第二十六話 朝の風景
その日の夜――。
お風呂も入り、残りの時間はまったりと過ごすか寝るだけとなったエヴェリーテは、ふかふかでお日様の香りがするベッドにダイブした。スカーレット公爵邸で開催されたお茶会。一時はどうなるかと危惧したものの、最後にウェルギリウスが助け船を出してくれたお陰で形だけでも和解したと周囲にアピールしてお開きとなった。
帰る間際、ヴァイオレットやアリシアには後日誘いの手紙を送ると約束した。その後、口をもごもごと動かし話し掛け辛くしているベアトリクスに前を塞がれたエヴェリーテはふわりと笑んだ。
『今度、ヴァイオレット様とアリシア様をお招きして魔術の勉強会をする事になったのですが、ベアトリクス様もご参加してくださいませんか?』
『わ、わたくしがですか?』
『はい』
『い、良いのですか?わたくしは、貴女に酷い事をしましたのに』
『いいえ。良く良く考えたら、ベアトリクス様という婚約者がいるセスト王子殿下に馴れ馴れしく接していた私にも非はあります。これからは、一定の距離を保って』
『い、いえ!その必要はありません!エヴェリーテ様は今まで通りにセスト王子殿下と仲良くしてください!!』
『は、はい』
あの場は、ベアトリクスの切羽詰まった感じに押され頷いてしまった。こうしてゆっくりとした時間を過ごしてると断った方が良かったのでは?と疑問にしてしまう。
枕を抱き締め、窓越しから夜空を見上げた。
「……」
何度夜空を見上げても、嘗てイーリスが住んでいた村の上空に浮かんでいた存在がない。カボロの村は五百年前に滅んでしまった。カボロの村の後には、村はないのか。そんな疑問が沸き上がったエヴェリーテは、たった今お風呂から上がって部屋へ戻ってきたウェルギリウスに問うた。
突然の質問に怪訝な瞳で見下ろされ、隣に座ったウェルギリウスに膝上に座らされた。
「どうした、いきなり」
「気になったの」
「聞いてもどうしようもない。カボロの村が滅んだ後、彼処は平原となった。村も人も何もない、な」
「“緋色の祠”は?パーシアスがイーサの護衛に殺された場所にあった」
「……」
「(あ……)」
あからさまに不愉快だとばかりに顏を歪めたウェルギリウスにしまったと失態に気付いても時遅く。片腕を捕まれ引き寄せられる。風呂上がりは、シャツのボタンを閉めないから前が全開な為肌に直接鼻が当たった。
「う~……痛い……」
「お前が知ってもしょうがないだろう」
「知りたいのは知りたいの。実際に行って見てみたいって我儘は言わないから、どうなったか位教えてよ」
「あの祠は存在するよ。当時のままな」
「そうなんだ」
取り壊されてなくて良かったと安堵する反面、何故安堵するのかと不思議に思う。が、取り立てて興味を抱く事でもないのでエヴェリーテはこの話題を終わらせ、ウェルギリウスを見上げた。
「明日は何しようかな」
「お前の好きにしたらいい」
「うーん、魔術のお勉強に土台作りに錬金術……一杯あってどれを選んだらいいか」
「好きにしろ。まあ、お前やセストに魔術を教えるまで後半年。それまで課題がないのもつまらないな」
「課題?」
「そうだ。ふむ……そうだな、セストの風属性に合わせて主に風の魔術を覚えやすいようしてきたが、明日からエヴェリーテは別属性の練習にしよう」
「別属性?どんな?」
「扱いが単調なものからいく。まずは水だ」
エヴェリーテの両脇に手を入れて抱き上げ、ベッドに寝かせたウェルギリウスは横に寝転んだ。
「水は風と同じようにはいかん。水の魔術は、水を操る量によって魔力の消費量が変わる。それに、近くに水が多くある場所がないと一から水を生み出さないといけなくなる分、更に魔力の消費量は多くなる」
「なら、水の属性を持つ人は魔力容量が多いの?」
「でもない。平均より低い奴もいる。そんな奴は、大抵錬金術で水を大量に生み出す道具や敵を自分の利に合う土地まで誘導する。勿論、上手くいく方が低いから、大抵は錬金術を行使する」
「そっか……。ねえ、明日水の魔術がどんなのか見てみたい」
いつぞやの体験を忘れた訳ではないが、次のステップとして習う水属性の練習をするなら、水の魔術がどんなものなのかを見学したい。エヴェリーテの希望は極力受け入れたいウェルギリウスは了承した。
「だが、今日はもう寝るぞ」
「うん。お休み」
頭の天辺にキスを落とされたエヴェリーテは、そのまま眠りに落ちた。
◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇
翌朝。何時も通りの朝を迎えたエヴェリーテとウェルギリウス。ララが起こしに来てベッドから体を起こした。
「おはようございます。本日の朝食は、クリームスープがメインになります」
「わあ!ララとアイの作るクリームスープは美味しいから楽しみ!」
「ありがとうございます。今日は、牛ではなくヤギの乳から絞った新鮮なミルクを使用しました」
ミルクも美味しいがヤギミルクも普通のミルクと違ってまた美味しい。妖精二人の料理したクリームスープが大好物なエヴェリーテは朝から気分が良くなった。まだ眠気が取れていないウェルギリウスは欠伸を噛み殺し、エヴェリーテを抱き上げると自分の脚の間に置いた。
「朝食もいいが、先に髪を綺麗にするぞ」
「うん」
