第三話 娘じゃない。嫁です。
太陽の眩しい光に叩き起こされ、ゆっくりと瞼を上げたエヴェリーテの寝起きは最悪だった。太陽に起こされたせいじゃない、腰に腕を回してエヴェリーテを抱き枕に代わりにして眠っている男のせいだ。
転生初日の夜、当然の様に一緒に寝ると譲らないウェルギリウスに無理矢理ベッドの中に引き込まれた。成人男性の力に勝てる筈もなく、抵抗虚しく、エヴェリーテはベッドの中に引き摺り込まれた。腰と背中に腕を回され、逃がさないとガッチリホールドされた。中身はロリコンでも、外見は非常に整っている。前世でも、異性との免疫がないエヴェリーテの心臓に悪い。
逃げられないと悟ったエヴェリーテは、一緒に寝る代わりにある条件を突き付けた。
「キスしないでよ?」
「気分によるな」
「絶対! じゃないと、一人で寝る」
「ふっ……俺から、逃げられるならな」
「ぐっ……」
痛い所を突かれて言葉を失ったのは言うでもない。
結局、ウェルギリウスから逃げられず、抱き枕になって朝を迎えたエヴェリーテだった。
起きている時より、寝ている時の顔の方が綺麗だと、初めて知った。そっと、白い肌に触れた。沁みも皺もない肌。長い眉に睫毛、高い鼻、微かに吐息を零す唇が淫靡で……顔に体温が集まる。触り心地の良い肌を飽きもせず撫でていれば、手首を掴まれた。
「きゃ」
「ん……なんだ……朝か。人の顔撫でて楽しいか?」
「お、起きてたの?」
「それだけ撫でられればな。腹は空いてないか?」
「まだ平気。起きる?」
「今日は、妖精の里に行くと約束していたからな。簡単に準備をして、出掛けるぞ」
「うん!」
初めての外。
初めての妖精。
どれも楽しみでならないエヴェリーテの可愛い笑顔は、寝起きのウェルギリウスには刺激十分だったらしく……。腕を引っ張って、上から体を押さえ付ける様に本日最初のキスをした。と言っても、軽く触れる程度のキス。顔を離し、顔を真っ赤にして口をパクパクしているエヴェリーテに朝の挨拶だと告げた。こんな挨拶いるか! とクッションを顔に押し付けられたのであった。
◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇
「エヴェリーテ、ほら」
「う、うん」
差し出された手を握り、緊張した面持ちでエヴェリーテは息を吸った。「行くぞ」その掛け声と共に、足下に水色の魔方陣が展開された。周囲は光に包まれ、眩しさにエヴェリーテは瞳を閉じた。
どれくらいの時間が経ったか……名前を呼ばれて瞼を上げた。
「うわあ……」
眼前に広がる景色に感嘆の声を漏らしたエヴェリーテは、ウェルギリウスの手から離れ、自分がいる場所に感動した。全方位森林に囲まれた森の中。背が高く、葉を大きく広げる葉が陽光を遮っているので、眩しさもなく丁度良い。入り口の前にある木製の門の上の看板には、可愛らしい文字で『ようこそ!妖精の里へ!』と掲げられていた。
ウェルギリウスが展開した魔方陣は、転送方陣というらしい。術者の脳内に浮かんだ場所と場所を繋ぐ、瞬間移動の役割を果たす魔術。距離が遠くなるほど、瞬間移動の難易度は増す。失敗すれば、体の一部だけ別の場所に飛んだ。なんて事もあるのだとか。
「ここが妖精の里なのね」
「あぁ。お前の気に入る妖精がいればいいが。妖精のランクについて、説明しておくか?」
「ランク?」
妖精には、ランクが存在する。
上から、紫・青・赤・黄・白・黒の六段階、妖精の実力を示した色がある。妖精は皆、そのランクに応じた服を着ている。
「紫は、妖精の中でも最上位の実力を持つ。その分、賃金の額が一番下の黒より十倍近く高くなる」
「そんなに?」
「貴族や大商人にもなれば、金に糸目をつけず、即使える紫を好む。反対に、平民は真ん中の黄色や白をよく雇う。賃金も、平民の平均月収と同じだがな」
