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大王さんは新歓で、しどろもどろになる僕を見ながら、かわいいと言った。機嫌の良い猫のように表情を変える大王さん。帰り道、クラスメイトの佐々木と話した『付き合いたいランキング』『一晩共にしたいランキング』『お預けにされたいランキング』すべてで大王さんは堂々の一位をとった。
大王さんは三年生。文系コース。図書室で目撃した時は『ジェンダーの歴史』というムズい本を読んでた。その割には、けいおんとかも知ってて濫読で。演劇部には一年生の四月、それも授業が始まる日から入部していたそうだ。男女共に人気の高い先輩。御多分に洩れず僕も大王さんに憧れを抱いた。
二年生の百眼さんが一年生を連れたドーナツ屋(割り勘)で饒舌に語った。「大王さんに惚れるのは新入部員の通過儀礼だからな。」しかし、と同席していた二年生のゴリラ坂さんが僕たちを諭す。「お前らに勝ち目はないぜ。」ゴリラ坂さんの口から紡がれたのは三年生の『春巻先輩』という男の名前。
彼は演劇部の部長。容姿端麗。成績優秀。既に有名な私立大学の推薦を貰っており、オマケに夜の方も超絶らしい。それを聞いて一年男がうわあってなった。僕もなった。そう言えば一度だけ大王さんと見知らぬ男が歩いているのを見かけた事がある。今思えばあの男が『春巻』だったのかもしれない。
二人は恋人繋ぎをしていた。そしてボックスを踏むような千鳥足だったので「いやー、これはコンプラ違反では。」と思い込んでいたが。美男美女の夜の様子を想像し、せめて乳首が変な位置であれ春巻と願った。どうして僕がそこまで大王さんの事を想うのか。それは彼女が感情豊かだからだと思う。
大王さんは感情豊かな人で、よく笑い、よく叫び、よく怒り、よく飛び跳ねる人だった。誰にでも分け隔てなく会話し、ポイントポイントで飴をくれ(僕のお気に入りは黄金糖)、学食では三人前を平らげ、カラオケでは100点を出し、ツイッターでは有名人でもないのに1万人以上のフォロワーをもった。
なにより大王さんはポジティブシンキングが凄かった。通り雨にあえば、虹が見れる。財布を無くせば、お金のありがたみが分かる。どうしてそこまでプラスに考えられるんですか、と尋ねると彼女は「だって、生きてるだけで丸もうけでしょ?」と明石家さんまの名言を引用しながら笑顔で答えた。
大王さんはバンドが大好きで、その中でも特に解散してしまったGOING STEDYのファンだった。「僕も好きです。」そう伝えると「え、私のこと?」と丸括弧のGOING STEDYをわざと無視して、いたずらに目を細めた。あの時、僕の耳の中では確かに『BABY BABY』が流れていた。確かに、ずっと。
告白直後。思い浮かんだのは、そんな光景だった。確かに話しやすいのは目の前にいた同い年の子だった。性格も良いしルックスも好み。だけどこんな僕が誰かと付き合うなんて彼女の気持ちを踏みにじっているのではないかとかいう気持ちは全部『マーズ』と呼ばれる彼女のエグいキスで忘れた。
九州からここへ入学してきた彼女は学校近くのアパートに一人暮らし。理科、特に生物が好きでトカゲの『承太郎』『幽助』『猿野天国』を飼っている。性格は、九州男児の地域柄にしては主張が強過ぎる感があった。あの夜インドの部屋になだれ込むようにお邪魔したのはトカゲが見たかったからだ。
だからあの夜、何も無く解散になったのは僕の意気地が無いせいではない。あれはトカゲを見に行っただけなのだから。あとマーズの部屋のコーディネートがインド過ぎたせいだ。こうして僕とマーズは恋人になった。組織というのは恐ろしいもので噂は風邪気味のポカリのような浸透ぶりを見せた。
