第十七話 大事
ウェルギリウスの目覚めの最初は、愛しい少女エヴェリーテに初回のキスをすること。頭の天辺、額、頬、鼻頭、最後には唇に――。
顔にキスの雨を降らせ終わるといつもエヴェリーテは恥ずかしそうに愛らしい顔を真っ赤にする。エヴェリーテとの生活もかれこれ四ヶ月以上経った。最初の頃よりかは慣れたものの、まだまだお子様だからか、羞恥心が勝る。ぽかぽか胸板を叩かれても痛くも痒くもない。無限に沸き上がる愛おしさだけが胸中を埋める。エヴェリーテを後ろに向かせてサイドテーブルに置いてある櫛に手を伸ばした。朝、エヴェリーテの髪を整えるのはウェルギリウスの楽しみの一つ。傷みも絡まりもない青みがかった銀髪からは薔薇の香りが。
「洗髪剤を変えたか?」
「うん。ダマスクローズから花の蜜を抽出して、それを錬金術で洗髪剤にしたの。変な匂いはしないと思うけど……」
「ああ。薔薇のいい香りだ」
「良かった」
てっきり失敗して臭うと言われるのではないかと身構えたエヴェリーテは安堵した。大人しくウェルギリウスに髪を委ねていれば、コンコン、とノックが。入室の許可を出すと「失礼します」と扉を開けたララが頭を垂れた。
「おはようございます。バージル様、お嬢様」
ララが二人を起こしに来るのは日常となっていた。
「おはよう!」
「ああ」
「本日の朝食ですが、パンケーキとシリアル、どちらになさいますか?」
「私はパンケーキがいい!」
「俺も同じのを貰おう」
「分かりました。では、先に食堂へ行って準備をしますね」
再度頭を垂れたララが扉を閉めようとドアノブに手を掛けた。
直後に、朝から元気な声がエヴェリーテとウェルギリウスに向けられた。
「おはようございます! ウェルギリウス様! エヴェリーテ嬢!」
「おはようございます。セスト王子殿下」
「朝からうるせえ」
「人間元気が一番です」
ヴォルティス王国第二王子セスト=モネ=ヴォルティスは、三ヶ月前からウェルギリウスの屋敷に居候している。
訳は三ヶ月前に遡る――
いつものように朝起きたウェルギリウス。隣で眠るエヴェリーテに起きる気配がない。もう少し寝ていようと瞼を閉じ掛けた時――勢い良く、元気な声が室内に響いた。
「おはよう! いい朝だぞ! 起きろ! 母なる太陽の光をこのみ――」
恐らく、この身に浴びろと言いたかったのだろう突撃人はウェルギリウスの空間魔術で何処かへ飛ばされた。朝から最悪だ、一ヶ月間の平和な朝を崩されたと嘆息したウェルギリウスは、気を取り直して再び瞼を閉じようとしたのだが……ツンツンと上から頬を突かれた。
誰だと目を開くと、先程消した男と瓜二つな少年の顔があった。
「おはようございます。ウェルギリウス様」
「……セスト、お前は何処に飛ばされたい?」
「遠慮します。ぼくは今日から此方でお世話になるので飛ばされては困ります」
「は……」
お世話? 何の話だ?
