四章7話 夕焼けに響き渡る
“近いから”
その言葉を信じ、シオンの目的の場所へと歩みを進めていた俺たちがそこへと辿り着く頃には、青く染まっていた空は赤く色付き始めていた。
「クレアちゃん、この景色に何か見覚えはない?」
片側には小さく乱立する木々の壁、もう片側に高く伸びたゴツゴツとした岩壁。
その二つに挟まれた道には数多くの小石が散らばり、馬車が通ることはおろか、人の足ですら道が悪いと感じるほどの有り様となる街道が眼前に広がっていた。
そんな街道の入り口を前にし、俺たちは立ち止まったままクレアへと視線を集める。
「……はい。たぶん、ここです」
僅かな間の後、クレアは苦しげな表情でコクりと小さく頷いた。
事故に遭った瞬間の記憶がフラッシュバックしているのであろう。
自らがその苦しみを味わっているわけでもないにも関わらず、俺はクレアの表情を目にして、いたたまれない気持ちとなった。
ただそれと同時に、別の感情もまた心の中に現れる。
「レンさん、ここってもしかして……」
「ああ。私の国とアリアの国を結ぶ、つい先日、私たちも通った街道だ」
クレアと同じように、俺もまた、その光景に見覚えがあったのだ。
(もし、あの日、偶然が最悪な形で噛み合ってしまっていたら、俺もクレアと同じように……)
先ほどまで感じていた歩き続けた疲れなど、瞬く間にどこかへと飛んでいってしまっていた。
自分もクレアと同じ境遇になっていたかもしれない。
それを頭に思い浮かべると、驚きと動揺の感情だけに留まらず、恐怖の感情をも芽生え始めた。
「……だが、ここが“落石街道”などと呼ばれていることなど、私は聞いたことがないぞ」
そんな俺とは対照的に、レンは落ち着きを保ちながら疑問符を抱えてシオンへと視線を注ぐ。
「まあ、それは仕方ないよ。なんでも、今までにも落石は今までにも何度も起きていたみたいだけど、死亡事故が起きるなんてことはここ一年ちょっとの間に増え始めたばかりだって話なんだ。そして、それに合わせて“落石街道”なんていう名がセインズの街でつい最近になって言われ始めたものだから、この街に住んでいる人でもない限り知らないのは無理もないよ」
気にする必要など無い。
そう言わんばかりにシオンは笑みを浮かべる。
そんな笑みを前にし、レンは何か引っ掛かっている様子で顎に手を当て僅かに顔を俯かせる。
「……私たちがそれを知らない訳はよくわかった。だがシオン、それを知っているのならば、そこで何か良からぬ事が起きているとは想像しなかったのか? シオンならばすぐに思い当たりそうなことだが?」
「もちろん、最初はボクもちょっと怪しんではいたんだよ? けどねぇ……落石も数を重ねれば死亡事故が出てくるのは仕方がないことだって、街の人が言っていたのを聞いたら、確かにって思っちゃってね。不運が続いちゃってるんだなぁって楽観視しちゃっていたんだよ。でも、クレアちゃんが関わってるって話を聞いて、やっぱりここに何かあるんじゃないかって思って。それで来てみたわけだよ」
「……なるほどな」
死人が出ているのであれば楽観視出来るようなものではないだろう。
そんな諫言を呈するように、突き刺すような瞳でレンはシオンを見つめ、バツが悪そうにシオンは苦笑いを浮かべながら視線を反らす。
「じゃ、じゃあ……! これ以上遅くなっちゃうのは良くないし、ちゃちゃっと上の方、確かめて来ようか……!」
そして、絶えず注がれる視線を無理矢理引き剥がし、シオンは崖の上を目指して先を歩み始めた。
高く高く切り立った崖を登っていくのはそれほど難しいことではなかった。
シオンの後に続き、崖の外周を歩いていくと、まるで果てしなく続くスロープを設けたかのごとく、綺麗に切り開かれた岩肌の坂道が目の前に現れたのだ。
俺たちは吸い込まれるように自然とそこへと足を進めていき、崖を徐々に登り始めていく。
そうして、ひたすらに足を動かし続け、空から青の色が完全に消え去った頃、俺たちはやっとの思いで崖の頂上へと登り詰める。
先ほどまで他愛ないやり取りをしていたのが嘘のようだった。
レンもシオンも、ピンッと緊張の糸を張り詰め、警戒するように右に左に首を回して辺りを見渡す。
崖の上は実に見通しが悪かった。
平坦と言える整った足場は散見すれども、デコボコと大小様々ないくつもの岩が辺りに散らばり、身を隠すにはうってつけと言えるような状況が数多く存在していた。
「……落石が事故でなく事件ならば、ここに必ず誰かがいるはず」
「うん。慎重に行こうか」
レンとシオンは互いに意見を擦り合わせ、先陣を切って前へと進んでいく。
崖の端から岩の影まで、五人の視線を満遍なく走らせながら、俺たちは足音を殺して人影の有無を確かめる。
「静かに……!」
「「「……!」」」
すると突然、シオンは足を止めながら手のひらを素早く横に広げ、俺たち全員に制止を促す。
声を最小限に抑えたシオンの指示に従って俺たちは息を殺すと、辺りは風の音しか響かない静寂へと包まれ始めた。
「……さい…………なさい」
そんな静寂の中で耳を澄ましていると、風の中に僅かに、俺たちの中の誰のものでもない声が響き始める。
震えているようにも聞こえるその声は、どうやら懺悔の意を呟いているようだった。
俺たちは存在を悟られぬように慎重に声のする方へと足を進めていく。
すると、そこには崖の淵に立って、眼下へと何かを構えながら、崖の下に伸びる街道を恐怖に怯えた瞳で凝視する女性の姿があった。
瞳を凝らして見てみると、女性の手に握られていたものは銃のようなものだ。
銃口が向けられた先には丸い岩肌が僅かに突出し、そして視線を追っていくと、街道には夕陽に照らされながら日没前には街へと辿り着きたいと言わんばかりに先を急ぐ一両の馬車の姿があった。
(まさか……!)
次の瞬間に何が起きるのか、俺の脳は一瞬でそれを理解した。
「ダメェッ!!!」
そして、それはその場にいる全員が同じ思いだった。
自らと同じ苦しみを味わう人を増やしてはいけない。
そんな思いが伝わってくるかのようなクレアの悲痛な叫びが、目の前の女性の非行を引き留めんと言わんばかりに辺りへと響き渡った。