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男がか弱きこの世界で  作者: 水無月涼
三章 東洋の国
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三章57話 去り行く背中

 人気のない城を去り、港へと戻ると、帰りを待っていたレヴィたちは俺たちの姿を見つけた途端、我先にと言わんばかりに駆け付けてくる。

 港へと辿り着く頃には、失血によってレンの意識はほとんど残っておらず、俺の残る体力では支えるのがやっとのような状態だった。

 レヴィたちの力を借りてレンを船上へと運び入れ、診療室で横たわらせると、俺たちは逃げ帰るように帰路の途へと着いた。


 風は柔らかに体を撫で、波は穏やかに船を揺らし、船上には数時間前までとは正反対の、とてもゆっくりとした時間が流れていく。

 とても体の休まる一時だった。

 ただその時間の中に、勝利の余韻というものは欠片ほども含まれてはいなかった。

 乗り合わせるシロウは一切言葉を紡ぐことなく、何か考え事を巡らせているかのように静かに一人の時間を過ごし、倒れ付したレンは深い眠りに身を委ね続けていた。

 そんな中、俺は傷当てまみれとなって暇を持て余し、ただ静かに海を眺め、レンの眠る姿を眺め、出発の港へと着くまで待っていることしか出来なかった。


 そうして幾時もの時間を経て、空が夜の闇に包まれた頃、船はゆっくりとその動きを止めて目的地へと辿り着いたことを知らせる。

 レンの眠る横で船を漕いでいた俺は、イカリが下ろされる音で目を覚まし、目の前に横たわる美しい姿へと視線を落とす。

 レンが眠り始めてから既に十時間以上は経過している。

 だが、ベッドに横たわり布団に包まれたレンは、未だ静かに寝息を立て続けていた。



 「……!」



 すると唐突に、診療室を訪ねて鳴らされる、扉を叩く音が響き渡る。

 その音に振り返ると、返事を待つことなく扉はゆっくりと静かに開かれていく。



 「……眠っているようだな」


 「はい、まだ……」



 訪れたのはシロウだった。

 シロウは静かに部屋へと入り込むと扉を閉め、壁に背中を着けてレンへと視線を注ぎ込む。

 どちらからも言葉を交わすことはなく、辺りには数瞬の沈黙が流れ始める。



 「……世話になったな」


 「えっ……?」



 するとおもむろに、沈黙を破ったシロウからは感謝の言葉が投げ出された。

 不意の一言に、俺は豆鉄砲を食らった鳩のように、小さく無抜けな声を漏らす。



 「ミアを助け出すことから始まり、センドウの策略を止めることまで……感謝してもし切れん」


 「い、いえ、そんな……」



 シロウが紡ぐ言葉に、俺は何と返答をすれば良いのかわからなかった。

 幾分かは成り行き、幾分かは自ら望んだこと、また幾分かはシロウがいたからこそ助かった命でもある。

 パッと頭に浮かび俺の口をついて出てきたものは、しどろもどろな謙遜だけだった。



 「……いつ、国に帰るんだ?」



 僅かな間を置き、シロウからは新たな問いが紡がれる。



 「えっと、それは……」


 (何て、答えれば良いんだ……)