本来であれば、世話係のララかアイがする仕事だがこれだけは譲れなかった。エヴェリーテの髪を整えるのは、彼女が何歳になってもずっとウェルギリウスのままだろう。屋敷に住む皆総意の感想である。
エヴェリーテの髪を整え、赤いリボンを結んで朝の恒例行事は終わり。ベッドから降りたエヴェリーテとウェルギリウスは、ララの後に続いて食堂へ行った。食事を配膳しているアイとセストがいた。
「おはようございます。バージル様!お嬢様!」
「おはようございます!ウェルギリウス様!エヴェリーテ嬢!」
「ああ」
「おはよう!」
アイは妖精だから良くても、王族のセストが桃色のフリル付きのエプロンを身に付けて食事の準備をしていると王城に知られれば、非難はセストではなく、彼を預かっているウェルギリウスに向く。
一度、エヴェリーテは手伝う事はないと言った。王子に家事をしてもらう訳にはいかないものあったし、広い屋敷と言えど優秀な妖精が二人とぷにぷに三兄弟が毎日ピカピカにしてくれるので家事の手は必要ない。家事をするなら、その時間を魔術の練習に当てないか提案するも、第二王子は首を縦に振らなかった。その様子を観察していたウェルギリウスは。
『お前は見た目だけじゃなく、中身まで父親に似ているな』
『はい。ウェルギリウス様のお世話になるようになってからよく言われます』
『だろうな。そのエプロン。次期国王としての教育を嫌がったゲオルグが俺の屋敷へ来る度に持っていた物だ』
『成る程。道理で父上は、こんな可愛らしいエプロンを僕に渡した訳です』
『え?そのエプロン、王様の物なんですか?』
『はい。ウェルギリウス様の屋敷に住むなら、家事は出来る様になれと言われました。エプロンは家事をする時に身に付けろとも。ララさんとアイさんのお手伝いという形になっていますが意外と楽しいですね!僕には合っています!』
庶民的な部分は間違いなく父親の遺伝子。母親の遺伝子は何処で活躍するのか、未だ不明。
セストはエヴェリーテが座る椅子を引いた。
「どうぞ、エヴェリーテ嬢」
「あ、ありがとうございます」
椅子を引くのはエヴェリーテの方だ。が、セストが好きにやっているだけなので拒否も出来ない。ウェルギリウスはさっさと席に座っていた。
ぷに、ぷに、と可愛らしい効果音を鳴らしてぷにぷに三兄弟も食堂へ集まった。彼等の食事は床。椅子に座れなくもないがフォークやナイフを持つ腕がない。ぷにぷに三兄弟の分も配膳済み。全員が揃った所で食事は始まった。
メインのクリームスープに早速スプーンを入れ、真っ白で濃厚なスープを喉に通したエヴェリーテは、初めてヤギミルクで調理されたクリームスープに青い瞳をキラキラと輝かせた。
「美味しい!すっごく美味しいよ!」
「ありがとうございます。牛のミルクと違い、ヤギミルクは少々癖があって心配していましたが気に入って頂けたみたいで良かったです」
ホッとしたように胸を撫で下ろしたララとアイ。スプーンでクリームスープを掬ったウェルギリウスが「ん?」とスプーンが拾ったニンジンを見つめた。
「兎の形をしているな」
「あ、それは僕が型抜きを使いました」
「型抜き?」
何だそれはと言わんばかりのウェルギリウスにエヴェリーテが説明役を買って出た。
「あのね、クッキーを作る時とかに色んな形にしたら楽しいと思って武器屋のおじさんにお願いしたの」
平民界には、王家や貴族御用達の武器屋がある。無論、庶民でも買える武器もあるが、家庭用調理器具も存在する。フライパンや包丁、まな板等。クッキーを色んな形にしたいエヴェリーテの我儘で武器屋の店主に無理に作成してもらったのが型抜きだ。武器屋の店主とウェルギリウスは古い仲らしく、可愛いエヴェリーテの為に特別サービスで無料にしてもらった。我儘を聞いてくれた店主に無料で貰う訳には、とエヴェリーテは断ったものの、ウェルギリウスにまた依頼事をする時最優先にしてもらうから気にするなと豪快に返された。
心当たりがあるのか、偉く急げ急げと急いていた武器屋の店主を思い出すウェルギリウスは、可愛いエヴェリーテの為なら仕方ないとあの店主の残り僅か髪をこっそりと死滅させたのは敢えて黙った。
「兎の他にも、猫に犬に熊、猿や栗鼠もいるよ」
ほら、と色んな動物の形をしたニンジンをウェルギリウスに見せた。
「そうか。まあ、お前が気に入ったならいい」
動物の形をしたニンジン、じゃがいもも型でくりぬき動物の形をしていると今更ながら気付いた。ニコニコと嬉しそうにするエヴェリーテが可愛くて頭をポンポン撫でるだけに止めた。
朝食も終わり、ララとアイが片付けをしている最中、食後のお茶を飲むエヴェリーテが「あ」と思い出した様に声を出した。
「昨日の約束覚えてるよね?」
「覚えてるよ。水の魔術が見たいんだろ?」
「うん!」
「一時間後に出るぞ。セストも来たいなら、その間に支度でもしろ」
「はい!あ、という事はエヴェリーテ嬢は次は水の属性?」
「そうだ。セスト。お前も風の魔力操作に大分慣れてきたな。今度は、魔術式のを覚えろ。魔術式をきちんと理解すれば、呪文も適当で良い。《こういう風にな》」
掌に球体の中に渦巻く風の魔術を披露した。呪文らしき言葉は一切詠唱していない。魅了されたかのようにそれに目を釘付けにするセスト。エヴェリーテも。
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