第6話 元奴隷は偵察隊を襲撃する
「いってらっしゃい。気を付けてね」
リータがひらひらと手を振る。
彼女はここで観戦を決め込むらしい。
力を貸してくれる様子はない。
それは別に構わなかった。
彼女と離れていても、炎は問題なく扱える。
リータが参戦しないのはいつものことだ。
率先して動く姿など見たことがなかった。
それにあれくらいのエルフなら、俺だけでも殺し尽くせる。
二年間、ずっと繰り返してきたことだ。
今更、躊躇う理由もない。
俺は炎の力で飛ぼうとする。
まさに空へ向かうその寸前、リータが「あっ」と声を洩らした。
気を削がれた俺は、若干の非難を込めて彼女を見る。
「何だ」
「――本当に、気を付けた方がいいわよ? 死にたくないならね」
リータは不敵な笑みを湛えて言う。
どくん、と心臓の跳ねる音を聞いた。
この世のものとは思えない美しさのリータだが、今はそこに不吉な予感を覚えさせる。
気のせいだろうか。
いつもの皮肉や意地悪とは異なる気がする。
(……いや、きっと俺を怯えさせたいだけだ)
悪趣味な彼女のことである。
最近は情けない姿を見せない俺に対して、つまらないものを感じているに違いない。
俺はため息を吐いてリータに言葉を返す。
「いつだって死にたくないさ。だから全力で殺す」
俺は炎の噴射で飛び上がった。
両手足から放射する炎で姿勢を制御し、夜空を高速で移動していく。
最初の頃は、浮かび上がるだけでも必死だった。
調節が難しいのだ。
左右の出力が揃わないと、安定した飛行が叶わない。
自在に飛べるようになるまでは、一年ほどの月日がかかった。
今ではこうして考え事をしながらでも飛ぶことができる。
努力して習得した甲斐もあり、とても便利な技だ。
大した時間をかけることもなく、眼下に魔術の光を灯す集団を捉える。
やはりエルフの偵察隊だった。
彼らは黒いローブに身を包んで闇に紛れている。
もっとも、俺の目から逃れることはできない。
エルフ達は、こちらを指差して何事かを喚いていた。
どうせ炎の魔人だ何だと罵倒しているのだろう。
彼らはいつもそんな調子なのだ。
もはや聞き慣れすぎて暗唱ができてしまう。
エルフ達はすぐさま魔術を飛ばしてくるも、俺のいる高度までは届かない。
届いたとしても、簡単に焼き消すことができる。
あまりにも無意味な攻撃だった。
俺は空中で宙返りすると、高速移動を止めて空中に立つ。
その姿勢でエルフ達を見下ろした。
彼らはなぜか逃げ出す気配がなく、執拗に魔術を飛ばしてくる。
今夜はやけにしつこい。
エルフ達だって命が惜しいはずだ。
攻撃が無駄だと悟れば、撤退くらい始めそうなものなのだが。
だからと言って、勝算がある者の動きでもなかった。
彼らは命中しない魔術を連発するばかりである。
風の刃や水球が、空中で次々と散っていた。
一体何が目的なのかさっぱり分からない。
(錯乱して状況判断ができていないのか?)
だとすれば間抜けだ。
もちろん容赦はしない。
恐慌状態だというのなら、それを利用させてもらうまでである。
俺はエルフ達に向かって落下を始めた。
さらに炎で加速する。
このまま地面に衝突し、炎を撒き散らしながらエルフを吹き飛ばすつもりだった。
彼らの防御魔術など効かない。
一瞬で焼き殺してやる。
急速に動く視界。
目を凝らせば、エルフ達の顔が見える距離まで迫っていた。
俺は拳を固く握り締め、掲げて振り下ろす準備をする。
その時、強大な生命力を感知した。
出所は偵察隊の只中だ。
直後、下から突き上げるような暴風が襲いかかってくる。
「うあっ!?」
炎を掻き消された俺は、回転しながら宙へと逆戻りした。
落下を始める前に炎を出して高度を維持する。
暴風が止んだことを確かめたところで、俺は堪らず舌打ちした。
(何をされた……?)
今のは確かに風魔術だった。
しかし、出力が段違いである。
加速する俺を押し返すどころか、炎まで吹き消してきやがった。
何百人ものエルフが束になろうと、そんなことは不可能なはずだった。
とは言え、例外はある。
吹き飛ばされる直前、急に強い生命反応を感知した。
あの偵察隊の中に異常なエルフが紛れている。
よく分からないが相当な強者だろう。
おそらくそいつの仕業だ。
俺は警戒しながら慎重に高度を落としていく。
先ほどと同じ展開は避けたいので、迂闊な真似はできない。
いつでも炎を放てるように意識しつつ、そのまま偵察隊の前に着地した。
俺は憎悪を隠さずエルフ達に問いかけた。
「さっきの風を放ったエルフはどいつだ……」
「私です」
名乗りを上げる声が発せられた。
前に進み出てきたのは、緑色の髪を持つエルフだ。
澄ました顔は、鋭い目つきで俺を見ている。
しかし、最も気になったのは彼女の肌だ。
ローブから覗く手や首や顔には、くっきりと痣があった。
それは模様のように肌の上を這っている。
(ま、まさか……)
細部は違うものの、痣自体には見覚えがあった。
俺が驚く間にも、そのエルフは杖を構える。
彼女は優雅に一礼を披露した。
「初めまして、女神に選ばれた炎の魔人。私はエルフという種の希望――風の使徒です」