 しかし、その問いに対して答えを返すことは俺には出来なかった。

 ここまで俺一人の力で来たわけではない。

 ありのままの事実で言い表すのであれば、全てレンにおんぶに抱っこで付き従っていただけだった。

 何をするにしてもレンの世話になる以上、勝手な判断を下すことは俺には出来なかった。



 「……じきに、ここを出ていくよ」


 「「……ッ!」」



 すると、そんな俺に救いの手を差し伸べてくれるかのように、俺のものでもシロウのものでもない声が辺りに響き渡る。

 すぐさまそれに振り返れば、俺の瞳に映ったのはうっすらと瞳を開けてこちらを見つめるレンの姿だった。



 「シンジは、ここでやり残したことは、もうないか……?」


 「えっと……はい。もうない、ですね」


 「そうか……なら、明日の朝にでも出よう。これ以上、レヴィたちを縛り付けておくわけにもいかないからな」



 弱々しい、ゆっくりとした話しで、レンはそう、シロウへと帰郷の時を告げた。



 「わかった……明日、見送りに行く」



 すると、用は済んだとばかりにシロウは壁から背中を離し、俺たちへと背を向けて扉の取っ手へと手を掛ける。

 しかし、開かれると思われた扉は微動だにせず、シロウは取っ手に手を掛けたまま身動きを止めていた。



 「……一つ、聞いておきたいのだが、数ヵ月ほどミアの世話を頼めるかと言ったら……どうする?」



 僅かな間の後、シロウからはあまりにも唐突な問いが投げ掛けられる。

 常に妹を守るために行動してきたシロウからは考えられないような言葉だった。

 今までの行動からは打って変わった言葉に、俺にはその真意を理解することなど出来はしなかった。



 「……数ヵ月程度ならば、請け負おう」



 しかし、俺とは対照的に、レンには通じるものがあったらしい。

 レンは一切理由を尋ねることなく了承の意を呟く。



 「……すまん、恩に着る」



 未だ、俺にシロウの意図が何を表しているかを理解することは出来ない。

 たはだ、シロウの謝罪と感謝からは苦渋の決断をしたという意志だけはハッキリと感じ取ることが出来た。

 最後の用を済ませたシロウは静かに扉を開いてその場を立ち去り、シロウが去ってから数瞬後、レンは再び静かに寝息を立て始めた。


 レンの横で寝息を立てている内、朝陽はすぐさま空へと顔を覗かせ始めた。

 柔らかな日差しは海面を白く照らし、カモメの鳴き声が穏やかに目覚めを促す。

 国に何が起きていたのかを知らぬ漁師たちの声は快活に響き渡り、港はこれまでと何一つ変わらず活気に満ち溢れていた。

 そんな中、コンッコンッと小気味の良いノックの音が診療室内に響き渡る。

 その音に振り返ると、扉は恐る恐るといった様子でゆっくりと開かれ、その影から慎重に現れたのは鮮やかな赤の髪が美しく揺れるクレアの顔だった。

 クレアは目を覚ましていた俺の姿を目にすると安心したような笑みを浮かべる。



 「起きていたんですね。おはようございます、シンジくん」


 「おはよう、クレア」



 声の中に喜びの感情を露にしながら、声を抑えてクレアはベッドの横へと歩み寄ってくる。

 そして、眠るレンの姿に視線を落とすと、その表情は不安に満ちた憂いの表情へと変わり始める。



 「レヴィさんたちから、お話聞きました。レンさん、大丈夫でしょうか……?」



 クレアの問いに、俺の口からはすぐさま言葉が飛び出していきはしなかった。

 辺りには僅かながらに沈黙が流れる。



 (確証はない。でも……)


 「……大丈夫だよ。昨日の夜、一度目を覚まして、少しだけ話しも出来たから」


 「……! 本当ですか? よかった……」



 何故かはわからなかったが、俺の心の内にはどこか安心感のようなものがあった。

 俺の返答を聞き、曇り空だったクレアの表情は瞬く間に晴れ渡っていく。



 「あっ、そうだ……」



 すると、唐突に何かを思い出し、クレアはポツリと声を漏らす。



 「シロウさんから聞きましたけど、私たち今日帰るんですよね? お見送りにと、シロウさんとミアちゃんが甲板の方に来てますよ」


 「うん、わかった。じゃあ、顔を出してくるよ」


 「はい、私もご一緒します」



 別れの挨拶へと赴くために、出向いてくれたシロウたちの元へと向かって俺はクレアと共に診療室を後にした。

 木目に囲まれた通路を抜け、階段を上がり、甲板の上へと顔を出す。

 朝陽が視界を眩ませる中、光の刺激に堪えて目を凝らすと、そこには眠そうに瞼を擦るミアの姿と、どこか覚悟を決めたような真っ直ぐな眼差しで虚空を見つめるシロウの姿があった。

 俺とクレアは床を鳴らしながら一直線にシロウたちの元へと歩みを寄っていく。

 すると、二人は同時に俺たちの存在へと気が付き、眠たげだったミアはおっとりとした穏やかな笑顔を垣間見せる。



 「おはようございます、シロウさん」


 「……ああ」



 ミアが眠いと駄々をこねながらクレアへと甘える中、挨拶に対するシロウからの返答は二文字だけで会話が途切れる。



 「……まだ、寝ているのか?」


 「はい、まだ……」


 「そうか……」



 虫の居所が悪いのかと、僅かに一瞬、不安が過ったがレンの様態を心配するその姿から、そういったわけではなさそうだった。

 僅かに間を開けた後、何かの前触れを予兆させるようにシロウは真剣な眼差しで俺の両目を真っ直ぐに射抜く。



 「……なら、お前に伝えておく」


 「は、はい……!」



 真剣な表情とその声音から、俺の背筋は何かに引っ張られるているかのようにピンと立ち上がる。



 「これから少しの間、ミアが世話になるわけだが、何から何まで世話になってばかりでは面目が立たん。だから、何かに立ち向かわなければならなくなったという時には、死なない程度にこき使ってやってくれ。戦いの術はある程度教えてある。少なからず役に立つはずだ」


 「は、はい……わかりました」



 唐突な言葉に、俺は流れに任せて首を縦に振ることしか出来なかった。

 しかし、流れるように決まったその話に、一人だけ異議を唱えるものが視界の横に割って入る。



 「……待って。何、今の話? ミア、そんなこと聞いてないよ……」



 それは、話の主体でもあるミア当人だった。

 困惑気味に疑問符を浮かべ、ミアはシロウへと詰め寄る。

 そんなミアへと、シロウは膝を折って視線を合わせる。



 「……ミア、俺はこれから少しの間、旅に出る。己を鍛えるために危険な場所に赴くつもりだ、お前を連れては行けん。だが、自分でも知っての通り、お前はまだ一人で生きていけないだろう?」


 「……」



 ミアの表情は何かを言いたげだった。

 しかし、どれだけの言葉を紡いでも無駄だと悟っているかのように、ミアは俯きがちに押し黙る。



 「……俺は、あまりに外の世界を知らな過ぎた。ただ研鑽を積むだけでは足りないものがあると知った。今のままの俺では、どんな敵が現れたとしても守りきってやれると断言することが出来ん。だから……わかってくれ」


 「…………うん」



 そして、シロウの願いから大きな間の後、ミアはとても静かに首を縦に振った。

 それを受け、シロウは立ち上がりながら俺へと視線を戻す。



 「ミアをよろしく頼む」


 「はい、わかりました」



 多くを語らず、たった一言だけを告げてシロウは歩み始める。

 一度を背を向けた後、シロウが振り返ることは一度足りともなかった。

 そんな離れ行く背中を、ミアは寂しそうに、悲しげに眉尻を下げながら、その背中が見えなくなるまでジッと動かずに、静かに見送り続けた。

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