百眼先輩とゴリラ坂先輩は心底悔しがった。後から聞けば二人はマーズをあわよくばと思ってたらしい。もちろん噂は大王さんの耳にも届いた。彼女は学食で僕とマーズを見かけると直ぐに近づいてきた。そうして僕の肩をバシバシ叩き喜びを噛み締めるよう小踊りを始めた。一人ミュージカルである。
その後、大王さんは僕たちに大学芋なんて奢ってくれたりして。去り際には「リア充爆発しろ!」なんて台詞を笑顔で捨ててった。マーズと行った、たくさんの恋人っぽい事は(アーンとかブログにアーン投稿とかは)、今にして思えば大王さんへの当てつけだったのだと思う。あと忘れられない僕への。
そのバチがあたってしまったのだろう。あの男と遭遇してしまった。「君ひょっとして?」最寄駅のホームに佇むシンプルなイケメンは春巻先輩だった。彼はマーズとの恋人記念に缶チューハイを奢ると言った。嫌み半分で「未成年ですが。」と告げると「それはそれで。」と笑顔で返答され謎敗北感。
結局その日は春巻先輩と帰路を共にした。大王さんの彼氏である男と。「え、マーズちゃんとキスまでは行ったの?ねえ行った?」と馬鹿を爽やかに話すこの男と大王さんは、傍から見れば「やっぱ似合ってんだろなぁ。」と思ってしまった。そのままY字路で「こっちなんで」と振り切ろうとする僕。
Y字路のもう一方で春巻先輩は「結婚とか考えたことある?」と難しそうに話した。結婚。学生の身分では触る事も感じる事もない未知の領域だ。僕が分かりませんねぇ、と答えると、先輩は、わかんないよなぁと誰に言うでもなくぼやいた。「ほら永遠に愛する事を誓いますかって神父が言うけどさ」
永遠を喉元にナイフ突き付けて、誓わされてもなあって。僕は、なに言ってんだコイツと思ってその話を聞いた。そのまま「じゃ」と別れた後ろ姿は先輩らしからぬ丸まった背中で僕は背後から中指を立てるのも忘れてしばらく様子を眺めていた。そんな彼と大王さんが別れたと知ったのは翌日の事だ。
演劇部内で信じられないという声が続出した。同学年の佐々木は、わからんもんだと携帯でエログのまとめサイトを眺め、百眼さんとゴリラ坂はロマンスの神様どうもありがとうと色めいた。マーズだけは、ふーんと落ちついてた。肝心の僕は動揺の余り赤点を五つ取る事となるがそれはまた別のお話。
そして、この件の一番不思議な点は『別れた理由が明確でない事』だった。どスケベな週刊誌よろしく様々な憶測が部活内を駆け巡ったが(主に春巻先輩の性事情に関して)どれも真相には辿りつかないまま。別れた当日に偶然先輩と出会ってしまった僕には、なんとも言えない心の有耶無耶が残った。
となるとだ。「永遠に愛することを誓う」「喉元にナイフ突き付けて」昨晩の全ての台詞が意味深に感じられた。別れを切り出したのは春巻先輩の方だったのだろうか。もしも今回の件を昨晩に知っていれば僕は春巻先輩をあらゆる手段をもって非難しただろう。そんな事を、大王さんを浮かべ考えた。
この事を知ってか知らずか春巻先輩も大王さんも共々演劇部へ顔を出さないようになってしまった。大王さんに至ってはあれほど大好きだったエチュード乱入もせず学校を休む日々なのだという。「このままフェードアウトちゃう。」とマーズは『ガラスの仮面』を部室で読みながら呟いていた。
そんな僕たちにも決定的な出来事が迫っていた。火種は、ほんの些細な事だったように思う。新人公演に脚本が選ばれなかった事とか。夏期休暇も近いのに未だに雨が降り続けている事とか。知りもしない永作博美の肩を持った事とか。マーズは二三言、僕の外面と内面に関する呪詛を吐き出て行った。
雨に濡れたシャツは生暖かくなりつつあった。突然の余所行きに戸惑う部活着。背中には季節外れの『寒鰤』というプリント。マーズはなぜ僕がこんなセンスの日に出て行ったのだろう。少し汗をかき始めた頃、マーズは見つかった。隠れ家的コンビニの前。背中には『鰯汁』の文字が際立っていた。
