第28話 元奴隷は風を呑み込む
俺の手は、緑髪の体内に潜っていた。
血肉を抉り、骨を粉砕している。
五本の指は生温かい感触と共に奥へと進んでいく。
「ガッ、あ、ァ……っ」
緑髪が目を見開いて掠れた絶叫を上げる。
あまりの苦痛に声が出ていない。
石の仮面の隙間から大量の血がこぼれた。
仮面の裏で口から溢れ出しているのだろう。
彼女は前のめりになって倒れそうになる。
その寸前、足腰に力が入って踏ん張った。
頭を揺らしながらも、緑髪は血に伏せない。
正面から俺を睨み付けてくる。
俺はそんな彼女に告げる。
「これで、お前も、終わりだ……」
炎を纏う突きは、緑髪の胸部を抉っていた。
彼女の身体は内側から徐々に燃え始めている。
風の加護で防御しているが、それが解けるのも時間の問題だった。
これは明らかに致命傷である。
加護でどうにかなるものではなかった。
風の能力は、こういった治癒に使える類ではない。
俺は腕を刺したまま緑髪に話しかける。
「お前だって、ヒューマンが憎いのだろう。憎くて憎くて仕方ないから、風の使徒になった、はずだ……だけど、俺が勝った。俺の復讐心がお前を超えたんだ……」
これは殺し合いの真剣勝負である。
どちらかが勝者となり、もう一方は敗者となる。
今回は俺が前者になれた。
何かが少しでも違えば、結果は覆っていただろう。
そうなってもおかしくないような戦いだった。
「いつまでも、俺を恨み続けるといい……俺は、生きて復讐し続ける。風の使徒に、打ち勝ったんだ。そう簡単に、死ぬつもりがない……っ」
俺は言い切ったところで咳き込む。
そこには大量の血が混ざっていた。
足元から寒気が襲いかかり、深刻な頭痛や吐き気も併発する。
どうやら俺も力を使いすぎたらしい。
戦闘中にかなりの量の出血もしていた。
無視できない消耗が身体を蝕んでいる。
なかなかに危なかった。
緑髪との戦いがもう少し長引いていたら、先に俺の身が持たなかったかもしれない。
無理に能力を使い続ければ、自滅していた恐れもあった。
俺は口元を汚す血を拭う。
飛びかかった意識を気合で引き戻すと、緑髪を見て笑いを洩らした。
「冥府の底、で……俺の死を待って、いろ……時間がかかるから、退屈だろうが、な……」
「あ、な……た、は……」
緑髪は虚ろな目で何かを言おうとする。
しかし、彼女の唇は微かに動くばかりで、肝心の内容は聞き取れなかった。
緑髪は既に意識も怪しい状態だ。
あまり意味のないうわ言だったかもしれない。
遺言を受け取り損ねた俺は、彼女を抉る手を動かす。
体内を探るうちに、弾力のある何かを発見した。
それは一定の間隔で脈動するも、勢いは微弱だ。
今にも止まりそうであった。
俺はそれをしっかりと掴む。
「――後悔して、死ね」
指に力を込め、掴んだ物体を握り潰す。
その瞬間、緑髪の全身が炎に包まれた。
凄まじい勢いで燃えていく彼女は、一切の抵抗をしない。
あっという間に灰となって崩れ落ちた。
俺は緑髪を抉っていた手を下ろす。
そして血染めの手を見た。
(気のせい……ではないな)
炎の加護が増幅している。
おそらく対立存在である風の使徒を殺したためだろう。
これだけ力に満ちることなど初めての経験だった。
満身創痍にも関わらず、今までのどんな時より強くなっている感覚だ。
俺は荒い呼吸を整えながら前方を見やる。
増援のエルフ達は、さりげなく退却しようとしていた。
風の使徒の死を目にして、俺には勝てないと理解したのだ。
彼女の仇を討つつもりもないらしく、命惜しさに逃げるつもりらしかった。
(このまま生きて帰れると思うなよ……)
此度の目的は果たした。
ただし、視界に入った敵を見逃すほど、俺は慈愛の心を持ち合わせていない。
殺せる時に殺すべきだ。
それは鉄則である。
仮に生かしておいたとしても、良いことなど一つもない。
俺は炎を放つために手を構える。
狙いを増援達に定めようとして、違和感を覚えた。
何やら体内に、奇妙な力の流れがある。
負傷による体調不良ではない。
もっとはっきりとした何かだ。
(これは、まさか……)
俺は直感のままにその何かを解き放つ。
手から撃ち出されたのは、不可視の揺らめきだった。
それは轟音を立てて突き進むと、増援達に炸裂する。
悲鳴を上げて倒れる彼らは、肌が焼け爛れて白煙を発していた。
そして急に発火して、次々と死んでいく。
水の魔術で耐えようとしても関係ない。
増援達はそこで全滅してしまった。
俺はその光景を見て驚く。
「これは、風なのか……?」
不可視の力は、緑髪が放っていたそれと酷似していた。
すなわち風の能力だろう。
大きな違いは、命中したエルフ達が燃え上がったことだ。
これは俺の持つ炎の能力の影響である。
それらの事項から考えられる可能性は一つ。
どうやら俺は、風の加護を吸収してしまったらしい。




