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男がか弱きこの世界で  作者: 水無月涼
一章 新しき人生
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一章1話 金の道具

 「あなたッ! この女はいったい誰なのよ!!?」



 階下から響き渡る甲高い怒鳴り声。

 昔は仲が良かった両親は、いつしか、顔を会わせる度に喧嘩をするようになっていた。

 小学六年生だった俺には、それが怖くて怖くて堪らなかった。

 両親の関係が崩れていくことが、今までの思い出が全て崩れていくような、そんな気がして、不安で仕方がなかったからかもしれない。

 俺は毎日毎日、両親の喧嘩の現場から逃れるように、父親が帰ってくる時間に合わせて二階にある自室に引きこもっていた。


 そうした毎日が続いて数ヵ月が経った頃、両親は離婚した。

 俺には二つ歳が上の姉がおり、両親が離婚した後、俺と姉は共に母の元に引き取られることとなり、三人となった俺たち家族は父と共に過ごした一軒家から小さなアパートへと引っ越すこととなった。

 それから、たった一人で二人の子供を育てなくてはならなくなった母は毎日仕事に追われ始めた。

 朝、昼、夜、時間を問わず仕事詰めの毎日を送り、忙しさに駆られるその姿は、次第にやつれていっているようにも見えた。

 ただ、どれだけ母が働こうとも現状維持すらままならず、生活は貧しさを増す一方だった。



 「お母さん、あれ買って!」


 「ダメよ」



 しかし、そんなことをハッキリとは理解していなかった俺は、子供らしく無邪気にものをねだった。



 「お母さん、あれが欲しいんだけど……」


 「……また今度ね」



 友人たちが持っていたゲームやおもちゃ、子供心をくすぐられるものなど、買い物に出掛けた際には毎度のように幾度となくねだったが、俺の願いが叶えられることは一度として訪れることはなかった。



 「……シンジ」



 そんなある日、俺は、暗い空気を放ち、真剣な眼差しを以て寄ってきた母に呼び止められた。



 「シンジ……一つ、お願いがあるの」


 「……なに?」


 「あなたが貯めていたお年玉、あれを少しだけ貸して欲しいの……」



 思い詰め、心を痛ませ、悲痛な表情をした母から紡がれた願いは、苦しさゆえの懇願だった。

 俺の両腕を掴んですがり、母は今にも泣き出しそうな声音を響かせる。



 「今月は色々と大きな出費がかさんでて、このままだったら生活が危ないの……必ず返すから、少しだけお母さんを助けて……」


 「……うん、いいよ」


 「……ッ! ありがとう……ありがとう……ッ!」



 今まで見たことがない母の姿に、俺には拒否するという選択肢は頭の片隅にもなかった。

 俺の了承の言葉を耳にした母はポロポロと涙を流し、何度も何度も感謝の言葉を呟いていた。

 ただ、この選択が後に大きな影響を与えるとは、まだ幼かった当時の俺には、一切事知らぬことだった。


 家族三人で暮らし初めてから数年、俺は高校生となった。

 家計が苦しいというのはこれまでの暮らしでわかっていた。

 だから、俺は高校で部活に入ることはせず、家計を少しでも支えるためにバイト漬けの日々へと身を置いた。

 そんな高校生活を送る中でのとある休日。

 急なシフトの変更でバイトがなくなった俺は、学校が休日なこともあり、久し振りのゆっくりとした時間を過ごしていた。

 すると、昼食時を僅かに過ぎた頃、玄関からは解錠される音が響き、続けざまに二人の女性の声が響き渡る。



 「……! シンジ、あんた何やってるの? 今日バイトなんじゃなかったの?」


 「休みになった……それより、母さんたちはどこに行ってたの? 朝起きたらもういなかったけど」


 「あ、ちょっと買い物にね。お姉ちゃんが服が欲しいって言うからね。中学生の頃に買ったものの方が多かったし、年頃の女の子なんだから、少しはオシャレさせて上げても良いかなって思って」


 「……ッ!」



 三人での生活にも慣れ、忙しさの中にいながらも心にゆとりが訪れていた母の表情は、両親が離婚する前の、仲が良かった頃に見せていた笑顔がそこには戻っていた。

 ただ、その母の笑顔も、共に笑顔を浮かべる姉の表情も、俺の視界にはぼやけて映った。



 (はあ……? なんだよ、それ……俺が欲しいって言ったものは全然買ってくれなかったのに、姉ちゃんが欲しいって言ったものは買ってやるのかよ……)



 ここにはいたくない、こんな場所にはいたくない。

 幼き日々の何も与えて貰えなかった時の記憶を思い出した俺は、二人の笑顔を見れば見るほどにそんな感情が心に強く現れていくのを感じた。

 俺は心に抱える感情を抑えつけながら二人と目を合わせないようにして立ち上がり、買ったものを携えて別々に動き始める二人と入れ違うように玄関へと向かう。



 「シンジ、どこか行くの?」


 「……コンビニ」


 「そう、気を付けてね」



 そして一言、短く言葉を残し、財布を持つこともなく俺は外へと飛び出した。

 下を向き、コンビニがある方向とは全く別の方向へと、俺は宛もなく歩み続ける。



 (今まで俺が支えてきたのは何だったんだよ……何で姉ちゃんは良くて俺はダメなんだ? 俺の顔が父さん似だからか? 俺から金を借りておきながら、返しもしないで姉ちゃんが欲しいものを買うなんて……ふざけるな……! 俺は金の道具なのかよ……!? こんなことになるくらいなら、金なんて貸さなきゃ良かった……)



 頭では母にそんな非道な考えがあったわけではないということはわかっていた。

 だが、過去が頭を過る度に怒りの感情が増幅してしまい、感情を抑え付けるなどということは、今の俺には到底コントロールできるようなものではなかった。



 「……ッ!」



 ただ、その怒りに囚われたことが自分の人生を狂わせるだなんて俺は思ってもいなかった。

 唐突に響き渡った耳をつんざくような警笛音に、怒りは一瞬にして吹き飛び、俺はハッとして顔を上げる。

 すると視界の先にあるのは、止まれを示す赤に点灯した信号と横断歩道の白線だった。

 その状況を確認して、俺は自分の現状がどういうものなのかを一瞬にして理解した。

 そして、ゆっくりと横に振り返ると、そこには視界を覆うほどの大きなトラックがすぐ目の前まで迫っている光景があった。

 次の瞬間、俺は声を出す暇もなく、目の前が真っ暗になった。

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