「へえ。妖精さんがランクを上げるにはどうしたらいいの?」
「兎に角経験を積む事だ。長い目で妖精を雇う所じゃ、最初から黒を選ぶ。黒も最初は使い物にならなくても、経験を積むことでランクは上がっていき――最終的に最上位の紫となる」
「大出世ね」
「あぁ。その分、時間は掛かるがな。まあ、せっかちな貴族連中は、そんな事しないが。エヴェリーテ、お前はどの妖精がいい?」
二人が会話しているのは、妖精の里の前。どれが良いかと言う前に、中に入りたいと抗議したらすんなりと通った。手を繋ぎたいウェルギリウスと繋ぎたくないエヴェリーテ。勝手に何処かに行って探すのが面倒――保護者にそう言われてしまえば、子供のエヴェリーテは従うしかない。大人しく手を繋がれ、里の奥を行く。
「可愛い」
中は、妖精達の住処となっており、キノコの形をした可愛らしい家々が並ぶ。様々な色の服を着る妖精達が至る所にいた。皆、人間の訪問者を珍しそうに見つめてくる。
「私達以外に、人はいないの?」
「いないな。基本、人間が此処に来るのは不可能だ」
「どうして?」
「距離が遠すぎる。基本、商人の妖精が人間の前に現れ、商品を紹介すると共に労働者たる妖精の紹介を行うんだ」
「要は、商人経由でしか妖精さんとは会えないの?」
「そういうこった。俺の様に、態々妖精の里に赴く奴はいない。さっきも言ったが距離が遠すぎるんだ」
これぞ、“人外”の魔術師の成せる術といったところか。里の真ん中辺りまで来ると、『妖精の求人所』とデカデカと掲げられた看板の建物に入った。
室内には、六つのブースがあり、職員と思わしき妖精と恐らく仕事を探しているであろう妖精が向かい合って話をしているのもあれば、掲示板に貼られた求人を読む妖精、待ち合い場で新聞を読んだりお茶を飲んでいる妖精もいる。
受付表に名前を書いたウェルギリウスは、キョロキョロと興味深げに周囲を見回すエヴェリーテの頭に手を乗せた。
「座って待つぞ」
「あ、うん」
空いている待ち合い場のベンチに座った。
足をプラプラさせて待つこと数分後――
「バージル様、三番までお願いします」と案内係の妖精が呼び掛けた。「行くぞ」とウェルギリウスに促されたエヴェリーテは小首を傾げた。
「違う人の名前よ?」
「俺の名前を書いてみろ」
そう言われて、求人申し込み書とペンを持たされ、裏にVergiliusと書いた。
「そこから、iusを取ってみろ」
「あ」
言われた通り、iusを塗り潰すとVergil――バージルとなる。本人曰く、余所行きの偽名なのだとか。再度、案内係の妖精が呼び掛けたので、二人は三番と書かれたブースに行った。
お掛けください、と触り心地の良いクッション付き椅子に座った。対面するのは、大きな黒い瞳に赤茶色の髪の毛、紫の服を着た男の子の妖精だ。
「ようこそお越しくださいました。バージル様が最後に来店されたのは、七十五年前ですね」
「えらく年数が空いてるのね……」
「ほっとけ。ティポ。今日は、この子の世話をする妖精を二人程欲しいんだが」
ティポと呼ばれた妖精は、大きな瞳をエヴェリーテに向けた。そこには、好奇心の色しかない。
「おお……バージル様の娘様ですか?」
「えーと」
そういえば、自分はウェルギリウスの何なんだろうと、エヴェリーテは今更ながら思った。キスをしてくるが本人は保護者と宣言してる。娘の扱いで良いのだろうか? とウェルギリウスを見上げれば――
「娘じゃない。嫁だ」
「娘でいいです」
見た目十歳の少女が、何が悲しくて遥かに年上の――外見が超絶整った声のエロい美青年でも――嫁扱いされなくてはいけないのか。即座に拒否をしたエヴェリーテであった。
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