取り敢えず起きてください、と半ば無理矢理起こされた。
騒がしい空気を読んだのか、エヴェリーテも目を覚ました。朝からセストの姿があるので「え? え?」と疑問符を飛ばす。朝の挨拶を述べられたので同じように返すとウェルギリウスに抱き上げられた。
「おはようエヴェリーテ。起きて早々に悪いが食堂へ行くぞ」
「うん……ふわあ……」
大きな欠伸をして頷いた。ウェルギリウスに抱かれて食堂へ連れて行かれ、定位置に座らされると隣に彼も座った。食事の準備は出来ていたらしく、丁度二人を起こしに行く所だったララは朝食を配膳していく。アイはグラスに飲み物を注ぐ。エヴェリーテの向かいに座るセストにウェルギリウスが先程口にした言葉の真意を尋ねた。
「さっき、お世話になるだとか言ったがどういう意味だ」
「そのままの意味です。暫く、ウェルギリウス様のお屋敷にご厄介になります」
「誰がいいと言った」
「国王陛下です。あ、所で父上を知りませんか? 先にウェルギリウス様のお部屋に行った筈なんですが」
「朝からうるせえ声に起こされたんでな。モヨリの森へ飛ばしてやった」
「そうですか。モヨリの森なら、安心ですね。戻るまでそう時間は掛からなそうですし」
「あの、セスト王子。王様が心配じゃないのですか?」
「ご安心を。エヴェリーテ嬢。父上は、普段はああでも立派な魔術師です。モヨリの森なら、二十分くらいで戻ってくるでしょう」
信頼しての台詞なのだろうが幾分か突き放した物言いに聞こえなくはない。アイに注がれた飲み物を一口飲んだエヴェリーテが誰もが気になる疑問をぶつけた。
「あの、セスト王子殿下が此処でお世話になるとは、つまり?」
「居候させていただきます」
お願いではなく、既に決定事項な所が王族らしい傲慢ぶりだ。
「ウェルギリウス様やエヴェリーテ嬢もご存じの通り、ぼくの魔術属性は基本四元素の風。一般的な属性の中でも弱い属性です。対して、兄のパーシアスは威力特化型の雷属性。恵まれた属性を超えるには、それを上回る魔術が必要だと思ったのです。そこで、更に魔術を極めるべく、父上にウェルギリウス様の弟子入りを申し入れたら、快く承諾して下さったのです」
「何で俺じゃなくてあいつの許可が必要なんだよ」
「勿論、承知しております。しかし、勝手に消えては父上や母上にいらぬ心配をかけさせてしまいます。事前の相談と協力要請は当然かと」
「ということは、セスト王子は我々の弟弟子になるということですね?」
「はい。そうなります」
一国の王子が最弱の魔物ぷにぷにの弟弟子になる……。珍妙な光景に何も言えなくなるエヴェリーテ。対して、本人そっちのけで兄弟子として弟弟子に弟子についての在り方を熱く語るぷにぷに三兄弟を黙らせるか、さっさとセストを城へ強制送還するか、どちらか決めかねていると食堂の扉が勢いよく開かれた。
嵐の如く現れた人物に誰も驚きが小さかったのは、既に見慣れた場面なせい。
「おい! ウェルギリウス! 起きて早々人をモヨリの森へ飛ばすとはどういうことだ! お陰で大量のスライムに囲まれる羽目になったぞ!」
「そうか良かった。そのままスライムまみれになって窒息死すれば良かったものを」
「良くあるか! ……おお、セスト。話は上手くいったか?」
「はい」
「勝手に決めるな」
「私は良いと思うよ。セスト王子は、純粋に魔術を習いたいって言ってるんだから教えてあげてよ。第一、減るもんじゃないでしょ」
エヴェリーテからの援護射撃に嫌そうに顔を歪めるも、断れば今日一日口を聞いてくれなさそうな予感を抱いたので不承不承とばかりに頷いた。
◆◇◆◇◆◇
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さっさと仕事をしに帰れとまたウェルギリウスに飛ばされたゲオルグを見送るとエヴェリーテとセストはウェルギリウスを見上げた。
三人が今いるのは、空いている適当な客間。ソファーに座らされた二人の前に水の入ったグラスを置いた。
ウェルギリウスが二人に魔術の勉強を教える上で最も大事な事が二つあると告げた。
ウェルギリウスは向かい側に座り、説明を続けた。
