第二編 コボルトの神
「まあ、そこにかけなさい」
老齢のコボルトは祭壇の窪みを指差して言った。異形が人間に対してこんな口のきき方をするとは無礼も甚だしい、とウォレスは内心腸が煮えくり返る思いでいた。
「おい、お前」
「何だね」
老齢のコボルトはきょとんとした顔で言った。
「神様だか何だか知らないが、まさかお前ら、人間様の真似事でもしてるんじゃあるまいな」
「真似事とは?」
「だから、さっきこいつがお前のことを神様呼ばわりしていただろうが」
ウォレスは村でのことの憂さ晴らしとばかりに、そのコボルトを罵った。すると、トミギルがひょこひょことやって来て、ウォレスの顔を食い入るように見上げ始めた。
「何だお前は、どっか行け」
「リュパルトナプス神を愚弄することは例え人間様でも許せません」トミギルは正義に燃える視線でウォレスを睨みつける。
「こいつ、本気で―」
脚を振り上げてトミギルを蹴り飛ばそうとしたウォレスの首筋に、何か光る鋭いものが当てられた。振り返れば、音もなく忍び寄ってきた2人のコボルトが長槍を首に突きつけているのだった。
「おい、どういうつもりだ貴様ら。自分が今何をしているのかわかっているのか」
「無論、わかっているつもりだ」老齢のコボルト―リュパルトナプスは言った。「手荒な真似はせんで頂きたい。何せ私たちはあなたらのように頑丈ではない」
「異形が人間に逆らうつもりか!これが露見すれば、貴様らは種族ごと根絶やしにされるんだぞ」
リュパルトナプスはふむ、と呟き白い髭に覆われた顎を撫でた。
「ちょうどいい、お前さんたち2人には伝言役となってもらおう」
「伝言役、とは?」
グリラドは慎重に言葉を選びながら言った。隣ではウォレスが悔しげにそれを睨んでいる。
「なに、今から話すことを人間達に伝えてくれればいい。気の毒だがそちらのお嬢さんも拘束させてもらおう」
と、どこから湧いてでてきたのか何人ものコボルトがグリラドとウォレスに群がり、後ろ手に縛り上げてしまった。ウォレスは怒りに燃える目で、首筋に突き付けられた長槍の穂先を恨めし気に睨みつけている。
「あなたのせいよ」
「うるさい、黙れ」
ウォレスは聞く耳を持たなかった。ただ呪詛を延々と呟いている。
「さて」リュパルトナプスは続けた。「そもそも神とは何か」
「異形が知ったような口を聞くな!」
吠えるウォレスを尻目に、リュパルトナプスは語る。
「世界に神が産まれたのは、今現在の異形と人間との支配関係が築かれる直接の原因となったツガイズグルフの戦争の時だといわれている」
ツガイズグルフ戦争。グリラドは遥か昔の時代に異形と人間との間で起きた戦乱に思いを馳せた。血で血を洗う争いは人間が勝利を治め、以来異形は徹底的な管理の元服従する形となったのである。
「長きに渡る争いは両陣営を疲弊させ、人間は救いを求めて神という名の偶像を生み出した。彼らはそれに縋ることで自己を保っていたのだ」
またウォレスが何か口を挟みかけたが、グリラドがそれを制した。彼がこれ以上相手に刃向うような真似をすれば、自分の命すら危ういと思ったのである。
「やがて戦乱の世は終わりを告げ、宗教は別の目的をもって使われるようになる。人々を扇動し支配するために、だ。戦争が終わっても救いを求める人間が一定数存在したというのは皮肉なものだが、目論見通り宗
教は爆発的に広まり、今に至るわけだ。さて、お嬢さん。あなたは神を信じるかね?」
グリラドはごくりと唾を飲み込み、一瞬の間ののち言葉を絞り出した。
「神はそのものが存在するか否かは別として、絶対的な存在です。実在はないにしても、人々の意思という形で存在すると、私は思います」
「ほう、意思」リュパルトナプスは言った。「人間が神の意思を汲み取り、自らのものとする。なるほど、それなら人間を動かしているという意味で確かに神は存在するのかもしれない」
「この女は教会に盗みに入ったんだぜ、神なんか信じてるものか」
ウォレスが喚き立てたが、グリラドは彼の顔を見ることさえしなかった。
「うむ、ならば人間たちからしてみれば、わたしという存在は矛盾していることになるわけだな。神は人間の精神世界にのみ存在する。またあなたが教会に空き巣をしたということは、それはあなたが無神論者であることを示している」
「私は、神を否定しているわけではない。私の言い分を人間全体の意見として捉えるのは、錯誤です」
「つまり、肉体を持った神の実在を信じている人間が少なくとも存在する、ということかね」
「それは……」
グリラドは言葉に詰まった。このコボルトは曖昧にぼかすような表現はせずに、はっきりと物事を伝えてくる。そこが人間と異形の、違いなのだろうか。
「リュパルトナプス、あなたの考えは短絡が過ぎる。信仰とはそんなに単純な理屈で説明できるものではない。確かに神とは架空の存在かもしれないが、本来人間が信じている神とは先人が作り上げたイメージの偶像なのではない、自分自身から生み出したもののことをいう。肉体を持った神が生物がとして存在するか否かとは、関係がない。」
「何か勘違いしているようだね。君たちの作り出した神、その血筋を辿って行くと最期に辿り着くものは何だと思う。わたし達なのだよ。人間は視覚的なイメージとして人間を超越した存在である異形を選んだ。いかに宗教が発展しようとも、その下地にはわたし達が確かに存在しているのだということだ」
「おい」
ふいに、押し黙っていたウォレスが口を開いた。
「何だね」
「結局、お前は神を名乗ってどうするつもりなんだ。教えろ」
「目的、か。言うならばわたし達の神を取り戻すことだ」
「それこそ矛盾してるぜ、さっきの話だと神とはお前自身なのだろう」
「わたしは神の意思の代行者に過ぎない。が、民からすればわたしという血の通った存在こそが神であるということだ。神は超越的な存在なのではなく、産まれて生きて、いつかは死ぬ。これがわたし達の宗教だ」
「そんなの馬鹿げてる」
「わたしからしてみれば人間の宗教の方が馬鹿げてると思うがね。どうして、真剣に、生きている意味というものを見つめ直して考えるのに神という支えが必要なのだ。それは自分一人で出した答ではなかろう」
トミギルはリュパルトナプス神の御姿に跪き、十字を切っていた。その表情には何の雑念も感じられず、彼がリュパルトナプス神を信頼しきっていることが見てとれた。