「二人乗り。」「うん。」「繋いだ手。」「うん。」「部活の買い出し。」「うん。」「遅刻した一時間目。」「うん。」「けど。」「うん。」「まだ、見とらん。」鰯汁の文字が震えていた。「向こうの方見てな、にんまりしてたからな。阿呆みたいな顔して。こっちに振り向かせたくなったばい。」
マーズは泣いていた。「ドラマみたいに雪崩れ込んでな、サークルにも巻き込んだったき、ウチ。けど、けどな。いつになったら、こっちに振り向いてくれるん?」春巻先輩が覚悟を決めて誓えば良かったんだ、永遠に愛する事を。そうすれば僕が抱きしめたまま謝るなんて事しなくて良かったんだ。
部屋の掃除もするなんて言い出さなくても良かったんだ。マーズもマーズで僕よりトカゲを愛してくれれば良かったんだ。僕は初めて母へ「友人の家に泊まる」と連絡した。
その夜。ポカリが飲みたくなった。好きな曲名の出し合いに疲れたマーズをそっと残し、僕は深夜のコンビニへ出掛けた。
気付けば雨は止み蒸し暑さだけが大気中に残っている。なんとなく空を見上げたが星は見えない。こんな夜は皆、何をしているのだろう。僕は脳内の残響を殺す為、分裂するプラナリアの事を考えた。ふと巡ってた道が春巻先輩と歩いた経路である事を思い出し余儀なく進路変更。一線は超えた。
亡霊を断ち切らなければならない。生乾きのままではいけないのだ、未練も『寒鰤』シャツも。ならば僕が誓えば良い。永遠に愛する事を。僕はまだその境地にも立ててもないがビキナーズラックに怖いものはない。ただ、春巻先輩のような男が無し得なかった事を僕が叶えられるのか。
佐々木は僕を『木の棒で殴れば簡単に支配出来る男』と評した。担任の先生からも褒められるより励まされる事の方が多い僕だった。いやそんな男だからこそ永遠を誓う価値がある
とか。
そんな気持ちは眩い六玉の閃光の出現によって遮られた。
閃光はぐるぐるぐる、と僕の周囲を取り囲む。一体何が起こったのだろう。僕は永遠の愛について熟考を重ねていたのだ。初めての夜に。それなのに何、この世界観。閃光って。六つって。どういう回路を巡って、この展開だ。しかし不意打ち喰らって呆然とする僕へ、間髪いれず閃光が僕の胸へ。
飛び込んでくる。込んできたのだ。
その時だった。
『シュラバッビーナァッ!ハァッ!』
シュラバッビーナァッ!ハァッ!的な音速の存在が眼前で手を広げて僕を守った。存在は、どうやら髪の長い女性のようだ。すると先ほどまで僕を狙っていた閃光は、ポヌルーニィッ…と鎮火してしまった。
「大丈夫?」
音速の存在が声をかけた時、僕は狂った。
「大王さん…?」
そこにいたのは紛れもなく大王さんだった。
「君、は、ああ、演劇部の…。あー、そっか、そっか、なるほどね……」
彼女はは髪をかきあげながら呟いた。それらの表情は今まで僕が見たことの無い顔で。
え、あのー、え、あのー、という僕を遮って大王さんは口を開いた。
「これから私、すっごい頭のおかしい事を言う。けど聞いて」
大王さんに迫りくる新たな閃光弾。
「私はこの閃光、人類煉獄の発力体でありサザンジュネーブ計画の動源である『ヌガマバ』を完全粉砕しっ。」
手刀で真っ二つに割れる光の玉。
「アンチフラヌルスからの刺客でWJGの第五エリア区っ。」
再び現れる閃光弾。
「パラマイア卿および観察隊特選部を破壊せしっ。」
漆黒の銃と化す彼女の右手。
「斬首三昧地獄の六万舞台と呼ばれるぅっ。」
放たれる無数の銃弾。
「世界虐殺機構ぅっ。」
銃弾によって破壊される光の光。
「恐怖の大王。」
大王さんは呟いた。十八年の潜伏を経て、この世界を破壊しに来た、と。
漆黒の銃と化した右腕を人に戻しながら。
「なんだけど」
その時、彼女は、いつもみたいに笑った。機嫌の良い猫のように。
「これから世界の全部を忘れて。」
私と一緒に逃げ出さない?
そんなこんなで。2008年、夏。
人類の行く末は僕の一挙手一投足と、先輩の気まぐれに託された。
(続く)