「魔術を使うにあたって、必要要素は何だと思う?」
「魔術属性と魔力容量と魔力濃度?」
エヴェリーテが答えると一つ足りないと駄目だし。透かさず、セストが「魔力操作」と答えれば正解と身を乗り出した。
「いいか? お前達にはこれから先ずっと、二つの事を続けてもらう。一つは魔力操作を極める事。もう一つは、魔術師の土台を作る事だ」
「「土台?」」
「先ず、魔力操作についてだが、当たり前な話、魔力操作が下手だとどれだけ強大な魔力を有していようと強い魔術属性だろうと全て台無しになる。こればかりは練習あるのみだ。だが、中には魔力量と肉体のバランスが悪くて魔力量を調整出来ないのもいる。エヴェリーテの場合は大丈夫だ。セスト、お前はどうだ」
「何度か魔術を使用していますが失敗をしたことはありません」
「そうか。なら、後はどれだけ操作出来るかだ。繊細な操作が出来る奴程、複雑で強大な魔術を扱える。次に魔術師の土台についてだが」
ウェルギリウスは一冊の本を二人に見せた。黒い布カバーで覆われた本を二人に見せつけるかのように前へ突き出す。そして、本を引っ込めた。行動が読めなくて首を傾げるエヴェリーテに本の色を問うた。
「色? 黒だったわ。カバーだったけど」
「セスト」
「ぼくも同じです」
「そうだ。人間、覚えようと思えばほんの数分の間でもそれが何かを記憶する。だが、土台作りはそうはいかん」
土台作りとは、その名の通り魔術師の土台作りである。最初の魔力検査で測った魔力容量と魔力濃度をほんのちょっとずつ増やしていく作業だ。その二つの数値を上げるだけでなく、魔術を使用にするに大事な知識や技術も土台に関わる。
「誰もが出来るこの魔力容量と魔力濃度の数値上げだが、真面目にやってる奴は殆どおらん」
「何故です?」
「地味、だからだ」
魔力操作が上手くなれば、扱える魔術の数も上がるので皆必死に魔力操作を鍛えるのだが、毎日ちまちまとした訓練をしても実感が感じにくい数値上げを軽視する者が続出しているのだとか。
「他の連中と差をつけるなら今だ。最初の一年は、ほぼ土台作りからだ。それが嫌なら帰れ」
「帰りません」
「頑張るよ」
だが、それと水の入ったグラスに何の関係があるのか。二人同時に問うとウェルギリウスは一つの課題を出した。
「先ずは魔力操作。エヴェリーテは兎も角、セスト。お前は風属性だったな。風の力で水を浮かしてみせろ」
「で、出来るのですか?」
「正確に言えば、水の周囲に風を纏わせて浮かせるんだ。風属性の魔術師の第一歩としてならこれくいらが丁度良い。エヴェリーテ、お前は風と水両方使える。先ずは、さっきセストに言ったようにお前も風で水を浮かせろ」
「いきなり言われても……」
まだろくに魔術を使っていないエヴェリーテにその属性だけを扱えと指示するウェルギリウスは出来ると言い切った。
「頭の中でイメージするんだ」
「イメージ?」
「そう。風に包まれる……まあ、水じゃなくてもいい。物でも人でも。それを風で包み、浮かせるんだ。言っとくが最初から成功するとは思うなよ。そうだな、一週間様子を見よう」
やれ、と開始の合図を出され、二人は自分が思うように水に魔力を込めた。
――その頃ララとアイは、厨房で今日の昼食のメニューについて話し合っていた。
「何にする?」
「シチューは? 牛乳が沢山余ってるってララ言ってたじゃない」
「そうだね。なら、パンがあった方がいいわね。あ、でも、昨日で切らしてたんだった」
「じゃあ、あたしが買いに行くよ。他に必要なのある?」
「えーと、あ、お肉を買ってきて。鶏肉」
「了解」
メモに必要な食材を書き終えたアイが「行ってきまーす!」と買い出しへ行った。丁度、入れ替えのようにぷに三郎が前を通った。
「アイさんはお買い物ですか?」
「はい。シチューに使う鶏肉とパンを頼みました」
「なら、ボクもお供してきます」
アイを追いかけてぷに三郎も屋敷を出た。彼等を見送ったララは、昼食のシチュー作りを始めるのであった。
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