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割れた湯呑み

作者: 横田シュン

「これどうしよう」

 台所の流しの前でそう言いながら立ちつくす旦那に、天野絵美は冷ややかな視線を送っていた。シンクに無造作に置かれた夫婦湯飲みは一見健在に見えたが、手を触れると手品のように見事に真二つに割れた。

 ただそこに置いただけでなぜそうなるか。その質問を絵美はなぜこの男と結婚したのかという自分への問いかけと重ね合わせた。

 どう後始末するかさえ知らぬ男は、割れた二つの湯呑みの破片をゴミ箱に投げ捨てた。

 あーもう。

 背中に突き刺してやろうか。絵美はゴミ箱から拾い上げた二つの破片の鋭利な部分を、ちらつかせながら別のビニール袋にいれた。

 階段がきしむ音がし、長男の康昭が起きてきた。短期留学から戻ってから時間軸が狂ったのか、毎日昼過ぎに起きだしてくる。大学は長い夏休みだ。

「おそよう。ごはん食べる?」

「いらない。すぐでかけるから」

 アメリカから戻った康昭は絵美をさけるようになった。二十歳になっても親離れできないなんて心配を、通りこして離れすぎ。

 んーもう。

 うちの男どもは。けど彼は違う。

 絵美は着信を知らせ鈍く光る携帯を急いで手にとった。返信メールが届いていた。

 ――今から会いたいな。

 絵美は携帯を両手で大事に包み胸にあてた。

 ヒロくんとはSNSで知り合った。

 康昭と同い年で、こんなおばさんでもいいって言ってくれた。

 ――じいさんが認知症になっちまった。そのことで絵美さんに相談したくて。

 やっと初めて会える。

 絵美はテレビ番組に笑い声をあげている旦那を一瞥し身支度を急いだ。

 待ち合わせの駅前には、時間より随分早くついた。ヒロくんはジーンズとTシャツをきているという。絵美は三年ぶりにスカートをはいていた。康昭の高校の卒業式に着たものをまだ着られる自分を褒めてやりたい。いや褒められたい。

 日傘で日差しを遮るふりをして顔を隠した。絵美のことを気にかける人もおらず、駅前の人通りはとぎれない。行き交う人の首から下だけを見るように様子をうかがった。Tシャツにジーンズの男の子ばかりを目で追った。

 自分の写メは厳選したのをいくつか送っていたが、ヒロくんの顔はしらなかった。

 コンパクトを取り出してのぞきこむ。

 化粧はばっちり。

 コンパクトをしまい、携帯をとりだした。ヒロくんからの着信はない。

 ――先についちゃった。

 送信ボタンを押す前に画面にメール着信が表示された。

 ――なんでそんなかっこしているの?

 康昭のからのメールだった。日傘をあげると交差点のむこうに康昭の姿があった。となりにいる女の子に何か話しかけ人ごみのなかに消えてった。

 彼女できたんだ。

 携帯が身震いをしてヒロくんからの着信を知らせた。

 ――ごめん。じいさんが入る予定の老人ホームに、手付金十万を今日中に振り込まないといけなくなった。何とかしないと今日会えない。すぐ返すから貸してくれないかな?

 絵美はきびすをかえすと待ち合わせ場所をあとにした。ひさしぶりにはくスカートは、風とおしが良すぎてなんだかなじめなかった。

 帰宅し普段着に着替え洗面台にむかった。何重にも塗りこめたファンデーションは、いくら泡立ててもなかなかおちなかった。途中から涙が混じっているせいだろうか。冷たい水で何度も顔を洗い流しほおをたたいた。

 えーいもう。

 わたしのバカ。

 リビングでは旦那が、絵美が出て行く前と全く同じ格好でソファーに座っていた。テレビに映るイケメン若手芸人をみると、むしょうに腹がたってきた。

 食卓には割れた湯呑みが入ったビニール袋がそのままおいてあった。袋から取り出してみると、二つの破片は寸分もたがわず合わさった。セロハンテープでぐるぐる巻きにして固定した。お茶をわかし注いでみると水はもれなかった。

 わざとらしく音をたてて旦那の前においた。

「もう新しいのを買ってくれたのか?」

 旦那はおいしそうにお茶をすすった。

 だまされやすい人。

 きっと私たち似たもの同士だ。それにしても康昭に彼女ができていたなんて知らなかった。

 ――何時ごろ帰るの?

 メールするとすぐに返信があった。

 ――たまにはスカートもいいんじゃない?

 こんどはだましてやろうか。 

 絵美はひそかに決心をした。

 


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