四章3話 思い出の店
いくつもの海上での夜を越え、数日振りとなる陸地へとようやくといった思いで俺たちは足を下ろす。
一切揺れることのない大地の踏み心地は、どこか安心感が胸に広がるようだった。
しかし、長き休息の時間はまだ訪れはしない。
俺たちが辿り着いた場所は、最初に船に乗り込むに至った港町に過ぎない。
レヴィたちの主であるアリアの待つ街までには、これから馬車へと乗り込んで船旅に負けるとも劣らない長き旅路を行く必要があった。
俺たちは一息吐くこともなく移動手段を馬車へと乗り換え、再び乗り物に揺られる日々へと身を投じ始めた。
海の上とは違い、陸続きの街道は安心感に満ち溢れていた。
荒波に転覆する可能性もなく、食料が尽きることとなっても近くの街に赴けばすぐに調達出来る。
片時も肩肘張ることもなくゆったりと座っていられた。
次々と移ろっていく初めての景色を前に瞳を輝かせるミアを眺めている内、時間はどんどんと過ぎ去っていった。
そうして穏やかな時間に身を委ねながら幾日かの時を経て、俺たちは久方振りとなるセインズの街へと降り立つ。
「……本当に、こんな街の中で宜しかったのですか? どうせなら最後まで送り届けても宜しかったのですよ?」
「いや、大丈夫だ。少し寄りたい所もあるからな」
レンの容態は完全に回復していると言っても良いほどの状態まで復調していた。
自分自身の足でしっかりと立ち、歩き、表情にも声にもいつもの力強さが宿っていた。
「そうですか、わかりました。では、私たちはこれで」
「ああ、世話になった」
「いえ。では、失礼致します」
別れを告げ、レヴィたちを乗せた馬車は背を向けてゆっくりと遠ざかっていく。
それを俺たちは、馬車が分かれ道を曲がって建物の影へと消えていくまで静かに見届け続けた。
「……さて、行こうか」
見送りを終え、振り返り、俺たちへとそう言ったレンの表情には晴れやかな笑顔が灯る。
その笑顔は、いつもの子を思う親のような優しげな、大人びた笑顔とは僅かに違い、待ちわびたお楽しみにありつけるというような、子供のような無邪気さが感じられるような笑みだった。
俺たちはレンの言葉に促されるまま、どこへ行くかも把握せずに歩み始める。
「……レンさん、これからどこに行くんですか?」
いくらかゆっくりと足を進め、俺はレンへと問い掛ける。
雛鳥のように無表情で付いてくるミアの真意は定かではないが、クレアの表情からは、どうやら俺と同じように意向が気になるといった思いが溢れているようだった。
レンは僅かに振り返りながらクスリと広角を上げる。
「この前の時には訪れることが出来なかった店だ。私個人としては、この街に来たのであればあそこは外せんからな」
「ああ、なるほど」
(そう言えば、あの時は店に入る直前になって拐われたんだっけ? 何だか懐かしい気分だな)
今となっては笑い話。
だが、当時にとっては恐怖を抱くような思い出だ。
俺は苦笑いにも似た微妙な笑みが自然と表情に現れ、そんな姿から全てを察したレンは俺と顔を見合わせると、優しげで穏やかな笑みを浮かべる。
しかし、それを知らぬクレアとミアは何のことだと言いたげな様子で首を傾げ、問い掛けては来ないものの頭上に疑問符を浮かべるばかりだった。
僅かながらの温度差がある中、歩みを止めることなく進み続けていた俺たちの前方に、目的としている料理店の姿が現れ始める。
脳裏に鮮烈に刻まれた一場面の場所だ。
滞在していた時間は一瞬だったが、その風景は未だにしっかりと記憶に刻み込まれていた。
「レンさん、確かあの店でしたよね?」
「ああ、そうだ。あの店で間違い……」
確信に近いものを抱きながらも、俺は断定するべくレンへと問い掛ける。
すると、笑みを浮かべて頷いたレンは紡いでいた言葉を唐突に途切れさせ、ふと足を止めて店とは違う方向へと視線を注ぐ。
「すまん、人を見つけた。少しだけ話をしてくるから先に店に入って好きなものでも頼んで待っていてくれ」
「えっ……は、はい。わかりました」
何を見つけたのか、問い掛ける間もなかった。
レンは俺たち三人へとそう告げると、視界から消えたのであろう影の姿を追って、小走りに横路へと駆け込んでいった。
俺たちは皆呆然とし、辺りはシンと静まり返る。
「えっと……じゃあ、行こうか?」
「は、はい」
「……うん」
言い残された言葉に従うしかなかった。
取り残されたまま呆然としていた俺たちは気持ちを改め、三人で踵を揃えて目前の店へと歩んでいった。