがいない……! もしかしてはぐれたのか!?)
何度探しても、俺の目の前の光景には三人の姿しか映っていなかったのだ。
一際無口で、いつも後を付いてくるばかりで先頭に立つことがなかったがゆえか、その姿が目の前にないということに今の今まで全く気が付かなかった。
俺は冷や汗が背中に流れるのを感じながら辺りを見渡す。
右に……左に……背後に……。
どこか遠くへと離れ離れになってしまっていたらどうしよう。
そういった不安ばかりが、辺りを見渡すほどに心に広がっていく。
(いた……!)
しかし、そんな感情も岩山の方へと振り返った瞬間、みるみる内に心から消え去っていった。
心に取り巻いた不安とは裏腹にミアの姿は存外近くにあったからだ。
俺は胸を撫で下ろしながら、何かに取り憑かれたように岩山を凝視し続けるミアの元へと歩み寄っていく。
「ミア、何をやってるんだ? 休まないのか?」
隣へと立ち、驚かせぬよう静かに問い掛けると、ミアは何も言葉を紡がずにヒクヒクと鼻を効かせる。
「……ねえ、何かここ、鉄というか……金属みたいな臭いがしない?」
「金属……?」
(もしかして、また機械兵みたいなのが近くにいるのか?)
そして、僅かな間の後に返ってきた言葉は、質問に対する答えではない問い掛けだった。
俺は辺りに視線を配り、警戒心を放ちながらミアと同じように鼻を効かせる。
(……いや、こんな身を隠せる場所もないような所にあんな目立つやつが潜んでいるならすぐに気付く。他に考えられるとしたら、誰かが落とした武器が近くにあるとか、体を改造させられた人が見つからないように上手く隠れているとか、虫を模した監視カメラがまた俺たちを付けているといったところか?)
「いや、俺には何も……」
「……そう」
しかし、ミアの言うような臭いは俺の鼻では一切感じ取ることは出来なかった。
辺りへの警戒を続けたままミアへと答えを返すと、ミアは勘違いだったのかと言うような様子で眉をしかめ、首を傾げる。
「ちょっと待って」
しかし、結論を出すのはまだ早いと言わんばかりのタイミングでシオンが俺とミアの元へと寄りながら声を上げる。
「ミアちゃん。今、金属の臭いって言ってなかった? それってどの辺り?」
「え、えっと……この、岩辺りから」
シオンの表情はいつも通りの軽い笑顔などではない、真剣さに満ちていた。
予想だにしない勢いで問い詰められ、ミアは若干たじろぎながらも自分の感覚を頼りに指を差す。
そこは回りの岩壁と何一つ変わりない岩の壁だった。
どれだけ目を凝らしても、鼻を効かせても、違いという違いは見受けられない。
俺の目にはどう疑って見つめたところで、ただの凡百の岩にしか見えなかった。
しかし、シオンは足早にその岩の元へと近付いていくと、その感触を手で確かめながら何かを探すように全体をまさぐり始める。
「これだ……!」
すると数瞬の沈黙の後、勢いよく声を上げたシオンは、事もあろうに硬い岩壁を指先で押し込み始めた。
動くはずもない、指が痛むだけ。
そう感じざるを得なかった。
しかし、硬いはずの岩壁はシオンの指先に軽く押し負け、一部がカチリと押し込まれる。
「「「……ッ!」」」
驚愕を禁じ得なかった。
岩が押し込まれたその次の瞬間、シオンの目の前の岩壁は小さく地鳴りを響かせながら割れ、闇を覗かせる道を開き始めたのだ。
扉は数瞬の時を掛けて完全に開き、開き切るのと同時に地鳴りは静かに鳴り止む。
「さあ、行こっか!」
振り返ったシオンの表情は機械兵を散らせた時のものと同じ笑顔だった。
そんな笑みに俺たちの表情は自然と緩んだ。
思いもよらぬ形で道を探り当てた俺たちは疲れも忘れ、気勢を高めながら暗い洞窟へと足を踏み入れた。